どんな感情も感じ切る。
確かにその時はしんどいけど、中途半端にするより、実は後々、そっちの方が、その感情から、す~っと解放される。
感じ切らないから、何度も思い出して尾を引いてしまう。
何年も前のこと思い出してイライラしたりしてね。
例えば・・・
思い切り泣ききったら、スッキリして、そのことを後から考える事が少なくなり、悲しいという感情が自然と感じなくなっていたり、しますよね。
感情には頂点があって、そこを過ぎたら下がっていき、やがて自然に消えていきます。
無理に消そうとしなくても、感じつくしたら終わって消えていく。
だからこそ 感じ切る、味わい尽くす。その方が面白いし、人生に深みが出る・・と私は思います。
1.二つに分かれている
れの粒としての存在の仕方や役割、粒らしさに気付いて、自動的に
粒同士が、くっついていき、段々と大きくなっていく
これは宇宙規模の果てしない繰り返し。
ちに、粒たちはより「宇宙(根源)」に近づいて、どんどんと進化
ハテ何のこと?と言われそうやけれど
それを私たちは、ただ繰り返しているだけ。
な~~んや!そういうことか。それなら、二つに裂けてても、いっか
「ハサミ」と「粉砕機」の役割の人がいます。それって物凄く宇宙
奈良の龍田大社に行ってきた。
メッセージは
「味わい尽くせ」・・・以上(笑)
悲しいことも
寂しいことも
苦しいことも
フリーズしていることも
もちろん
楽しさ
喜びなどの、快な事も。
ぜ~~~~んぶ。
てことは、人生ぜ~~~~~んぶ。ってことやね。
抹消するのではなく、それを受け入れてアリにして、とことん味わい尽くす。。。
善悪も陰陽も超えて。
流れに沿って味わい尽くせば、そこからの魂の学びが終わり、次のステージの扉が開く。
やっぱりそだよね~。
いまの私のテーマだぁ~~~。
味わい尽くすことを楽しもう。
喜びで!
身体に不調が出た時、すぐに人はそれを治そうして、
その症状を「排除するだけ」で終わることが非常に多い。
それって、正しいことのように思われる。
でもそれは、本当に正しいのだろうか。
身体はしきりに、症状を出すことで自分自身に何かを訴えかけて来ているはずなのに、その声を聴きもしないで、ただ単に、排除するだけでよいのだろうか。
分かって!!
気づいて!!
~~してほしい!!
場合によっては自分の生命をもかけて、そんな風に何かを訴えかけて来ている。
さて、もしも、その症状が、意志を持っていたとしたら、どうだろう。
簡単な症状で例を出してみよう。
軽い肩こりがあるとする。
こりが嫌で、塗り薬を塗ったり貼ったりして「治そう」とする。
それによって、少し症状が軽減したとする。
それって
肩こり君にとっては、言いたいことがあって伝えたいのに、相手には何も聞いてもらえずに、自分の存在そのものを消去されそうになるわけだ。
肩こり君は、何も聴いてもらえてないから、また出現する。
今度は、前よりもひどい肩こりとして。
訴えかけたいことがあるのに、何も聴いてももらえずに、消されてしまったら、もっと聴いて欲しくて、ひどくなったり、別の症状に現れたりする。
悪循環の始まりだ。
ちゃんと声を聴くと、分かってくれたんだ~と言うことで、肩こりは、もう二度と出てこないかもしれないのにね・・・。
例えば、会話はこんな感じ。
「肩こりくん、私に何を伝えたいの?」
「今の仕事で、責任が重くのしかかりすぎていることに、気付いて欲しい」
「そっか、そうやったんやね。今まで気づかなくてごめんね。では、私に何をしてほしい?」
「もうすこし、自分の仕事を他の人に分けてほしい。そしたら軽くなる」
「なるほど、じゃあ、そうしてみるね。ごめんね、そして、伝えてくれてありがとう。」
確かに、身体の声を聴くのは、・・・とても怖い。
生命をかけて訴えかけて来てるようなら、尚更だ。
自分の人生の中で、今まで無視してきた何かなのだから、それを直視する勇気もいる。
それでもやっぱり私は、身体の声を聴いていきたい。
ちょっと補足。
だからといって、私は、薬や病院、治療等の現代医療を全面的に否定するつもりはない。
十二分に声を聴いたら、す~っと症状が治まることもあるけれど、声を聴き終えても、なかなかそうならないこともある。
その場合は、治療もすればいい、と私は思っている。
まず身体の声を聴く→治す
のなら、別にいいと私は思う。
また、あまりに症状がひどすぎて体力がない場合も、体力がなさすぎたら身体の声を聴く力も失っているので
一旦、治療しながら、声も同時に聴いていけばいいのではないかなと思う。