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最後の方で、ぽそりと書いた言葉
『ふと、時間に誰のものっていう境界線、あったっけ?と浮かんだ。。。』
アップ後、この浮かんだ言葉の引っかかりが強くて
自分なりに、時間の区切りを感じてみようと過ごしてみることにしました。
前回のblogで、“自覚”がテーマだったので
自覚と時間の両方を意識をすると共にトライ
そしたらね
“あら…?
全部、わたしの時間だったわ”
と。
自分から時間が切り離れてることなんて無かった。
書いてみると、
とてつもなく当たり前で
恥ずかしい気持ちになるんもぉ
身体が伝えてきたのは、
そーいうことなのかぁ…
了解だよぉ〜
(前回も“了解”してたw)
って言ってた自分w
身体が思うように動いてくれない。
↓
だけど、
自分だけの時間が欲しい。
だから、
自分の時間を作りたい。
↓
だけど、
身体は、もっと今を味わってから動いてほしいって言ってる。
だから、
もっと今を感じようと思った。
↓
でも、
今を感じるとはちょっと違うんじゃない?と考えさせる現実が起こった。
↓
全部ある。
全部持ってる。
欲しいと思ってた自分の時間
ほんとは既に、好きなように私は過ごしてるみたい?
↓
持ってることの「自覚」
行動の「自覚」
これらを意識してみたら…
↓
「自分だけの時間」が欲しいって、いつもいつも思ってたけど、全部自分の時間だったかもあれぇ?という実感…
この時間は、自分を犠牲する時間〜
この時期は、わたしの時間とでも区切ってたのかな?わたし?やだぁ
時間自体、
途切れることはなく、私と共にあって
時間自体、
本当は、目に見えなくて、
あるんだかないんだかよく分からないものだ。
つまり、
わたしの身体は、わたしに
全部自分の時間として
認識して動いて欲しいということだったのかな、と。
それが、味わうってことなんだよって
わたしの意識と体のズレについて
教えてくれたのかしら
感覚や気持ちを重視しちゃう自分なので
大事な時間をどう過ごしたいか?
と問うとすれば、
いま、どんな気持ちでいるかが、
とても大切な羅針盤となる。
とすると、
何をしてる時も、
在りたい自分が見えてくる。
なるほど…
身体はシンプルに伝えてきたけれど
身体と意識の乖離が結構あったんだね?
自分を見つめていくのが好きで
こうやって、チマチマと色々感じながらトライアンドエラーしてると
自分が瞬間、瞬間、“どう在っているか”が
とっても大切で、人生への納得感みたいな感じ。
それでね、
すごく思ったのは、
アウトプットするって
本当に大事だなぁって。
耳にタコな言葉だと思うけど
アウトプットって、
自分の感覚から出た言葉だから、
やっぱり、自身に対してすごいパワーを起こすんだね。
誰かの言葉ばかりにフックされてる時もあったけど、
やっぱり…
自分の言葉なんだって、すんごく思う。
トライアンドエラーしてつくづく思ったの。
自分には、自分の言葉が一番効くって
キッカケは、
自分以外でもなんでもかまわなくて
(誰かの言葉で全然構わない)
取り入れるだけで終わらず
理解するだけで終わらせない
それで自分が感じたものを
言葉にして出す
その言葉にこそ、自分へのパワーが宿ってる
それでね、
そんな場が、
わたしの茶話会にはあります
(言い切った)
リラックスして安心して
自分のまんまで話せて
不思議と自分の中からふわっと言葉が
湧いてくる。
集まった人たちで作られるエネルギーの
心地よさとか、自身が軽くなる感覚、
ひらめいて、“あ”と気づくたくさんの感覚
それらを重ねていくと
以前とは違う軽やかな自分を感じてくるし、
いままであんなにモゴモゴしてたことに
今はそれがない、という感覚も。
それって、自分の人生が生きやすくなってるってことで
その感覚で
ありのまんまの自分で
人生を生きていくってすごく楽しいと思いませんか?
話すだけで、自然に気づいてしまう
そんな茶話会だと思っています^^
そして、何より時間があっという間に過ぎてしまう。
楽しいんです^^
自分が感じたものを言葉にする
そのパワーを是非感じてほしい
焦らす、自分のペースで
たくさん、自分の“ほんとは”を思い出す茶話会です
7/11の茶話会
【好きなマンガをひたすら(ただただ)語る会】
ただそれだけなのになんだか広がっていく
そんな茶話会になると思ってます