音楽大学時代やオペラ研修所時代



がんばっていたのに、思うように成績が伸びなかった頃



ローマは1日にして成らず



と、よく自分に言い聞かせていたことを思い出します。




その時、何でわたしはがんばり続けられたのか?




自分の技術や個性は、誰と比較したところで似た評価はあったとしても


同じ評価にはなり得ないと分かっていたし


自分の弱点も強みも分かっていたから。






一方で。



がんばってるのに報われない思いもたくさんしてきました。



自分が努力して得たデータをゴッソリ横取りされたこともありますし


より良いものを提供しようと準備したものを、わたしの名前ではなく、何にもしていない他の人の名前として発表されたり。



あまりにもそれが公然と行われると、人間感覚がフリーズするものです。



今振り返れば、そんな卑怯なことを我が物顔でする人間と


それを機に関わらなくなって良かったと深い学びになったのですが。






良くなりたくてがんばっているのに


要領の良い人の方が評価されて自分は我慢を強いられた



そんな経験をしている人、少なくはないと思います。




報われないと感じる時



大抵は、その自分なりの努力や継続に、もれなく比較対象が伴う時でしょう。




組織が大きくとも小さくとも。




同僚や部下が自分より先に出世した


男性だから優遇された、女性だから軽視された


家柄や学歴、親の出自だけで自分を評価された


受験で自分より模試の点が低い人が合格して自分は不合格だった



いつも大人たちから兄弟姉妹と比較されていた


好きな人がいてがんばってアプローチしても、いつも振られたり友だちに横取りされたりする


がんばってるのに裏目裏目にでてしまう





もし、思い当たることがあったとしたら




報われないという一過性の結果にこだわるのはほどほどにしよう




そんな発想の転換は大事です。




一方で、その気持ちを誤魔化すことで辛くなる一方であれば



その悔しさや憤りを、次の挑戦に繋げるエネルギーにしてもいい。




ただ、何で自分が同じパターンを繰り返してしまうのかと卑下一過を辿ったり




どうしてどうしてと、自己嫌悪ループに陥ってしまうのであれば



しかるべきプロの手を借りて、自分を見つめることもとても大事です。




報われないと感じること、認めることが悪いのではありません。



報われない原因を他者や環境のせいと攻撃性に変えて向けても、



それは自分が疲れて虚しいだけだ、と気づけると



グッと楽になります。






まず、がんばってることを


〜だから、と条件をつけず無条件に


自分が報いること、誉めること。





まずそこから始めてみましょう。






ルンルンおしらせルンルン






リライズニュース 新時代創造マガジン インタビュー記事が掲載されました!




☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

Lieto BodyTalk Room


米国IBA認定 BodyTalk施術士 松岡由枝

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

Lietoサロンからのおススメ