「チャップリンとアヴァンギャルド」・・・! | マンボウのブログ

マンボウのブログ

フラヌールの視界から、さまざまな事象に遊ぶ

こんな本を図書館から借りてきた。チョキ

 

 

   Amazon.co.jp: チャップリンとアヴァンギャルド : 大野裕之: 本

 

本大野裕之「チャップリンとアヴァンギャルド」(青土社 2024)

 

 

メモ孤立無援でも諸悪と闘う喜劇王を支持する!
ハリウッドの陋習と、ヒトラーの悪の帝国と、反米活動運動と、そして世間の他愛ない偏見・貧困等々と多種多様の不正義に孤立無援の戦いを生涯続けたチャップリン。戦う喜劇王チャップリンは、レトロなメロディーの甘たるい喜劇の主人公だけではなかった。芸術のアヴァンギャルドとしてこだわったモノクロ・サイレントからアニメ、ヌーヴェルヴァーグまで、広範なジャンルにチャップリンの精神は根づく。《いま世界に新しいチャップリンが必要だ。》――ゼレンスキー大統領(ウクライナ)。

 

 

<目次>

 

1(チャップリンとアヴァンギャルド;チャップリンと舞踊;チャップリンと音楽;チャップリンと言葉)
2(チャップリンとアニメーション;チャップリンとヌーヴェルヴァーグ;チャップリンと歌舞伎;チャップリンとSF)

 

<著者>

ジーンズ大野裕之[オオノヒロユキ]
1974年生まれ。脚本家・演出家・映画プロデューサー・日本チャップリン協会会長。京都大学大学院人間・環境学研究科(後期)博士課程所定単位取得。著書に、『チャップリンとヒトラー』(岩波書店、サントリー学芸賞)ほか多数。

 

 

   Interview:大野裕之さん(脚本家) 表現者としての喜劇王描く 『チャップリンとアヴァンギャルド』刊行 | 毎日新聞

 

 

チャップリンの世界を、舞踊・音楽・言葉・アニメ・ヌーベルバーグ・歌舞伎・SFなどの切り口から喝破した新著である。

 

 

 

   チャップリンとアヴァンギャルド」書評 大道芸人と母親の影響こそ全て|好書好日

 

 

 

   メモ・・・浮浪者にして紳士であるという矛盾した存在である彼には、異なった価値観を持つさまざまな階層・世代・民族・文化に属する人々それぞれが共感できる多様性が畳み込まれていた。彼は、大衆から拍手喝采され、知識人から賞賛された。商業的な成功と芸術的な達成と、一見相反することがらを同時に成し遂げたのだ。・・・(p.26)

 

 

   メモ・・・そして、まさにそのタイミングで、第一次大戦の始まる1914年にチャップリンはイギリスからアメリカへと、帝国の娯楽であるミュージック・ホールから新しいメディアである映画へと移民していく。つまり、<放浪紳士チャーリー>と<アヴァンギャルド>とは、いわば新時代の爆発とともに生まれた「同級生」なのだ。あのコスチューム----近代の紳士とそのアンチテーゼである現代の大衆とが互いに否定しながら同居している<放浪紳士>は、近代と現代、合理と非合理、芸術と反芸術など、「すべてチグハグ」な矛盾が折り畳まれた身体だった。・・・(p.30)

 

 

   メモ・・・「私はチャーリー・チャップリンに興味がある。なぜなら、彼はスクリーン上で『動くイメージ』になった唯一の存在だからだ」----1923年にレジェは、ルネ・クレールの質問にそう答えているが、二次元において白と黒/光と影だけで表現する身体機械であるチャーリーに魅せられた彼は、その後多くの作品を放浪者に捧げることになる。・・・(p.42)

 

 

   メモ・・・「世界中に同時多発したアヴァンギャルド諸派の芸術(反芸術)運動が、どれほどの大胆さと無秩序さを装ったとしても、芸術の外部に出ようとした彼らの企ては、結局、西欧近代自体が設定した自己正当化の枠組みの内部の出来事でしかなかったように思われる」。彼らが全否定して破壊しようとした旧来の制度とは、しぶとくも堅牢なものだったのだ。・・・(p.48)

 

 

今から百年ほど前の西欧世界は、こんな情勢に突き動かされていたのだった。

アヴァンギャルドという言葉も今や懐かしい響きを持つだけだし、前衛芸術という言葉もしかり。

 

 

   日本チャップリン協会

 

 

この本を読み進めていくうちに、こんな文章が目に留まった。

 

   メモ・・・こうした、ややもすれば一面的な受容の仕方には違和感を覚える向きもあるだろう。たとえば、同じく<言葉>を扱う芸である落語界を代表する一人の桂米朝は、2003年7月に筆者が行ったインタビューにおいて、「最も尊敬する人を一人選べと言われたら、チャップリンです」として、「サーカスのようなものか、なにを訓練したのか知りまへんけど、あの体の動きはすごいです」とまず身体に着目し、「ドタバタから国際問題まで。あないな人は二人とおりまへんなあ」とサイレント喜劇から『独裁者』に至る達成を讃える。

 一方で、『殺人狂時代』の「一人殺せば犯罪だが」などの言葉については、「あの時代に言うたのはすごいことですが、チャップリンはんが最初に言わはった言葉やないしね」と過度に持ち上げることはしなかった。上方落語の巨人は、チャップリンの多面的な魅力を、政治の言葉だけに閉じ込めたくなかったのだ。・・・(p.159-60)

 

 

ふむふむ。なんとねえ、桂米朝がそんなことを言っていたのだ!ニヤリ

 

 

   メモ・・・それにしても、これほどまで映画と音との関係を厳密に考え、映画における音の可能性を追求していた彼が、トーキー時代が来たときにいち早く発声映画に乗り出さなかったのはなぜなのか。

 彼がサイレント映画を守った理由は、彼自身による説明によると、単一の言語を喋ると限定された観客にしか伝わらないのに対して、パントマイムは普遍的な伝達手段であり、世界共通語であるから、というものだ。「わたしは元来パントマイム役者で、その分野では誰にもまねのできないものを持っており、上辺だけの謙虚さを捨てて言えば、その名人であると自負していた。」・・・(p.109)

 

これは、映画や演劇と言語という関係を照射している。

 

 

   メモ・・・二人の蜜月は1930年代を通して続いた。ディズニーはチャップリンから多くを学び、両者はエンターテイメントの巨人として並び立った。・・・(p.191)

 

しかし、

 

   メモ・・・1938年ごろから、チャップリンがヒトラーを題材にした喜劇『独裁者』を製作するという噂が流れると、ドイツはもちろんアメリカ国内からも激烈な反発の声が上がった。当時アメリカでは、ヒトラーは不況を克服したリーダーとして大衆的な人気があった。ナチスにソヴィエト共産主義への防波堤としての役割を期待していた政界も、ドイツに多額の投資をしていた財界も、ヒトラーにシンパシーを寄せていた。アメリカだけでなく、ドイツに対して宥和政策をとっていたイギリスも、外務省の役人を派遣してチャップリンに製作を思いとどまるように圧力をかけた。このような公開の目処が全く立たない状況でも、チャップリンは「ヒトラーを笑い者にされなければならなかった」と準備を進めた。・・・(p.192)

 

 

この叙述を読むと、第二次世界大戦の構図ががらりと変わる気がするなあ。。。

おそらく、ここに大日本帝国という傀儡政権?が参戦して、太平洋戦争というエリアにおける火の粉が飛んだことで、日独伊三国同盟を相手にした連合国という縮図ができたのかと歴史を顧みる。ガーン

 

 

なお、ヌーベルヴァーグの鬼才、トリュフォーやゴダールなどとの関連や、『街の灯』が歌舞伎作品になっていたなど、興味深い叙述が続くが、紙数も多く煩瑣になるので止めておくことに。

 

チャップリンに関心のある人は、是非とも一読をオススメしたい!グッ

 

 

 

     映画【街の灯】ラスト1秒、チャップリンの破顔に涙が止まらない│天衣無縫に映画をつづる