※最初に断わっておかなくてはいけないのですが、
デモや市民活動が意味がないとか、害悪だとかいう意味ではありません。
社会人として働きながら、市民運動やNPOに参加されている友人知人がおりますが、
みなそれぞれ尊敬しており、いい方々です。
で、私の「デモ」活動の印象を書きます。
今回の反原発に限らず、全般的なことね。
と言っても、自分が見聞きしたものだけなので、
主流の意見かどうかはわからないけど。
まず。私はデモが「王道」となることはないだろうと思います。
なぜなら、全国民に、選挙という意思表示の機会があるからです。
世の中を変えたいと切実に考える時、
政治的には、選挙活動(立候補及び投票)が王道。
社会人としては、研究なり労働なり、マスコミなり公務員なり研究者なり社長なり、
社会的なポジション(金持ちという意味ではない)を確立するために努力するのが王道だと考えます。
つまり、デモに訴えるというのは正攻法ではなく、邪道だということです。
・・・これ文章長くなりそうですね。
デモが苦手な理由1)日本は「民主主義、資本主義」だから。
正しいかどうか自信はないですが、私は民主主義というシステムは
「万人にとっての正しい選択や、絶対的な正義は存在しない」
という価値観が前提で作られているものだと思っています。
「個々人それぞれの正義があるなら、最終的には多数決で決めるしかないよね、それが正しいかどうかわかんないけど。」
という妥協点を探すのが、民主主義。
神様や、王様や、独裁者が「こう生きるべし」って決めちゃうのは、民主主義じゃないわけです。
その代わりに、「トップを変えることができる」
というのが、民主主義のメリットです。
つまり、いかな間違えていても、民衆の大多数が「間違えてる」と
思った時点で、トップ(与党、総理大臣、大統領)を変えることができる。
いくら回り道をしようが、無駄や後悔があろうが、
やりなおしができる。法律を変えられる。これは大きいと思います。
余談ですが、こういう仕組みの国で「独裁者」はあり得ません。
今話題になってる市長とかも含めて。
さらに余談ですが、「衆愚政治」の定義も、民主主義内ではできないと思います。
デモ(団結権等)というのは確かに憲法で保障されている権利ですが、
目的自体はテロと変わりがない気がするんですよね。
強引に、自らの主張を通して、迷惑をかけて、決まったものを覆す。というのは、
ものごとを進める正攻法ではないです。
不買運動のほうがしっくりきます。たとえそれが電力でも。
私が今回のデモを、ガンジーなどになぞらえる人々に感じる違和感は、そういうことです。
「原発なんかで発電された、汚らわしい電力は使わないぞ」と、デモを行えばよかったのです。
一般市民の支持を得るなら、次々と町の明かりが消えていくことでしょう。
(ブレーカーを落とそうデモは一時的に発生したようですが)
デモが苦手な理由2)ハタ迷惑だから。
「非暴力」というのはデモの大前提ですが、動員される警官や近隣住民への騒音、
威嚇、ゴミの処理など、人数の多いデモ活動はそうとうに「暴力的」です。
「おもしろいからなんでもデモやろうぜ」と煽ってる著名人がたまにいますが、
はっきりいって迷惑です。
カラオケボックスでも行ってストレス発散してください。
※それでも、日本のデモはまだ礼儀正しい、という評価もあることは付記します。
デモが苦手な理由3)事象を単純化するから
多くの人から共感を受けるには、できるだけ説明や理屈をシンプルにする必要があります。
デモや市民活動は、物事を善悪に二分した上で、必ず「敵」を作らなければいけない、そういう運命にあるように思います。
今回の原発再稼働についても、1か所の原発を止めるか止めないか、という単純な問題では無いと、多くの社会人は気づいています。
しかし、「いつか新しい電力が開発されたら廃止してもらおうぜ!」では、人は集まりません。
「原子力の代わりに火力発電所を作ろうぜ」でも、絶対正義であるようには振る舞えないでしょう。
よって、活動はどんどん過激化、先鋭化せざるを得ないのです。
そうすると、陰謀論や「権力者が悪い」という、なんとなくぼんやりとした、検証不可能なことにすがるしかなくなるのです。
今回で言うと、東京電力が事実を隠している、マスコミもグルだ、原子力村という構造が悪い、御用学者は正しいことを言わない、などなど。
これは、活動している本人にとっては「盛り上がってる」ように感じるかもしれませんが、
一般市民の心はどんどん離れていきます。
デモが苦手な理由4)組織としてのマネジメントが難しいから
デモや市民運動というのは、基本的にはボランティア、無償による自主的な参加者が集まります。
本人の良心や問題意識だけが、動機となります。
参加したいから参加する。(したくなかったらしない)
つまり、やりたくないことを我慢したり、上司と部下のような関係ができたり、ノルマや罰則があったり、という状況が発生すると、あっというまに組織は崩壊してしまうのです。
人それぞれ参加意識やモチベーションも違いますから、内ゲバめいたこともすぐに起こります。
「良い人」「純粋な人」の集まりであるがゆえに、こういうことが起こってしまう。
デモが苦手な理由5)市民運動ってクセになるから
今回の文章で最も伝えたいのはココです。
デモって、楽しい、スッキリする、高揚感がある、一体感が生まれる。
この「非日常感」ってすごいんですよ。
「自分はすごく良いことをしてるんだ、悪いやつらに抵抗しているんだ」っていう感覚。
まだ自分がナニモノか模索している学生や、日常生活に疲れている社会人にとって、こうした「課外活動」は大変魅力的です。
しかも、「同士ができるだけ多いほうが嬉しい」ですから、自分が参加することで皆から喜ばれ、歓迎される。
この「自分がここに居ていいんだ」感はたいへん甘美で、抗いがたい快感です。
したがって、「デモが苦手な理由4」とも相まって、「参加すること」が目的化するのです。
デモをする理由を探し出して、デモ活動をする。これでは本末転倒です。