旅の徒然に・・・最終回 ベルギー編
旅の後半は”晴れ男”の兄の威力も衰えてしまったのか、はたまた私が雨女に
なったのか・・ 雨に見舞われました。
ICE(国際高速列車)でケルンからブリュッセルまで2時間弱で到着する予定が、
列車不具合による乗り換えもあり、30分遅れで18:00近くに到着。
ホテルまでタクシーに乗ったところ、運転手さん曰く「同じ名前のホテルがパリに
あるけれど、2時間・80€で行かない?」と・・・
「たった今ベルギーに着いたばかりだから勘弁してよ」と答えたのですが、パリは
そんなに近いのですね。。。。さっそく”世界で最も美しい広場”と言われている グランプラスまで歩いてみました。
夕食に入ったレストランでスイス旅行を終えてきた、という年配のご夫婦と隣合せ。
ご主人の話によると、前日までフェスティバル(何の?かは忘れました)があって
賑わっていたけれど、きょうは静かです、とのこと
ライトアップも心なしか暗かったです。

↑ 小便小僧も意外に小さいのですよ。
寒さと雨のため、早々に帰って寝ました。

翌日は ブルージュへ
雨あり、晴れ間あり、曇りあり・・ 目まぐるしく変わるお天気に翻弄されながらも
得意の歩け、歩けで街中を廻りました。

しかし、本当に中世がそのまま残っているような美しい街でした。
イタリア・ヴェネツィアはまだ訪れたことがないのですが、ここは”北のヴェネツ
ィア”と呼ばれる水の都なんだそうです。
もちろん、運河クルーズに挑戦。幸運にもこの間、雨は上がっていたのです。
ボートは満席。日本人は私達だけでしたが、ボートはいろんな国の言葉が
飛び交い、ガイドさんも英語、ドイツ語、フランス語、オランダ語の説明に大忙し。
「シュウドウイン」とか、「アリガトウ」とか、私達にも愛嬌をふりまいてくれました。
いい気になって、思わず多額のチップをあげてしまいましたが・・ 反省!




↑ ベニン会院(修道院)の前
雨宿りを兼ねて入った聖母教会では、2€払ってミケランジェロ作の”聖母子像”
(大理石でできています)を見ることができました。
さりげなく、価値あるものが置かれているのがヨーロッパの魅力のひとつでも
あります。
聖母子像(ミケランジェロ作 ) と 聖母教会内部
ブルージュはベルギー レースのお店も沢山。
ハンドメイドのレース小物に目を奪われ、何軒もまわってしまいましたが、素敵
でしたよ。
お昼は・・・そう、ベルギー ワッフルでした。
ちょっぴり甘めで、サクッとしておいしかったです。

その後、予定ではアントワープへ寄るつもりでしたが、ブルージュに魅せら
れてしまい、時間切れで断念。
少し早めにブリュッセルに戻り、もう一回グランプラスをゆっくり見ることに
しました。
↓ 背景はギルドハウス
翌日はICEで友人に勧められたベルギー国境に近い、ドイツのアーヘンという
街に寄り、デュッセルドルフで友人と落ち合い、旅行最後の晩餐を創業1838年
という老舗のビアホール ”Schumacher” に連れて行ってもらいました。 
おもしろかったのは、ここに ”わんこビール” があったのです! 


(私が勝手に命名したのですが ) ビールジョッキが空になるとウエイターさん
がすかさずビールを置いていく・・ もういらない!というときはコースターを
ジョッキの蓋代わりに置くと”お勘定を・”ということになるみたい。
おつまみもダイナミックな豚のすねの塩焼き、ソーセージ、ザワークラウトetc
ジョッキを重ねながら、最後の夜を堪能しました。
前にも書きましたが、アルコール大好きな兄と友人のこと、果たして何杯飲ん
だと思いますか? 17杯です。
そのうち私は1杯だけでしたけど 
友人とは夜な夜なビール、ワインを飲みながらいろいろな話をしたのですが、
友人をはじめドイツの人達が、日本の原発事故の対応について物凄い危機感
を持ち、憂慮していることを知りました。
遥か離れたヨーロッパの人ですら、原発の今後を固唾を飲んで見守っているの
です。日本人の熱しやすく冷めやすい性質は、この状況では許されない、と
思いました。
何を行動しているわけでもなく、何ができるかもわからない私ですが、何が起き
ているか、何か隠されていることはないのか・・しっかり見ていかなくてはいけない、
といろいろ考えされられた旅でもありました。
その次はいよいよ帰国の日。
最後は友人の発案で、まず殆どの人は行くことがないであろう世界遺産、
エッセンにある”ルール博物館”へ
”ルール地方”は社会科の教科書にも載っていたドイツ重工業産業の原動力
となる石炭を生産していた地。
そして、その取引の中心地がデュッセルドルフなんだそうです。
だから早い時点から日本の商社、企業はデュッセルドフに進出していた、との
こと。 物事の道理は結構単純なんですね。

ここは1986年まで操業していた最後の炭鉱跡。
建物は「世界で最も美しい炭鉱」と言われたそうですが、内部を見る限り
、またガイドツア中のビデオを見る限り、かなり悲惨な状況だったことが伺え、
私が小さい頃、日本の炭鉱でも落盤事故のニュースを耳にした記憶が蘇り
ました。どこの国でも同じようにきつい、大変な労働だったことを再確認した
次第。
この後、友人と別れ、フランクフルト空港までICEで戻り、2週間の長い旅を
終えて帰国の途に着きました。
年1回の旅ですが、その都度新しい発見があります。新しい出会いもあります。
そんな空間、人々、景色、歴史等々に会いたくて、漂泊の思ひは募るばかり。。
できることならまた来年・・・・・・・・
旅の徒然に・・・ ドイツ編
いよいよ旅行もツアーから離れ、自力での日々となりました。
といっても、ドイツではフランクフルトの空港まで友人が出迎えていてくれ、
おんぶに抱っこ状態が続いたことになりますが・・・
到着は夕刻。そのままホーフハイムという、人口1,000人くらいの小さな街の
ホテルへ。休日ということもあったのですが、声をかけても誰も出てこず、
フロントと思われるデスクに鍵がおいてある、というのんびりさ。
友人が選んでくれた夕食メニューは きのこのソテー、カッテージチーズの
サラダ、パスタ(ズッキーニ、なすなどの野菜と羊のチーズトマトソース)、
豚肉のシュニッツェル・ポテト玉ねぎ添え、ビール、ワイン・・・



が大好きな兄と、友人がかなりグラスを重ね、それに加え、私も1杯。それでもチップ込みで60€(約8,000円くらい)
久々おいしいお料理を満喫できた夜でした。 選択眼のある友人に感謝!
翌日は朝一でヨハネスベルク修道院へ。
あたり一面の葡萄畑に入り込み、リースリングという種類の葡萄を2,3粒
頂戴してしまいました。甘酸っぱく、極上の白ワインになるのだそうです。
(この旅で、アルコールに弱い私も、さっぱりしたドイツ白ワイン魅せられ
てしまったのです。


丘陵一面の葡萄畑

その後はライン下り。
リューデスハイムまで車で行き、そこで乗船。(友人は下船場所まで車で先行)
ザンクト・ゴアールまで約2時間の船旅でした。
隣の席には年配の一団がいて、英語で話しかけたのですが、全くわからず。
でもヤーパンから来た、と言ったところ、”おー、ヤーパン、ヤーパン”とにこにこ。
暫くお互いわかったか、わからないような会話が身振り手振りで続き、ふと
もうすぐローレライですか?と聞いてみた(つもり)ところ、突然となりのおじいさん
が、ローレライの歌を口ずさみ始めました。
私も一緒になってハミングしたら大喜び。私もうれしくなって大きな声で一緒に
歌ったのですが、いつのまにか廻りの人達とも合唱になり、終わったら大拍手。
私はおじいさんと抱き合って喜びました。
どうやらイタリア系の移民でワイン農家の方たちらしく、長野でもワインはできる
のか?収穫は機械でするのか、手で摘むのか、等々お互い気持ちだけで通じる
会話を楽しみました。下船時にはそのグループの人達全員とハグをしたり、握手を
したり。。。 楽しい思い出です。


船から見たローレライ(頂上の旗が目印) → その後、友人の車でその頂上へ(かの有名な美女像)
途中、マルクスブルグ城という、ライン河畔で唯一空爆を受けていないお城を見て
から、その日の宿を捜しながらモーゼル河畔を走りました。
たまたまワイン直売所に併設されているホテル(旅籠?)を発見。
もちろんワインの試飲もさせてもらい、ワインへの思いがまた高まってしまったみた
いです。 ↓ 旅籠の玄関にて
翌日はエルツ城へ モーゼル川の支流、エルツ川の崖にありました。
深い森の谷間にそびえる古城。12世紀に建てられてから一度も陥落したことがない、
という名城。ノイシュバンシュタイン城とともにドイツ3大美城といわれるのも頷けます。
ノイシュバンシュタイン城より、おごそかで、荘厳な感じを受けました。
ドイツへ行ったら是非訪れてみることをお勧めします。
それともうひとつお勧めは コブレンツ近くにある マリア・ラーハ修道院。
11世紀に起工され、ロマネスク様式の美しい修道院です。廻廊もあり、階級の高い
修道院であることがわかります。
園芸に力を注いでいるとのことで、温室や直営の園芸店もあり、有機食品も販売。
見ているだけでも楽しいのです。
車はケルンへ
ドイツ人が一番行きたい場所、として挙げているのが、どでかい”ケルン大聖堂”
ただただその大きさに圧倒されました。
兄も大聖堂全体の写真を撮るのに、画面に入りきらず、かなり苦労をしていた
みたいです。
それに内部のステンドグラスは壮大で、見事でした。
今回も、友人の案内があってこそ、通常のツアーではなかなか行くことが処を
訪れることができました。 友人には感謝でいっぱいです。
この後、ユーレイルパスを使って
ベルギーへ向かいました。
次回は最終回でベルギー編をお届けしようと思います。
旅の連徒然に・・・ 旅のハイライト ドブロブニク(クロアチア)
暫く更新ができず、申し訳ありませんでした。
そして、既に1週間前のことになってしまいますが、佐久市の産業大イベント
”ぞっこん さく市”の出店に際しましては沢山のお客様にいらしていただき、
本当にありがとうございました。
さて、今回は旅の一番の目的地、ドブロブニクです。
「アドリア海の真珠」と言われるだけあり、見応えのある街でした。
1667年の大地震、そして20年余前の内戦で壊滅的な被害を被りながらも、
それを感じさせない程復興に力を注いだ街の人達に思わず感謝したくなるほど
美しい街並みでした。
当然世界中から多くの人々が訪れるので、人がいっぱい。
ところが、今回のツアーでは開門前に城壁を1周できる特典があり、(それが
目玉でもあったようです)5:30のモーニングコールにもめげず、早朝の観光で
城壁を1周。1時間半、ドブロブニクの街並みを堪能しました。
↑ 城壁入り口です
↑ 城壁からの眺め
碧い海と、碧い空、オレンジ色の屋根の街並み・・・・
言葉はいらず、ただ眺めていたい風景でした。
ただ、ひとつおもしろかったのは城壁の中に、教会、修道院、大聖堂、ショッピング
通り、青空市場等の観光名所だけでなく、100人ほど居住している人がいる、
ということ。
”わー、きれいだ!”と海を眺め、ふと振り向くと窓辺にタオルや下着などの洗濯物が
干してあったり、開いている窓から食卓が見えたりする建物もあり。。。
多分日本の感覚ではありえない日常も同居しているのを垣間見たことでした。

一旦城壁を出てケーブルカーに乗り、標高412mのスルジ山へ。
頂上からの眺めは月並みですが、絵葉書のようでした。
少し街から離れた湾には大型の豪華客船が泊まっています。
船は夜走り、朝にはドブロブニクに入り、一日観光して、また次の地に向かう
とか。。。
1隻入ると数千人単位の観光客がどっと押し寄せるのだそうです。
この日も何艘も停泊していましたが写真はそのうちの1隻
夜の街には衛兵の行進もやってきました。
太鼓の音と、 カッ、カッ、カッという靴音が大通りに響き渡っていましたが、往
復するたびに人数が6人だったり、4人だったりするのは何故なんでしょうね?
そして夕食は今回の旅行で一番おいしかった城内港近くののレストランで。
その中のひとつ、ムール貝。あっさりスープで美味でした。
この夜が参加したツアーの最後の晩だったのですが、なんとメンバーの発案で、
参加者中一番の若者の音頭により、全員総立ちで”3本〆”
みんな打ち解けて楽しい仲間になっていて別れ難かったこともありますが、きっと
廻りのお客さんたちは ”何事や起こらん” と びっくりしたことでしょうね。

翌日、ツアーメンバーと別れ、私達はもう1回ドブロブニクの街を目に焼き付けて
から、次の地、ドイツに向かいました。
お知らせ
10/5(土)、6(日)は
駒場公園で行われる「さくいち」に
今年も出店します!
ですので、
この2日間は
カフェの営業を
おやすみさせていただきます。
ご不便ご迷惑をおかけいたしますが
よろしくおねがいいたします
旅の徒然に・・・ ボスニアヘルツェゴビナ モンテネグロ編
今回はボスニアヘルツェゴビナ モンテネグロそれぞれの世界遺産巡りについて、
です。
はアドリア海を一旦離れ、山道で少し荒れた大地を2時間半位走り、国境へ。国境の話は後に記すことにして、ボスニアヘルツェゴビナのモスタルについて。
首都サラエヴォは以前冬季オリンピックが開かれた事もあり、またその後の内戦
のニュースで度々耳にしているのでご存知の方も多いと思いますが。。
モスタルは昔オスマントルコの領土だった事もあり、トルコ的な雰囲気が漂う街。
美しいアーチ型の石の橋 ”スターリ モスト”が有名。
私も、高い橋の上から飛び込みをする映像を観た記憶がありました。
この橋もユーゴスラビア時代の内戦で破壊され、その後、イギリスのチャールズ
皇太子初め、世界各国からの援助で再建されたのだそうです。
トルコ風呂があった、という建物内で、内戦時のビデオを観たのですが、戦争の
無意味さに腹が立ってしまいました。
この旅で訪れている国々は、殆どが内戦の被害を受けているところ。
たった20年前のことで、見事に復興している所と、まだその傷跡が残っている
所と、その両面を垣間見た旅でもあります。
話は戻って、クロアチア ⇔ ボスニアヘルツェゴビナの国境でのお話。
行きのクロアチア出国 → 女性の係員がバスに乗り込み、ひとりひとりにパス
ポートの提示を求め、スタンプを押印。
ボスニアヘルツェゴビナ入国 → ツアーの添乗員さんが皆のパスポートを集め、
代表して検問所へ。
我々はバスで長い事待たされ、ようやく戻った添乗員さんに聞いたところ、係員
がひとりひとりのパスポートをコンピュータに読み込ませながら、
Q; この人はどこへ行くのか A:モスタル観光です
Q; この人はどこへ行くのか A:モスタル観光です
Q; この人はどこへ行くのか A:モスタル観光です
延々と10人分くらい続いたところで係員もようやく気付いたみたいで、日本からの
観光客とわかると、今度は「忍者、空手、スキージャンプ、腹切り・・」そんな単語が
並び、「俺は空手をやるが、おまえもやるのか?」等々雑談が続いたのだそうです。
ちなみにパスポートのスタンプは残念ながら押されていませんでした。

さて、帰りの顛末です。
バス停車位置の左側がボスニアヘルツェゴビナ、右側がクロアチアの検問の建物
ずっと同行してくれているバスの運転手さんが乗客リストを持ってヘルツェゴビナ
側の窓口へ行き、申請を代行してくれました。
2,3回バスに戻っては何か書類を持ち、何か話していました。
またもや時間がかかるのかな、と危惧していたら、また戻り、おもむろにミネラル
ウォーター4本を抱えて窓口へ。
私達は皆で「あっ、賄賂だ!」と言いながら大笑い。
次はクロアチア側の窓口へ。
今度はあっという間にバスに戻り、またミネラルウォーター4本を抱えて窓口へ
差出し、出入国手続きはあっけなく終わりました。良いのか、悪いのか???

きっとクロアチア側の係員も一部始終を眺めていたんでしょうね。
参加したツアーは「世界遺産紀行」というタイトルが付いているだけあって、数え
切れないほどの世界遺産をまわりました。
モンテネグロの コトル という街もまた世界遺産に登録されているバロック様式
の建物が美しい古い街でした。
入り組んだコトル湾の奥に位置し、背後はそびえたつ山に囲まれた旧市街。
時間がなく叶わなかったけれど、山の上の要塞に是非登ってみたかった。。。。
コトルからドヴロヴニクへ帰る途中、車窓から海に沈む夕日と遭遇しました。
水平線を赤く染め、海面の一筋の赤い筋を引きづりながら沈んでいく夕日は
くっきりと目に焼き付いています。
旅の徒然に・・・ アドリア海へ!!
今回の旅の目的のひとつは「アドリア海」に出会う事でした。
前回までは内陸でしたが、ようやく今回アドリア海に向かいました。
プリトビチェ国立公園から
で3時間ちかく走り、見えました、アドリア海!感激です


まず訪れたのは 周囲を城壁に囲まれた トロギール という街。
城壁は15世紀にここを侵略したベネツィア人が外敵だけでなく、その支配に
反抗する市民による反乱から身を守るために作ったものでもあるそうな。。。
世界遺産に登録されている聖ロブロ教会の鐘楼には、自由時間を利用して
登ってみました。 108段の階段の途中には足がすくみそうな場所もあったも
のの、鐘楼でみた光り輝く海を見た瞬間、登ったかいがありました。
その後、小1時間で スプリット という街へ。
ザグレブに次ぐクロアチア第の都市だけあり、ガイドさんからこの旅初めて
”スリに注意して!”とのアドバイスがあり、パリでスリに遭遇した時のいや~
な記憶が呼び起されてしまいました。

スプリットは2000年近く前のローマ皇帝ディオクレティアヌスの宮殿がその
まま旧市街になったのだそうだ。広大な宮殿の地下街ではちょうどEurope
Flower Cupが開かれており、各部屋が花で溢れ、アレンジもあり、香りも
流れるBGMカノンも最高の雰囲気でした。
ここでも自由時間を利用して大聖堂横の鐘楼に登ったのです。
ツアメンバーのうち、鐘楼へ登ったのは26歳の若者と私達だけ。
高いものがあると登りたくなる習性は何なのでしょう。

(山羊と××は高い所が好き・・とかいう諺があったかな?)
一緒に鐘楼へ登ったツアメンバーの若者の誕生日ということがわかり、皆で
祝杯
和気あいあいとしたグループになりつつあったツアーメンバーでした。旅の徒然に・・・ その2 クロアチアPart1、ボスニアヘルツェゴビナ、モンテネグロ
2回目は3つの国について、です。
3国といっても国境は検問所のみで、あたりに拡がる畑などどちらに所属して
税金を払うのかな、と疑問に思うくらいでしたが・・・
まずはクロアチアの首都ザグレブとプリトピチェ国立公園について。
スロベニア・リュブリャナからバスで2時間半ほどでザグレブに着きました。
国境では一応出入国検査があり、一旦バスを下車。高速道路の検問所みたい
なところパスポートにで出国スタンプを押してもらい、5m位離れた建物まで歩き、
そこで入国スタンプが押され、それで完了。
”こんなに簡単にパスポートに2個もスタンプが増えた” とツアメンバーで大喜び
をした次第
首都ザグレブは人口100万を超えるだけに、リュブリャナに比べると都会、でした。
ただ観光時間が3時間くらいしかなく、聖母被昇天大聖堂、モザイクの屋根が美し
い聖マルコ教会などを駆け足で見て廻りました。
聖母被昇天教会 聖マルコ教会
クロアチアの国旗は、以前、サッカーのワールドカップで日本と対戦した時に目に
焼き付いており、聖マルコ教会の屋根を見た時に思い出しました。
また、クロアチアはネクタイ発祥の地、なんだそうです。
昔、十字軍遠征の時、クロアチア兵士が防寒を兼ねたカラフルなタイを首に巻き、
それをみたフランス王、ルイ1?世が”あれは美しい”と言ったか言わないかはとも
かく、興味を示し、それが発展してネクタイになったのだそうです。
ちなみにネクタイで有名な老舗の名前はCROATA(クロアタ)。英語でネクタイは
CRAVAT、どこか似ていません?
自由時間に兄はネクタイを買い、私は世界で2番目においしい、とガイドさんに
教わったチョコレートのジェラートを食べました。甘すぎす、しつこすぎず、おいし
かった!
(残念ながらお店の名前は忘れました)そうそう・・クロアチアは最近EU加盟が決まったものの、通貨はまだクーナを使用。
どんなに有名なお店でも€(ユーロ)は使えず、「クーナかクレジットカードでお支払
いください」と言われます。 数字の苦手な私は円⇔ユーロ⇔クーナが頭の中で
グルグルまわり、結局どのくらいの価値なのか解りませんでした。
<1€=約7.5クーナ位>
ザグレブの宿は5つ星のシェラトンホテル。お部屋も朝食もさすがに最高でした。
次の日はプリトピチェ国立公園へ
大きなもので16個の湖、92か所の滝を持つ、という世界遺産の公園。
かなり混雑していて、すれ違いも容易ではない状態。でも、夏場は人波に押され
て前進するしかなく、しかも40度近い高温の中で・・と聞くと、恵まれているのかな、
と思わされてしまいます。
(写真の二人は関係なかった・・)
ツアメンバー、みんな元気いっぱいだったので、添乗員さんも「一番上の湖まで
歩きましょう!」とけしかけ、結局3時間半以上歩くことになりました。
湖の色はエメラルドグリーン。これは石灰岩のなせる技、とのこと。
透明な水に、うぐい、鯉などが、手でも捕まえられそうにうようよと泳ぎ、”のどか”
そのものでした。
宿泊は公園近くのホテル。夕食に大きなますが一匹ドーン、と出てきたのには
びっくり。お料理の味付けは、クロアチアの方が全体的に穏やかで、すっぽりと
収まる感じ。こんな味付けが続くとすれば軍配はクロアチアかな。。
今日はここまで。
ボスニアヘルツェゴビナとモンテネグロはまた次回に・・・(ごめんなさい)
旅の徒然に・・・ その1 / スロベニア編
2週間ほどカフェ&お店をお休みさせていただき、ご迷惑をおかけしながらも、
漂泊の思ひやまず・・・ と、今年も兄と二人、年1回の旅に行って参りました。
旅の余韻に浸る間もなく、パリ旅行記をしたためたシェフから、「次はお母さんの
番だからね」と釘をさされ、悩むこと1週間。
ようやくPCに向かっておりますが、何から書いてよいものやら・・・・
旅行中に感じたことをぽつぽつと書いてみます。
旅は、スロベニア、クロアチアからスタートしました。
この国は個人で廻るには交通手段が難しいので、観光部分だけJTBのツアーに
混じらせていただきました。
今回はスロベニアについて書いてみます。
首都リュブリャナは、昨年スキーのワールドカップで女子ジャンプの高梨沙羅選手
が優勝したところなので、覚えている方もいらっしゃるでしょうか。
ツアーのメンバーより1日先に到着した私達は、リュブリャナの町を歩いてみました。
ヨーロッパの他の都市と同じく、広場があり、旧市街に観るべき所がいくつか固まっ
ています。
まずは張り巡らされている運河をBoat Tourで廻ってみました。
ボートは貸し切り状態。ガイドさんは昔ジャンプの選手をしていたこともある、とかで
カサイ、カサイを連発。リュブリャナではジャンプの葛西選手は有名人のようでした。
青空市場はちょうど土曜日だったこともあり、所狭しとお店が並び、観光客だけで
なく、地元の人も集まり賑わっていました。

ふと見ると、切り売りのハムやチーズに何やら黒い虫がいっぱい 
蠅だなんて何と不衛生な!と思いきや、なんと
そう、蜂だったのです。
スロベニアは有名な蜂蜜の産地なんだそうです。
アイスクリームを食べようとしたらそこにも蜂が2匹。食べるに食べられず、
じーっと見ていましたが、ここの蜂は働き者なのか、はたまた怠け者なのか
判断に迷います。
ついでに蕎麦の実も有名で、昨年世界蕎麦学会が開かれたそうです。
ちなみにお蕎麦はそばつゆではなく、コンソメスープに入れるそうで・・・・
食べる勇気はありませんでした。
翌日からはツアーメンバー(私達を含み、22名)と合流し、大型バスでの
移動ツアーが始まりました。
向かった先は「ブレッド湖」。”アルプスの瞳”と言われているように、エメラ
ルドグリーンの美しい湖。 湖の小島にバロック様式の聖母昇天教会が
立ち、湖岸からは代々受け継がれている人が操る手漕ぎボートで往復す
るのです

この教会では今までに3組の日本人カップルが結婚式を挙げたそうで、
そのひと組は私達が到着する前日だった、とのこと。
教会は湖岸から100段の階段を登った上にあり、結婚式ではボートで
島に渡った後、花婿は花嫁を抱きかかえ、この100段の階段を登らな
くてはいけないのだそうです。結婚の第1の試練が待っている、という
訳ですね。
バスはその後約2時間かけて”シュコツィアン鍾乳洞へ
外は暑い位でも鍾乳洞の中はセータを着てちょうど、の寒さ。
今まで日本、フランスを含め、いくつかの鍾乳洞を見てきたのですが、
シュコツィアンの規模は半端なく広大で、内部の写真撮影は
されて
いるのでお見せで気なのが残念。歩いて1時間半ほどのアップダウン。
今でも年月をかけて新しいフィギュアが形成されているのですが、
一番のハイライトは地底250mの渓谷。高さ45mの吊り橋を渡るのに
思わず足がすくみました。
スロベニアの食事は正直今一。
美味しいお料理に巡り合えなかったのかもしれませんが、全体的に味が
濃く、お酒はすすみそうでした。
でも、ツアーのメンバーと一緒に食卓を囲み、いろいろな話が弾むのは
ツアー旅行の醍醐味なのかもしれません。
次回はクロアチアの一部と、ボスニアヘルツェゴビナ、モンテネグロです。





































