はじめに
みなさんこんにちは、本野鳥子です。今回は、前回に引き続き、十二国記の再読をしていきます。十二国記の再読の一冊目は、「魔性の子」です。それでは、第三巻「東の海神 西の滄海」お楽しみください!
「東の海神 西の滄海 十二国記 3」小野不由美(新潮文庫)
延王尚隆と、延麒六太の、雁の再興の物語。「月の影 影の海」時点では、圧倒的な繁栄を誇っていた雁の、かつての荒廃をまざまざと見せつけられる。到底「月の影 影の海」では考えられなかった、尚隆と六太の努力を知ることができる巻だ。
飄々としているようでいて、決めるところはばっちり決める尚隆が、とにかくかっこいい。私は十二国記の中で、彼が一番好きと言っても過言ではないと思う。武術にも秀で、それでいて驕ることもなく、自らの責任もしっかりと自覚している彼の姿には、憧れずにはいられない。
というわけで、私は十二国記の中でもこの巻は特別好きで、単発でも読み返す機会が多かったのだが、それでも今回まで気づかなかったことがあった。
以下ネタバレあります、ご注意ください。
元州の斡由に捕らえられた、驪媚と六太。驪媚が、のんきな尚隆をけなす六太に、かけた言葉のひとつだ。
「王ならばその治世は永遠に続くものではありません。なれど、寿命のない仙に、王に等しい権を与えればどうなるか。梟王はたかだか三年で雁をあれほど荒廃せしめることができたのですよ!」
「白銀の墟 玄の月」の状況を、見事に表しているとしか言い様がない。もしかして、こういった「白銀の墟 玄の月」への伏線は、十二国記の中に、張り巡らせているのかも知れない。阿選による戴の惨状は、目に余るものだった。李斎が似たようなことを言っていた気もする。とにかく、私はこの言葉に「白銀の墟 玄の月」の状況の示唆を感じた。これが発刊されてから「白銀の墟 玄の月」までは、新潮文庫版までですら、かなりの年月が空いている。それなのに、ここですらこの一文が入っているとは、作者の手腕に舌を巻くしかない。
「白銀の墟 玄の月」を読んだ上での再読は初めてなので、更に発見が増えそうな予感がする。続きがもっと楽しみになった。
おわりに
というわけで「東の海神 西の滄海」の再読でした。次回は、「風の万里 黎明の空」です。上下巻分けるかどうかはこれから考えます。お楽しみに!