人生は習慣によって創られる。自分にとって大切なものだけをポケットに入れて、大切なものをまっすぐに大切にして生きる。自分に無理なくできることで他人に貢献し続けることが、やがて自分のあり方となる。
昨日、会社のビジョンについて話をしていた時に、やっぱりリーダーの役割が大切だよね…。という話になりました。日頃、私は個人のあり方について話をすることが多いのですが、私のコーチングの出発点は、組織マネジメントであったことを思い出しました。大きな組織であろうと、小さな組織であろうと、リーダーがしっかりと役割を果たしているかどうか…。ここに尽きるわけです。そして、そのリーダーの役割とは何か?①目指すべき「ビジョンや方向性」を示している②それも、「わかりやすく」伝えられている③同時に、変化する環境の中で、「適切な判断」をしている④さらには、日々の行動に対して周囲の人の「意欲」を引き出している言い換えると、「考えをわかりやすく伝える」「大きな方向性を示す」「誠実で自信をもっている」「部下のモチベーションをあげる」これに尽きるわけです。最後に私の想うマネジメントとは、『組織の目的に対する意味を一緒に見出すこと。そして、その意味を共有し目的達成のため勇気と元気を分かち合うこと。』
生物は「ちがう」によって生存してきました。 なぜなら「同じ」だと、1つの原因で滅びるからです。 そして、滅びの原因は沢山あるのです。 兄弟で食べ物の嗜好が違うのも、同じものが好きだと、同じ食中毒でアウトの可能性があるからです。 生物は必死でちがうを目指しています。 生き延びる為です。— 植松努 (@tsutomuhokkaido) June 11, 2024小さい頃から、人と違う、なんであなたは、ほかの人と同じことができないの!自分は、そう言われて生きてきました。こんな自分に生きている意味なんてあるのかな?このようなご相談を受けることがあります。生まれてからずっと、「ちがう」=悪このように言われ続けると、確かに、自分の存在価値を疑ってしまいたくなる。「ちがう」=正義とは言わないが、「ちがう」ことに意味があり、「ちがう」ことがなければ、私たちは生き延びることができない。「ちがう」ことは、社会貢献というと、言い過ぎかもしれないが、「ちがう」を受け入れることができることが、豊かで、持続可能な社会なんだろう…。
<言い訳をする人>人は失敗したときなど、誰でも言い訳をしたくなるときはあります。しかし、いつも言い訳をする人というのは、自分に自信がない人でもあると思う。「メモはしたけど手帳を忘れた」「昨日、睡眠時間が少なかった」など、周りの環境、状況、はたまた他人のせいにし、もっともらしい理由を並べ自己防衛をしている。自己(セルフ)ハンディキャッピングという言い方もするが、自分にハンディを持たせてなんとか逃れようとするのである。しかし、結局そんなことを続けていてもなんの進展も成長もない。すぐに間違いを認めて、反省したほうがよっぽど建設的であり、自分も周りのみんなも幸せになれる。何故人は言い訳をしようとするのでしょうか?それは合理化と言う心理が働いているからである。合理化とは自分を傷つけないように自分自身につく嘘の事です。つまり、挫折感や劣等感を避けるために自分に嘘をつき、自分を正当化する事です。合理化とは自己防衛心理です。言い訳をよくする人にはこのような心理が働いているのですが、あまり言い訳ばかりする人は信用されないし、見苦しいのでできるだけ、そのような人との関わりは避けるようにしたいものです。<自己(セルフ)ハンディキャップ>自分にハンディキャップがあるという事を主張することで、以下の2つの心理が働いています。①失敗した時に「自尊心を守り、自分ができない人だと思われたくない。」②それで成功した時に「自尊心を高め、自分を大きく見せたい。」自己(セルフ)ハンディキャップを続けるということは、成功もしくは失敗を生み出す自分の行動や言動に責任を持たない行為と言えます。自己(セルフ)ハンディキャップを持つことで失敗したら、自分を守れるし、成功したら、よりすごく見られる。いい意味では、「自尊心」が守られる。しかし、この「自己(セルフ)ハンディキャップ行為」を繰り返すと、何かをやり遂げることが目的ではなく、自尊心を守ることが目的となります。つまり、自分に自信がないから何かをやり遂げることではなく、自尊心を守ることを常に目指すのです。新しいことをはじめる際に、出来ない言い訳を事前にする人たちには要注意です。「自己(セルフ)ハンディキャップ」行為かもしれません。人は、「認知」することで、自分の行動を「改善」することができます。自分の行動や言動が「自己(セルフ)ハンディキャップ」であるという事を知るだけでその行動は改善される可能性があります。しかし、自分の行動や言動が「自己(セルフ)ハンディキャップ」であるという事を「認知」することは、ものすごく難しい。なぜなら、「認知」することで一番守りたい自尊心が守れなくなるからである。みんなに信頼される生き方とは、怪我をしてようが、前の晩に寝てなかろうが、そんな事を口にせず、その時にできる全力を出すこと。仮にそれで失敗しても、そのハンディキャップのせいにしないことである。そんな生き方が信頼されるのであり、カッコイイ生き方でもある。反対にみっともない生き方とは、自尊心という小さなプライドを守ることにより、信頼という大切なものを失うことである。みんなから信頼を得られるような大きな器となるために嫌なことであっても事実を素直に受け止められるような人間になりたいものである。
「生きてほしい」って相手を主体に慮っていて、しかし、「死なないでほしい」っていうのは、自分を主体に願っているのかもしれない…。言葉はいつも限界値を簡単に迎えるけれども、限界を超えた場面では、言葉では感情を表現できないかもしれない…。それが言葉であり、それでも伝えたい事がある時は、ハグをしたり体感覚を使う…。それでも、言葉は人の心。言葉が細やかで、リズムがよくなれば、その人の心も美しくなる。言葉は人の鼓動。言葉が整い、力強くなれば、その人の体も健やかで丈夫になる。言葉は人をつくり、人生を豊かにする。言葉を大切にする人は、今日という日、今という時を大切に生きる。
私が自分のことを認めた分だけ、他の人も私を認めてくれます。いつも自分を低く評価していると、他の人も同じようにします。自分自身を見下してはいけません。あなたは大切な人です。あなたの価値は言葉では表現できないくらい大切です。私たち一人ひとりは、与えられた時間と生命をどのように使うか決めることができます。これは、私たちに与えられた最も偉大な力であり、権利です。だけど、ほんの少数の人だけがその力を適切に使っています。「すべての問題は自分の中にある」その言葉に納得してうなずけるほど、人は輝きはじめます。「そう、問題は私にある、私が自分で変えよう」という想いが生じ、その心を行動に移す人は、魂が目覚めた人、心の目が開いた人です。あり方で生きる。笑顔で心穏やかに生きる。
自分らしく、いきいきと生きている、自分のあり方で生きるには4つの特徴がある…。(1)時代の変化に適応するために自らを変革させている(2)人を尊重し、人とともに成長しようとしている(3)健康を意識し、長期的な視点のもと、コツコツと生活基盤を作っている(4)自分の半径5mの人を想い、愛していて、他者への貢献を行なっている 4つの特徴に驚きの事実はありません。すでに多くの人によって、語られていることです。しかし、実行していくことは容易ではありません。特に自らを変革させることはそう簡単ではありません。昨日まで行なっていたことを変えることはそう簡単ではありません。そもそも「変化しない」ことのほうが、短期的に合理的です。だから、昨日やったことを今日もやる。そうすることで安心できるし、コストも掛からない。しかし、時代の変化を察知し、自分を俯瞰してみる。そこで、自分の半径5mの人が守れないと思えるなら、大切なものを真っ直ぐに大切にするために、自らを変革させる勇気を振り絞る。世の中は変わるので、変革はせざるを得ない。変えるためのコストとエネルギーを惜しまず、やりきる…。それが、あり方で生きるということ…。この4つの特徴は、全てが繋がっていて、連動している…。
魚を水槽に入れるといじめがはじまる。小さな器の中では必ずいじめがある。苦しいなら、外に出ないといけない。世の中の一般的なパラダイムを過信するのではなく、自分の持っている価値観に従って物事を判断したり、行動することが大切である。私は、全体の一部。全体につながっている感覚を大切に、身近な人を大切に、そして今、自分にできることを積み上げていこう。①今なにがしかの「動き」をつくりだす。②環境変化に期待せず、自分の能力を信じる。③自分を必要とし、信頼する人がいる。現実は自らの思いがもたらした結果である。
異なる価値観を調和させるのは容易ではありません。なぜなら、異なる価値観は「対立」するからです。ビジネスの場で、ある人が自分の価値観を表明したとき、それはその価値観が他者に受容されることを求めます。例えば、「わたしたちは最高の品質を目指すべきだ」という主張は、他者に同意を求めているのです。そのとき別の誰かが、「わたしたちはもっと顧客ニーズに対して柔軟であるべきだ」と主張したなら、そこに価値観の対立が顕在化します。会議の場で、このような「そもそも論」の議論が起こり、収拾がつかなくなる…。なぜ、収拾がつかなくなるのかというと、それは「議論」をするからです。議論とは、自分の主張の正当性を相手に納得させることを目的とするコミュニケーションです。価値観に優劣はないため、議論を続ければ続けるほど、対立はエスカレートしてしまうのです。「高品質」と「柔軟さ」は両立しうるものです。調和を可能にするためには、「これは自分の価値観」、「それは相手の価値観」と分別して考えるのではなく、「そこに2つの異なる価値観があるだけ」と思えることが必要です。そうすれば、調和の可能性が見えてくるのです。わたしたちはついつい自己中心で物事を考えがちですが、その姿勢はアイデアの可能性を狭めてしまいます。いかに自分も他者も客観視できるかが、豊かな発想を引き出すために重要なのです。
『タフでなければ生きていけない、優しくなければ生きていく資格がない』(レイモンド・チャンドラー)この言葉と、『Love and Power』Love=理想(分断していたものが統合する、つながり、共感力)Power=自己実現能力と捉え、Love無きPower、Power無きLoveは意味が無く、Love&Powerで初めて、新たな未来を築くことができる。何かが生まれる場には、『Love and Power』、両方が深まって初めて新たな現実が生まれる。『Love&Power』は、自分が描きたい未来を想像し、それに対して自己実現をはかり、他者を巻き込んでいくといったプロセス。情熱と冷静さ、そしてほんのちょっとの勇気を持ち合わせた人間になりたい…。『人生に必要なのは、勇気と、想像力と、そして、少しのお金。』チャップリン(映画『ライムライト』より)
モノが溢れている時代。モノが溢れてくると、機能的なことで差別化を図ることができなくなる。何を買ってもある程度目的は果たす。そのような中で何が購買の動機になるのか?より自分にとって意味のあるもの、より自分の感性を刺激するもの、機能やコスパも大切だが、私たちがより良く生きるためには、感性を刺激する意味が求められる時代。世の中に売られているモノはすべて、「役に立つか/意味があるか」というふたつの価値軸で評価できます。「役に立つ」というのは、機能的な要件を満たしていることで、「意味がある」というのは、感性が刺激される、自分の感性で生きているという、ストーリーを感じるということ…。自分の五感、内面が満たされると実感できること…。そのように思うわけです。
農本主義の時代は、農業中心、農作物を作る能力が重要視されてきました。そして、産業革命が起きて、資本主義になりました。資本主義の時代は、コミュニケーション能力だったり、生産的・効率的に成果を出すことだったり、お金を稼ぐ能力が重要視されてきました。その後の知識主義は、インターネットの普及、AIの普及が進んできます。この知識主義の時代は情報を集める能力、情報を分析する能力が重要視されます。つまり、出来事の裏にある情報を分析する能力や、普通の人が目に見えないものを読み取る能力が重要視されるのです。資本主義時代の流れで、生産的・効率的に成果を出すことに執着していると、行き詰まるというか、うまくいかないことが多く、現実に対処できなくなります。そして、知識主義の後にくる、感性主義…。感性主義の時代は、自分の価値観・信念で未来を創っていく能力、人生を運営していく能力が必要になってきます。時代の変化の波を捉える…。そのためには、本当の自分の姿や生きる目的や与えらえてるミッション、使命をはっきりとさせる必要があります。自分自身を知ることから、時代の変化の波が見えてくる。答えは自分の中に、そして、未来は対話の中から出現する。
1年間は、24時間×365日で8,760時間睡眠6時間×365日で2,190時間仕事(通勤等含めて)11時間×365日で2,695時間残り3,875時間ご飯食べたり、風呂入ったり、家族のことなどを除くと、約2,000時間の使い方で人生は決まってしまう人生は時間と向き合う姿勢で作られる人生とは緊急でないことを計画的に実行することで作られる
本当は何がしたいのか? もし、この問いに答えるなら、 まず、 自分が、本当に大切にしているものは何か? この問いに答える方が先だ。 あり方を問う、あり方で生きる。 pic.twitter.com/jBuFlz8Sy9— あり方探求ライフコーチ”てつ” (@libbil0707) June 1, 2024より良く生きるためには、思想が大切であると思う。いくらお金があっても、いくらたくさんのものに囲まれていても幸せを感じることはできない。と、思うわけで、お金やものに満たされるのは悪いことではないのだが、思想がなければ、お金やものに自分の人生が支配されてしまう。何のために生きているのか…。お金を稼ぐためなのか?ものに囲まれるためなのか?私たちが亡くなるときに持っていけるのは、「自分の人生、まんざらじゃなかった、いや、満足な人生だった!」という思いだけ。そう、考えると、他人と繋がり、自分の生きる使命を見出すことはとても大切。別に使命など見つけなくてもいいけど、毎日、「笑顔で心穏やかに生きる」だけでいい。笑顔で心穏やかに生きるだけで、私たちには存在する価値がある。【本当に大切にしているものは何か?】健全な人は、相手を変えようとせず、自分が変わる。不健全な人は、相手を操作し、変えようとする。判断に迷ったら、より多くの人間に貢献できる方法を選べばよい。自分よりも仲間たち。仲間たちよりも社会全体。この判断基準で大きく間違えることはない。「仕事で失敗しませんでした。」働かなかったからです。「人間関係で失敗しませんでした。」人と関わらなかったからです。完璧な人生ではあるが最悪な人生である。あなたが悩んでいる問題は本当にあなたの問題だろうか?その問題を放置した場合に本当に困るのは誰なのだろうか?子どもにとっては家族が世界のすべてなのだ。親に愛されなければ、死ぬしかない。だから子どもは全力で親に愛されようとする。その時の命がけの戦略がそのまま性格形成に繋がっていく。幸せの三要素は、①自分が好きかどうか、②良い人間関係を持っているかどうか、そして、③人や社会に貢献しているかどうか。子どもは感情でしか相手を支配できない。大人になってからも感情を使って人を動かそうとするのは、幼稚であるからである。重要なことは、人が何を持って生まれてきたかではなく、与えられたものをどう使いこなすかである。
不安や疲れというのは、蓄積する…。蓄積すると無理がきかなくなる。だから蓄積しないようにしなければならない。なるべく、一日の中でリセットできるよう、蓄積しないように心がけたいと最近思っています。大切なものだけを力一杯大切にする。ともに生き、ともにつくる。一日一笑、一日一生自分に誠実に生きる、自分の本当の気持ちをごまかしたり、自分の心を欺かずに生きる。自分の思いと行動を一致させる。自分が自分自身に誠実になることができれば、他人にも誠実になれるし、真心を持って接することができる。自分が自分に対して誠実でないから、まわりの人と安全で安心な温かい人間関係を築けないのだと思う。他人に対して誠実でありたいと思うなら、まずは、自分自身に対して誠実であることからはじめる。自分の直感と心に従う勇気を持つこと。誰かのために、誰かに気兼ねして、自分の直感と心に従う勇気を我慢していたら、必ず、その誰かのせいにして、相手を攻撃したくなる。それは、自分に誠実でないから、相手に誠実になれない、相手に優しくなれないということ。私たちは、自分でなりたいと思う人になれるのだと思う。だから、「本当はどうしたいの?」「自分の直感と心に従う勇気をもっていたとしたら、本当は何がしたいの?」と、考えてみる。ここの部分で、自分を欺くから、うまくいかないことがあると、無意識に人のせいにしてしまう。他責の人生となってしまう。自分で決めたことなら、失敗しても、自分の理想に向かって何度でも立ち直りチャレンジする。自責の人生を歩む。出発点は、自分を欺かず、自分に誠実に…。不安で、先行き不透明な時代だからこそ…。
人生において、ある意味では習慣がすべてである。というのは、生命あるものは形を持っており、生命とは形であるということができる。しかるに、習慣はそれによって行為に形ができてくるものである。普通に習慣は同じ行為の繰り返しによって生ずると考えられている。けれども、厳密にいうと人間の行為において全く同一のものはないであろう。個々の行為には常に偶然的なところがある。我々の行為は偶然的な、自由なものである故に習慣も作られるのである。模倣と習慣とはある意味において相反するものであり、ある意味においてひとつのものである。模倣は特に外部のもの、新しいものの模倣として流行の原因であるといわれる。流行に対して習慣は、伝統的なものであり、習慣を破るものは流行である。流行よりも容易に習慣を破り得るものはないであろう。『人生論ノート』(三木清)「習慣について」人生は習慣によって創られる。私はそのように思うわけで、習慣のことを考える時に、三木清さんの「習慣について」の文章を参考にさせていただいています。しかし、書いていることが難しく、当初、私はなんとなくしか理解できませんでした。しかし、最近はなんとなく言わんとすることを感じることができるようになってきました。習慣によって行為に形ができてくる…。生命あるものは形を持っており、生命とは形であるということができる。「人生は習慣によって創られる。」
仕事を自己実現の目的として、仕事にしか達成感を見出せず、権力、報酬、名声だけがモチベーション要因だという人は、家族、健康、趣味、教育など人生のさまざまな面に、達成感や励ましを得られる人に比べ、長期的に見ると生産性が劣る。安全で安心な環境でなければ、人は、喜んで働き続けることはできない。これからのリーダーは、個人的な目標を仕事上の満足に結びつけることで、スタッフにとっての仕事と私生活の成功と満足を生み出す人…。
「自分に起きなければよかった」と思う出来事が、自分を守るために、自分が創り出した出来事だったとしたら…。人生に起こることは、決して快適なことばかりではありません。でも、それを起きてしまったという受け身ではなく、「自分は何を体験したくて、これを創り出しているのだろう?」という問いが自分にたくさんの気づきをもたらしてくれます。良い・悪い、快・不快に翻弄されずに、自分と対話する…。笑顔で心穏やかに、命を輝かせて生きる。
人間関係や仕事って、自分で直接コントロールできる部分と、できない部分がある。むしろ、直接コントロールできない部分が多い。好きなこと、得意なことを仕事に…。仕事を通じて、自己実現をしたい人にとって、とても魅力的な言葉である。好きなこと、得意なことって、自分で直接コントロールしたくなるじゃなないですか…。しかし、それを仕事にすると、直接コントロールできない部分が多くてね、多くの人が挫折する。そして、好きなこと、得意なことでも自己実現できないこんな自分には、生きる価値もない…。なんて、変な思い込みができてしまう。別に仕事を通じて自己実現しなくてもいいんだけどね。自己実現は、好きなこと得意なことを趣味としてでも可能である。ライスワークとライフワーク。そのような切り分けで、十分幸せに生きていける。仕事を通じた自己実現に捉われすぎると、人生はつまらなくなる。
将来が不安で副業をする…。これは、不安をお金で解消しようとしている行動。今よりお金を手にすることで不安を解消できる。不安解消のために何かをやっても、不安を解消し続けるだけで、永遠に不安から逃れることはできない。不安解消のために何かをやっている人は、不安がモチベーションであるため、不安に敏感になっていて、不安を探し出すプロである。何か目標を設定するときは、不安解消ではなく、その先にあるワクワク感を目標にする…。生きていれば不安は無限に湧いてくる。お金の問題が解決しても、人間関係や、健康、事故や事件、いくらでも不安は湧いてくる。特に人間関係にお金が絡むと最悪だ。そのせいで健康を害することもある。そうなると、生きていること自体が不安になる。その不安を解消するために生きると、生きていること自体が不安だから、不安解消どころか、自ら不安を生み出し続けることになる。不安に意識を向けるのではなく、生きる希望、生きるワクワク感に意識を向ける。そうすることで、不安は消えないけど、霞んでしまう。それでいいんじゃないだろうか。不安も希望も私たちの心の中から生み出されている。だから、自分の外側をどんなに探しても、その解決策は見つからない。答えは自分の中に、未来は対話の中にある。
ひょっとしたら、他人に比べて、うまくいったり、成功したり、評価・承認されたら、自分を信じることができると思い込んでいませんか?自分を信じる、自己肯定感って、うまくいかなくても立ち上がり継続する。成功しなくても立ち上がり継続する。評価・承認されなくても立ち上がり継続する。うまくいったり、成功したり、評価・承認されることではなく、いつも何度も立ち上がり継続したこと。結果に一喜一憂することなく、自分に無理なくできることを、心を込めて積み上げること。真のプライドとは、自分との約束を果たした度合いによってもたらされる。それだけが自分の人生に本当の輝きを与える。あり方で生きる。笑顔で命を輝かせて生きる。