天気:雨
今日は非常にマニアックな
トピックスです。
パリという街は、
2000年の歴史がありますが、
元々の名は
ルテティア。
ルテティアとは
"泥沼地"という意味で、
もともとは泥だらけだった場所。
そして、その
ルテティアに住んでいたのが
パリシイ族。
もともとは
北の地方に住んでいた
ケルト人のクワリシイ族が
紀元前2世紀ごろ
この土地にやってきて、
パリシイ族と呼ばれるように。
"クワリシイ"の「K」が
ガリア語で「P」に変わり
パリシイになったわけです。
※ガリアとは、今のフランスあたりの古代の呼び名
よくシテ島が
ルテティアだったと
言われますが、
正しくは
ルテティアの外れの集落。
もともとのルテティアは
シテ島から25㎞ほど
セーヌ川を下ったあたり。
今のナンテーヌ、
つまりラ・デフォンスの辺りです。
この元ルテティアは
川が大きく湾曲したところで、
交通の要所でかつ
軍事的な要所だったため
当時ヨーロッパを
支配していたローマ帝国に
目を付けられ
紀元前52年、
ローマ軍に襲われることに。
町を包囲されることを
恐れたガリア人は
やむなく町を焼き払って
今のエッフェル塔が立つ場所、
シャン・ド・マルスで
決戦します。
ちなみに、
"シャン"とは、"野原、広場"という意味、
"ド"は、"~の"
"マルス"は、ローマ側の戦いの神の名前。
話は戻って、
戦いは、ローマ軍の圧勝。
数千のガリア人が殲滅され、
ルテティアはローマの手に落ちます。
で、ローマ帝国は
ルテティアを占領しますが、
「ルテティアを再建するにしても、
シャン・ド・マルスの
近くにあった島の方が
防衛上よくない?」
となり、
ローマ帝国によって
シテ島に新ルテティアが
作られたというわけです。
と、いうのが
パリの始まりです。
ちなみに、
シャン・ド・マルスは
その後練兵場となり、
周辺には
アンヴゥリッド(旧軍病院)、
エコール・ミリテール(旧陸軍士官学校)、
など、
軍関係の施設が集まっています。
シャン・ド・マルス自体は、
その後
フランス革命の舞台になったり
(シャン・ド・マルスの虐殺、1791年)
ロンシャン競馬場ができる前は
競馬場があったり(1796年~)、
パリ万博の会場として(1855~)
何度も使用されてきました。
いい季節には、
エッフェル塔の下の芝生で
パリ市民が気持ちよさそうに
寝転がっていますが、
そこには
血なまぐさい歴史があったのですね。