ご訪問くださいまして、 

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

野口嘉則さん著、

人生は「引き算」で輝く

という本を紹介しています(^^)

 

前回は、

大きな「引き算」の話。

すなわち、

手に入れた力や地位を失った、

この本の主人公の男性が、

劣等感、孤独感や悲しみ、

といった感情に、

しっかり向き合うことによって、

等身大の自分を取り戻した話をしました。

 

それが、いわば、

「引き算」の恩恵なのですが、

でも、やっぱり、

本音をいえば、

「引き算」は、できれば避けたいところですよね。

 

手に入れた力や地位を失うのは、

痛みを伴いますし、

どうしても、不幸なこととしてとらえてしまいます。

 

この本では、

その痛みを大きくする要因は、

「執着心」だといいます。

 

人は手に入れたものを

「自分のもの」として所有したがります。

自分が所有することに強く執着します。

 

そしてその執着心ゆえに、

手に入れたものと自分が別のものであることを忘れてしまい、

その結果、それらと自分が一体化してしまうのです。

経営者や大企業の管理職が、

家庭やプライベートでも、

「自分は偉い」と勘違いしてしまうのは、

これですね(^^;

 

気をつけねば・・・

それゆえ、それらを失ったとき、

自分の一部を切り取られたかのような喪失感を味わいます。

 

私も、役職を奪われ、権力や発言力や影響力を失ったとき、

また、車や単車を手放さざるをえなくなったとき、

耐えがたい喪失感を味わいました。

主人公のような、

大きなミスによる降格でなくとも、

組織人であれば、

これは、多かれ少なかれ、

定年後(もしくは役職定年時)

に避けて通れない道です。

手に入れたものと私は別のものであり、

私はそれらを思い通りにすることはできない。

また、私という人間の価値は、

手に入れたものには依存していない。

 

この真実を見えなくさせてしまっていたのが執着心だったのです。

ブッタも戒めている、

「執着心」

うーん、私にもいっぱいあります・・・

ほんとやっかいです(^^;

 

また、これも執着心の一種なのですが、

人は、他人の人生まで所有したくなることがあります。

 

私は転職したいと言ってきた部下に対して、

「あんなに面倒を見てやったのに、

俺に相談もなく転職を決めるなんて恩知らずだ」

と考え、

彼に腹を立てました。

 

別れたいと言ってきた彼女に対して、

「俺はこんなに愛しているのに、

その俺の愛を裏切って、

他の男を好きになるなんてゆるせない」

と考え、彼女を恨みました。

 

私は

「自分の部下」だと思っていたのです。

「自分の彼女」だと思っていたのですよ。

 

つまり、

彼や彼女の人生を所有しようとしていたわけです。

 

だから自分の期待に応えてくれなかったとき、

それを裏切りだと感じ、ゆるせないとまで思いました。

イタッ・・・

 

私も執着心のせいで、

女性に振られた経験があります(^^;

 

彼女を所有したつもりになっていて、

それを見抜かれたんですね。

(赤面)

 

よく、「あなたのためを思って」

と言ってしまうことがありますが、

それは、よくよく考えてみると、

自分の所有欲を満たす目的のときが、

多いような気がします(^^;

 

子どもにたいしても、そうですね。

 

たとえ親でも、

子どもの人生を所有することはできないのです。

 

いや、他の人の人生だけではありません。

そもそも所有という概念そのものが、

幻想ではないでしょうか。

本当は自分の所有物など、

この世には無いと思うのです。

 

私たち人間は、

いずれ死んでしまいますが、

この世で所有したものは、

何ひとつあの世にもっていけません。

 

お金も財産も地位も権力も、

何も持っていけません。

 

持っていけないということは、

それらを所有することはできないということではないでしょうか。

 

所有しているかのように、

錯覚しているだけなのです。

すべては、一時的に借りているだけなのですよ。

 

人間は死んでいくとき、

借りていたものをすべてお返しして、

命ひとつであの世にゆきます。

 

であるならば、

私たち人間がよりどころとすべきなのは、

自分が何を所有するかということではなく、

自分の命が何に喜びや充実感を感じるか

ということではないでしょうか。

なるほど・・・

 

ただ、

私は、まだここまで達観するレベルまでは、

達しておりません(^^;

 

お金も財産も地位も権力にも、

執着してしまう自分もいるのですが・・・

 

でも、

たしかに、

 

「私たち人間が、

よりどころとすべきなのは、

自分が、何を所有するかということではなく、

自分の命が、何に喜びや充実感を感じるか」

 

これは、そのとおりだと思います(^^)

 

「私の命は、何に喜びや充実感を感じるのか」

改めて自分自身に問いかけたいと思います。

 

お読みくださっている皆さまは、

何に喜びや充実感を感じますか?

 

 

次回に続きます(^^;

 

ちなみに、

次回は、

主人公に、

さらなる大きな「引き算」が訪れます。

 

それは、だれもが経験することですが・・・

 

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました(^^)

 

ご訪問くださいまして、 

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

前回から、

野口嘉則さん著、

人生は「引き算」で輝く

という本を紹介しています(^^)

 

前回は、

この本の主人公の男性が、

子どもの頃の劣等感をバネに、

会社に入ってから、

しゃにむに働き、

大きな成功をおさめたところまで、

紹介しました。

 

30代で一つの部門を任され、

100人を超える部下、高収入、権力、

上等な服、スポーツカー、大型の単車、

そして、美しい彼女も手に入れ・・・

 

多くの「足し算」を経験しました。

いわば「勝ち組」ですね。

うーん、うらやましい(^^;

 

そして、

子どもの頃の劣等感はどこ吹く風、

自分に自信が持てるようにもなったのですが・・・

 

と・こ・ろ・が、

 

風向きが変わってくるのです。

 

まず、

信頼していた右腕の部下が急に辞め、

彼女が去っていき、

そして、

部門長として、判断ミスをした結果、

会社に大きな損害を与えてしまい、

小さな部署の主任へ左遷・・・

 

給料は激減し、

スポーツカー、大型の単車は

手放さざるを得なくなり、

住まいもアパートに引っ越しました。

 

今度は、

多くの「引き算」を経験したのです。

 

「すべてを失ってしまった・・・」

 

彼は、

アパートの一室で、

一人、号泣します。

 

泣き始めて間もなく、

私は自分の胸の奥にある感情のようなものに気づきました。

 

それは、

子どものころに抱えていた劣等感でした。

それが自分の中から消えていないことに気づいたのです。

 

私は自分に自信が持てるようになったと勘違いしていました。

私の自信は自分に対するものではなく、

手に入れた地位や力に対するものでしかなかったのです。

ニセモノの自信だったのですよ。

自信は、ホンモノではなく、

地位や力に依存していたんですね・・・

自分はやっぱり駄目な人間なんだ。

そう感じると孤独感や悲しみが込み上げてきて、

私は嗚咽しました。

 

どのくらい泣いたでしょうか。

涙が涸れるほど泣いた私に、不思議な心境がおとずれました。

涙とともに余計なものが流れ落ちていったのか、

何やらすっきりしたような、静かな気持ちになっていたのです。

これは、

3つの真実(4) 真実その3「感情は感じれば解放される」

 

でも解説しました、

「感情は感じれば解放される」

ですね。

そしてどういうわけか、

自分の中の劣等感が愛おしく思えてきました。

いや、劣等感だけでなく、

自分の中の孤独感や悲しみまでもが愛おしく思えてきたのです。

 

私は思いました。

「自分はこれらの感情を感じたくないがために、

身を粉にして働いてきたのかもしれない」

心理学的な解説をすれば、

これらの感情、すなわち、

劣等感、孤独感、悲しみに直面するのが怖いので、

自分を守るために、防衛機制をしていた。

いわゆる「躁(そう)的防衛」というやつですね。

 

私もよくやってしまいますが(^^;

 

主人公は、

「引き算」によって、

ようやく、

それらの感情を受け入れられるようになります。

 

そして、

一旦それを認めると、

それらの感情が愛おしく思えてきたのです。

 

それらは、

私にとってなじみのある感情でした。

子どものころから、私とともにあった感情。

 

しばらくそれらの感情を味わっているうちに、

私は自分が子どものころに帰ったような気持ちになりました。

 

そのとき、

ふと気づいたのです。

 

「すべてを失ったなんて思っていたけど、

自分は自分のままで、ここにいるじゃないか。

 

子どもの時から今日まで、自分は自分だ。

自分以上でもないし、自分以下でもない。

 

自分自身はどこもかけていないし、

何も失っていない。

失ったのは、自分じゃないものだけだったんだ」

 

私はすべてを失ったような気がしたが、

そうではなかった。

私が失ったのは、

私がそれまでしがみついてきたものだったのです。

 

私はそれまで、手に入れた力によって、

自分のアイデンティティを作り上げていました。

 

自らの自信の根拠を、その力に置いていました。

 

つまり、

その力に依存した形で自尊心を築いていたのです。

 

さらに私は、

自分が偉くなったと勘違いし、

傲慢になっていました。

人を見下していました。

 

そんな私が失ったのは、

私のニセモノの自尊心の根拠になっていた力や地位でした。

 

そして、

私のニセモノの自尊心は脆くも崩れたというわけです。

 

それに気づいた私は、

心が少し落ち着きました。

自分の中の何かとつながった感覚でもありました。

 

そして、

今この自分でやっていこうという気持ちが湧いてきました。

 

等身大の自分で生きていく覚悟が定まったのです。

手に入れた力や地位などの外的なものは、

常に変化します。

 

それに依存すると、

安らぐことのない不安定な人生になってしまうといいます。

 

主人公は、

「引き算」の経験によって、

大きな痛みを伴うことになりますが、

それによって、

等身大の自分と向き合うことができた、

すなわち、

「地に足をつける」

ことができ、

それが、

「自己受容」

にもつながったわけです。

 

そう考えると、

「引き算」も、決して悪いことではない。

マイナスの中には必ずプラスがあるのだと思えます。

 

私は、

まだ主人公ほどではありませんが、

人生でいくつかの「引き算」を経験しています。

 

これから、さらに、

大きな引き算を経験することもあると思います。

 

引き算は怖いですし、

できれば避けたいところではありますが、

この本を読んで、いい意味で覚悟ができました(^^)

 

等身大で自分らしく生きていくための、

気づきを与えてくれることにつながると思うからです。

 

今回もお読みくださいまして、

有り難うございました。

 

次回に続きます(^^;

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

れっつごうです(^^)

 

私は横浜市に住んでいるのですが、

めっきり、秋らしい気候になってきました。

 

皆様の地域はいかがでしょうか。

 

朝晩は、特に肌寒くなってきましたので、

今日から、寝巻も長袖にしようと思います(^^;

 

今回は、

私のカウンセリング・コーチングの師匠の、

野口嘉則さん著、

人生は「引き算」で輝く

という本を紹介します(^^)

 

野口嘉則さんといえば、

ミリオンセラーの

鏡の法則

が特に有名ですが、

過去に紹介した、

3つの真実

 

や、他にも名著がたくさんあります(^^)
 
いずれ、順次紹介していきたいと思いますが、
今回は、
隠れた名作、
を紹介します。
 
ちなみに、
この本の内容は、
文庫本、
という本の後半部分にも、
収録されています。
 
文庫本が出るにあたって、
これも名著の、
がドッキングされたようです。
 
文庫本、
は、2冊分が1冊になり、
音源もダウンロードできるので、
超お買い得です(^^)
こちらをおすすめします!
 
その中で、

人生は「引き算」で輝く

の内容は、いわゆるB面扱い

(たとえが古い(笑))

なのですが、

この物語、

とても味わい深く、文章も詩的で美しいです。

いつ読んでも、心に染み入ります。

 

内容を要約しますと・・・

 

年老いた男が、

人生で起きたことを語るシーンから始まります。

 

彼は、「自信のない子」でした。

劣等感のかたまりで、

何をやってもだめ・・・

 

その劣等感の反動か、

会社に入ってからは、

がむしゃらに頑張りました。

 

「なにくそ」

と自分を奮い立たせ、

誰よりも働きました。

 

何度か大きな成果を上げ、

会社がたまたま急成長したこともあり、

一つの部門を任せられるまでになりました。

 

100人を超える部下、高収入、権力、

上等な服、スポーツカー、大型の単車、

そして、美しい彼女も手に入れました。

 

多くの「足し算」を経験しました。

 

子どもの頃の劣等感はどこ吹く風、

自分に自信が持てるようになりました!

 

うーん、うらやましいですね(^^;

 

と・こ・ろ・が・・・

 

 

いいところですが(^^;

次回に続きますね。

 

今回もお読みくださいまして、

有り難うございました。

ご訪問くださいまして、

有り難うございます(^^)

 

小倉広さんの、

もしアドラーが上司だったら

という本を紹介しています。

 

この本の解説は、

8回目になりますが、

今回で最後です(^^;

 

今回のテーマは、

「信用」と「信頼」

です(^^)

 

主人公のリョウ君は、

取引先からの広告の大口注文を、

取引先が燃費データーの改ざんをしているという理由で、

あえて、他社に譲ります。

 

社会的には誠実なことをしましたし、

自社のイメージダウンを防ぐことにもなったのですが、

リョウ君は、結果的に、

売上の穴をあけることになり、

目標達成ができなかったという理由で、

降格の憂き目にあいます・・・

 

(上司の)ドラさんは

「キミの判断で間違いない」

って言ってたではないか。

 

そしてこうも言っていた。

「キミは正しい判断ができる。

キミを百パーセント信頼するよ」

と。

 

だまされた・・・

そりゃ、思いますよね(^^;

理不尽です・・・

 

リョウ君は、

上司のドラさん(アドラーの分身?)に、

思い切ってぶつけます。

「ドラさん。

ボクを信頼している、

という言葉は嘘だったんですか?

信頼しているのなら、

なぜ、

担当変更や階級をダウンさせるんですか?

ボクを信頼していないんじゃないです?」

ドラさんはいいます。

「し・ん・ら・い・し・て・い・る・よ」

 

「当り前じゃないか!

今も百パーセント信頼しているよ!

キミを信じている」

じゃあ、なぜ階級ダウンを?

「当り前じゃないか!

会社なんだから、キミは目標を未達成だった・・・」

えっ、どういうこと?

「会社は無条件に人を信じる信頼なんかで

動きはしないんだ。

会社は常に信用で動く。

なぜならビジネス社会は

信用が前提だからだよ。

信用は常にエビデンスを求める」

 

「例えば銀行は担保がなければ金を貸さない。

そして取引実績がなければ取引しない。

クレジットカード会社は支払いが遅れた人、

つまり支払い実績がない人をブラックリストに載せて、

カードを追加発行しない。

つまり、

実績や担保を常に見る。

それを満たさなければ取引しない。

それがビジネス社会の常識なんだ。

たしかに、

ビジネスとはそういうものですね・・・

 

じゃあ、ドラさんはどっちなんだ?

会社の味方なのか?

ボクの味方なのか?

「ドラさんはボクを信頼してくれているんですか?

信用で判断するんですか?

いったいどっちなんですか?

ドラさんは答えます。

 

「リョウ君、

会社で働く時にはね。

信用と信頼という

異なる二つの考え方を

両方併用しなければならないんだよ」

 

「信用システムと信頼システムは、

いつも一緒なんだ。

ボクは課長という人格で

部下という人格のキミを

信用システムで判断する。

キミの機能価値を

冷静に実績や担保で判断するよ。

会社という信用システムを回すんだ」

 

(中略)

 

「でもね。

一人の人間としては、

ボクはキミを無条件で信頼するよ。

課長ではなく一人の人間、ドラとして

ボクは人間リョウ君を無条件に信じる。

キミはステキだよ。

キミには無限の可能性がある。

その可能性を心の底から

百パーセント信じているよ!」

 

「信用」と「信頼」

「機能価値」と「存在価値」

 

一見、矛盾するようですが、

会社では、それを併用しなけれならない。

両方を、淡々と進めればいいんですね。

 

リョウ君は、

ドラさんから、

人間として無条件に信頼するという言葉を聞いて、

すなわち、それによって、

存在価値が満たされたことによって、

会社という信用システムで、

もう一度頑張る気になります。

 

そして、その後、物語が進むと、

見事カムバックして、課長に昇格することになります!

 

ここから私が学んだことは、

 

・会社というものは、信用で動くもの。

したがって、評価や昇格は、

その人の存在価値を左右するものではない。

 

・誰かから無条件に信頼されれば、

人は存在価値が満たされ、

自信が湧き、頑張れる。

そして、土台がしっかりできれば、

機能価値も上がる。

 

ということです。

 

たしかに、ドラさんのように、

人間として無条件に

部下を信頼してくれる上司は、

なかなかいないかもしれません(^^;

 

組織の中は、

現実は、理不尽なことも多いです。

 

上司どころか、

親から、無条件な愛情を注がれなかった人も、

少なくないと思います。

(そもそも完璧な親なんていませんので・・・)

 

しかし、そうだとしても、

少なくとも、自分自身では、

自分を無条件に信頼してあげてくださいね。

 

(自分一人で難しい場合は、

カウンセラーに寄り添ってもらうのも有益だと思います)

 

会社の評価は、

人としての評価ではありません。

しょせん信用で動いている世界にすぎません。

しかも、上司も不完全な人間です。

 

「あなたは存在するだけで、素晴らしい存在です」

 

・・・と、今、

自分自身にそう言い聞かせています(^^;

 

そして、私は、

部下に対しても、

「信用システム」を淡々と回しつつも、

そのような目で見ること、

すなわち、

「あなたは存在するだけで素晴らしい」

という視点で見ることを、

忘れないようにしたいと思っています。

 

ドラさんのように。

 

以上、8回にわたって、

小倉広さんの、

もしアドラーが上司だったら

を私なりに解説してきました(^^;

 

アドラー心理学で有名な本は、

岸見一郎先生の大ベストセラー、

嫌われる勇気

という名著や、

 

同じく、小倉広さんの、

アルフレッド・アドラー 人生に革命が起きる100の言葉

もあります。

 

もしアドラーが上司だったら

は、物語形式で読みやすく、

特に、働く人には、

感情移入しやすいと思うので、おすすめします!

 

最後までお読みくださって、

有り難うございました(^^)

 

次回は、別の本を紹介しますね(^^;

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます(^^)

 

小倉広さんの、

もしアドラーが上司だったら

という本を紹介しています。

 

今回、7回目になります!

 

今回のテーマは、

「相手からの見返りを求めずに、

まずは自分から始める」

ということと、

「課題の分離」

です(^^)

 

主人公のリョウは、

「毎日誰かを喜ばせる」

という宿題を実践しています。

 

普段は同僚のリカがやっている、

給湯室のみんなのコーヒーカップを洗う作業を、

代わりにやってあげました。

 

もちろん、リカには喜ばれて、

「やってよかった!」

とご満悦だったのですが・・・

 

同僚のツヨシが、

「チッ」と舌打ちをします。

そして周囲が笑っています。

 

それを受けて、

リョウは、

「彼らはボクをバカにしているに違いない」

「得点稼ぎのエエカッコしいだと思われている」

と落ち込んでいます。

 

「もう余計なことをするのはやめよう」

と思ってしまいました。

 

そこで、

上司である、

ドラさん(アドラーの分身?)

がこう言います。

 

「相手には相手の考え方がある。

喜び感謝する人もいれば、

余計なお世話と拒絶する人もいる。

噴水のライトののように

人それぞれ七色の光だ。

全員から感謝されることなんて

不可能なんだよ。

もし全員に喜ばれようとすれば、

相手の顔色を窺ってばかりで、

貢献なんてできっこない」

 

「だからね。

拒絶されても、

バカにされても、

無視されてもいいんだ。

キミがキミなりの善意で

『相手のため』

と信じて行動したのであれば

それでいいんだ。

独り相撲でいいんだよ!」

「独り相撲でいい!」

この考え方、

私はずいぶん救われました(^^;

 

まわりの顔色を気にして、

なかなか行動に移せないことが

多かったからです。

 

善意でも、

受け取り方は、人それぞれ。

 

全員に喜ばれなくても、

いいんですね(^^)

 

「アドラー心理学では

『それは誰の課題か?』

という問いを大切にするんだ。

リカに代わってみんなのマグカップを洗うか、

洗わないか?

その結末を引き受けるのはキミ。

だから、

カップを洗うか洗わないかは、

リョウ君の課題だ」

 

「でもね、

リョウ君がしたことに対して

リカやイチローやツヨシ君が

どのように反応するか?

キミに感謝するか、

点数稼ぎだと非難するか。

それを決め、結末を引き受けるのは

キミではなく彼らだ。

だから、

それは彼らの課題なんだよ」

なるほど~

有名な、

「課題の分離」

ですね(^^)

 

「誰の課題か?」

それは、

「結末を引き受ける」

ほうの課題であって、

そこはしっかり境界線を引く。

 

「他人の課題に踏み込むから

対人関係がうまくいかない。

そして、

他人の課題を背負うから苦しくなる。

できないことをやろうとするから

苦しいんだ。

キミはキミの課題だけを考えれば

いいんだよ!」

ついつい、

他人の課題(=他人の反応)

を背負い込んでしまいがちですが、

自分の課題だけにフォーカスすればいいとなると、

気が楽になりますね(^^)

 

ただ、どうしても、

私たちは、

他人の課題に踏み込んでしまいがちです(^^;

 

よくありがちなのは、

善意からなのですが、

たとえば、

親が、勉強をしない子供に、勉強を押し付ける。

子どもの進路や結婚相手に、口を出す。

上司が、部下の仕事のやり方を強制的に変える。

などなど・・・

 

たしかに、

課題を分離しきれない部分もあると思います。

 

仕事は、成果が求められるので、

当然、指導が必要だったりもします。

 

難しいところではありますが、

しかし、

相手が決めるべき相手の課題に

土足で踏み混んで強制する、

それでは「支配」になってしまいます。

 

勉強をしない結果、

その結末を引き受けるのは子供自身ですし、

「勉強をすべき」

「でないと将来苦労する」

というのは、

「親の価値観」であって、

必ずしもそれが正しいわけではないのです。

 

「課題の分離」

 

実際は難しい部分もあり、

私も、なかなかできませんが(^^;

これがうまくできれば、

世の中、

人間関係のトラブルは減ると思います。

 

今回も、

最後までお読みくださいまして、

有り難うございました(^^)

 

次回に続きます(^^;