ご訪問くださいまして、
有り難うございます(^^)
今回から、
五木寛之さんのロングセラー、
で印象に残ったところを、
紹介していきます。
この本、
初版は平成10年のロングセラーですが、
今の、新型コロナ共存の時代に、
テレビや新聞にも取り上げられ、
再度、ブレイクしています!
冒頭、衝撃的な告白から始まります。
私はこれまでに二度、
自殺を考えたことがある。
最初は中学二年生の時で、
二度目は作家として
はたらきはじめたあとのことだった。
五木寛之さんは、
終戦後の朝鮮半島からの引き上げで、
筆舌に尽くしがたい体験をしたことが、
述べられています。
飢えの中で、
大人のことが信じられなくなった
経験もあるそうです。
人は生きていくなかで
耐えがたい苦しみや、
思いがけない不幸に見舞われることが
しばしばあるものだ。
それは避けようがない。
憲法で幸福に暮らす権利と
健康な生活をうたっているのに、
なぜ?
と腹を立てたところでしかたがない。
まず、
人生というものはおおむね苦しみの連続である、
と、はっきり覚悟すべきなのだ。
私はそう思うことで、
「こころ萎え」た日々から
かろうじて立ち直ってきた。
「人生というものはおおむね苦しみの連続である」
私は、若かりし頃は、
「そんなことはないだろう。
努力すれば、プラス思考で頑張れば、
おおむね幸せな人生を歩めるのではないか?」
と思っていました。
でも、なかなか人生、
そう思い通りにはいかないわけで(^^;
人間の存在そのものを悪と見て、
そこから出発する生き方もあるのではないか。
その真暗闇の虚空に、
もし一条の光が差し込むのが見え、
暖かな風が肌に触れるのを感じたとしたなら、
それはすばらしい体験である。
まさに奇跡のような幸運であると思いたい。
まず、これまでの人生観を根底からひっくり返し、
「人が生きるということは苦しみの連続なのだ」
と覚悟するところから
出発する必要があるのではないか。
たしかに、
このように考えれば、
日常のささやかな喜びにも、
感謝の気持ちが湧いてくるような気がします。
ただ、
ここまで覚悟をするには、
ある意味、
自分の心を直視する勇気がいりますが(^^;
親は子に期待してはいけない。
子も親に期待すべきでない。
人を愛しても、
それはお返しを期待することではない。
愛も、思いやりも、
ボランティアも、
一方的にこちらの勝手でやることではないか。
そう覚悟したときに、
なにかが生まれる。
なにも期待していないときこそ、
思いがけず他人から注がれる優しさや、
小さな思いやりが
<旱(干)天の慈雨>
として感じられるのだ。
そこにおのずとわきあがってくる感情こそ、
本当の感謝というものだろう。
親切に慣れてしまえば
感謝の気持ちも自然と消えてゆく。
だから慣れないことが大切だ。
いつもなにも期待しない地点に
立ち戻りつつ生きるしかない。
わかる気がします。
たしか、
シリーズにも、
このような考えが述べられていました。
これは、
「初心忘るべからず」
の精神にも通ずるような気がします。
本当のプラス思考とは、
絶望の底の底で光を見た人間の
全身での驚きである。
そしてそこに達するには、
マイナス思考の極限まで下りていくことしか
出発点はない。
私たちはいまたしかに地獄に生きている。
しかし私たちは
死んで地獄に落ちるのではない。
人はすべて地獄に生まれてくるのである。
鳥は歌い花は咲く夢のパラダイスに、
鳴り物入りで祝福されて誕生するのではない。
しかし、
その地獄のなかで、
私たちはときとして思いがけない
小さな歓びや、
友情や、
見知らぬ人の善意や、
奇跡のような愛に出会うことがある。
勇気が体にあふれ、
希望や夢に世界が輝いて見えるときもある。
人として生まれてよかった、
と心から感謝するような瞬間さえある。
皆とともに笑いころげるときもある。
その一瞬を極楽というのだ。
極楽はあの世にあるのでもなく、
天国や西方浄土にあるのでもない。
この世の地獄のただなかにこそあるのだ。
極楽とは
地獄というこの世の闇の中に
キラキラと光りながら漂う
小さな泡のようなものなのかもしれない。
人が死んだのちに往く最後の場所では決してない。
人は地獄に生まれてくる、
そこでの小さな歓び、
その一瞬が、極楽。
話はそれますが、
映画「男はつらいよ」
で、寅さんが言っていたことを
想起しました。
満男
「人間は何のために生きてんのかな」
寅さん
「難しいこと聞くな、お前は・・・
何と言うかな、あー生まれてきてよかった。
そう思うことが何べんかあるだろう。
人間そのために生きてんじゃねえのかな」
「男はつらいよ」の第三十九作目、
「寅次郎物語」より。
私の大好きな名言です(^^)
「大河の一滴」
に戻ります(^^;
「地獄は一定」
そう覚悟してしまえば、
思いがけない明るい気持ちが
生まれてくるときもあるはずだ。
それまでのたうちまわって苦しんでいた自分が、
滑稽に、子どもっぽく思えてくる場面もあるだろう。
私がこれまで
自殺を考えるところまで追いつめられながら、
なんとかそこから立ち直ることができたのは、
この世はもともと無茶苦茶で、残酷で、
苦しみや悲惨にみちみちているものなのだ、
と思い返すことができたからだったと思う。
「地獄は一定」とは、
親鸞の言葉をまとめた
「歎異抄」にでてくる、
「地獄は一定すみかぞかし」
すなわち、
「地獄が住み家です」
という意味ですね。
たしかに、
世の中そういうもの、
すなわち、
苦しみの連続だという前提に立てば、
死にたくなった時でも、
自分を客観視できるのかもしれません。
これは、
いわゆるプラス思考とは真逆の発想ですが、
よりよく生きていくために、
有益な考え方だと思います。
次回は、
TVでも取り上げられていた、
屈原の「滄浪(そうろう)の水が濁るとき」
の章を紹介します。
お読みくださいまして、
有り難うございました(^^)
