延々と補遺が続くけど、こんな本を図書館から借りてきた。
河合隼雄「紫マンダラ 源氏物語の構図」(小学館 2000)
<内容>
「源氏物語」の女性たちは、すべて紫式部の分身だった。さまざまの女性像を描くために、紫式部は光源氏という男性像を中心に据えて、彼をめぐるみごとな女性マンダラを展開した。新しい女性の生き方として「源氏物語」を読む。
<目次>
はじめに
第一章 『源氏物語』を読む
第二章 女性の物語
第三章 分身としての女性群像
第四章 光の衰芒
第五章 個としての女性
注
あとがき
図表目録
索引
<著者>
河合隼雄(1928-2007)
・・・あくまで「この世」に留まることを生き抜いた空蝉----と言っても、彼女は最後には出家するが----、あくまで「異界」に留まる生き方を貫いた夕顔----彼女はこのために命を失うが----、この二人を六条御息所を中心にして左右に列べると、「娼」のもつ多様性がよく示される。これは「母」の際に、桐壺を中心にして大宮と弘徽殿女御を配したのと同様の手法である。ただ、これら三人の娼の女性たちには、ある種の暗さを感じさせられるが、「娼」のなかには明るい女性たちもいることを、紫式部は見落としていない。・・・(p.117)
紫式部のそれぞれ分身たちが配された女性の存在を「母」「妻」「娼」という分類分けして喝破するところは面白いわ!
・・・源氏との関係を楽しみつつ、源氏の妻となる気をもっていない女性たちがいる。それは源典侍と朧月夜である。この二人は、ひたすら分別を守った空蝉と好対照をなしているが、両者は両者で対照的である。年齢は、源典侍は老で、朧月夜は若、身分は後者は高く、前者はそれに比して低い。朧月夜はその気になれば、源氏の妻となり得た人である。この二人のことを書くときは、紫式部の筆も軽くなっているような気がする。・・・(p.117)
国立国会図書館デジタルコレクション 「源氏五十四帖 八 花宴」 著者:月耕
・・・朧月夜はほどなく出家する。出家するときも二人の間に消息のやりとりがある。それにしても、見事な一生であったと言うべきであろう。危険と隣り合わせの人生でない限り、彼女にとっては、あまり生き甲斐がなかったのであろう。そのことが、彼女をして敢て「娼」の位置を取らせたことになるだろう。従って、彼女の人生は危険に満ちつつも、明るく楽しいのである。このようなことを可能にしたのは、彼女が常に適切な対人距離を、源氏や朱雀帝などとの間に保ち得た、現実感覚と強さであったろう。・・・(p.121)
・・・しかし、夕霧が成長してくるにつれて、それなりの父子葛藤が認められる。「野分」に語られる、夕霧の紫の上のかいま見がそのはじまりである。玉鬘の件に関しては、源氏に後ろめたい気持があったため、むしろ夕霧の方が優位に立っている。これらの経験を踏まえて、父・息子の正面からの対決へ、とすすんでいかないところが日本の物語の特徴である。正面からの対決は日本人の好むところではない。・・・(p.158)
男性間、ことに父子関係については、このように語られている。むむ、さもありなん。
<「源氏物語」を愉しむ!>・・・補遺7