ご訪問くださいまして、

有り難うございます(^^)

 

今回から、

五木寛之さんのロングセラー、

大河の一滴

で印象に残ったところを、

紹介していきます。

 

この本、

初版は平成10年のロングセラーですが、

今の、新型コロナ共存の時代に、

テレビや新聞にも取り上げられ、

再度、ブレイクしています!

 

冒頭、衝撃的な告白から始まります。

 

私はこれまでに二度、

自殺を考えたことがある。

最初は中学二年生の時で、

二度目は作家として

はたらきはじめたあとのことだった。

五木寛之さんは、

終戦後の朝鮮半島からの引き上げで、

筆舌に尽くしがたい体験をしたことが、

述べられています。

 

飢えの中で、

大人のことが信じられなくなった

経験もあるそうです。

 

人は生きていくなかで

耐えがたい苦しみや、

思いがけない不幸に見舞われることが

しばしばあるものだ。

それは避けようがない。

憲法で幸福に暮らす権利と

健康な生活をうたっているのに、

なぜ?

と腹を立てたところでしかたがない。

まず、

人生というものはおおむね苦しみの連続である、

と、はっきり覚悟すべきなのだ。

私はそう思うことで、

「こころ萎え」た日々から

かろうじて立ち直ってきた。

「人生というものはおおむね苦しみの連続である」

 

私は、若かりし頃は、

「そんなことはないだろう。

努力すれば、プラス思考で頑張れば、

おおむね幸せな人生を歩めるのではないか?」

と思っていました。

 

でも、なかなか人生、

そう思い通りにはいかないわけで(^^;

 

人間の存在そのものを悪と見て、

そこから出発する生き方もあるのではないか。

その真暗闇の虚空に、

もし一条の光が差し込むのが見え、

暖かな風が肌に触れるのを感じたとしたなら、

それはすばらしい体験である。

まさに奇跡のような幸運であると思いたい。

まず、これまでの人生観を根底からひっくり返し、

 

「人が生きるということは苦しみの連続なのだ」

 

と覚悟するところから

出発する必要があるのではないか。

たしかに、

このように考えれば、

日常のささやかな喜びにも、

感謝の気持ちが湧いてくるような気がします。

 

ただ、

ここまで覚悟をするには、

ある意味、

自分の心を直視する勇気がいりますが(^^;

 

親は子に期待してはいけない。

子も親に期待すべきでない。

人を愛しても、

それはお返しを期待することではない。

愛も、思いやりも、

ボランティアも、

一方的にこちらの勝手でやることではないか。

そう覚悟したときに、

なにかが生まれる。

 

なにも期待していないときこそ、

思いがけず他人から注がれる優しさや、

小さな思いやりが

<旱(干)天の慈雨>

として感じられるのだ。

そこにおのずとわきあがってくる感情こそ、

本当の感謝というものだろう。

親切に慣れてしまえば

感謝の気持ちも自然と消えてゆく。

だから慣れないことが大切だ。

いつもなにも期待しない地点に

立ち戻りつつ生きるしかない。

わかる気がします。

 

たしか、

生きるヒント

シリーズにも、

このような考えが述べられていました。

 

これは、

「初心忘るべからず」

の精神にも通ずるような気がします。

 

本当のプラス思考とは、

絶望の底の底で光を見た人間の

全身での驚きである。

そしてそこに達するには、

マイナス思考の極限まで下りていくことしか

出発点はない。

私たちはいまたしかに地獄に生きている。

しかし私たちは

死んで地獄に落ちるのではない。

人はすべて地獄に生まれてくるのである。

鳥は歌い花は咲く夢のパラダイスに、

鳴り物入りで祝福されて誕生するのではない。

 

しかし、

その地獄のなかで、

私たちはときとして思いがけない

小さな歓びや、

友情や、

見知らぬ人の善意や、

奇跡のような愛に出会うことがある。

勇気が体にあふれ、

希望や夢に世界が輝いて見えるときもある。

人として生まれてよかった、

と心から感謝するような瞬間さえある。

皆とともに笑いころげるときもある。

 

その一瞬を極楽というのだ。

極楽はあの世にあるのでもなく、

天国や西方浄土にあるのでもない。

この世の地獄のただなかにこそあるのだ。

極楽とは

地獄というこの世の闇の中に

キラキラと光りながら漂う

小さな泡のようなものなのかもしれない。

人が死んだのちに往く最後の場所では決してない。

人は地獄に生まれてくる、

そこでの小さな歓び、

その一瞬が、極楽。

 

話はそれますが、

映画「男はつらいよ」

で、寅さんが言っていたことを

想起しました。

 

満男

「人間は何のために生きてんのかな」

 

寅さん

「難しいこと聞くな、お前は・・・

何と言うかな、あー生まれてきてよかった。

そう思うことが何べんかあるだろう。

人間そのために生きてんじゃねえのかな」

「男はつらいよ」の第三十九作目、

「寅次郎物語」より。

 

私の大好きな名言です(^^)

 

「大河の一滴」

に戻ります(^^;

 

「地獄は一定」

 

そう覚悟してしまえば、

思いがけない明るい気持ちが

生まれてくるときもあるはずだ。

それまでのたうちまわって苦しんでいた自分が、

滑稽に、子どもっぽく思えてくる場面もあるだろう。

 

私がこれまで

自殺を考えるところまで追いつめられながら、

なんとかそこから立ち直ることができたのは、

この世はもともと無茶苦茶で、残酷で、

苦しみや悲惨にみちみちているものなのだ、

と思い返すことができたからだったと思う。

「地獄は一定」とは、

親鸞の言葉をまとめた

「歎異抄」にでてくる、

「地獄は一定すみかぞかし」

すなわち、

「地獄が住み家です」

という意味ですね。

 

たしかに、

世の中そういうもの、

すなわち、

苦しみの連続だという前提に立てば、

死にたくなった時でも、

自分を客観視できるのかもしれません。

 

これは、

いわゆるプラス思考とは真逆の発想ですが、

よりよく生きていくために、

有益な考え方だと思います。

 

次回は、

TVでも取り上げられていた、

屈原の「滄浪(そうろう)の水が濁るとき」

の章を紹介します。

 

お読みくださいまして、

有り難うございました(^^)

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます(^^)

 

今回から、

五木寛之さんのロングセラー、

大河の一滴

を紹介していきます。

 

私が持っているのは、

ハードカバーで平成10年の初版本

(びっくり、もう20年以上も前になりますね)

なのですが、

今は文庫でも出ています。

 

先日、TVに取り上げられて、

(私、たまたま見ました)

今、再ブレイクしていますね!!

 

書店でも平積みになっており、

ランキングも上位に入っている話題の本です。

 

8月22日付の朝日新聞にも、

姜尚中さんの書評が掲載されていました。


今、新型コロナ共存の時代に、

求められているのだと思います。

 

ちょっと脱線しますが、

私は、若い頃、

五木寛之さんの

生きるヒント

シリーズが好きで、

大学生の時、

好きだった女性がイギリスに留学する際に、

プレゼントしたのが、ほろ苦い思い出です(^^;

 

ちなみに、結ばれませんでしたが・・・

 

大河の一滴

は、社会人になって2~3年目で

読んだ記憶があります。

 

当時は、

「なんか、ちょっと気持ちが暗くなる本だなあ」

という印象がありました。

 

若い頃は、

もう少しポジティブな本のほうが、

好きだったと思います。

 

ただ、五木寛之さんの本は、

何故か、不思議と惹かれるものがあり、

つい、新しいエッセー本が出ると買ってしまいました。

 

ということで、

本棚に、たくさん並んでいるのですが、

今、大河の一滴

を改めて読み返してみると、

「う~ん、深いな」

と思います。

 

歳を重ねてからの方が、

心に染み入る本なのかもしれません。

 

次回から、印象に残ったところを、

紹介していきます(^^;

 

今回も、お読みくださいまして、

有り難うございました。

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

4回にわたって、

正負の法則

という本を紹介しています。

 

著者は、

ドクター・ジョン・F・ディマティーニさん。

「現代の哲人」といわれている、

人間行動学の世界的権威です。

 

この本のエッセンスを、

ひとことでお伝えするとすれば、

 

物事には、

「正」「負」すなわち、

「プラス」と「マイナス」が、

同じ量だけある。

 

ということです。

 

今回は、

「結婚の目的」

について触れられた箇所を紹介します。

 

けっこう、目からうろこです(^^;

 

結婚は幸福を追い求めるのもではありません。

 

幸福の定義を、

正と負の感情を統合した

充足感だとするのなら別ですが。

 

結婚は決して満足という偏ったものを

与えるものではありません。

 

結婚の誓約では貧しい時も富める時も、

病める時も健やかなるときも、

いかなるときも末永く添い遂げることを誓います。

えっ・・・

結婚は、

幸福を追い求めるものではないんですか?

 

結婚の目的を理解すると、

離婚の大きな原因である、

広く浸透した社会通念から自由になります。

 

結婚の目的は、

自分が認めたくない部分も含めて

自分自身を完全に愛する方法を学ぶことです。

 

苦しみと楽しみ、

支援と試練、

親切と不親切、

愉快と不愉快

が完璧に釣り合った状態が愛です。

 

どんな人間関係でも、

「いま、ここ」

に集中しているときと

無条件の愛を除いては、

愛という中心点のまわりを

行ったり来たりしながら、

相手に対する好意と嫌悪のあいだを

揺れ動くものです。

(中略)

楽しみと苦しみという2つの側面が、

愛と呼ばれる力を構成しています。

 

愛は片方の側面だけで構成されるはずだ

という幻想をいだくのは、

愛の半分を否定して

経験の全体を受け入れないということです。

「結婚の目的は、

自分が認めたくない部分も含めて

自分自身を完全に愛する方法を学ぶこと」

 

なるほど~、

そういう捉え方も考えもあるんですね(^^;

 

「楽しみと苦しみという2つの側面が、

愛と呼ばれる力を構成~」

 

苦しみがあっていいんだ。

と考えると、ちょっと気が楽になります(^^;

 

「あなたってすてき。

あなたはいつだって正しい。

誰も敵わない」

と年中言っている人と

つき合うか結婚することを想像してみましょう。

 

その人が支援ばかり与えていると、

あなたはなんとかしてその人と衝突したくなったり、

その人に挑戦したくなったりするはずです。

 

「あなたってすてき~」

とたまには言ってもらいたい気もしますが(^^;

 

でも、たしかに、

年中そればかりだと、

自分自身が成長できないかもしれません。

(試練もないと、ですね)

 

そんな2人がうまくやっていくには、

「自分の価値観を、

相手の価値観に沿って表現する」

ことだといいます。

 

「価値観」

とは、指紋のように人それぞれ異なり、

優先順位も違います。

 

ディマティーニさんの例です。

 

もし、私がヨーロッパを巡る講演旅行に出る前に、

妻に向かって

 

「ハニー、1か月ほど出かけてくる。

時間が空いたら落ち合おう。

ひまがあったら電話するよ。

じゃあ、行ってくる」

 

と言ったら、

私が出かけるときに妻は何と言うでしょうか?

 

「私たち、うまくいっているとは思えないの。

あなたは私を愛していない。

あなたが戻るころには、私はここにいないわ」

 

これは意外な展開ではありません。

なにしろ私は彼女の価値観に沿って

話をしなかったのですから。

 

では、

こんなふうに伝えるとしたらどうでしょうか。

 

「ハニー、講演旅行に行くつもりなんだ。

たくさん稼いで僕たちの未来を安泰にするよ。

 

一か月後の満月の夜にベニスで落ち合えないかな。

月光を浴びながらゴンドラで大運河を下って、

ヴァイオリンに耳を傾けたら、

きれいな宝石を見たり服を買いに行ったりしよう。

 

毎日エステをしてもらってリラックスして、

陽光を楽しんだり、

おいしいものを食べたりして、

一日に何時間も愛しあうんだ。

 

なんとか君の都合をつけて、

ベニスで落ち合うことはできないかな?」

 

いかにも

「欧米かっ!」

といった感じで、

背中が、こそばゆくなりましたが・・・(笑)

(私には、とても言えません(^^;)

 

この場合、

ディマティーニさんの価値観は、

講演旅行をすること、

 

奥さんの価値観は、

安定した豊かな生活、

ロマンティックな時を過ごす、

でしょうか。

 

ちょっと、極端な例かもしれませんが、

「自分の価値観を、

相手の価値観に沿って表現する」

とは、こういうことなんですね(^^;

 

人は他人の価値観ではなく、

自分自身の価値観を通じて

愛を表現するものです。

 

たとえば、

経済、知性、キャリアを

価値観の上位に置いている男性の場合、

経済的に家族を支えたり、

仕事で成功したり、

知的であったりすることで、

自分は家族を愛していると実感します。

 

彼は心の中でこう思うでしょう。

 

「私は頭を使ってうまく仕事をこなしている。

それは家族を愛しているからだ」

ありがちなパターン(^^;

一方、彼の妻はこう思っています。

 

「あなたは私を愛していないから、

子どもの面倒をみたり、

ふたりだけで過ごすための時間を

とろうとしたりしないのね」

 

これが彼女の価値観です。

 

同時に、

夫は妻がお金を稼ぐために

外に出て仕事をしなかったり、

自分と同じことに関心を持とうとしないと、

自分のことを愛していなのだと考えます。

 

誰もが自分自身の価値観を通じて

愛を表現していますが、

人の価値観に敬意を払うようになると、

自分がこれまで認めてこなかったかたちの愛に

囲まれていることがわかります。

たしかに、

相手の価値観に敬意を払えれば、

相手の愛に気づくことにもなりますね。

 

自分の価値観を犠牲にせず、

相手の価値観もつぶさない。

 

WIN-WINですね(^^)

 

なお、

人は、自分の本音で大切なこと、

すなわち、最高価値観を明確にして、

それにまい進すれば、

プラスやマイナスも受け入れて、

成長することができるといいます。

 

言い方を変えれば、

自分の本音、最高価値を無視して、

いわゆる社会通念としての

「~べき」にとらわれると、

マイナスの経験はつらいだけで、

受け入れられず、

なかなか成長できないといいます。

 

ちなみに、

自分の最高価値を明確にするやり方は、

 

 

で紹介していますので、

よかったら参考にしてください。

 

自分の最高価値を明確にしたうえで、

「自分の価値観を、

相手の価値観に沿って表現する」

ことは、

夫婦だけでなく、

すべての人間関係で有効だと思います(^^)

 

------------------------------------------

 

以上、4回にわたって、

ディマティーニさんの叡智の一部を紹介してきました。

 

本には、他にもたくさんの叡智が詰まっています。

 

巻末の質問シートに記入する

ワークをやってみないと、

なかなか、実感が湧かないかもしれません。

 

よかったら、本を購入して、

実際にワークをやってみてください。

(真剣に取り組むと数時間かかりますが、

とても有益ですよ)

 

正負の法則

ディマティーニ・メソッド

 

物事には、

「正」「負」すなわち、

「プラス」と「マイナス」が、

同じ量だけある。

ということが実感できると思います(^^)

 

今回もお読みくださいまして、

有り難うございました。

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

前々回、前回と、

正負の法則

という本を紹介しています。

 

著者は、

ドクター・ジョン・F・ディマティーニさん。

「現代の哲人」といわれている、

人間行動学の世界的権威です。

 

この本のエッセンスを、

ひとことでお伝えするとすれば、

 

物事には、

「正」「負」すなわち、

「プラス」と「マイナス」が、

同じ量だけある。

 

ということなのですが、

私の半生を振り返っても、

たしかに、

「そうかもしれない」

と思えるようになりました。

 

ちょっと、

お付き合いください(^^;

 

前回は、

人の目を気にしてばかりで、

自己嫌悪に苛まれた、

高校時代の話をしました。

(マイナスの経験)

 

しかし、

その経験は、決して無駄ではなかった。

(実はプラスの面もあった)

 

豊かな内面とエネルギーを育むための、

貴重な時期となったからです。

 

それをバネにして、

はじめて本気で勉強し、

晴れて第一希望の大学に合格!

花の大学生活を送ることになりました(^^)

 

暗かった高校時代の反動か、

自分のやりたいサークルに入り、

アルバイトしてお金をため、

旅行に行ったり、コンパしたり、

自由を謳歌!

 

やりたいことを、やりたいようにやって、

思いっきりプラスの時代でした!

 

しかし、

やっぱり、同時にマイナスはあったわけで・・・

 

それは、何かというと、

 

まったく、

(異性に)モテなかったんですね(^^;

 

サークル活動や、

バイト先で、多くの出会いもあり、

アタックもずいぶんしましたが、

何故か、箸にも棒にもかからず・・・

 

ああ、

今思い出しても、赤面の数々・・・

 

サークルで幹事長をやったりしたせいか、

上から目線というか、

恥ずかしながら、

自分自身を過大評価していたところも、

あったと思います(^^;

 

そんな、

のぼせあがった私を、

宇宙さんは、

「まったく、モテない」

というマイナスの出来事で、

うまくバランスを取ってくれたのかもしれません。

 

もし、大学時代に、

異性に、モテていたとしたら、

私は、とんでもない勘違い野郎に

なっていただろうと思います。

 

宇宙さんにホント感謝です(^^;

 

その後、就職活動。

 

おかげさまで、

行きたかった業界、

しかも、ほぼ第一希望の会社に入社できたのですが、

やはりプラスばかりではなく、

希望の部署には配属されず、

地方(南大阪)の支社へ・・・

 

しかし、ここでも、

マイナスばかりではなく、

今、考えると、

いろいろな貴重な経験をさせていただきました。

 

夢をあきらめず、

ずっと希望を出し続けていたら、

5年後に、

何と、本社の希望の部署に異動!

 

嬉しくて、

毎日、毎日、

根詰めて仕事しました。

(周りからかなり期待もされていたと思います)

 

その当時は、

「やりがい」のみで、

ほとんど苦痛を感じていなかったのですが、

ただ、見えないストレスがたまっていたのかもしれません。

 

夜遅くに帰宅して、

家では、ずっとお酒を飲み続けて、

朝、会社にいくという生活を繰り返していたところ、

膵(すい)炎という病気になってしまい、

3週間入院しました。

 

しかも2年連続で・・・

(いまも完治せず)

 

入社以来、

仕事に、まっしぐらに取り組んできましたが、

この時も、

また、人生について、

いろいろと考えるきっかけになりました。

 

これに懲りて、

バランスよく仕事をするようになり、

生活や体調も安定し、

その後、結婚もして、順調かと思ったら、

 

今度は、

不妊治療がうまくいかず、

妻とぶつかる日々・・・


そして、

理不尽な人事異動・・・

 

しかし、

この経験が、

自分自身を見つめるよい経験にもなり、

プロコーチ(カウンセラー)の資格を取ったり、

心の学びを深めることにつながりました。

 

-----------------------------------------

 

と、自分史ダイジェストを語ってしまいましたが(^^;

振り返ってみると、

大きくいえば、

「プラス」と「マイナス」が、

ほぼ交互に訪れているんですね。

 

いや、正確にいえば、

「プラス」と「マイナス」は、

おそらく同時に同じだけ生じているのですが、

どちらかに焦点がいっているから、

片方が見えなくなっている。

 

そこで、

バランスを取る意味で、

逆を意識させるような出来事が引き寄せられる。

 

ということなのかと思います。

 

本から引用します。

 

光が生じるには、

正荷電粒子と負荷電粒子が

完璧に統合される必要があります。

 

まったく同じように、

あなたの本質(やはり光です)に焦点を合わせるには、

あらゆる出来事の両面が必要です。

 

無条件の愛は中心にある光ですが、

条件付きの愛は感情や粒子であり、

逆の面に引き寄せられます。

それは自分を中心軸に引き戻すために必要だからです。

とはいえ、すべては愛なのです。

愛とは、

プラスとマイナスが

統合された状態のことなんですね。

 

あなたは完全な量子状態にある存在ですが、

頭だけで考えると、

錯覚に惑わされたり

自分自身の半分を

自分のものと認められなかったりします。

 

負よりも正のほうが多いと思うとき、

あなたは自らの体験の半分を否定して、

その側面を認めていないのです。

自分自身の半分とは、

ユング心理学でいうところの、

「シャドー」

だと考えます。

 

皮肉なことに、

自分にあると認めないものが何であれ、

あなたはそれを何らかのかたちで

自らの人生の中に招いているのです。

 

自分が否定した部分を持つ人と結婚したり、

ビジネスパートナーにしたり、

顧客や友人として引き寄せたりします。

 

それが何であれ、

あなたが自分自身の中に見たくないものや

正当に評価していないものを、

人生に引き寄せつづけることは、

あなたが愛することを学ぶまで続くのです。

 

真のあなたである完全な量子状態からは

逃れられないのです。

なるほど・・・

「自分が否定した部分を持つ人を引き寄せる」

たしかに、そんな気がします。

 

ユングが、

「人生後半の課題は、

自らのシャドーを統合すること」

「それが、すなわち自己実現である」

 

と述べていますが、

こういうことなのかと思います。

 

間違いなく、

ただあなたを導くだけのために、

正と負の自動誘導装置が与えられているのです。

 

宇宙のこのすばらしい仕組みを認めて心を開くと、

感謝の念が湧いてきます。

 

感謝は心の扉を開く鍵であり、

愛という統一場理論が

あなたの人生を満たします。

 

感謝は何をしているときでも、

あなたを「いま、ここ」に集中させるのです。

「プラス」と「マイナス」

の両方を受け入れるため、

すなわち、

「愛」を実感するために、

自分が否定している側の出来事を、

自動誘導装置が引き寄せる。

 

だから、

マイナスと感じられる出来事にも、

意味がある。

 

そう考えると、

たしかに、

感謝の念が湧いてきますね(^^)

 

ちなみに、

私のカウンセリングの師匠、

野口嘉則さんは、

「すべて必然」

と著書にサインをされます。

 

あなたが生きているのは、

悲しみを避けて快楽へと逃げ込むためではありません。

 

存在の半分を否定すると、

満たされることは不可能だからです。

一方の面だけでは

半分しか満たされません。

 

本書のテーマは幸福という社会通念ではなく、

バランスのとれた感覚という真理です。

 

その感覚があなたを愛に戻すのです。

プラスで満たされるだけの人生はありえない、

と思うだけで、

生きるのがずいぶん楽になりますよね。

 

マイナスも含めて、

人生すべての経験に意味があるのですから。

 

 

今回も、

最後までお読みくださいまして、

有り難うございました。

 

次回に続きます(^^;

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

前回から、

正負の法則

という本を紹介しています。

 

著者は、

ドクター・ジョン・F・ディマティーニさん。

「現代の哲人」といわれている、

人間行動学の世界的権威です。

 

この本のエッセンスを、

ひとことでお伝えするとすれば、

 

物事には、

「正」「負」すなわち、

「プラス」と「マイナス」が、

同じ量だけある。

 

ということだと思います。

 

私は、

「同じ量だけある」

ということが、

にわかには信じがたかったのですが、

ディマティーニさんの本を何度も読んだり、

巻末のフォームに記入したり、

そして、

古宮昇さん

から学んだり、個人セッションを受けることによって、

今では、かなりの部分で、

腑に落とすことができました。

 

自分の人生を振り返ってみても、

たしかに、そうだと思えるのです・・・

 

-------------------------------------

 

私事になりますが、

たとえば、

中学生、高校生の時、

私は、とにかく、

周りの目を気にしていました。

 

私の場合は、

親や教師というよりも、

むしろ、友人たちの目です。

 

友人たちの顔色を窺い、

あまり得意でもないのに、

サッカー部に入りました。

 

当時、「キャプテン翼」

が流行っていたりして、

サッカーがブームだったんですね。

 

私は、サッカーじたいは、

嫌いではなかったのですが、

目が悪く(乱視が強かったので)、

ずっと牛乳瓶のようなメガネをかけていたんです。

 

そのせいもあってか、

はっきりいって、へたくそだったんです(^^;

 

だから、

小学校でやっていたサッカーを、

あえて、中学で続ける気はあまりなかったのですが、

まわりの友人が入るからという理由で、

何となく惰性で入部しました。

 

「えっ、お前なんでサッカー部入らないの?

つきあい悪いな」

 

といわれるのを、

(自分で勝手に)恐れたんですね。

 

案の定、

惰性で入ったサッカー部、

あまり積極的にはなれませんでした・・・

 

しかし、

懲りずに、高校でもまたサッカー部に入部したのです。

理由は、同じです。

友人が入るから・・・

 

案の定、幽霊部員になりました(^^;

 

素直に退部すればいいのに、

その勇気もなく、

放課後、仲間に見つからないように、

部室やグラウンドの前を、

こそこそ逃げるように、

足早に帰宅していました。

 

かといって勉強に励むわけでもなく、

当時は、毎日下を向いて生きている、

ホント、罪悪感と自己嫌悪の日々でしたよ・・・

 

ただ、

今、考えると、マイナスばかりでもなかったかな、

と思えます(^^)

 

それまでは、

ずっと自分の気持ちから目をそらしてきましたが、

はじめて、自分自身を見つめるきっかけになりました。

 

答えを探して、いろいろな本も読みました。

(太宰治が沁みましたね・・・)

 

また、自己嫌悪に陥ることによって、

こんな生活はいずれ脱したいと、

強く、強く、願うようになりました。

 

大学入試に失敗して、

浪人することになりましたが、

もう、みじめな思いをするのは嫌だと

心底、思いました。

 

そして、ちょっと高望みでしたが、

周りの目ではなく、

自分自身で行きたいと思った大学とその学部を、

真剣に目指そうと思いました。

 

友人たちが、パチンコをしているときも、

自分の意志で、予備校の自習室にこもって、

本気で勉強しました。

 

人生で、はじめて本気になった経験でした。

 

そして、

自分の第一志望の大学に、

合格できました!

 

不遇な高校時代という、

一見、マイナスに思えた時が、

実は、雌伏の時、

豊かな内面とエネルギーを育むための、

貴重な時期だったのですね。

 

そういう意味では、

今考えると、プラスも同じくらいあったのかなと、

思えるようになりました。

 

そして、

晴れて、花の大学生活!

 

今度は、自分のやりたいサークルに入り、

アルバイトしてお金をため、

旅行に行ったり、コンパしたり、

自由を謳歌しました。

 

やりたいことを、やりたいようにやって、

思いっきりプラスの時代です!

 

しかし、

やっぱり、マイナスはあったわけで・・・

 

次回に続きます(^^;

 

今回もお読みくださいまして、

有り難うございました。