昨日は急に夜から、学生時代の友達がサロンに来た。

そんな風なことは今までなかったので、ちょいくらビックリしたけれど、、、いろいろあるけれど、それぞれの感覚を持ちながら、頑張って生きてるなぁって、話を聴いていて思った。

相手を認めつつ、自分の持っている素敵さを、めいいっぱい出すって決めて、それを出しさえすれば、自分の周りの人が、み~~~んな幸せになる!
って思ったから、そういう話を最後に熱意を込めて(笑)してみた。

魂が望む、ホントの喜び。
やっぱり、それに尽きる。


それを本気で知りたいって思う人、、、私の元においで!全力でサポートするぜぃ!!
やっぱり本気度、満開の人が好き!

一方的に誰かから教わるということは、私はないと思っている。

もし自分が教える立場だったとしても教えながら、何かを教わっているんだと感じる。

私のイメージでは、謙虚・・というよりも「人として対等」・・・という感じ。

子供と親の場合も、生徒と先生の場合も。友達同士の場合も。


人として対等。

何かが優れているから、その人たちの方が凄いとか、偉いとか、そう言うのは本当はない。


AさんよりBさんの方が、あることでは優れていても、別のあることでは優れていない場合もある。


全貌が見えているから、それが凄いのか。
全貌が見えないから、それは劣っているのか。


そうではない!


見えていても、見えてなくても、どちらも素晴らしいのだ。


その人が、本来のその人として在り続ける事が、何より素晴らしい筈である。

短所長所ひっくるめて。



本当の意味で、人と人が対等であり続けるとは?

どういうことなのだろうか。

二つあるホームページ、一つにします~


ブログ、まだ変更追いついてませんけれど、追々変えます~


本気で自分を見つめて喜びで生きる人のためにそのサポートを全身全霊でします!



その人が、その人らしくなる姿をみるのが、大好きなんです、わたし。

やっぱり楽しい!


笛の活動もしつつ、今まで以上に個人セッションもやろう!と思ってます!


てか、笛の活動も個人セッションも同じ目的ですので、手段が違うだけ。




全存在の共鳴の先の調和!! これを目指します。

自分で自分を認めるとは


机が、ある

コップが、ある

カーテンが、ある

あなたが、ある


そしてわたしが、ある


「ある」ということを認める。

ただただ、それだけ。

この世が、2極に分かれている学び

その両極を知り、感じ、味わい尽くすため。


味わい尽くすと、次の選択ができるようになる。


以前は

陰を原動力にして

陰は陰

陽は陽を別々に一つずつ、じっくり味わっていた。

陰→陽→陰→陽

のように。


それをある程度、味わうことにより

陰は一体、何であるのか

陽は一体、何であるのか


それらの本質を、それぞれに深く学んだのだ。



そしてそれが、ある程度終わった今、


陰陽を超えた陰を原動力にして

その中に含まれる陽を同時に味わっている。


しかし、これからは、


陰陽を超えた陽を原動力にして

陽を楽しみながら、その中に含まれる陰を味わうという道も

選択肢の中に入れられるように、なるのだ。


私たちはもうすでに、少しずつそれへと向かっていて

その扉はすでに、開いている



陰を原動力にするというのは、

悲しみ、寂しさ、恐怖等を原動力にするということ。


それは、今までの地球や人間の進化には必要だったし

それなりの面白さもあるのだが


これからは

陰陽を超えた陽を原動力にすることで

「喜び」

を原動力にして生きていくことが出来るようになる。



ここでいう喜びは

一過性の表層的な喜びではない。

苦しみを逃れるための喜びでは、ないのだ。


真の喜びのことを言う。

魂からの喜び

根源的な喜び

自分らしさ ありきの喜びである。


その喜びは

陰陽を超えた先の陽なので


喜びをベースに

人生の陰の部分も、もちろん十分に深く味わえるのだ。




これからの私は

真の喜びから生きると決めた。


まだまだその道を行くと

覚悟を決めた魂は

少なそうな気もするのだけれど・・・・


少しずつでも仲間が増えて


真の喜びで生き合えることを、たくさんの人と共有できる日

楽しみにしながら


真の喜びへと向かうための準備を

さらに進めていこうと思う。