はじめに
みなさんこんにちは。本野鳥子です。今回は、「海の都の物語」の最終巻である第6巻をご紹介するとともに、このシリーズを通読しての感想も、書かせていただきます。「海の都の物語1」から読まれるかたはこちら。前編を読まれる方はこちらになります。それでは、ついにこのヴェネツィア共和国への旅も、終わりを迎えるときがやってまいりました。最後までどうぞ、お楽しみください。
「海の都の物語 ヴェネツィア共和国の一千年6」塩野七生(新潮文庫)
通商による繁栄を謳歌し、かつては地中海の女王とも呼ばれたヴェネツィア共和国。しかし、じょじょに大西洋の重要性が増し、地中海が世界の片隅になりゆく中で、衰退の兆しを見せ始めていた。
西からは、ヴェネツィアにおいて権威がほとんど無視されていることに怒った法王庁との確執が生まれる。この問題には勝利を収めたヴェネツィアであるが、今度は東からは、トルコがクレタ島を征服しようと戦争をしかけてくる。二十五年に渡る戦争は、確実にヴェネツィアの国力を削り取っていった。
そうして、ヴェネツイアは衰退期に入る。作者が「ヴィヴァルディの世紀」と題する、ヴェネツィア共和国にとっての最後の世紀、18世紀を迎えた。ヨーロッパ各国から、ゲーテを始めとした観光客が次々と訪れ、その美しさに息を飲む。その暮らしは、一見豊かであり、優雅なことこの上ない。だが、そのヴェネツィアは、かつて地中海を牽引した力を失っていったのであった。
ヴェネツィアに、最後のとどめを刺したのは、かのナポレオンである。非武装非同盟という中立路線を盾に、オーストリアの通過を許したヴェネツィアは、それに怒ったナポレオンによって、本土を次々と制圧され、時間を稼ごうという最後の努力も虚しく、宣戦を布告された。むろん、急ごしらえの軍隊ではナポレオンに歯が立つはずもなく、ヴェネツィア共和国はナポレオンの前に膝を屈する。かくして、一千年にわたる歴史を築いてきたヴェネツィア共和国も、その幕を閉じたのであった。
前回も同じようなことを書いた気がするが、暮らしていれば永遠のように思える国も、いつかは必ず滅ぶのである。「海の都の物語」を読み進めている間、私もそんなヴェネツィアの一部になっていたのかもしれない。その後に待ち受ける滅亡を知っていても、どこかそれが信じられなかった。こんなに繁栄しているのに。これまでも、数多の危機を切り抜けてきたのに。この国が、滅びるはずがない。そんな意識が、ヴェネツィア共和国の政府と国民だけでなく、私にも生まれていた。今もまだ、ヨーロッパを訪れれば、かつてのヴェネツィア共和国が存続しているのではないか、そんな思いが消えない。
ヴェネツィアは、他国に見られた支配階級と被支配階級の分裂とは、長らく無縁だった。その姿勢は、最後まで貫かれたようである。
「ヴィーヴァ、サンマルコ! ヴィーヴァ、ラ・レプブリカ!」(聖マルコばんざい! 共和国ばんざい!)
この声は、たちまちそれに和す人々の声の中に消えた。
ナポレオンの、事実上の降伏勧告を受け入れいることを投票によって決定した貴族たちが国会議場から出てきたとき、群がっていた民衆の中から上がった声である。これが、ヴェネツィア共和国の滅亡であったということに、ヴェネツィアらしさを感じずにはいられない。海を中心にした海運国の時代から、工業などに重きをおくようになっても、そのヴェネツィアらしさは最後まで貫かれたというべきか。
こうして、ヴェネツィア共和国も、フランス革命の流れに巻き込まれて、姿を消す。ヴェネツィア共和国は、確かに貴族の手によって政治が進んでいた。しかし、だからといって庶民が圧政に耐えていたかといえば、そうではなかった。このことは、民主制を掲げる私たちに、一つの疑問を投げかける。
理想の政治とは、何なのだろうか。
おわりに
これで、「海の都の物語」については、終わりとなります。お楽しみいただけましたでしょうか。これについて書きたいことは、まだまだたくさんあるのですが、上手く言葉にできず、それを全て書き切った塩野さんを、改めて尊敬する次第です。また再読する気分になったら、もっと実のある文章が書けるようになっているといいなあと思います。そのときはまた、ぜひこの船をご利用いただけると幸いです。
歴史についても、ここで一段落とさせていただきたいと思います。少し本分であるファンタジーの再読なり何なりをしたあと、また戻ってくる予定です。塩野七生さんのシリーズは、あと「ギリシア人の物語」と、「わが友マキアヴェッリ」を残すのみですかね。いずれそちらも含め、残りの作品も読みたいと思っています。
さて、次回は、前回も申し上げました通り、「コンビニたそがれ堂」の最新刊になります。お楽しみに。