さて、先祖返りではないけど、初めて「源氏物語」の現代語訳をモノした与謝野晶子の訳を見てみようか・・・!
紫式部 与謝野晶子訳「源氏物語」廉価普及版(河出書房新社 1988)
全1巻本を古書で入手した。800ページ弱の2段組みという分厚い(4.5㎝)本である!
「桐壺」の帖から読み始めてみる。
この帖では、帝に寵愛された桐壺が後の光源氏を生んで、彼がまだ幼い頃に周囲の嫉妬などに悩まされて亡くなり、帝は悲嘆にくれるのだが、よく似た藤壷を迎えるに至って、息を吹き返す。
さらに権力争いの最中にある左大臣の娘の一人である年上の「葵上」と政略結婚させられた源氏は、どんな気持ちでいたのだろうか・・・
・・・源氏の君は帝がおそばを離しにくくあそばすので、ゆっくりと妻の家に行っていることもできなかった。源氏の心には藤壷の宮の美が最上のものに思われてあのような人を自分も妻にしたい、宮のような女性はもう一人とないであろう、左大臣の令嬢は大事にされて育った美しい貴族の娘とだけはうなずかれるがと、こんなふうに思われて単純な少年の心には藤壷の宮のことばかりが恋しくて苦しいほどであった。元服後の源氏はもう藤壷の御殿の御簾の中へは入れていただけなかった。・・・(与謝野訳: p.14)
与謝野晶子(1878-1942)
この現代語訳を読み始めてみて、ちっとも古びていないことに先ずは驚く!
今、読んでみても違和感なく読めるのは、子どもの頃から「源氏物語」に親しんでいた与謝野晶子の筆力による。
すでに、「桐壺」の帖で、光源氏の藤壷への恋慕と葵上との齟齬が表明されているのだ。
幼くして亡くなった母の桐壺と良く似た藤壷への恋慕(さらには、藤壷に似た紫の上への想い)は、まさにマザコンとしての光源氏を象徴しているかのようだなあ。。。
男性としては、そんな想いにかられるのもムリはないかも。
なので、「日本のドン・ファン」とか「女漁り」とか言われるのはお門違いのような気がする。「桐壺」に続く「帚木」の冒頭でも、光源氏の評価がなされているように、彼は決してプレイボーイではなかったのだ。
「帚木」の前半に置かれた「品定め」は可笑しいわ(^^)
まさに、現代にも通じる男の意見が開陳されている。
女性によって書かれた「源氏物語」という名作は、読み手(男性か女性)によって印象が大きく異なる(だろう?)のもある程度は頷けるわ!
なお、三島由紀夫の評価は・・・
・・・とてもハイカラでね、女の人で、明治のブルー・ストッキングですからね。漢語をとても自由に駆使して、その漢語を使うことになにも抵抗がない。(中略)与謝野訳のある意味の明治ハイカラ的要素で、とてもすぐれていますね。じつに入りやすく、のみならず、漢語からくるエレガンスがあるので・・・・・。なにもわれわれが考えるエレガンスは、日本語ばかり、和語ばかりと限らないから、こういう妙なエレガンスがあって、とてもハイカラな感じがする。・・・(「パリ・シンポジウム」: p.175)
この文章は、三島由紀夫、瀬戸内晴美、竹西寛子との「座談会『源氏物語』と現代」(1965年7月)から引かれたと註にある。
それにしても、ハイカラとかエレガンスとか三島ならではの矜持とも思えるカタカナ用語の頻出にはちと首をかしげるけど。。。
<「源氏物語」を愉しむ!>・・・補遺1ー1