遠慮しますのつもりで伝えた「結構です」がOKという風に解釈されたり
「嫌ですやめてください」が、嫌もイヤも好きのうちと解釈されたり
大丈夫だよと励ましたつもりなのに「そうはいってもね」と翻されたり
役員さんや連絡網のような伝達事項を次の人に伝えるだけなのに「何であなたに命令されなくちゃいけないの?」と言われたり
まあ世の中には、自分の伝えたいことが逆に解釈されることは良くあります。
ということは、人からの良かれを逆に解釈してしまってる自分もいるんだということを加味しつつ
だからこそ
こういう不機嫌になったの誰のせいか察してよね
というのは、なかなか愛が足りないなぁと思うのです。
誰に?
はい、人にも自分にもです。
ボディートークのセッションをしていてよく相談を受けたり、セッションの中で思い出されることなのですが
親や周囲の大人たちから褒められたことがない
という人はとても多く
テストやスポーツでがんばっても比較ダメだしをされたり
良い高校大学や一流企業と言われる会社に就職しても、そこで下っ端じゃ意味がないと一蹴されたりとか
他の人の前で、とにかく愚息愚娘扱いされたり
などなど。
本当に嫉妬などからそう思ってる人も確かにいるのですが
大抵は、謙遜が拗れて解釈されていて
いえいえウチなんてまだまだなんですよ
とか
厳しく言うことで、上を目指してがんばれという意味を込めてることがとても多い。
そう、自分の伝えたいことが逆に解釈される典型です。
それを、(親子なら夫婦ならきょうだいなら一族なら友だちなら仲間なら)分かるだろうと、
おさっしくださいになりがちだから、尚更逆の逆みたいなことが起こる。
それを「クソぅ!今にみてろよ!」と負けず嫌いや鼓舞に替えて頑張れる人もいるし
ああ、その意に応えられないわたしは何てだめなんだろう、と自尊心の欠如に向かってしまう人もいる。
どうでしょう?
誰にでも何かしら当てはまることだと思います。
とかく日本人は察するのがうまいです。
そして日本人は察せないように振る舞うのもうまいです。
それはとても素晴らしい美徳のひとつ。
気配りとか心遣いとかホスピタリティによく反映されています。
でも、もう自分の伝えたいことを相手を否定批判する方法で叩いたり攻撃したりするのではなく
丁寧に伝える必要性のある時代になりました。
誰かに変わってもらおう、変わって欲しいとモヤモヤしてストレスを溜めるならば
自分が自分の心に丁寧になっていくことの方が、愛だと思いませんか
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