気を重くしつつ学校に提出した息子。
彼が想像したほど悪い出来事にはならなかったようで。
かといって、
とても晴れ晴れとした結果でもなかったようです。
提出する前に、彼の中で名案が浮かんだそうで。
彼はその名案と顛末をポソポソと伝えてくれました。
その名案が…
(母としては、前日までの気持ちのままで提出して欲しかったという感想ですがそれはわたしの想いだけなので、わたしの中で温めておくことにします)
息子は、先生に叱られないもっともらしい理由が閃き、それを先生に伝えて渡したそうです。
「で、どうだったの?」とわたしが聞くと、先生は直ぐに彼の意図を読み取ったようで、チクリと息子に一言伝えて、彼の『くしゃくしゃプリント提出』の巻は終わりました。
彼の名案は、先生にも非があることに気づき、先生のせいでもあるようなことを、
彼なりにそれとなく伝え、だから自分は提出できなかった という話をしたようです。
なかなか頭を使った様子が伺えましたが、ことの詳細を聞いていたわたしには、突っ込まれどころ満載の彼の言い分でした
親として、それはどうなの?と正せば、延々とそれが出来るかもしれません。
だけど、それは
いまではないような気がしました。
いま、それに気づかなくても、彼が同じことをした時、自分の行為が自分の中にどんなカケラを残していくのか…自分で気づく時が来ると思いました。
その時が大事だという感じがわたしにはしたのです。
彼がそれに気づいた時、
彼が自分にどう問いかけていくか、、、
その時、彼にとって、サポートになるような考え方を日頃から今から少しずつ日常で伝えていきたいなぁ、、、と。
保育園から小学生になった息子。
一年生には、一年生で理解できる思考と経験があることを側で親なりの体験と実感をさせてもらってます。
彼は、叱られるのとだけが気がかりだったので、叱られなかったことが よほどホっとしのでしょう。
でも、先生のチクリとくる言葉をわたしに伝えたということは、彼の中に何か引っかかったモノを感じたのでしょうね
love & free せち