続々々:和泉式部って、どんな人?! | マンボウのブログ

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さて、今度はこちらの本を・・・右差し

 

川村二郎とはテイストの異なる沓掛良彦だわ!チョキ

 

メモ<内容>

紫式部,清少納言と並んで王朝女流文学を代表する歌人,和泉式部.「永遠の恋の彷徨者」といわれるその和歌を,サッフォー,ルイーズ・ラベ,ディキンソンなど古今東西の女性詩人と比較しながら論じる古典エッセイ.詩的想像力,ことばの美しさ,内面の深さ等から,和泉式部を世界文学の中の最高の女性詩人として位置づける.


■著者からのメッセージ
 私がこの本を書いたのは,大学院時代の恩師・寺田透先生との約束を果たすためであった.寺田先生の名著『和泉式部』中のいくつかの歌の解釈について,納得できない部分があると先生の申し上げた際に,いつか自分なりの和泉式部論をやりますと言ったことがあったからである.
 それから四十年近く経ったが,王朝時代,奔放華麗に生きた和泉式部という,世界女流文学者の中でも群を抜いて高い位置を占めているこの歌人を,平安朝和歌という閉じられた世界に閉じこめるのではなく,もう少し広い世界に引き出して眺め,鑑賞することが許されてもいいのではないか,と思ったのである.
 和泉の歌にふれる折々に脳裏に浮かんでくる,サッフォー,ルイーズ・ラべ,エミリ・ディキンソンら東西の女流詩人の作品を俎上にあげ,それと和泉の歌の世界を合わせ考えてみた.そうすることで,あるいは和泉式部という傑出した歌人の特質もなにほどかは浮かび上がってくるかもしれない,と夢想して本書が誕生した.

 

<目次>

まえがき
序 平安女流文学と和泉式部の位置
和泉式部小伝
I
恋・うかれ女
恋・待つ女
愛 欲
II
未練・夫道貞への思い
勘当・父と娘
III
あくがれる魂
夢の歌
IV
喪失・帥宮挽歌群(一)
悲嘆・帥宮挽歌群(二)
V
涙・泣く女
母と娘・小式部哀傷歌
VI
手ごわい女
思惟の力
VII
憂き身と憂き世
死を見つめる眼

主要参考文献
あとがき

 

 

この目次を見ると、和泉式部の生きたそれぞれの時期による暦年に従った構成になっている。

 

 

   メモ・・・繰り返し強調しておくが、わが国の王朝女流文学は、世界文学の流れの中に置いてみると、一回かぎり出現した異様ないしは異常とも言える稀有の文学現象である。そして世界の古典文学の中でも極めて高いところに位置づけられる文学でもある。その精華が王朝和歌であり、その中に最も華麗に咲いた大輪の花が和泉式部という歌人なのだ。・・・(p.14)

 

まず、この前置きのような位置づけが大上段に振りかぶった様だわ!口笛

 

 

   メモ・・・和泉式部といえば、多少なりとも王朝和歌に親しんだことのある日本人ならば、ただちに「恋の歌人」といったイメージが浮かぶはずである。紫式部にまで非難された奔放で多情な女、世を騒がせた華やかな男性遍歴を重ねてその生涯をおくり、官能性豊かな数々の悲恋の歌を詠んだ歌人、といった和泉式部像は、作品そのものが十分に読まれないままに、一人歩きしていると言ってもいいだろう。和泉を「愛欲に生きた歌人」ととらえるイメージは、あいかわらず根強いものがある。

 

続けて、

 

 古来、恋に生き、恋を身上とする女流詩人が世人の好奇心の対象となり、世上の人々の口の端に上がってさまざまの噂を流されたり、中傷されたりすることは稀ではなかった。プラトンが「十番目の詩女神」と称えたサッフォーでさえも、その愛の対象が少女たちであるということを理由に、時代が下がると「女に恋する女」だとして、非難を浴びせられることとなった。すでに在世中から身辺に発生した伝説によって次第に虚像が出来上がってゆき、「サッフォー --- この女ほど淫らなものがいようか」とうたったオウィディウスを経て近代に入ると、ボードレールの詩「レスポス」によって、そのイメージは決定的に傷つくこととなる。サッフォーの詩を実際に読み、彼女を「愛の化身」と称えた詩人リルケのような人もいたが、それは少数派であった。詩も何も解さない人々から、サッフォーはいわゆる「レスビアニスム」の祖のように見られてきたし、今日でもなおそのイメージは完全に払拭されているわけではない。・・・(p.25-6)

 

 

むらさき音符「恋・待つ女」では、才媛たちの名歌が並ぶ・・・

 

   嘆きつつひとり寝る夜の明くるまはいかに久しきものとかはしる (右大将道綱母)

 

   いとせめて恋しきときはむば玉の夜の衣をかへしてぞ着る (小野小町)

 

   忘れじのゆく末まではかたければけふを限りの命ともがな (儀同三司母)

 

   けふ暮るるほど待つだにも久しきに心をかけていかで過ぎけん (伊勢大輔)

 

   忘るるはうき世の常と思ふにも身をやる方のなきぞわびぬる (紫式部)

 

 

   メモ・・・いずれにしても、小野小町に始まる王朝の女人の「待つ女」の歌は、数多くの女たちの嗟嘆、苦悩を反映した歌として王朝文学にはなやかな光彩を添えているが、その中にあって和泉の歌が質、量ともにぬきんでていることは誰しも認めるところであろう。・・・(p.47-8)

 

   メモ・・・この類の歌はやがて式子内親王の、内向し、極度に抑制された恋の哀しみを詠じた待恋の歌、

 

   生きてよも明日まで人はつらからじ此の夕暮れをとはばとへかし

   桐の葉も踏み分けがたく成にけり必ず人を待となけれど

 

にまでつながってゆき、そこで落日の輝きにも似て、一際つよく最後の光芒をはなっているかに思われる。・・・(p.48)

 

 

むらさき音符「愛欲」では、・・・

 

   メモ・・・とはいえ、有夫の身でありながら為尊、敦道両親王と関係し、道長にまで「うかれ女」と揶揄されたばかりか、その奔放で放縦不羈な恋愛生活、華やかな男性遍歴を、紫式部に「和泉はけしからぬ方こそあれ」と手厳しく批判されたこの王朝の女人の心中、体内に、「愛欲」としか呼びようがない激しい情炎が燃え盛っていたことは否めまい。これに関しては、和泉式部研究の先鞭をつけた与謝野晶子も、和泉は「「うかれ女」という冷評を拒み得ない素質の一面を持っていたのですが」と認めているところだ。・・・(p.58)

 

その後には、こんな比較もある。

 

   メモ・・・また、詩人としての資質において、和泉に最も近いものをもつと私には見える魚玄機にしても、私が「フランスの和泉式部」と呼んだことのあるルイーズ・ラベにしても、やはり愛欲に燃え、それをつつみ隠さず燃えるような詩句に封じた詩人たちであった。・・・(p.59)

 

このように、この著者は常に和泉式部と海外の詩人たち(サッフォー、魚玄機、ラベ等)を念頭に置いているということで、頭の中を整理するのに忙しいわ!ニヤリ

 

 

なお、窪田空穂や寺田透など碩学からの引用もあるけど、煩瑣になるので止めておく。

 

 

   人の身も恋にはかへつ夏虫のあらはに燃ゆと見えぬばかりぞ (和泉式部)

 

   夏虫の思ひに入りてなどもかく我が心から燃えむともする (伊勢)

 

   つつめども隠れぬものは夏虫の身よりあまれるおもひなりけり (よみ人しらず)

 

 

夏虫は、蛍か蛾なのか・・・恋の表出は、女の身を焦がすのだ。

 

 

あまりに長々と引用などして字数が多過ぎたので、このあたりで打ち上げとしよう!バイバイ

後半の悲劇的な部分は、伏せておく。

 

 

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