桂あやめ(1964- )
生年月日:1964年02月01日
身長/体重:157cm /50kg
血液型:B型
出身地:兵庫県
趣味:茶道/小唄/蜘蛛グッズ収集
1982年 入門 五代目 桂文枝受賞歴
「文化庁芸術祭」第57回(2002)演芸部門優秀賞
「大阪府女性基金プリムラ奨励賞」(2000)
「咲くやこの花賞」第14回(1996)大衆芸能部門 落語
「きらめき賞」第1回(1994)
「ABC漫才落語新人コンクール」第8回(1987)優秀新人賞(桂花枝として)
以上、吉本興業のプロフィールから。
この人をご存知だろうか・・・
私は記憶にあるかぎり、高座に接した覚えはないけど。
この落語家が、こういう本を書いている。
桂あやめ「桂あやめの艶姿ナニワ娘」(東方出版 2000)
朝日新聞の夕刊、朝刊家庭面で足かけ三年にわたって連載されたコラムを集成したもの。
<目次>
Ⅰ はなしか・あやめ
Ⅱ アヤメの季節
Ⅲ あやめの世相巷談
短いコラムが次々と並んでいる(^^)
なんとも愉しい本だわ!
先に紹介した桂福団治の記事の本にも若手座談会に出て来てるわ・・・桂花枝(かつらはなし)
茶の湯を習った時に・・・
・・・茶の湯は元々、戦国の乱世に生きる男たちが一期一会のひとときを楽しんだもので奥様、お嬢様の暇つぶしではないこと、茶壺にお花のように結ばれたひもは簡単に開けられて毒を盛られないためのものだということ、茶杓の銘にはしゃれたネーミングがいっぱいあること・・・・・。・・・(p.27)
襲名については・・・
・・・それでも春蝶師匠の一番弟子の”さなぎ”さんは「いつまでさなぎのまんまやねん。ぼちぼち蝶々になりいな」と回りからツッコまれ”昇蝶”になったり、”べかこ”さんが、”南光”になったりと折を見て変えている。
私が四年前にちょうだいしたこの”あやめ”もやはり師匠が若いころの前座名だ。まだ落語家にあこがれていたころの十七歳の私は、師匠のプロフィルに「昭和二十二年四代目文枝に入門。あやめで初舞台」というのを見て「これや!」と思ってた。
十八歳で入門し、師匠から「どんな名前がええねん?」と言われたときも迷わず「あやめ下さい!」と答えた。半年後、”花枝”という名前が付き、これはこれで良い名前をもらったと思うが、私の中にはどこか「ほんまの名前と違う」という気持があった。・・・(p.29)
歌詞まちがいは誰しもあるもの・・・
・・・童謡やなんかは聞き覚えで歌ってることが多いので、だれしもこんな取り違えがあるようだ。”ふるさと”の「兎追いしかの山」を「兎美味しかの山」とか、”赤い靴”の「異人さんに連れられて行っちゃった」の異人さんを「ひいじいさん」と聞き取ってたとか。一字違いでは意味が大違いになる。
大爆笑したのは吉田拓郎さんの”旅の宿”の歌い出し「浴衣の君は・・・・・」というのを「額田王は・・・・・」と思っていたと言う人の話。彼の頭にはずっと額田王がススキのかんざしをして「もう一杯いかが?」と酌をしている図が浮かんでいたらしい。・・・(p.124)
なんてコラムが並んでるから、気軽にあやめ風情を愉しむことができるわ(^^)