東京45年

東京45年

好きな事、好きな人

東京45年【96-3】根津

 

 

 

1986年3月 25才 

 

 

『ねえ、司。私が至らなくても、何でも言ってね』と玲が言った。

 

 

『ああ、そのつもりだし、何でも言っているよ』と俺。

 

 

『だけど、インドの話はしてくれなかったわ』。

 

 

『ああ、ごめん。家計に影響が無いと思って、言い忘れていたんだ。ごめんな』と俺が言った。

 

 

『そうだ。思い出した。古田が、思いもよらない拾い物があったと喜んでいたぞ。あと、インドの件で連絡をくれる様にとの伝言だ』と副会長。

 

 

『分かりました。ありがとうございます』と俺。

 

 

『でも、司。あんな事をいつの間にやっていたの???』と玲。

 

 

『それは。。。。研究室で、最近、教授からの無茶振り課題が無くなって、

 

本ばかり読まされていて。。。。それで図書館でビジネス書とかを借りて

 

読んでいて、それに田中と電話したり、分からない事を手紙で書いたりしてて。。。

 

まあ、そんな感じだったな』と俺。

 

 

『で、進めたのは、あなた達二人だけでやったの?』と玲。

 

 

『まあ、そうだな。。。こっちからタタ財閥に提案して、

 

まあ、それは田中がプランを練ったから。。。。俺は意見を言っただけだよ。

 

あとは、タタ財閥と田中が話し合って、それで。。。。

 

ああ、それと、俺がヨーロッパの知り合いを通じて、株主と仕事は集めたって

 

感じかな。。。で、田中がそっちと具体的に話を詰めてGOって事だ』

 

 

『本当に年間40億ルピーになるの?』と玲。

 

 

『ああ、そうだよ。ソフトウェアー開発が月で300人月で、

 

一人150万円の請負だから、月4.5億だからな。

 

それにハードウェアー設計もやっるからそのくらいに

 

なるだろうな?なんせ6社とやるからな』と俺。

 

 

『そんなビジネスを立ち上げるのに、サラリーマンもやるの?』

 

 

『だって、そうしないと、その道のプロと知り合う機会が無いだろう?』

 

 

『三菱電機は知り合いを増やす為なの???』

 

 

『いやあ、それだけじゃないけど、友達は多い方が良いだろう?』

 

 

『ねえ、あなたのやってる事ってサラリーマンじゃないわよ。分かってるの?』

 

 

『だから、言っただろう?俺は、みんなが言う普通のサラリーマンにはならないって。。。それに仕事だろう?仕事は金を稼ぐ事だろう?だから、基本は一緒だ』

 

 

『一緒じゃないわよ。ソニーでそれをやろうとしたら、100人体制で、2年掛かりで構築するのよ』と玲。

 

 

『それを、たった二人で、しかも、半年くらいで契約して、もう開発を始めたって考えられないわ』と続けた。

 

 

『それは、上手く行ったからだよ。でもさ、ビジネスって物語を作るのと一緒だよな。。。山登りもそうだしさ』

 

 

『ああ、あなたの山を理解しようとしてきて、それでも分からずに、最近、朧げに分かってきて。。。。で、今度はサラリーマンだから分かり易いと思っていたのに、いきなり、そんな事をするなんて。。。。。ああ、副会長。何か言って下さい。私は言葉にならないです。助けて下さい』と玲。

 

 

『いやあ、私もこいつの思考回路が分からないな。だけど、玲子さん。頼もしいじゃないか。あははは』と副会長。

 

 

『奥様、彼は浮気はしないですけど、こういう所が理解不能なんです。助けて下さい』

 

 

『でも、明らかに玲子さんは楽しんでいるでしょう?それで良いんじゃないかしら。だって、女は男の謎を解くのが好きな生き物でしょう?あははは。。。私は仕事は良く分からないけど、ホントに楽しいですよ』と奥さん。

 

 

 

 

東京45年【96-2】根津

 

 

 

1986年3月 25才 

 

 

『はい、お片付けが終わりましたよ。。。良い食事会でしたね』

 

と奥さんと玲がお茶を持って居間に入って来た。

 

 

『司、どうしたの?泣いているの?』

 

 

『ああ、副会長と初めて心の交流が出来たんだ。嬉しいんだ』と俺。

 

 

『それは、それは、良かったですね』と奥さんが言った。

 

 

『奥さん、副会長が奥さんと仲良くしたいと言っていましたよ』と俺は言った。

 

 

『バカ!!!島。俺はそんな事を言ってないぞ』と珍しく副会長が慌てた風だった。

 

 

『良いんじゃないですか?仲良くされた方が良いですよ。ねえ、司』と玲が笑った

 

 

『ああ、そう思うよ。だって、40年も一緒に居て、

 

これからも一緒に居るんだから、それが良いよ』と俺。

 

 

『そんな事は、お前の様な若造に言われなくても分かっている』と副会長。

 

 

『副会長、分かっていても出来なかった竹中さんと、

 

やっちゃう俺と、どっちが良いですか?』と俺はお道化て言った。

 

 

『お前はいつもサラッと言いづらい事を言うな!!!』と副会長が笑った。

 

 

『良いですね。私もこんな人が良かったわ』と奥さんが言った。

 

 

『お前、そんな事を言うのか?』と副会長。

 

 

『だって、あなたは、いつも仏頂面をして、ニコリともせずに居るんですもの。

 

そんな生活が楽しいんですか?』と奥さん。

 

 

『それは、そうだが。。。。お前には、苦労を掛けて申し訳なかったとは思っているんだ』と副会長。

 

 

『あら、そんな事、初めて言いましたね』と奥さん。

 

 

『そんな事は無い。。。。いろいろと心配も掛けたしな』と副会長。

 

 

『そうですよ。銀座の女とか、青山とかですよね』と奥さん。

 

 

『お前、それ。。。。。』と副会長。

 

 

『もう昔の話ですから、言いっ子なしですけど、やっと言えましたよ。。。女はずっと覚えているんですよ』と奥さん。

 

 

『司もそんな事するの?』と玲が聞いた。

 

 

『俺は、そんな事は無いな』と俺は答えた。

 

 

『島だって男だ。これから先、無い訳はないだろう』と副会長が味方を付けようとして言った。

 

 

『副会長、僕には無理だと思います。それに、もしそんな事があったとしたら、全部話しちゃうと思うんで。。。。。やっぱり、無いですよ』と俺。

 

 

『そうね。司には無理ね。。。。もし、そんな事があったら司はいきなり別れると思うわ』と玲が悟った様に言った。

 

 

『でも、副会長。認めちゃって良かったんですか?』と俺は聞いた。

 

 

『あっ。。。まあ、分かっていたなら仕方が無いじゃないか』

 

と副会長はバツが悪そうにしていた。

 

 

『でもね。。。そんな頃に、夜中に、この人を車で銀座まで

 

迎えに行った事があったんですよ。

 

もう、私が嫉妬に燃え盛っている頃だったんです。

 

この人は、ベロベロに酔っ払っていて、おまけにワイシャツや

 

頬っぺたに赤いキスマークが付いているんですよ。

 

助手席にこの人を乗せて、私は不機嫌極まりなかったんです。

 

それで、ここに帰って来る途中で、

 

運転に慣れていない私が事故を起こしそうになったんです。

 

そうした瞬間に、この人は、助手席から左手でハンドルを

 

切って、右手で私をシッカリと押さえてくれたんです。

 

一瞬の事でした。ブルブル震える私に、俺が運転するって言って、

 

運転を代わったんです。

 

私は震えながら、「ああ、私は、この人と添い遂げよう」

 

って思ったんです。それから、30年近く経ちましたけどね。

 

やっと、言えました』と奥さんが静かに言った。

 

 

『良い話ですね。。。。いや、その。。。嫌な事をしたのは、副会長ですけど、こんな純愛もあるんだなって。。。済みません。。。。奥さん』と俺が言った。

 

 

『も、も、申し訳なかった』と副会長が神妙に言った。

 

 

『やっと、認めて、謝ってくれましたね。銀座は許します』と奥さん。

 

 

『ごめん。ありがとう』と副会長は胸を撫で下ろすように言った。

 

 

『ですが、青山は未だですよ』と奥さんは笑いながら言った。明るい笑顔だった。

 

 

 

 

 

東京45年【96-1】根津

 

 

 

1986年3月 25才 

 

 

副会長宅、根津は、まだまだ宴のあとだった。

 

 

 

副会長と俺は居間で写真を見ていた。

 

 

『これは俺の若い頃だ。大学の頃だ。確か、鳳凰三山の山行だ。9月の雨に打たれて、寒かった』

 

 

『良い写真ですね。。。濡れネズミの様ですが。。。。あははは。荒天の不安と若い熱気を感じますね』

 

 

『島は、さすがだな。こんな写真一枚で心情まで察するな』

 

 

『いや、僕もそうでしたから、そうかなと思っただけです』

 

 

『お前の山も、これから目指す事も、俺は尊重するよ』

 

 

『副会長にそう言って頂けると、頑張れます。ありがとうございます』

 

 

『あれっ?これは竹中さんですね』

 

 

『ああ、そうだな。これはエベレストに行く前だな。。。。帰って来なかったな。。。最後の写真だ』

 

 

『竹中さんも、もがき苦しんでいたんですね。亡くなってから知りました』

 

 

『そうだな。竹中とお前は、『静』と『動』と言われていたが、どうやら違った様だな』

 

 

『どういう意味ですか?』

 

 

『あいつは、『静』ではなくて、動けなかったんだ。最近、そう思っている。一方で、お前は、『静』であり、『動』なんだ』

 

 

『そんな事は無いですよ。竹中さんも動いていましたよ』

 

 

『いや、山ではなくて、人生に対してだ。。。。あいつは、もしかしたら、山での死を選んだのかも知れないと思っている』

 

 

『そんな。。。。』

 

 

『あいつは、女遊びが派手でな。誰かの温もりが欲しかっただけなのかも知れない。。。大酒を飲んでは、いつも違う女の家に転がり込んでいた。時には、商売女の金を借りに来た事もあった』

 

 

『。。。。。。。。。。。。。』

 

 

『山では光り輝いたが、街では荒んだ生活をしていた。

 

山での光も一瞬だった様に思う。街での荒んだ生活に目を閉ざして、

 

自分を顧みようとはせずに、山に逃げ込んでいた。

 

もちろん、俺もあいつが好きだったから、文句は言わなかった。

 

でもな、俺が文句を言えば、変わっていたのかも知れないと思っているんだ』

 

 

『そうなんですか。。。。。』

 

 

『あいつは、お前が羨ましかったんだ。

 

お前は悩んでも何とかしようともがくが、

 

あいつは、それを忘れようとして、逃げたんだ。

 

年は違うが、友人としてそう思うよ。

 

だが、生きていて欲しかった』

 

 

俺は、泣いていた。

 

 

副会長も目が潤んでいた。

 

 

 

 

『だがな、島。お前は闇を持ちながら、光の中にいるんだ。

 

お前の天性の明るさと人を思う気持ちが人を引き付けている。

 

その闇さえも、自らの意志で光の中に出してくる。正直に、真摯に、真剣にな。

 

古田が、帰る時に「お前が好きになった」と言っていたよ。

 

そして、玲子さんが側に居る事は羨ましいともな。

 

お前達は、お互いに、闇を見せ合っている。

 

普通の男と女は出来ない事だ。

 

俺だって、家内と40年以上一緒にいるが、そんな事は無かった。

 

だが、今日、これからでも、出来るならそうしたいと思った』

 

 

『そりゃあ、良いですね。奥さんも喜ぶんじゃないですか?』

 

 

『そんな簡単なもんじゃ無いだろう。。。。。40年も話していないんだぞ』

 

 

『時間なんか飛び越えますよ。真剣に言えば、奥さんに響きますよ』

 

 

『そんな事は無いだろう?でも、そうかな?お前に言われると、そんな気がしてくるから不思議だな。。。。』

 

 

 

 

 

 

東京45年【95-3】根津

 

 

 

1986年3月、25才

 

 

『それより、玲子さんは係長なんだね』と田口さん。

 

 

『そうだよな。若いのにソニーの係長なんて凄いな』と編集長。

 

 

『それもマーケティングの中枢の中枢の係長なんですよ。

 

僕も頑張らなきゃいけないですよ』と俺。

 

 

『そりゃあ、凄いな。

 

バリバリのキャリアウーマンで料理が上手くて、美人で。。。。

 

なんで島なんだ。。。。あははは』と田口さん。

 

 

『彼は私を救ってくれました。

 

小さい頃から居た闇の中から光の中に導いてくれました。

 

だからとても幸せなんです』と玲。

 

 

『確かにな。玲子さんは変わったよな。

 

それに島に寄り添って、それなのに一人で立ってる感じがするな。

 

昔とは大違いだよな』と田口さん。

 

 

『それも彼のお陰です。私には彼しかいません』と玲。

 

 

『君らは似ているな。

 

確固たる信念の元に生きている感じがするな。

 

初めて会った時から島は変わらよな』と副会長が言った。

 

 

『副会長、私は彼に真剣さを学びました。

 

子供の頃に真剣に遊んだ頃が誰にもあったと思います。

 

夢中になって苦しさも辛さも無く、ただひたすらに遊んだ記憶です。

 

それが大人になって、その真剣さを無くして、

 

人の行動にいい加減に目を瞑って、事なかれ主義が当たり前だと、

 

処世術として身に付けて行ったんだと思います。

 

私は、それを学んだと勘違いしていました。

 

ですが、それは貴重な物を無くしただけなんです。

 

周りに流されて、過ぎる毎日に慣れて行ったんだと思います。

 

それを彼は生きる実感に変えてくれました。

 

最初の頃は。。。。

 

彼と知り合った頃は、みなさんもそうだったと思いますが、

 

私は彼を嘲笑しました。

 

ただ、幼いだけなんだろうと思っていました。

 

私は、それと同時に恋の進行でした。

 

彼と生活して、嘲笑が、疑問に変わり、自分の臆病さに気付き、それを変える術を教えて貰いました。

 

いいえ、彼を見ていてそう思ったんです。

 

それが今は生きる喜びに変わっています。

 

彼自身はそれを山で学びました。

 

山は分かりませんが、ただ一つの事を追い求めて彼が辿り着いたんだと思います。

 

山に真剣だったからこそ、人生も真剣なんです。

 

好きでもない女を抱いて悩むんです。

 

それが彼の心を蝕んだんです。

 

私も寂しさに負けて、そうなった事がありました。

 

普通、人はそれに覆いを掛けます。

 

蝕まれた心を放っておくんです。

 

普通は、時間が風化させて忘れさせてくれます。

 

でも彼はしっかり覚えていて、公言して後悔していると言うんです。

 

自分がゴミの様だったと言うんです。

 

半年前に再会して、2時間後に言ったんです。

 

驚きました。

 

そして、それを自分で昇華して、解決して、乗り越えていたんです。

 

こんな凄い事ってありますか?

 

きっと、彼は、山でも同じだったと思います。

 

数々の岳友の死を正面から受け止めて、乗り越えたんです。

 

私は、彼を尊敬しています。

 

4つも年下なのに頼っています。

 

それが、そうであっては、いけないと思っています。

 

何故なら彼と同じ位置に立って、彼と人生を謳歌したいからです。

 

だから一人で立とうとしています。

 

日々努力しています。

 

それが副会長が感じられた事だと思います』

 

 

『。。。。。。。。。。。。。。。。』

 

 

『。。。。。。。。。。。。。。。。』

 

 

『。。。。。。。。。。。。。。。。』

 

 

『いやあ、参ったな。。。お前らには負けたよ。

 

玲子さんは竹中の死を乗り越えて、島は自分の人生を見つめて成長した。

 

俺はこんな年だから、もうその情熱はないと思っているが、自分も、もしかしたらと思ったよ。

 

それが欲しいと思ったよ。

 

お前らの将来が楽しみだ。

 

俺もお前らに負けない様に頑張るよ』と副会長が言った。

 

 

『新ちゃん、そうだな。俺達はまだ生きているんだからな』と古田副所長が言った。

 

 

『今日はいい勉強をさせて貰いました』と副会長が言った。

 

 

 

人生は、生きている限り続いていく。

 

 

 

その後、宴は終わり、来客は三々五々帰って行った。

 

玲は、奥さんと台所で後片付けをしていた。

 

明るい笑い声が聞こえて来た。

 

 

 

東京45年【95-2】根津

 

 

 

1986年3月、25才

 

 

『まだ、分からない。。。。だが、自分が新卒の頃、

 

もしくは、25才の頃にこいつが言った事を言えただろうか?

 

ここまで達観できただろうか???

 

しかも、明確だ。みんなも考えて見てくれ。

 

余程の大馬鹿か、大物だろうな。

 

インドの件の実行が楽しみだ』と古田副所長。

 

 

『じゃあ、古田。お前に託すぞ。。。

 

話が盛り上がって、箸が止まってしまっているぞ。

 

さあ、食おう』と副会長が言った。

 

 

『ちょっと温め直しますね』と副会長の奥さんが言った。

 

 

『それは大丈夫です。冷えても美味しいですから、その必要は無いです』と玲が言った。

 

 

 

 

 

『おお、本当だ。味が変わっているが、これは美味い』と渡辺さんが言った。

 

 

『しかし、島は島だな。こりゃあ、サラリーマンの島も楽しみになって来たな』と編集長。

 

 

『本当に生意気な後輩だが、これで仕事の実力があったら、先輩は片無しになるな』と田口が言った。

 

 

『あっ、そうだ。田口さん。

 

来年僕らは結婚しますけど、踊りの練習してて下さいね』と俺。

 

 

『なんだ?それはなんだ???』と田口さん。

 

 

『だって、ラウンド劔が出来たら、僕の結婚式で裸踊りをするって、約束したじゃ無いですか?』と俺。

 

 

『あっ、そうだった。。。不味い!!!それは不味いな』と田口さん。

 

 

『ええっ!!!お前そんな事を約束したのか???

 

あははは。。。。そりゃあ、男として、約束は約束だよな。。。

 

でも俺は田口の裸は見たく無いがな。。。あははは。。。。』と副会長が言った。

 

 

『参ったなア!!!』

 

 

『それから、副所長。約束しませんか?』と俺。

 

 

『何をだ???』

 

 

『インドの件、形が出来なければ丸の内に行け無いんですよね???

 

それなら半年で出来たら僕を係長にして下さい』と俺。

 

 

『そんな事は出来ない。だいたい、係長は勤続15年は必要だ』

 

 

『じゃあ、形にならなくても3ヶ月経ったら僕は丸の内に行きます。

 

それに役職はどうでも良いんです。

 

係長職の平均給与を下さい。

 

それでお願いします』と俺。

 

 

『。。。。。。。。。それなら単月黒字が条件だ』と古田副所長。

 

 

『単月だとダメです。

 

あとでとやかく言われますから、半年黒字にしましょう。

 

但し、新入社員研修の3ヶ月間のマラソンはやりませんから、それでお願いします』と俺。

 

 

『分かった。良いだろう』

 

 

『もう一つあります』

 

 

『まだあるのか???早く言え!』

 

 

『技術者の人選は僕がやります。良いでしょうか???』

 

 

『それは、所属長の了解を貰わなければいけないから何とも言えないぞ』と古田副所長。

 

 

『それはおかしいです。リーダーの命令は絶対です。

 

だから古田副所長が命令して頂ければ可能なはずです。。。

 

それとも自信が無いから程ほどで良いとお考えですか?

 

それならばインドと三菱電機を繋げる話は無しです』と俺。

 

 

『分かった。分かった。。。あははは。。。。

 

言う通りにしよう。。。なあ、島谷君。。。

 

俺も島と呼び捨てで良いか?』

 

 

『はい、そう呼んで貰えるとやり易いです』と俺。

 

 

『玲子さん、未来の旦那の評価はどうだ???』と副会長が聞いた。

 

 

『彼らしくて、とても楽しみです。。。。

 

でもあなたどうして係長なの???』と玲。

 

 

『だって、結婚式で玲はソニーの係長で、俺はペーペーって、カッコ悪いだろう???

 

お前に恥ずかしい思いはさせたくないんだ』と俺。

 

 

『そうか。お前も上に上がりたいんだな』と田口さん。

 

 

『僕はどうでも良いんです。

 

ただ、玲にそんな想いはさせたくないだけです。

 

だから係長待遇にして貰って、

 

給料もそれならつり合いが取れますし、

 

玲も安心できますからね』と俺。

 

 

『良いわねえ。。。

 

あなた、私、やっぱり、この子が好きですよ』と奥さんが言った。

 

 

『奥さんもこいつが好きになりましたか?』と編集長。

 

 

『だって、子供の様に純粋で単純なのに、

 

頼りがいがあって、老練な力がありますから、

 

女はメロメロになりますよ。

 

そんな男に守って貰いたいですよ。

 

私も若かったら玲子さんのライバルになりたいですよ。。。

 

あははは。。。。』と奥さん。

 

 

『それは奥さんが若くてもお断りします。

 

僕は玲を愛していますから』と俺。

 

 

『ああ、もう、振られちゃいましたね。。。

 

あははは。。。。でも、島谷君は良い男ね。

 

もう、年甲斐もなく心が躍りますよ。

 

これからも顔を見せてね。

 

主人が退任するから老人二人で楽しみが無いんですよ。

 

玲子さん、それくらいは良いですよね?』と奥さん。

 

 

『ええ、是非お願いします』と玲。

 

 

 

 

東京45年【95-1】根津

 

 

 

1986年3月、25才

 

 

副会長宅、根津、まだまだ宴は続いていた。

 

 

 

『こいつは真剣に丸の内に来るつもりらしいな。

 

しかも、こりゃあ、サラリーマンじゃ無いぞ。

 

なあ、新ちゃん?』と古田副所長が言った。

 

 

『ああ、そうだ。こいつは、いつもこうだ。

 

だから、お前に頼んだ』と副会長が言った。

 

 

『で、お話は終わりましたか?

 

終わったなら、先程のインドの件はどうしますか?』と俺。

 

 

『やろう。但し、三菱電機ではなく、

 

鎌倉製作所でやる。それで良いか?』

 

 

『はい、結構です』

 

 

『それから、お前は、この件の形が作れるまでは俺の補佐役だ』と古田副所長が言った。

 

 

『それは、私の直接の上司が古田副所長と言う事ですか?』と俺。

 

 

『ああ、そうだ。形が出来なければ、丸の内にはやらんぞ!!!』と古田副所長。

 

 

『畏まりました。以後、宜しくお願い致します。ですが、半年で丸の内に行かせて頂きます』と俺は言った。

 

 

『古田副所長、申し訳ございません。こんな人なんです』と玲が言った。

 

 

『玲、俺はまだ何もやっていない。だから謝る必要は無い』と俺。

 

 

『あははは。。。。玲子さんだったかな。。。これから彼を借りるよ』と古田副所長が言った。

 

『あと、2年で任期満了かと思っていたが、そういう訳にもいかなくなった様だ』と続けた。

 

 

『古田副所長、この人を宜しくお願いします』と玲が言った。

 

 

『分かりました。責任を持ってお預かりします』と古田副所長が言った。

 

 

『古田、良い感じで、バトンタッチが出来そうだな。こいつは楽しいぞ。。。あははは』と副会長が言った。

 

 

『出たよ。。。島だよ。これが島だよ。

 

古田さん、こいつは、山でも同じでしたよ』と田口さんが言った。

 

 

『ああ、そうだよな。一緒だよ』と渡辺さん。

 

 

『あのアンナプルナでもそうだった。3,000mの壁でな。

 

夜目を使ってTOPを引いた。

 

陽が登っている間は雪崩が出て、危険だと言って夜中に登ったんだ。

 

ずっと、一人で2,000mもTOPを引いたんだ。

 

反対もあったが、結果的に事故無く登れたのは、

 

こいつの判断と体力と技術のお陰だった。

 

アルパインスタイル初登はこいつのお陰だった。

 

今と同じ目をしていた。

 

なんで、お前はあれが正しいと思ったんだ?』と田口さんが言った。

 

 

『だって、竹中さんが、ヨーロッパアルプスで

 

「危険な箇所は早く抜けろ」って教えてくれたんですよ』と俺。

 

 

『それだけか?』

 

 

『だって、その通りじゃないですか?

 

それなのに、昼に登ろうって言うんですよ。

 

そんなの自分で言っといて、変えるなんて、おかしいですよ。

 

雪崩の巣は夜登るに限るじゃ無いですか。

 

それにメンバーは誰も殺すなって教えたんですよ。

 

あの状況で昼に登ったら、誰か死ぬに決ってましたよ』と言った。

 

 

確かに、十中八九、そうだけどな。。。。仕事はどう考えるんだ?』と田口さんが聞いた。

 

 

『えーっと、食い扶持を稼いで、会社を設けさせる事です。

 

で、失敗するならやらなきゃ良いんです。

 

ただ、初めから成功・失敗が分かる訳は無いので、

 

その場合は、損を最小限にするか、商売を売却するかですね。

 

だから、仕事として、登れないならやらなきゃ良いんです。

 

または、やり方や、そのルートに対して、実力が足りなければ、

 

つまり、登れなければ別ルートにすれば良いんです。

 

それと一緒です。柔軟性と頑丈性のハイブリッドが必要でしょうね。

 

だから、リーダーの素養と実力がとても大切です』と俺。

 

 

『その通りだ。だが、仕事はそう簡単じゃないぞ』と副会長が言った。

 

 

『仕事の方が簡単ですよ』と俺は断言した。

 

 

『そんな訳は無い。やっぱり、お前は甘いよ』と田口さんが言った。

 

 

『そうでしょうか?

 

じゃあ、仕事で命を取られる事があるんですか?

 

失敗したら借金を抱えるだけですよね?

 

上司に怒られたからって命は取られないですよね?

 

だから、命があればやり直せますよ。

 

失敗した理由を冷静に判断して、

 

反省して、もう一回チャレンジすれば良いんですよ。

 

失敗しても必死に反省して、

 

必死に再チャレンジすれば、必ず成功すると思います。

 

もしも、また失敗するなら真剣じゃあ無かったって事ですよ』と返した。

 

 

『良いな!!!その通りだ。田口の負けだな。。。

 

どうだ、古田。こいつは?』と副会長。

 

 

 

東京45年【94-2】根津

 

 

 

1986年3月 25才

 

 

『それで君は何をやるんだね?』

 

 

『それは、分からないんですけど。。。

 

インドの田中は。。。

 

彼は元早稲田山岳部の2個下の後輩なんですけど、

 

帰国子女で、日本に合わなくて早稲田を止めて、

 

今はインドの道具店の店長をやっています。


だけど、優秀な奴ですよ。

 

インドに行ってから、すぐにインド工科大学を3年で

 

首席で卒業しましたから。。。。

 

で、彼曰く、僕の人脈を使って、

 

仕事に関わって欲しいと言われていますし、そう言われて僕の人脈を使ったら今の状況になりました。

 

もちろん、土日にやりますから、会社には迷惑は掛けませんのでご心配無く』と答えた。

 

 

『。。。。。。。。。。。。。』

 

 

『。。。。。。。。。。。。。』

 

 

『。。。。。。。。。。。。。』

 

 

『。。。。。。。。。。。。。』

 

 

『あははははははは。。。。。。。。。。こりゃあ、良いや。。。。。あはははは。。。。』と副会長が笑った。

 

 

『新ちゃん、笑い事じゃないぞ。。。。


お前は紹介しただけだろうが、

 

俺は当事者なんだぞ。


この事態を会社にどう説明すれば良いんだ?』


と古田副所長が言った。

 

 

『司、あなた、分かってるの?』と玲が言った。

 

 

『何が?』

 

 

『会社員は、他の会社の仕事をして、収入を得ちゃいけないのよ』と玲。

 

 

『へーっ、そうなんだ。それって日本の法律なの?』と俺は聞いた。

 

 

『そうじゃなくて、ほとんどの日本の会社は規則でそうしているのよ』と玲。

 

 

『なんだ、それだけか。それなら規則を変えれば良いじゃん』と俺。

 

 

『そんな事、出来る訳ないでしょう!!!』と玲。

 

 

『なんで?』

 

 

『だって、会社はその会社の利益を得る為に社員を雇用するのよ。

 

だから社員は他の会社で収入を得てはいけないのよ』と玲。

 

 

『って事は、俺が三菱電機に利益をもたらせばOKって事だよね?


それなら簡単じゃん。

 

インドの会社から仕事を三菱電機に発注すれば良いだけじゃん。

 

まあ、三菱が下請けって事になるけどね』と俺。

 

 

『あははははは。。。。こりゃあ、楽しいな。。。あはははは。。。。

 

島、さすがに俺が見込んだだけの事はあるぞ。

 

いやあ、入社する前から楽しい事をしてくれるな。

 

さあ、古田、どうするんだ?まさか、もう首にするのか?』と副会長が笑った。

 

 

 

『新ちゃん、お前にも責任があるんだぞ。。。。もう少し真剣になってくれよ』と古田副所長が言った。

 

 

『玲、会社以外から収入があったらいけないの?』と俺。

 

 

『そうよ。不動産収入とか、株式収入はOKよ。要するに、労働した収入はダメなのよ』と玲。

 

 

『えーっと、じゃあ、俺の収入はどうなの?』

 

 

『それは、表向きは株主収入だから問題無いわ』と玲。

 

 

『さすが、玲。いろんな事を知っているね。頼りにしてるよ』と俺。

 

 

『島谷君。。。。』

 

 

『島で良いですよ。古田副所長』

 

 

『じゃあ、島。その仕事は具体的に何をやって、売上見込はあるのか?』

 

 

『えーっと、確か、初年度、20億ルピーって言ってましたから。。。。

 

60億円くらいですかね。。。現在のレートが分からなので、正確じゃないと思いますけど。。。

 

それに、今は会社設立の準備中ですが、もう契約してて、お店の口座を使って既に開発の仕事が始まっています。

 

なので三菱に仕事を出すのは問題ありませんよ』と俺。

 

 

『もう少し詳しく聞け無いかな?』と

 

 

『良いですよ。じゃあ。。。ノンディスクローズ契約で100万円でどうですか?』と俺。

 

 

『はあ?』

 

 

『えっ???安いですか?』と俺。

 

 

『どういう意味だ???』と古田副所長。

 

 

『ですから。。。。』

 

 

『司、日本ではそういう商習慣は無いのよ』と玲。

 

 

『ええ???そうなの???じゃあ、情報の値段は???』と俺。

 

 

『だから0円なのよ!!!』と玲。

 

 

『情報の売買は0円なの???』と俺。

 

 

『そうよ』と玲。

 

 

『なんで???じゃあ、情報だけ取ってドロン出来るって事なの?』と俺。

 

 

『そうよ』と玲。

 

 

『そんなバカな!!!ビジネスで情報は命の次に大事なのに。。。。

 

そりゃあ困ったな。。。。じゃあ、成約したらこちらの言い値で仕事をして貰います。

 

成約しなかったら100万円を支払って貰います。それで良いですか?』と俺。

 

 

『司、それも無しよ』と玲。

 

 

『そんな。。。。じゃあ、どうやってビジネスをするの?

 

ビジネスが前に進まないよ。

 

営業マンはそんな仕事でノンコミッションで給料が貰えるの?

 

事務員も成約しない0円の見積書を作って給料が貰えるの???

 

それって椅子を温めるだけで給料が貰えるのと同じじゃないですか?

 

じゃあ、会社は損してばっかりじゃないか。

 

その考え方は、おかしいよ!!!

 

社員は会社に売上金を入れて、給料を貰うんだろう。。。。

 

じゃあ、会社は社員の評価はどうやってするの?

 

日本ってそんなビジネスをしているの???』と俺。

 

 

『やれやれだな。。。言っている事は正常で、そうあるべきだ。

 

さあ、古田、どうする?』と副会長が言った。

 

 

『一つだけ聞きたい事がある』と古田副所長が言った。

 

『君はそうやって三菱電機で働くのか?』と。

 

 

『はい、そのつもりです。社員は会社に責任がありますから責任を果たします』と俺。

 

 

『分かった。。。。。あはははは。。。。面白い!!!新ちゃん、こいつは面白い。

 

良い男を紹介してくれた。こいつは並みじゃないな。ただの大学8年生じゃないぞ。

 

それどころじゃ無いぞ。こっちも心して掛からないといけない様だな』と古田副所長が言った。

 

 

『古田、やっと分かった様だな。

 

日山協で俺がどんなに大変だったか。

 

どんなに楽しかったか。

 

こいつとやると大変だが、楽しいぞ!。。。

 

アハハハ。。。』と副会長が言った。

 

 

東京45年【94-1】根津

 

 

 

1986年3月 25才

 

 

渡辺さんが言う。

 

『古田さん、こいつの魅力はこんなもんじゃ無いですよ。

 

島は人の感情や心の襞に響く事を言うんです。

 

自分の恥部を平気で見せるんです。

 

誰もが見せたくはないものを平気で見せるんです。

 

だから、ズンと来ちゃうんですよ』

 

 

『確かにな。明るいのに、暗い面も平気で見せるよな。

 

それに平気で女の子をその気にさせる。

 

本人はその気が無いのに勝手に女の子がその気になっている。

 

それで、うちもいい迷惑を被ったからな。。。あははは』と編集長が言った。

 

 

田口さんが言う。

 

『島は、明るいのも、暗いのも、全部真剣に言っているんですよ。

 

間違った事も、正しい事も真剣に言うんですよ。

 

ただ、一直線に目的の為に言うから質が悪いんですよ。

 

だから、心配なのは会社員として上司から疎まれないかと思っていますねぇ』

 

 

『それは、そうだな。古田、そこだけはフォローしてくれないか?

 

私からお願いする』と副会長が言った。

 

 

『なるほど、分かった。今度の新しい部署の部長と課長、係長は

 

私の部下だった者達だから伝えておこう』と古田副所長が言った。

 

 

『僕が至らないばっかりにご迷惑をお掛けして、申し訳ありません』と俺は懇願する様に言った。

 

 

『でも、あなた、良いんじゃありませんか?島谷君は周りに誤解されても、

 

周りがすぐに気付いて受け入れますよ。

 

だって、こんなに素直に真っ直ぐ来られたんじゃ、

 

腹黒い大人たちは自分を振り返りますからね。

 

そんなに心配は要りませんよ。

 

若いのに8年間も親の脛もかじらずに一人で食べて来たのは芯の強さがあるんですよ』

 

と初めて副会長の奥さんが口を開いた。

 

 

『そりゃあ、そうだな。新卒から数えたら30才か。。。。。

 

古田、前言撤回だ。手回しをせずに見守ってやってくれ!!!』と副会長が言った。

 

 

『私もそう思います。司は人を集めますから、それで良いと思います』と玲が言った。

 

 

『まあ、そうだよな。こいつは、こう見えて、観察眼も鋭くて、

 

処世術もわきまえているからな。そうじゃなかったら、

 

ネパールやブータン、ヨーロッパの人達から一目置かれる事は無かっただろうからな』と田口さんが言た。

 

 

『ほう、インドだけでは無くて、ヨーロッパにもですか?』と古田副所長が聞いた。

 

 

『はい、こいつはヨーロッパの各国山岳界から出禁扱いになった事があったんですよ。

 

「神風登山」とか言われて。。。

 

だけど、こいつは実力と実績でそのバッシングをはね返したんです。

 

ヨーロッパは元々登山の文化レベルが高い国々が多いですから、

 

素人も見る目がしっかりしているんですよ。

 

だから、ヨーロッパでの実績を言えば分かる人が多いはずですよ。

 

こっちは心配しているのに、こいつは「珈琲っていう、

 

真っ黒い水を最初に飲んだ人って偉いと思いませんか?」って

 

どこ吹く風でしたから。。。それにインドで山の道具を販売している時に

 

ヨーロッパ各国から道具を仕入れていましたから、

 

知り合ったメーカーに知り合いが多いはずですよ』と田口さんが返した。

 

 

『ああ、そうだ。古田副所長。実は、インドでソフトウェアー会社を

 

作ってタタ財閥と仕事を始めるんですが、一口乗りませんか?』と俺はいきなり言った。

 

 

『それは、なんですか?』

 

 

『自動車や飛行機、船のセントラルコンピューターのソフトウェアーを作るんです。

 

取引先はアメリカ・フランス・ドイツ・イギリス等の諸々の有名企業です。

 

インド政府のバックアップもあって、アメリカとヨーロッパの国の政府とも繋がっています。

 

資本金はインドの店から出す予定で、もうすぐ会社設立です。

 

多分、6月か7月です』と俺は言った。

 

 

『なんだとう?島、お前何をやらかそうとしているんだ???』と副会長が言った。

 

 

『副会長、やらかすなんて、人聞きが悪いですよ。

 

ただ、就職を見送ってブータンに行こうとして、大学院に入ったんですけど、

 

京大隊に取られちゃって。。。。

 

やる事が無い時にインドに居る田中からそんな話があって、

 

先程のヨーロッパの店の仕入先に聞き回ったら、そんな事になったんです。

 

それで、三菱電機の入社も半年遅らせて貰ったんで、準備が整ったんです。

 

それが、知床から帰ってきて、すぐに連絡があったからホヤホヤ状態の情報なんです。

 

それに僕は、ビジネスって知らないんで、少しでも勉強しようと思ってて、

 

いろいろ読んで勉強したり、大学院の先生に聞いたりして。。。。。

 

だから、やらかす程の知識がないんで、古田副所長はどうかな?と思ったんです』と俺は説明した。

 

 

『。。。。。。。。。。。。』

 

『。。。。。。。。。。。。』

 

『。。。。。。。。。。。。』

 

『。。。。。。。。。。。。』

 

 

『司、それって結構前にインドに投資するって、その話だったの?』と玲が聞いた。

 

 

『そうだよ。ごめん。玲に言うのを忘れてた。

 

それに俺の貯金からの投資は無しで大丈夫になったから貯金は減らないから安心して』と俺が答えた。

 

 

『どんな企業とやるんだ?』と古田副所長が聞いた。

 

 

『えーっとですね。。。。ボーイング、エアバス、BMW、フォルクスワーゲンと。。。。。船舶会社はコペンハーゲンの。。。。。』

 

 

『マースクかね?』

 

 

『そう、それです。さすがですね。僕はどんな会社かも知りません』

 

 

『で、インドの会社の出資比率は?』

 

 

『えーっと、インドの店が20%、タタ財閥が確か30%、

 

残りをアメリカとヨーロッパ各社で当分です。で、資本金額が4億円でスタートです』と俺は説明した。

 

 

 

東京45年【93-2】根津、宴

 

 

 

1986年3月 25才

 

 

『司、そんな事があったの?』と玲が聞いた。

 

 

『ああ、その後もそう言ってたら、渡辺さんが俺と行くのを嫌がり始めたんだよ』と俺が答えた。

 

 

『そうじゃないよ。島!!!お前はマスメディアに媚びを売らないし、

 

玄人好みのする登山しかしないし、何と言っても一緒に山に行ったら

 

実力の差を見せつけられて、プライドが木っ端みじんにされるからだよ。

 

玲子さん、こいつの山は凄いよ。凄すぎて太刀打ち出来ないんだよ。

 

竹中も言っていたんだよ。こいつがずっと山をやっていれば、

 

登山界の思想を変えるって。。。それから完敗だとも言っていたよ』と渡辺さんが言った。

 

 

『しょうちゃんがそんな事を言っていたんですか?

 

私には分からないんですが、司の実績ってそんなに凄いんですか???』と玲子が聞いた。

 

 

『凄いなんてもんじゃないよ。こいつがやった事は人が追い付けない所にあるんだ。

 

確かに、派手に世界の8,000m峰14座全部を登った世界的クライマーもいるが、

 

そいつらよりも、島の実績の方が凄いんだよ』と渡辺さんが答えた。

 

 

『私もそう思うな。長年、山岳界に携わって来たが、

 

島がやった事は人知を凌駕しているな』と副会長が言った。

 

 

『玲子さん、俺もそう思うよ。こいつは、早稲田山岳部でトップだと思っていたが、

 

日本も超えて、世界の超一流になっているんだよ』と田口さんが言った。

 

 

『私も同意見だ』と編集長。

 

 

『仕事柄、世界の記事を目にするが、驚くような記事を見た事がないよ。

 

だいたいの記事は、人間なら出来るよなと想像が出来るんだよ。。。だけど、島は登山記録を発表しない。

 

島がやった事は、島の口からしか聞けないから、こいつに会いたいんだ。。。。

 

ところが、こいつは山の精神性か、惚れた女の話しかしない。

 

自分の実績はどうでも良いんだ。。。。』と続けた。

 

 

『そうそう。俺だって朝日新聞って名前が通っている会社員なのに、

 

簡単に呼び出されて、山の話かと思ったら、「好きでもない女と関係を持って悩んでいる」って言うんだ。

 

お前は思春期の高校生かって、いい加減に大人になれって、

 

怒った事もあるくらいなんだ』と田口さんが言った。

 

 

続けて、

 

『玲子さん、だから、こいつはあなたを選んだんだと思うよ。

 

純粋に玲子さんはこいつを見続けている。こいつも同じなんだ。

 

純粋に山を見続けて来た最後に玲子さんを見付けたんだと思うよ』と。

 

 

 

『ああ、でも島が山を止めるのは本当にもったいない。あと20年は活躍出来るのにな』と渡辺さん。

 

 

 

『どうなんだ、島?先輩諸氏に言う事は無いのか?』と副会長が聞いた。

 

 

 

『もう、たくさん言いましたから良いと思います』と俺。

 

 

『そうじゃなくて、このメンバーが集まる事もあまりないんだ。だから何か話してくれ』と副会長。

 

 

『そうですね。。。。今思うのは。。。。何度も言ってきた事ですが。。。。。。

 

山が目的では無くて、手段だったって事です。そう感じています。

 

みなさんにもったいないと言われますが、僕には分かりません。

 

僕の登山は僕の物です。

 

それは、みなさんならお分かりだと思います。

 

山をやると自分を見つめ始めますよね。

 

自分の弱さを見つめるはずです。

 

僕もそうでした。山はその手段だったんです。

 

自分の生きる糧を、強くなる人生の糧を山に求めていました。

 

いろんな山でその糧を得てきました。だけど、知床で知った事は

 

大事なものとの融合でした。

 

感じただけなので言葉にする事は難しいですが、

 

自分が心を開いて山と対峙して、自分を知りました。

 

辿り着いた先に居たのは玲でした。

 

だから、強い僕なんか居ないし、そうなれる事もなかったんです。

 

弱いまんまの僕です。

 

それに、人はそうそう変われるものじゃないんです。

 

僕もどんなに努力しても変われなかった。

 

なのに、玲は変わったんです。

 

勇気ある行動をしたんです。

 

だから、僕は玲を尊敬しています。

 

僕には、玲しか居ないんです。

 

僕もいつか玲みたいに変われたらなって思っています。

 

だから、玲を見詰めながら、玲と二人で助け合って生きて行こうと思っています。

 

玲と人生の冒険をします。

 

その為に早く仕事を覚えたいです。

 

だから、古田副所長にもわがままを言いました。

 

申し訳ないと思っています。

 

三菱電機に恩義が出来ましたから、早く返せるようになりたいです。

 

もちろん、玲と暮らす為の給料もあてにしています。

 

インドの話も進めたいです。

 

だから、今は仕事の辛さや楽しさを早く味わいたいです。

 

その前に仕事ってなんだろうと考えています。

 

8年も山しか登って来なかった僕に何が出来るのか分かっていません。

 

玲に言われたんですけど、東京の駅もロクに知らない僕です。

 

でも早く仕事に挑戦したいです。

 

そして、愛する玲を安心させたいです。

 

多分、就職してもみなさんに、また頼る事になると思います。

 

それは、山以外の事だと思いますけど、僕には相談する人がみなさんしか居ないんです。

 

申し訳ありませんが、もう少しダメな僕と付き合って下さい。

 

今、思う事はそんな事です』と俺。

 

 

『。。。。。。。』

 

『。。。。。。。』

 

『。。。。。。。』

 

 

 

『良い話だったぞ』と副会長が言った。

 

 

『なるほどな。新ちゃん。彼は良いな。。。

 

息子には聞いていたが、良い物を持っているし、

 

奢らず、高ぶらず、なのに情熱が凄いと来ている。

 

だから、自然と人を引き付ける魅力があるな』と古田副所長が言った。

 

 

 

楽しい根津の宴はまだまだ続いて行く。

 

 

東京45年【93-1】根津、結婚前祝い

 

 

 

1986年3月 25才

 

 

玲の料理を目当てに集まったのは、

 

日本山岳協会副会長、三菱電機古田副所長、朝日新聞田口さん、黒部の衆渡辺さん、山と渓谷社編集長だった。

 

 

それに、副会長の奥さんと玲と俺だった。合計8名。

 

 

 

玲は家で作ったソースや味噌やスープを副会長宅に大量に持ち込んで、副会長の奥さんと台所で料理を作った。

 

 

スープ+シェリー酒、サラダ+ラム酒、前菜+日本酒、おじや+アルマニャック、魚料理+ドイツ白ワイン、肉料理+フランス赤ワイン、デザート+濁酒、チーズ+シェリー酒、お茶。。。。

 

 

全部で10品をあっという間に作った。

 

 

それぞれの料理に合うお酒が準備されていた。

 

 

但し、副会長の隠していたお酒を失敬していた。

 

 

玲が味見をして、セッティングしていた。

 

 

みんなで持ち寄った酒はそのままだった。

 

 

副会長宅の高いお酒ばかりが減っていった。

 

 

 

 

『これは、美味いですね。新ちゃんの言った通りだ。来た甲斐があった。家庭料理の域を超えてますよ』と古田さん。

 

 

『いやあ、俺も2回食わせて貰っただけなんだが、このスープは格別だ』

 

 

『それに、このシェリー酒が合うな。』

 

 

『それぞれの料理に合うお酒を用意していますので、ご賞味下さい』と玲が言った。

 

 

『それに、40分前に着いて、こんなに早く作れるなんてのは、凄いな』と副会長が言った。

 

 

『そうなんですよ。玲子さんは、手際が良いんですよ。全部計算ずくで作っていくもののですから、ビックリしましたよ』

 

 

『これって、高い材料だろう???』と編集長が聞いた。

 

 

『いいえ、昨日、玲子さんに言われて、全部近所のスーパーで買って来たものばかりですよ』と副会長の奥さんが返した。

 

 

『それに、我が家にある料理器具も、この前来た時に覚えているんですよ』と続けた。

 

 

『こりゃあ、山を止めたくなるはずだな。あははは』と渡辺さん。

 

 

『島、うちのカミさんと交換してくれないか?』と田口さんが言った。

 

 

『そんな事する訳が無いですよ。何を言ってるんですか?そんな事を言うならパタゴニアで助けるんじゃなかったですよ。。。。あははは』と俺。

 

 

『ああ、あの時も助けて貰ったな。でも、あれはその後おあいこになったろう?』と田口さん。

 

 

『助けて無かったら、おあいこは無かったですからね。。。。あははは』と俺。

 

 

『そうそう。なべさん。そのパタゴニアで、俺が落ちたんですよ。

 

ぶら下ったところが、花崗岩のでっかい100m四方くらいの一枚岩なんですよ。

 

何にも手がかりがないのに。。。。。

 

それも斜度70度くらいの岩をノーザイルで、20mトラバースして、10m下降して、俺を助けたんです。

 

それに、俺が落ちた時に止めようして、こいつは、ケガをしたんです。

 

ザイルを必死で握ったから、両手の皮がベリッと剝がれているんですよ。

 

あれには参りましたよ。

 

あんな、風と雪とノーザイルで動く技術と精神力には感服しましたよ』と田口さんが言った。

 

 

『セロトーレか。。。あれも凄いところを登ったもんだよな』と渡辺さんが言った。

 

 

『いやあ、島と一緒じゃなかったら登れてないですよ。

 

他の奴だったら死んでますよ。。。それにアンナプルナもそうですからね。

 

竹中もそう言ってましたよ。島の実力に嫉妬したって言ってましたからね』と田口さん。

 

 

『そりゃあ、俺だって、一ノ倉沢で、こいつに助けられたんだもんな』と渡辺さんが言った。

 

 

『雪崩に埋まって、呼吸が止まっているのを人工呼吸をして蘇生させてくれたんだ。そして、担いで降りてくれたんだよ』と続けた。

 

 

『あの時はマウスツーマウスをするのを躊躇いましたよ』と俺が言った。

 

 

『島、もう、その話は無しだって言っただろう』と渡辺さん。

 

 

『なんだよ。聞かせて下さいよ』と編集長が問い詰める。

 

 

『もう、島!!!言いっこ無しだって言ったじゃないかよ』と渡辺さん。

 

 

『別に、僕は躊躇ったとだけしか言ってませんよ』と俺。

 

 

『もう、仕方がないな。。。。実を言うとな、その2ヶ月前に商売女から病気を貰ってな。。。。

 

それが治ってるかどうか医者に行く前だったんだよ。

 

だから無事に降りた時に、こいつは『マウスツーマウスを躊躇いました』って言うんだよ。

 

そんな話だよ。。。。あははは』と渡辺さんが言った。

 

 

『そりゃあ、俺でも躊躇うな。。。あはははは』と編集長が言った。

 

 

『この話は、それで、終わりじゃ無くてな。剱に一緒に登りに行こうって言ったら、

 

直近の性病検査結果を見せて下さいって言いやがるんだよ。

 

初めてだよ。山に行くのに検査結果を取りに行ったのは。。。

 

まあ、そのお陰で剱のマッチ箱ピークの初登が出来たんだけどな。。。。あははは』と渡辺さん。

 

 

『そりゃあ、面白い!!!なべさんが、うちの雑誌に載せたあの登山記録だろう?

 

そんな裏話があったとはな。。。あははは。。。

 

なべさん、それって記事にしようよ!!!』と編集長が言った。

 

 

『勘弁してくれよ。世間で評価されている俺の登山の思想が崩れるじゃないか。

 

そんなのは原稿料が高くたってお断りだよ。

 

もう、チョンガーの俺を責めないでくれよ。。。あはははは』と渡辺さん。

 

 

その話で一気に場が盛り上がった。