ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

泰岳寺副住職

泰丘良玄さんの本、

人生はブレていい。 - 平成の一休さんのポジティブ・トンチのすすめ

を紹介しています。

 

この本、

よりよく生きていくための知恵が満載です(^^)

今回が5回目の紹介になります。

 

修行の中でも怖かったのが、

持ち回りでやる真夜中のトイレ掃除でした。

 

(中略)

 

万が一先輩がやってきたら、

隠れないといけません。

気づかれてはいけないのです。

 

なぜ、わざわざ真夜中にトイレ掃除をして、

しかもバレないようにやるかといえば、

「陰ながらに努力しよう。

努力は、人にいちいちひけらかさなくていい」

という教えを体験するためです。

 

人の目立たないところで努力する。

これを「陰徳を積む」と言います。

う~ん、

陰ながら努力するどころか、

私は、あえて努力や親切を、

見せつけるように行い、

「あなたもしなさい」

と暗に押し付けるようなことを

してしまうことがあります(^^;

 

嫌味なやつです・・・

 

別の本、

比べない生き方

(小倉広さん、アドラー関係の著作でも有名です)

という本で知ったのですが、

徳には、

「陽徳」と「陰徳」があるといいます。

(以下引用)

陽徳とは、

いいことをしていることをアピールする、

人に見せながら行うということです。

徳を積むことをオープンにして、

それを人にも求める。

つまり、

「リーダーシップ=陽徳」です。

 

そして、

“陰徳”というのは、オープンにせず、

こっそりと陰で、

誰にも言わずに徳を積むことです。

たとえば、

私(小倉氏)の場合で言うと、

毎日犬の散歩をするときに、

公園や道路に落ちているゴミを拾います。

 

(中略)

 

この習慣を続けられるのは、

ひとえに気持ちがいいからです。

やってみると良くわかりますが、

陰徳は、ことさら気持ちがいいものです。

 

これに対して、陽徳を積むとどうなるかというと、

エネルギーを奪われるのです。

「お客さんにはお返しをしろ」

「お礼が来たらすぐにお礼を返せ」

などと部下にいうのは、

部下教育としてリーダーにとって必要な行いです。

しかし、

それを部下に求めることは、

エネルギーを奪われる、

すなわち、リーダーとしての魅力が減ることになる。

そうなんですよね。

自分も完璧にできていないことを

人に要求するのは、けっこうエネルギーを使います。

 

後ろめたさを感じますし、

「おまえに言われたくない」

と陰口を叩かれているのではと気になったり・・・

(小心者な私)

そこで、

減ってしまったエネルギーを充填するために、

こっそり陰徳を積む必要があるという考え方が出てきます。

リーダーシップによって減ったエネルギーを

陰徳で補充するのです。

つまり、陰徳によって徳の貯金をし、その貯金で人を動かす。

 

ここから、経営者は徳(陰徳)を積む必要がある

と言われるわけです。

日ごろから徳を積んでいると、

自分が好きになり、

人にも自信をもって指示ができるようになります。

なるほど~。

たしかに、陰徳を積むと、

自分を好きになり、

人に対しても、自信が持てるかも・・・

 

私は、この考え方がすごく腑に落ちた!ので、

それ以来、陰徳を積むことを心がけるようになりました。

(つくづく、現金なやつです)

 

たとえば、

・プールのトイレで散らかっているサンダルを揃える

・勤務先のトイレを掃除してくださる方にお礼を言う

(他に人がいると照れくさいのでいいませんが・・・陰徳)

・コンビニでお釣りを募金する

・毎月の定額引き落とし募金をする(低額ですが)

・エレベーターのボタンを押して先を譲る

・ホテルのチェックアウトで部屋を出る際はなるべく整える

・月末に神社にお参りする時はお賽銭を奮発する

・倒れている自転車を起こす

・店員さんに「ごちそうさまでした」「ありがとうございます」と言う

・・・

 

いつも、できているわけではありませんが。

 

あっ、ここに書いてしまったので、

もう陰徳ではないですね(^^;

 

 

今回もお読みくださいまして、

有り難うございました。

 

次回も続きます。

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

過去、3回にわたって、

泰岳寺副住職

泰丘良玄さんの本、

人生はブレていい。 - 平成の一休さんのポジティブ・トンチのすすめ

を紹介しています。

 

今回も、

私が、この本を読んで、

ためになったところを紹介していきます。

 

繊細な人ほど、過去を悔んだり、

過剰に未来を心配することがありますが、

どちらにしても、それを「今」、

この時点で考えているわけですから、

「今」を生きていないことになる。

これは、すごくもったいないことだと思うのです。

 

どう頑張っても、絶対に過去を変えることはできません。

 

(中略)

 

未来もどうなるか分かりません。

分からないことを心配しても、

どうにもなりません。

 

「いつまでに、これがやりたい」と、

未来の目標を立てることは良いことだと思いますが、

そもそも目標を定めるためには、

今、自分が何をしたいのか、

どこに向かうべきなのかを

しっかりと見据えないといけない。

そのためにも、

やっぱりシフトすべきは「今」です。

 

たしかに、

目標を立てるにも、

「今」の自分の気持ちを、

しっかりと見つめていないと、

自分のほんとうの価値観から、

ずれてしまうような気がします。

 

よくありがちなのが、

社会通念に影響されたり、

誰かに認められたいからという理由で、

目標を立ててしまうこと。

 

あとで、

「この道ではなかった・・・」

と後悔することにもなりかねないですね。

 

「今」に集中することには、

坐禅はとても役立ちます。

 

坐禅は、坐ること=悟りだと考えられています。

 

悟るために坐禅をするのではなく、

坐禅をすることそのものが悟りになるのです。

坐禅は、今、この一瞬、一瞬に

集中して生きることがいかに大切かを

教えてくれるわけです。

 

ところで、

坐禅をすると、

セロトニンと呼ばれる

脳内の神経伝達物質が活性化されるという

研究結果が出ています。

 

セロトニン不足は、

うつ病を誘発すると言われています。

暗い気持ちがなかなか消えない人、

過去や未来に囚われてしまう人は、

坐禅の力を借りるなどして意識して

「今」に集中してみるのをおすすめします。

以前、紹介した、

オンライン坐禅会 - 臨済宗青年僧の会

のような無料のオンラインを活用したり、

坐禅がちょっと抵抗のある方なら、

マインドフルネス瞑想をされてもいいと思います。

 

ちなみに、

マインドフルネス瞑想の本なら、

マインドフルネス瞑想の第一人者、

吉田昌生さんの、

1日10分で自分を浄化する方法 マインドフルネス瞑想入門

をおすすめします!
 
瞑想誘導のCDが付いていますが、
これが特にすばらしいです。
これで1,760円は安すぎます(^^;
 

僕たちは、そもそも幸せです。

 

だからまずは、どんな人でも

「すでに幸せである」

ことを知ってほしいのです。

 

努力するから幸せになるのではない。

頑張るから幸せになるのではない。

 

幸せだから努力できるし、

幸せだから頑張れるのです。

 

「脚下照顧」(きゃっかしょうこ)

という言葉があります。

 

文字通り、

「足元を見て自分のことを顧みましょう」

という意味ですが、

自分が今いる場所をしっかり見て、

そこがありがたくて幸せなのだと気づきましょう

ということです。

たしかに、

普段はあたりまえのことでも、

足元を見れば感謝できることは、

たくさんありますよね(^^)

 

妻が夕食を作ってくれることが、感謝。

こうやって、ブログをかけること自体が、感謝。

読んでくださる皆さんがいることが、感謝。

風呂にはいってリラックスできることが、感謝。

ベットで寝ることができることが、感謝。

朝、目覚めることができれば、それも感謝・・・

 

それにしても、

どうしてこんなに

「ない」ばかりを探してしまうのでしょうか。

 

苦手な上司がいても、

親と上手くいっていなくても、

その周囲には仲良くしてくれる同僚、

友達、彼や夫はいるかと思います。

 

これだけ見たって、

もうすでに「ある」のではないでしょうか。

 

僕たちは、「ない」とか「できない」

ばかりを探しがちですが、

実はすでに「ある」。

そちらの方に意識して目を向けたいものです。

 

さらに、

「実は、すでにある」って気づくと、

頑張らなくてよくなるのです。

 

なぜなら、

あることに目を向けて、

それを楽しむこと、

伸ばすことに力を注げばいいからです。

 

仕事にせよ、プライベートにせよ、

あることに気づいて、

得意なことに気づいて

それに夢中になっている人は、

寝る間も惜しまずのめり込むことがあります。

はたから見たら

めちゃくちゃ頑張っているように見えるけど、

好きなことだから、

当人は全然平気なのです。

 

反対に、

いつもないことに目を向けている人は、

あれができるようにならなきゃ、

これができるようにならなきゃと、

ひたすら頑張るしかない。

・・・

そうですね~

シンプルに、

すでに「ある」こと、

好きなこと、

得意なことをやればいいんですよね(^^;

 

無理して、

ないものねだりをして、

頑張らなくていい・・・

 

 

私は、特定の宗教を信じているわけではなく、

無宗教なのですが、

仏教の教えには、

生きる知恵がたくさん詰まっていると思います(^^)

 

今回もお読みくださいまして、

有り難うございました。

 

次回も続きます(^^;

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

連休中、皆さんは、

どのようにお過ごしになりましたか?

 

私は、

このご時世、遠出もしにくく、

神奈川県は海水浴場も閉鎖されているので、

地元の横浜国際プールで、2回ほど泳ぎました(^^)

(屋内ですが大きな施設なので密にならず、新型コロナも安心です)

 

おかげさまで、

心身もとに、すっきりしました!

 

また、

オンライン坐禅会 - 臨済宗青年僧の会

にも何回か参加させていただいたのですが、

23日の会の法話で、

正光寺(静岡県浜松市)副住職

松尾啓眞和尚が、

 

「心を整えるために呼吸を整える。

呼吸を整えるために体を整える」

 

とおっしゃっていました。

 

坐禅で姿勢を整えることは、

もちろんですが、

水泳も、心を整えることにつながるなあ、

と思いました。

 

体から入るもの、大事ですね(^^)

 

 

さて、

前回、前々回と、

泰岳寺副住職

泰丘良玄さんの本、

人生はブレていい。 - 平成の一休さんのポジティブ・トンチのすすめ

を紹介しています。

 

今回は、

「二念を継がない」をやってみる

です。

 

「二念を継がない」

 

禅の教えで、

坐禅をするときに役立つ知識ですが、

日常生活でも、

特に、考えすぎてしまう傾向のある人には、

とっても有益だと思います(^^)

 

「彼から、連絡ないなあ」って思ったとき。

「するっていったくせに」ってイライラして、

「なんでしてこないのよ!」と爆発する。

 

「今日、急に飲みに行くことになったから遅くなるね」

って夫から電話があったとき。

電話を切ったあとで、

「私は子育てしているのに、ずるい」と思い始め、

「なんで私ばっかり頑張らなきゃいけないの・・・」

と悲しい気分になる。

こういうの、ありますよね。

感情にとらわれてしまって、

ついつい、余計なことを考えてしまう。

 

泰丘良玄さんはおっしゃいます。

 

坐禅しているとき、

「無」になるのはとても難しいです。

「あ~、お腹すいたな」とか、

「眠いな~」とか、

ふと思う「一念」はどうしてもやってきてしまいます。

頭の中が空白状態になるなんて、

相当なトレーニングが必要ですから、

 

でも、肝心なのは、

“その次”を考えないことです。

“その次”とは、

「あ~、お腹すいたな」という一念のあとに、

「カレーが食べたいな~」って思うこと。

 

衝撃的に絶対やってきてしまう

「一念」は、しかたないとしても、

そこから派生して

「食べるならカレーかなぁ・・・」

と欲をつなげてしまうのが

「二念」です。

 

一念は、いい。

でも、二念からは「欲」に囚われているからやめましょう。

これが、「二念を継がない」ということです。

う~ん、

私は、坐禅をするとき、

油断すると、二念どころか、三念、四念・・・

と連想ゲーム

(心理学でいう自動思考)

が続いてしまいます(^^;

 

そのときは、

なんとか、意識を「呼吸」に集中するようにします。

 

坐禅から生まれたのが、マインドフルネス瞑想ですが、

サーチ・インサイド・ユアセルフ――仕事と人生を飛躍させるグーグルのマインドフルネス実践法

 

という本には、

 

「命がかかっているように呼吸をする」

 

と紹介されていました(^^;

 

うまいたとえですね~

この表現、忘れられません(笑)

 

(それだけ真剣に、

「呼吸に意識を集中させよ」

ということだと思います)

 

一念、二念は、

よく川の流れにたとえられます。

目をつむって坐禅をしていると、

川の上流あたりから

「お腹すいたな~」って念がきます。

それをキャッチしようとせず、

下流にそのまま流す感じです。

まさに、受け流す。

 

そうすることで、

次の二念目の「カレーが食べたい」につなげない。

それは、僕たちでもコントロールすることができるのです。

 

はじめは、

「お腹すいたな~」のすぐあとに

「カレーが食べたい!」に続いちゃうと思います。

そもそも、普段は、

「一念」なのか「二念」なのかなんていちいち

区別しませんから

むしろ、ビジネスなどでは、

二念、三念とあえて連想して、

シミュレーションしたり、

思考を深めることもありますよね。

 

でも、そればかりだと、

「いま」に集中できないですし、

思考にとらわれて、頭が休まらなくなり、

ひらめきや直感は生まれにくくなると思います。

 

毎日、坐禅をしていると、

コツがつかめるというか、

一念だけで受け流せるようになります。

 

すると日常生活でも、

たとえば「ムカっ!」とくる出来事があったとき、

それ以上、

腹を立てることなく止めることができるのです。

 

もちろん坐禅しなくても、

「二念を継がない」

を意識するだけでずいぶん変わってくるはずです。

 

「彼から連絡がないなあ」

って、一念がきたら、

そのあと

「連絡するって言ったくせに!」

につなげない。

「連絡がないなあ」

だけで終わりにする。

その意味をつかもうとしない。

 

「急に飲みに行くことになったから遅くなるね」

って夫から電話があったときも、

「私は子育てしてるのに、ずるい」

という二念につなげない。

「遅くなる」の先は、考えない。

 

二念を継いでしまったら最後、

あれしたい、これしたい、

あれしてくれなかった、

これしてくれなかったという欲が

どんどん膨れ上がっていくからです。

 

欲にはゴールがありません。

際限なく「もっとこうしてほしい」

は生まれてきます。

そうですね。

たしかに、二念、三念は、

「不満」という名の「欲」につながりやすいと思います。

 

二念を継がずに、受け流す。

それに関連して、

もう一つお伝えしたいことがあります。

 

僕たちは嫌な時があったときほど、

そのことが頭から離れずなかなか受け流せません。

最も受け流すべき時に、最も受け流せない。

そういうところがあります。

 

そんなときに便利なのが、

「ただ、それだけ」という考え方です。

 

嫌なことがあったら、

「あいつ、なんであんなこと言うんだ?」

「どうして私ばったりこんな目に遭うの?」

という思考に陥りがちですが、

ここでその原因を考えたり、悲観的にならずに、

 

「嫌なことがあった。ただ、それだけ」

 

と思うようにするのです。

「ただ、それだけ」

いい考え方ですね(^^)

 

考えてもしょうがないことは、

自動思考を止める。

そのうえで、

具体的な行動に落とし込んでいきたいですね。

 

「莫(まく)妄想」

という中国唐時代の禅僧・無業禅寺の言葉があります。

莫とは、なかれと読みます。

 

要は、「妄想することなかれ」という意味です。

正しい考えではない状態とも言えます。

無業禅師は、誰が何を尋ねても、

「莫妄想」と答えたそうです。

 

妄想するな、妄想するな。

 

確かに、

「相手はこう思っているだろう」

というのは、思いっきり妄想です。

 

(中略)

 

不安になっているときは、

特に止まりません。

連絡をくれないのは、

単に忙しいだけかもしれないのに、

「そんなはずはない」と否定し、

あれこれと、しかも悪い方に考えを巡らせ、

心臓がえぐられるような気持ちになってしまいます。

 

ちょっと、それ、妄想だから。

 

不安にからめとられそうになったら、

まずこんなふうに

客観視して言ってみることから始めてください。

「それ、妄想だから」

 

(中略)

 

「不安をなくす」のは難しい気がしますが、

「妄想をやめる」方が簡単だと思います。

そうですね。

だいたい、妄想という名の「自動思考」は、

悲観的になりがちですよね。

 

たしかに、不安を消すことはできません。

 

したがって、

「不安な気持ち」

はしっかり受け止めて、感じて味わう。

そのうえで、

「妄想」はストップして、現実的な対応する。

 

それだけでも、ずいぶん違うと思います。

 

言葉にするのは簡単で、

実行するのは難しいですが(^^;

私は、坐禅を組んで、

「二念を継がない」練習を重ねながら、

少しずつ取り組んでいきたいと思います。

 

今回もお読みくださいまして、

有り難うございました。

 

次回へ続きます。

ご訪問くださいまして、

有り難うございました。

 

前回から、

人生はブレていい。 - 平成の一休さんのポジティブ・トンチのすすめ

という本を紹介しています。

 

この本、生きていく知恵が、

たくさん紹介されています(^^)

 

どうしても相手に要求したくなったときは、

「それって、自分はできているの?」

っていったん立ち止まって問いかけたらいいと思います。

たしかに、

子育てや、部下育成などは、特に当てはまりそうですね。

相手は、言う人の言動を、

常日頃から見ていますので・・・

 

「おまえに言われたくない」

と思っているかもしれませんね(^^;

 

「どうして、分かってくれないの?」、

「どうして、認めてくれないの?」

って思うときもそう。

果たして、

自分は相手のことを分かろうとしているかな?

ちゃんと認めようとしているかな?

っていったん考えてみてほしいのです。

う~ん、

私は、身近な人に対して、

無意識に、どこか上から目線というか、

 

「私は本をよく読んで学んでいるから、

よく分かっている」

 

「だから、私は正しい」

「あなたは間違っている」

 

という先入観で接してしまい、

相手のことを分かろうとしていないことが、

けっこうあります(^^;

 

「鏡の法則」って知っていますか?

 

心理学では「投影」といって、

自分の深層心理が相手や周りに映っているという意味ですが、

これを持ち出すまでもなく、

「相手は、あなたの鏡」

というのは紛れもない事実だと思います。

「鏡の法則」は、

私が学んでいる、

野口嘉則さんの名著、

鏡の法則

で有名です(^^)

 

だから、相手に対して

「なんでちょっとしたことで不機嫌になるの!」

って腹が立っているときは、

自分も、もともと

「ちょっとしたことで不機嫌になりがち」

な要素があった・・・って、

よくあることなんです。

 

恥ずかしながら、

私も、妻に対して感じることが、

考えてみると、自分もそうだということが、

ありますね(^^;

 

 

相手を変えようとする前に、

まず自分を振り返る。

 

これは、

必要以上に他人に振り回されることがなくなり、

自分に軸を置くきっかけになる

という意味でも、とても大切な考え方だと思います。

相手のためというよりも、

自分の心の安定のためでもあるんですね。

 

ここまで読んでも、

「どうしても相手にモノ申したい!」ってときがきたら・・・。

 

そのときは、

ぜひ主語を「私が」に変えて

相手に伝えてみてください。

 

「なんで分かってくれないのよ!」

って相手の領域に入って責める言い方をするよりも、

 

「分かってもらえてないと思って、

(私が)寂しくなっちゃった」、

 

「話を聞いてもらえなかったから、

(私が)悲しかった」

 

って、あくまでも自分軸で言った方が、

よほど相手は聞く耳をもってくれるのでラクだと思います。

いわゆる、

「I(アイ)メッセージ」ですね。

 

これは、

自分のネガティブな感情(弱さ)を受け入れられないと、

なかなか言えないことですが(^^;

相手は、

「責められている」

と防衛する必要がなくなりますので、

効果的だと思います。

 

仏教って心理学でいっていることとも、

けっこう共通点がありますね。

奥が深いです・・・

 

 

叱られるとか、

ダメ出しされた時の、

とらえ方も紹介されています。

 

たしかに、ダメだしって、辛いですよね。

特に、悪気はないのに、

ちょっとしたことで、相手から感情的に言われたら、

腹が立ちますし、落ち込みます。

 

でも、ここで大事なのは、

あなた自身がダメなわけじゃないということを

ちゃんと認識すること。

つまり、

相手は「自分」を叱っているのではなくて、

自分の「失敗」を叱ってるだけなのです。

 

あなたがダメではない。

あなたの行為にダメ出しされただけです。

ここはちゃんと切り離しましょう。

そうですね。

たしかに、

自分自身を否定されたわけではないんですね。

自分と行為に、境界線を引くことです。

 

そして、

行為に対して、

どうしたらうまくいくか反省したら、

それでおしまい。

自分を責めないし、相手も責めない。

 

逆に言えば、

私たちが、相手にダメ出しをするときは、

相手の人格を否定しないように、

あくまで「行為」に対してフォーカスするように、

気をつけて発言する必要がありますね。

 

もし、「お前はしょうもない人間だ」

などと人格を否定するような言い方をされたときも、

絶対に

「私はダメではない!」

と自分に言い聞かせてください。

 

そういう人の言うことは、

話半分で右から左に流してしまっていいくらいです。

だって、実際、ダメなはずはないのですから。

 

お釈迦様の話に、

「天上天下唯我独尊」があります。

 

(中略)

「天上天下唯我独尊」

この言葉は、

お釈迦様が生まれてすぐに話された言葉のようですが、

お釈迦様自身を、

「唯一偉い存在だから尊敬しなさい」

という意味ではありません。

 

「この宇宙空間において、

私というのはたった一人の存在なんだ。

だれも代わることはできない。

だから、尊い」

 

という意味です。

 

あなたも、私も、みんな尊い。

 

僕の言葉で言い直すと、

「あなたは、存在しているだけで生きている意味がある」

ということです。

 

これは、自分のいいところ、

ダメなところも含めて、

ありのままの自分を認めることと同じです。

 

心理学でいう、

「自己受容」ですね。

 

「自己受容」の旅は、本当に奥が深くて、

一生かけて深めていくテーマだと思っています。

 

私は、だらだらしている人や、

愚痴っぽい人、

人の悪口をいう人に対して、

感情的に反応したり、

否定的な見方をしてしまうことが多いですが、

これは、やはり、

自分自身にも必ずある、そういった要素を、

まだまだ受容できていないせいなのかな、

と思います。

 

以前は、

「ダメな自分を受け入れたら、

自分自身が堕落してしまう」

 

と考えていた時期もあるのですが、

ほんとうの意味で、

「自己受容」をして、土台がしっかりできれば、

自然と、向上心が湧いてくるといいます。

 

 

次回に続きます(^^;

 

今回もお読みくださって、

有り難うございました。

 

ご訪問くださいまして、有り難うございます。

 

私事になりますが、

趣味で、たまに坐禅をします。

 

心身ともに、すっきりします(^^)

 

といっても、

恥ずかしながら、すぐに足がしびれて、

きちんと足も組めないレベルの超初心者(^^;

なのですが、

ここ一年ほど、

横浜の、

曹洞宗大本山總持寺

の月例参禅会に参加していました。

 

ただ、新型コロナの影響で、

ここのところ中止になっていたので、

どこか、できるところがないか探していたところ、

オンライン坐禅会 - 臨済宗青年僧の会

というのを発見しました!

 

全国各地で、ほぼ毎日開催されており、

Zoomで参加、しかも無料、予約も必要ありません。

 

気軽に参加できる、とても有り難い座禅会です。

おすすめです!

(臨済宗青年僧の会の皆様、

この時代にすばらしい試みだと思います。

感謝感謝です)

 

そこでご担当いただいた和尚さん、

(泰丘良玄さん、アメブロもされていますね(^^))

禅宗お坊さんのブログ布教(禅語・作務・坐禅・修行・お坊さんのリアル体験記)

 

 

 

の著書が紹介され、興味を持ったので、

さっそく購入して読んでみました。

人生はブレていい。 - 平成の一休さんのポジティブ・トンチのすすめ

 

生きる知恵が満載でしたよ(^^)

 

「あれもできない」

「これもできない」

ということばかりに目が行き、

「できなかった」という自己否定の記憶は、

「罪悪感」として心に刻まれ、

いつまでも自分を責めてしまうのです。

ありますよね。

いつまでも、できなかったことを反芻して、

くよくよしてしまうこと・・・

 

こうした罪悪感を一つずつはぎとって、

ラクな気持ちで生きてほしい。

しんどい感情がやってくるのはしかたがないけど、

もう少し健やかに過ごしたい。

 

その罪悪感をとる方法はただ一つ。

 

「自分に目を向ける」ことに尽きます。

どんなときも、自分に目を向ける。

何が何でも、自分に目を向ける。

 

どんな感情が襲ってきても、

相手に振り回されたり、

周りと比較するのではなく、

純粋に自分のことを考えてほしいのです。

 

仏教は、まずは自分自身に目を向けること。

自分が、自分自身を探求することによって、

自分を変えていく教えです。

 

同じ状況でも、見方を変え、

ほどほどを知ることで、

世界が変わることも教えてくれます。

「自分に目を向ける」

 

私たちは、つい、

自分よりも、

他人に目を向けてしまいますが、

 

「過去と他人は変えられない」

(byエリック・バーン)

といいます。

 

まずは、

自分がどう思うのか、

どんな気持ちなのか、

どうしたいのか、

 

それを見つめたうえで、

現実的な行動に落とし込んでいく。

 

それが大切だなあ、

と思います。

 

その昔、人気アニメだった一休さんは

私と同じ臨済宗の禅僧でした。

彼の決めセリフといえばこれ。

 

「あわてない、あわてない。

ひと休み、ひと休み・・・」

 

人生でつまずいてしまったら、

無理に立て直そうとしないでください。

いいんです、つまづいてしまっても。

ブレてもいいんです。

ブレたって、あなたはあなたです。

ブレてもいい。

ちょっと気が楽になりますね。

 

ブレることによって、

はじめて「ほどほど」の状態、

すなわち、

「中道」が見えてくるといいます。

 

カップルで、

女性が、我慢に我慢を重ねたうえで、

彼に対して、LINEで怒りのメッセージを

50個ぐらい!(うわあ~やってもうた)

ぶちまけてしまったケースが紹介されています。

それに対して、

 

左にブレて、右にブレて、

ブレまくって嫌な感情にも向き合って、

ようやく真ん中の中道が見えてくるのではないかと思います。

 

爆発して振り切れたからこそ、

どこまで言ったら言い過ぎになるのかが分かるし、

そのことに対して「ごめんね」の気持ちも湧いてくる。

 

こんなふうにして、お互いが心地よいと思えるところを

少しずつ探っていければいと思います。

なるほど、

そうやって「中道」を探っていく、

試行錯誤

(トライアル&エラー)

でいいんですね。

 

ちなみに、

お釈迦様は、一番最初のお説教の際に、

この「中道」の大切さを説かれたようですが、

そのお釈迦様でさえ、

ブレた経験をされたと紹介されています。

 

王族の王子としての生活に疑問を感じ、

出家して極貧の中で苦行を重ねましたが、

悟りを得ることはできなかったのです。

 

お釈迦様は、裕福も、貧しさもどちらも体験して初めて、

「どちらもゴールはない」ことを知ったのです。

 

つまり、お釈迦様だって

これだけ振り切れたことをして中道に至ったのですから、

僕たちだってブレまくらないと

「ほどほど」を知ることなんてできないのだと思います。

何だか、励まされますね(^^;

 

人生には、プラスとマイナスが同じだけある。

マイナスがなければ、プラスを感じられない。

 

プラスとマイナスの間を、

振り子のように揺れながらも、

そのつど、自分の感情を受け入れて、

中和しながら、

ほどほどのところに、バランスをとっていく。

 

その中にこそ、、

心の平安があるのかもしれませんね。

 

次回に続きます(^^;

 

今回もお読みくださいまして、

有り難うございました。