メーテルランクやダヌンツィオ、E.A.ポーなどの戯曲や小説、ボードレールやヴェルレーヌなどフランス象徴派の詩人たちの詩に、なぜドビュッシーは惹かれていたのだろうか・・・
この謎を解くのはいささか私の手に余る課題なので、暫し措くとして、今回は、ダヌンツィオの名作にスポットを当ててみたい!
ガブリエーレ・ダヌンツィオ「聖セバスティアンの殉教」(国書刊行会 1988)
私が所蔵しているのは、<クラテール叢書>の中の1冊である。
この叢書については・・・
古代ギリシアの饗宴で、芳醇な葡萄酒を満々と湛えていた大盃《クラテール(混酒器)》、それが今、われわれの前に置かれた。汲めども尽きぬ知識の泉、快い幻想の微睡、あるいは激しい論議の沸騰。香り高い文学の古典から最新の思想研究、社会批評の問題作まで、斬新な知的興奮をお届けするシリーズ。これらの書物がそれぞれに開く扉の向こうには、めくるめく知の冒険が待ち受けている。 (出版社の案内から)
ダンヌンツィオが台本を書き、ドビュッシーが音楽をつけ、ロシア・バレエ団のプリマ、イダ・ルビンシュタインが主役を演じた世紀末の代表的作品。三島由紀夫彫心鏤骨の名訳、待望の再刊。図版写真多数収載。
(美術出版社刊 1966)
美術出版社の書物には、さまざまな画家が描いた多くの図版が収録されている(モノクロなのが残念だけど)!
神秘劇とも霊験劇とも訳される、中世の聖人セバスティアヌスを題材とした作品である。
- ユリの庭 (La Cour de Lys)
- 不思議の部屋 (La Chambre Magique)
- 偽りの神の懐柔 (Le Concile des Faux Dieux)
- 手負いの勝利 (Le Laurier Blessé)
- 楽園 (Le Paradis)
5幕の構成。
肉体美を追求した三島由紀夫が翻訳したというのが象徴的だなあ(しかも名訳の誉れ高い)・・・
あとがきの中で、三島はこう書いている。
・・・ダンヌンツィオの戯曲にあらはれるセバスティアンは、キリスト教の殉教者であると共に、異教世界の美青年のすべて、そのアポロン、そのオルフェウス、そのアドニス、そのアンティノウスのすべてを代表している。しかもそのやうな肉体上の美は、キリスト教の精神世界においては全く無意味であり余計なものであって、彼は殉教者たるには美しすぎる。その美しすぎるところに、この戯曲の逆説がはっきり現はれてゐる。体裁としては中世キリスト教霊験劇でありながら、内容は、といふよりは戯曲の外貌は、あげてセバスティアンの肉体の讃美に捧げられてゐるのである。世紀末のもっとも官能的な詩人のひとりであるダンヌンツィオが、いかなる霊感を受けて、このやうな異教的官能的キリスト教宣伝劇を書いたか、その制作動機は問はぬとして、彼はこの戯曲を単なる幻想に基づいた紀元三世紀に設定したのではない。・・・(p.324-26)
官能的・耽美的世界、肉体美の世界に対して並々ならぬ憧憬をもった三島由紀夫ならではの、言葉であり、翻訳なのである。
<第一の景 百合の中庭>のフィナーレを引用しておこう。
もはや熱狂と法悦、下方に燃える火の赤さと上方の百合の無垢の他には何もない。今や、熾天使の交わす挨拶は、地上の讃歌を圧倒する。
熾天使の合唱
あなや、光よ、
世の光よ、
広大深遠の十字架よ、
いと高き神のおん旗じるし、
守護神の戟と
色にほふ権標よ、
勝利の微章と
栄光の棕櫚と、
生命の樹よ!
セバスチャン 異様の歌がきこえる。
俺は音に聞く、とことはの七つの竪琴。
その光こそ百合のなすわざ。
その調べこそ百合のなすわざ。
お前らが百合を刈らうと、百合はまた蘇る。
お前らが百合を砕かうと、百合は生きつづける。
百合の幹は不滅なのだ。
見ろ、百合が俺を見てゐる。
まるで天使が不意の驚愕で顔一杯に目をみひらいてゐるやうに。
天国の如き巨大な束から放たれる光が、地上の火の力に打ち勝つ。見る者聴く者、すべて恐怖に打たれて茫然としてゐる。そして変貌が成しとげられる。七人の熾天使、七つの輝く段階を持った光がかの束から現はれ、列柱の間に進み出る。かれらは歌ふ。無限にひろがるその声は、天より開かれた門のごとくに思はれる。
熾天使の合唱
ここに七人の神の証し人、
篤き聖徒の長たちが。
女たち、奴隷、役人、兵士、死刑執行人、見る者聴く者すべては、打ちたふされて舗石に顔を伏せてゐる。双子は「新らしき日」の門を支へるすべての円柱と一体となり、一つの輝きと化してゐるかの如く見える。
穹のすべては歌ふ!
彼は聖セバスチャンの第一の傷つけられざる犠牲をばかく語りき。
(p.120-22)
こういう擬古調で翻訳されていて、何とも三島由紀夫らしいわ(^^)
しかし、現代人の眼から見たら、なんとも饒舌っぽいところにウンザリかも・・・
ギュスターヴ・モロー「救済される聖セバスティアヌス」(1885頃)
<ドビュッシー没後100周年に寄せて>・・・13