800年前のパリの壁、フィリップ・オーギュストの城壁を辿る(その4) 右岸編その3 | 西方見聞録(旧パリレポート)

西方見聞録(旧パリレポート)

2015〜2020年パリ、2020年4月に本帰国しました。帰国後も”これは!”と思うものを探し、レポートしています!!

12月11日(日)
天気:曇り


引き続き、
800年前のパリの城壁、
フィリップ・オーギュストの城壁跡を
巡る一人ツアー、右岸編です。

今どこを歩いているか
分かりやすいように地図を掲載します。
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ちょっと、ゴチャゴチャになってしまいましたが、、、

今日は、エティエンヌ・マルセル通りから。
①のポイントからマレ地区の方を見ると、
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エティエンヌ・マルセル通りは、城壁跡を辿るように走っています。上の赤斜線ように壁があったと考えられます

この通りをマレ地区に向かって歩くと、
左側に『オテル・ド・ブルゴーニュ』が
見えてきます(②地点)。
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突然小さな塔が出現します!

この塔は、
ブルゴーニュを治めていた
ブルゴーニュ豪胆王の
パリの城のような建物で、

壁に組み込まれるように
建っていました。
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塔は城壁の外側に建っていました

塔は今、ちょっとした博物館に
なっていて、
中に入ると地下一階に
フィリップ・オーギュストの壁跡が
残っています。
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フィリップ・オーギュストの壁跡です

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プレートには「1200年頃のフィリップ・オーギュストの壁の土台」と書いてあります

外に出て、再び
壁跡を辿っていくと、
パリで最も重要な道の一つ、
「サン・ドニ通り」にぶつかります。
(③地点)

そしてこのエティエンヌ・マルセル通りと
サン・ドニ通りがぶつかるところに、
かつて『サン・ドニ門』がありました。
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サン・ドニ通りを、城壁の中から外に向かって見ている感じです

サン・ドニ門は、
ここから600メートルほど
先に行った所に、
新しいサン・ドニ門がありますが、
フィリップ・オーギュスト時代のものは
今はもうありません。

そして、
さらに壁跡を辿っていくと、
パリでこれまた古くて大事な道、
サン・マルタン通りとぶつかります。
(④地点)

ここにも、
城壁に門が設けられていました。
(サン・マルタン門)
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サン・マルタン通りを、城壁の中から外に向かって見ている感じです

サン・マルタン門も、
ここからやはり600メートルぐらい
行った所に、
新しいサン・マルタン門があります。
フィリップ・オーギュスト時代のものは
やはり今はもうありません。

と、今日は右岸城壁の
北壁編でした。

ここからいよいよ
城壁はマレ地区に入っていきます。

その模様は
また明日レポートします!

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