さてと、美食を味わうには、料理人の手を経る必要がある。音楽を味わうのに演奏家の手を経るのに似ているかな・・・
京都に生まれ、懐石を業とする第一人者だった!
多くの著作をものしているけど、こういう文庫本をゲット。
辻嘉一「味覚三昧」(中公文庫 1979)
『暮らしの設計』に連載されていた料理人の身辺随筆である。
懐石料理六十年、料理一すじに生きてきた名代の庖宰辻留主人が、日本中に足を運び、古今の文献を渉猟して美味真味を探求。一題一字の各章に数項が含まれて合計二百余種の食味を談じた食通のための本格的労作(カバー裏から)
まずは、石川淳による擬古文調の<序>から始まるところなぞ、スゴイなあ!
さすが、辻留さん(^^)
<目次>は、米・酒・貝・魚から、箸・甘・竹・苦まで三十もの項目が並んでいる。
やっぱり、酒の項目に目が行くわ(^^)
にごりざけ
清酒の効用
献立づくり
呑みっぷり
銚子と徳利
こぼれ梅・いたおみき
百薬の長
こういう細目に分かれていて、短い随筆が並ぶ。
少しずつ気になる部分を引用してみようか・・・
「にごりざけ」
・・・”酔えば栄え楽しむ”の栄えからサケの名が生まれたとか、栄え水の略がサケの語源だとか言われておりますが、最初の酒は、米や果実などを、歳頃の生娘の口中でよく噛みつぶし、それを壺に貯え、それが自然発酵するのを待ったのだそうです。
奈良の三輪山を御神体とあがめる、三輪大神の社殿あたりが、その場所だったと伝えられています。
ところで、酒が今のように透明な清酒になったのは、慶長時代以後だといわれており、それまでは濁り酒であったようです。・・・(p.22)
「呑みっぷり」
・・・酒の飲み方で、酒を愛する度合がわかると言われますが、今の猪口と呼ばれる以前は、不を皿にかぶせて・・・・・・皿にあらず・・・・・の盃が用いられ、大昔の土器を偲んで、儀式にはもっぱらカワラケであり、次に漆塗りが使われたと思われます。
濁り酒が、透明な清酒となってから、陶磁器の猪口が一般にも使われるようになったのです。そこで、猪口という字は、どうも合点がまいらぬ、猪の口と書きますが、浅井い盃に対して、深くて口の小さい形から、猪突という言葉のように、あの、猪の口元を連想しての命名かとも思われ、落語的というか、原始的な考え方からうまれた字でありましょう。・・・(p.26)
「百薬の長」
・・・日本人は、杉の木の香りをことのほか好み、懐石の箸には、利休居士の定められた赤杉の柾目正しい両細を用い杉生地の折箱をあけた瞬間の、ぷうんと鼻にくる木の香に食欲をそそられます。
昔は杉の木の根を削って、酒の中に入れたそうで、また、吉野杉で酒樽をつくり、杉の木の香を添えたのでした。・・・(p.30)
なあ~るほどね。。。
また、餅の項目にも目がゆくわ・・・
師走も押し詰まった頃、餅を搗き、お正月には鏡餅を飾って、お雑煮をいただくという風習は今なお、残っているし、農村ではお目出度いことがあれば、四季を問わず餅を搗く。古来から「晴れ(ハレ)の日」のご馳走の第一は餅であった!
辻嘉一(1907-1988)