さてこのままいくと超超少子高齢化でお先まっくらですが。
いわゆる「団塊ジュニア」という世代の、出産適齢期が過ぎようとしています。
どうやら、経済的に豊かになり、発展した国ほど、少子化の傾向があるようです。
ただ、この傾向は避けられないものであるように思います。
個々人の「自由」「選択」「価値観」の幅が広がった結果なのですから。
しかるに、私のものすごく個人的な感想であり、リアルな人間関係の中では
おいそれと言えることではないのですが、
「結婚して、子どもを産んで(もらって)本当に良かった」と思います。
もちろん、相手あってのことですから、私の感想はすべての人に当てはまるわけではありません。
何が良かったか、というのを集約すると、
「一緒に悩んで考えることができるパートナーがいる」
という1点につきます。
家庭という運命共同体の中で、お互いの課題を自分のものとして考え、相談できる相手がいる、というのは心の支え、生きる希望そのものと言っていいと私は思います。
子どもも、いざ産まれるまでは、本当に育てていけるだろうか、不安なことばかりの現代で生きていくことが幸せなのだろうか、と考えていましたが、
いざ自分の子どもが産まれてくると、自分自身がこの世で自慢できる事ってこどもだけなのではないか、と思えてくるから不思議です。
自分が死ぬと、世界が終わり、という独我論的な認識ではなく、自分が死んでも家族やこどもがいる、と思えることは幸せです。
自分は若いころは、自分はたまたま産まれてきただけで、時間が経てば死ぬだけ。
特に人生の目的も生きる理由もない、という言いようのない虚無感をかかえていました。
今は、少しでも長く家族と暮らしていたいと思うし、こどもの成長を見ていたい。
哲学書や宗教の本を読んでもまったく解けなかったことが、結婚することで全て解消されました。
今はもう、ひとりで生きていく自信がまったく無いです。
それが強くなったのか弱くなったのかはわかりませんが、とりあえず家族を持つことで気づいたことは沢山あります。 親や先祖への感謝とか。
あと一点、実際に結婚するまで、子どもができるまで、「ヨソの世界の事」だとまるで関心がなかったことも事実です。
レストランや電車で子どもが泣き叫んでるのを見て「こんなところに子連れで来るなよ」と思っていたぐらいですから。マンションで上の階のこどもの足音がうるさい、というトラブルもしょっちゅう聞きます。
「その立場」になってみないと、その状況下における感覚というのは体験しようがないので、どうしようもないのです。そして、世代間格差、収入格差、性別、さまざまな「断絶」によって、お互いの立場を理解するのが難しい時代だと思います。
一方で、「こどもが成人するまで2千万円」とか、リアルな経済的負担やリスクだけは容易に想定可能なことが問題であるように思います。
つまるところ、小学生から老人まで、「将来が心配」と言って不安が蔓延している社会というのは、いったい幸福なのか不幸なのか。
例えば、便利な携帯電話。無くなると困る=不幸になる。 かといって、 携帯電話があるから昔より幸福だ、という言い方は普通はしません。
「欲しいもの」「必要なもの」「したいこと」「しなければいけないこと」などがごっちゃになっているのかなぁ。という気もします。
------------
A)経済的問題
上記のように、子育てにはお金がかかります。
いつまで続くかも分からない「子ども手当」がどれだけアテになりますか?
親の収入が途絶えたら、あっという間に生活保護です。
しかも自分自身が教育を受けて育ってきた親ほど、こどもにも同等かそれ以上の教育の必要性を感じているでしょう。
終身雇用の保障などまったく無いのに、育児の費用だけは確実に必要になってきます。
また女性が出産、育児によって仕事を辞めざるを得なくなった場合、その損失は数千万にのぼります。
「想像しかできない出産のメリット」と「想像できる数千万の損失」を天秤にかけることが悪いことだとは思えません。
こどもが病気を持っていたり、保育園に入れなかったり、こどもを迎えに行く時間まで保育所が空いていなかったり、朝間に合わなかったり、出張が多かったり、そういったことで簡単に社会人としての生活は破綻します。
人口が増えるには、1組につき3人以上のこどもが必要ですが、こども3人持って共働き、って生活は想像できます?
家も、車も大きいのが必要です。自転車は4人では乗れません。小さいこどもは1ヶ月に2,3回はなんらかの病気をして寝込みます。 しょっちゅう仕事を欠勤、早退しないといけません。
周囲は「好きで産んだんでしょ?」という反応しか返ってきません。
「子供は自分の食い扶持を持って生まれてくる」という言葉、もう知ってる人も信じている人も少ないのでは。
「60歳まで、健康で仕事が順調で、給料が一定水準を超えている」ということを自信を持って言える人がどれだけいますか?
私の父の時代では、お見合いなどの席では「働きもの」であることが堅実で美徳であったように聞いていますが、今は働く気のあるだけではだめで、「稼ぎつづけられる人」でないと、ダメなんでしょうね。
B)法的問題
結婚は「お互いがお互いの所有物であること」の契約です。
パートナー選びは慎重にならざるを得ません。結婚はリスクでもあるのです。
また、「サラリーマン+主婦、こどもは2人」といった標準的家族像が崩れてきています。
今は第3号被保険者制度や配偶者の扶養控除がありますが、これらもいつまで残るかわかりません。
既婚者を優遇すれば、未婚者にとって不公平感が増します。 逆も同じです。
結婚を前提として出産があるとしたら、結婚する人が減れば人口が減るのは当然の成り行きです。
C)社会的問題
一時期は「身を固めている男性のほうが出世が早い」というようなウワサもありましたが、現在はそういう不合理な査定を行う企業はどれぐらいあるのでしょうか? ちょっと見当が付きません。
それよりも、単身で身軽な人間のほうが企業にとってはありがたいとは思いませんか。
大卒の女性が22歳前後として、2,3年で結婚して出産、数年後に2人目を出産、というを許容できる雰囲気の企業は全体の何割ぐらいなんでしょうか。(法的には守られているはずなのですが・・・)
また、親世代の血縁、地域のつながりも希薄になってきましたので、お見合いや紹介という手段で結婚する割合もどんどん減ってきているのではないでしょうか。
親が決めた結婚を素直に受け入れるわけでもないでしょうし、そもそも家業を継ぐ、家を継ぐという事自体が前時代的な制度です。
D)生物的問題
意外なことに、出産適齢期を早くから意識している人は、少ないらしいです。
もちろん相手が誰でもいいから、というわけにはいきませんが、高齢になるほど妊娠しずらいというのはきちんとしたデータがあるそうです。(男性もそうですが)
恋愛至上主義的な風潮は変わらないにもかかわらず、結婚する人は減っているということは何を意味するのでしょうか? 恋愛対象と結婚相手は別ということなんでしょうか。
でも前述したように、大卒の時点でもう22歳。数年間働けばもう30台前後です。
そこでいきなり、早く産まないと○○が腐る、と言われても、ちょっと待ってよ、という気持ちはよくわかります。
また、「オスはできるだけ多くの異性と関係を結ぼうとする」「メスはできるだけ優秀な異性の子孫を産もうとする」という傾向が人間にもあるそうです。
つまり「※ただしイケメンに限る」は都市伝説ではなさそうです。
------------
ざっと
「じゃあどうすりゃいいのよ」
というのは難しいですが、一番最初に書いたように、
これは個々人が自由になったことの帰着です。
個々人が完全に自由なふるまいができるようになった時の出生率が今の状態だということです。
(ただし、「出産したいけどできない」という現実と理想のギャップはあるようです。)
もちろん少子化対策のため政府がさまざまな手段を講じるのはいいのですが、
それはより不公平な制度となる可能性がありますし、
なにより数十年単位の継続性が必要です。
出産を奨励する制度を作った国が、方向転換したとたんに、こどもを遺棄する事件が多発した、といったこともあるようですから、エサで釣るように、人の人生をコントロールすることには危険が伴うように思います。
個人的には、ベーシックインカムが最も公平な少子化対策だと思います。
年齢に関わらず、1人につきいくらかの手当を政府が保障するのです。
あとは、孤児院などの充実。ひとり親家庭の福祉対策、婚外子の権利