当ブログで
わたしがボディートークで変わったこと というシリーズがあります。
我ながら正直に綴っているなと思うのですが
わたしは、小さい頃から本当に泣かない人間でした。
泣くという行為は、負けであり屈辱であったから。
なので、泣かない人間というより泣けない人間という方が正しい。
だけど今は
(一応場所などはわきまえるけど)
感動したり、嬉しかったり悲しかったり辛かったりすると
泣くという行動は割と直列回路になったと思う。
わたしの人生で、こんな大きな転換が起こるとは思ってもいなかったので
ボディートークに出会って1年で施術士になっているので
ほぼほぼ施術士人生がその転換期にあたるから
泣けるようになって、たかだか6年。
小さい子が自転車に乗れるようになったり逆上がりができるのと大差ないくらいの年月。
それだけでも、ボディートークありがとうだし
自分の人生が豊かになったと思っています。
それで。
これは、結果的に最近気づいたことなのですが
泣けるようになったら痛みに弱くなった
という体感覚を得るようになりました。
これまで、人生で何回か「こんな痛い思い2度としたくない!」と思う経験もいくつかあるし
そのつど、いちいち几帳面に痛いという体感覚は得てきたのですが
それでも、グッと堪えられてきたし
こんなくらいで痛がったり騒いだり、ましてや泣いてたら人間失格
という信念システムの方が勝っていたから
痛みを我慢することもそうだけど、痛みそのものに対しても
自分を誤魔化していたのかもしれない。
この春先、検査で採血した時の跡。苦手な方はごめんなさい。
この時も、実はすごく痛かった。
でも、7〜8年前までは、痛いという感覚さえ持たなかったし
注射の類に関しては、幼少期からみんなのお手本になるくらい
目の前では、注射が怖くて逃げ回っている大勢の子達が居ながらも
よろしくお願いします!と、腕を出して潔く予防接種を受けてきたタチです。
だけど
今は、しっかり痛いと感じるし(もちろん我慢できるけど)
先生や看護師さんたちに負担をかけさせないようにここは堪えなくちゃ
という考えも今はほとんどない。
かといって、迷惑をかけようとは思わないですよ。
耐えられるレベルはさほど変わらないけれど
痛いものは痛い、辛いことは辛い
という自分の体感覚をごまかさない、ということなのだと思う。
泣けるようになることで、いかにごまかさない自分でいられるか
わたしにとっては、とても大きなことです。
生きることがこんなにも楽なの?
自分の中に引っかかっていることや突っかかっていること
ボディートークで自分の体の声を聞いてみると
目から鱗なことがたくさんありますので
おススメです!
タニタサイズについて インタビュー記事が掲載されました!
リライズニュース 新時代創造マガジン インタビュー記事が掲載されました!
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Lieto BodyTalk Room
米国IBA認定 BodyTalk施術士 松岡由枝
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