ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

200万部突破!

ミリオンセラーの

 

嫌われる勇気

 

 

の内容で、

私の印象に残ったところを、

少しずつ紹介、解説しています。

 

今回で、9回目ですね(^^;

 

この本、

哲人(岸見一郎先生)と、

悩み多き青年(古賀史健さん)

の対話形式で進みます。

 

前回から、

 

「課題の分離」

について、

紹介、解説しています(^^)

 

「課題の分離」

とは、

 

「これは誰の課題なのか?」

という視点から、

自分の課題と他者の課題を分離し、

他者の課題には踏み込まない。

 

という考え方です。

 

前回、

親子関係や仕事関係の例を挙げて、

紹介、解説しました。

 

ちなみに、

前回、紹介をし忘れたのですが(^^;

仕事関係で、

アドラー心理学の考え方を活かすには、

小倉広さんの本、

 

アドラーに学ぶ部下育成の心理学

アドラーに学ぶ職場コミュニケーションの心理学

 

 

の2冊をオススメします!

(実践的でとても有益ですよ)

 

で、今回は、

「課題の分離」

を、少し違う角度から説明しますね。

 

この本で、

青年(古賀さん)は、

「課題の分離」

とは、

つまり、

 

「自己中心的に、

好き勝手に生きろということなのか???」

 

と疑問を呈します。

 

それに対して、

哲人(岸見先生)は、

こう答えます。

 

 

課題を分離することは、

自己中心的になることでは

ありません。

 

むしろ

他者の課題に介入

することこそ、

自己中心的な発想なのです。

 

 

「他者の課題に介入することこそ、

自己中心的な発想?」

 

う~ん、

どういうことなのでしょうか。

 

別の本になりますが、

前出、小倉広さんの、

比べない生き方 (ベスト新書)

 

(私が、何度も繰り返し読んでいる本です!

いずれ、このブログでも詳しく紹介しますね)

 

 

のある箇所を思い浮かべました。

 

引用させていただきます(^^;

 

 

以前の私(小倉広さん)は、

妻が家で機嫌が悪いと

それが許せませんでした。

 

その理由は、

「妻の機嫌が悪いのは

自分のせいだ」

と思ってしまっていたからです。

 

自分は素晴らしい夫ではない。

 

妻を機嫌良くさせることも

できない夫。

 

夫としては失格だ、

と考えていたからです。

 

ですから、

かつての私は

妻を変えようと必死でした。

 

妻は、

意味もなく突然、

不機嫌になる。

 

どう見ても

何かに怒っているような感じで、

話しかけても、

ほとんど返事をしなくなるのです。

 

せっかく楽しいはずの

旅行に行っても、

ずっとムスっとしている。

 

 

うわっ、

これ、ウチもよくある(^^;

 

 

そこで私は

妻の機嫌を取ろうと

頑張ります。

 

なぜならば、

ムスっとしている妻を見るのが

つらいからです。

 

もっと言うと

腹が立つからです。

 

当時は、

そんな自分の感情に

気づかずに、

「何とか彼女を笑わそう」

と一生懸命でした。

 

「あの観光スポット見に行く?」

 

「こんな美味しいものあるけど、

食べる?」

 

私は、孤軍奮闘、

努力します。

 

そして、

それは、

妻を幸せにしてあげたいという

親切心だとばかり

思い込んでいたのです。

 

しかし、

いまとなっては

よくわかります。

 

それは

妻のためではなく、

自分のため、

実際は、利己心だったのです。

 

単に自分の腹が立つから、

妻を変えたかった

だけなのです。

 

だから、

妻からその努力を否定されると

逆ギレしてしまった。

 

妻から

「なんでわざわざ

遠回りしてまで見に行くの?」

などと言われ、

ますます腹を立てる。

 

「オレがこんなに

おまえのために

してやっているのに、

なぜそれが

わからないんだ!」

 

こうして最後は、

私が堪忍袋の緒が切れて

怒鳴ってしまうのです。

 

 

「単に自分の腹が立つから、

妻を変えたかっただけ・・・」

 

うわっ、痛っ・・・

 

私も、旅行先で、

何度も、同じようなことをやらかしてしまった

経験があります(^^;

 

 

男女が逆のケースもありそうです。

 

皆さんはいかがでしょうか。

 

 

では、

妻がこのような状態だったら、

どうすればいいのでしょうか?

 

いまの私であれば、

妻の機嫌が悪かったら、

放っておきます。

 

「自分には関係ない。

彼女の事情だ」

 

と考えて、

機嫌が悪いままにしておいて

あげるのです。

 

それが、

自分と相手の間に

「境界線を引くこと」

になります。

 

(以上、「比べない生き方」より引用)

 

 

この場合の、

「境界線を引く」

 

まさに、これが、

「課題の分離」

なんですね!

 

妻の機嫌が悪いのは、

妻の「課題」である。

(もちろん、

明らかに自分に非がある場合は別ですが)

 

それに、影響される必要はない。

 

そこに、無理矢理踏み込まない。

 

相手を、変えようとしない。

 

すなわち、

相手が不機嫌になる権利を尊重する。

 

ということです。

 

それでも、

相手の不機嫌が、

どうしても気になる時には?

 

その場を外したり、

しばらく距離を置くというのも、

有効な手だと思います(^^;

 

 

境界線を引くということは、

一見すると

「冷たい人になる」

ことであるように感じて

抵抗がある人もいるでしょう。

 

しかし、

本当の優しさというのは、

中長期的に

その人のためになることであり、

短期的に

相手をねじ伏せて、

その場でイエスと

言わせることでは

ありません。

 

それは本物の優しさでは

ないのです。

 

(「比べない生き方」より引用)

 

 

そうですね・・・

 

自分と相手は、

あくまで違う存在である。

 

機嫌がいい時も、

悪い時もある。

 

相手の機嫌が悪い時は、

境界線を引いたうえで、

それはそれで尊重する。

 

それが、

本当の優しさかもしれませんね。

(実践はけっこう難しいですが(^^;)

 

 

今回は、

「嫌われる勇気」

の本の紹介、解説というよりも、

小倉広さんの本が

メインになりましたが・・・

 

次回は、

「嫌われる勇気」

に戻りますね(^^;

 

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました😊

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

200万部突破!

ミリオンセラーの

 

嫌われる勇気


 

の内容で、

私の印象に残ったところを、

少しづつ紹介、解説しています(^^)

 

今回で、もう8回目!

 

この本、

哲人(岸見一郎先生)と、

悩み多き青年(古賀史健さん)

の対話形式で進みます。

 

前回は、

「承認欲求」

について、触れました。

 

今回は、

「課題の分離」

 

私がこの本を読んだ中で、

最も、衝撃を受けた考え方です(^^;

 

皆さまも、

参考にしていただければ嬉しいです(^^)

 

例として、

子どもの勉強に関することが、

挙げられています。

 

 

<哲人(岸見先生)>

 

たとえば目の前に

「勉強する」

という課題があったとき、

アドラー心理学では

「これは誰の課題なのか?」

という観点から

考えを進めていきます。

 

<青年(古賀さん)>

 

誰の課題なのか?

 

<哲人>

 

子どもが

勉強するかしないのか。

あるいは、

友達と遊びに行くのか

行かないのか。

 

本来これは

「子どもの課題」

であって、

親の課題ではありません。

 

(中略)

 

勉強することは

子どもの課題です。

 

そこに対して親が

「勉強しなさい」

と命じるのは、

他者の課題に対して、

いわば

土足で踏み込むような

行為です。

 

これでは

衝突を避けることは

できないでしょう。

 

われわれは

「これは誰の課題なのか?」

という観点から、

自分の課題と

他者の課題とを

分離していく必要が

あるのです。

 

<青年>

 

分離して、どうするのです?

 

<哲人>

 

他者の課題には

踏み込まない。

 

それだけです。

 

<青年>

 

・・・それだけ、ですか?

 

<哲人>

 

およそ

あらゆる対人関係の

トラブルは、

 

他者の課題に

土足で踏み込むこと―

 

あるいは自分の課題に

土足で踏み込まれること―

 

によって

引き起こされます。

 

課題の分離ができるだけで、

対人関係は

激変するでしょう。

 

なるほど・・・

 

でも、

この場合、

子どもに勉強させることは、

保護者である親の責務(課題)

ともいえるのでは?

 

どうやって、

誰の課題かを見分けるのでしょうか?

 

<哲人>

 

誰の課題かを

見分ける方法は

シンプルです。

 

「その選択によって

もたらされる結末を

最終的に引き受けるのは

誰か?」

 

を考えてください。

 

「結末を引き受けるのは誰か?」

 

たしかに、子どもですね(^^;

 

 

たしかに

世の親たちは、

 

頻繁に

「あなたのためを思って」

という言葉を使います。

 

しかし、

親たちは明らかに

自分の目的

 

―それは世間体や

見栄かもしれませんし、

支配欲かもしれません―

 

を満たすために

動いています。

 

つまり、

「あなたのため」

ではなく

「わたしのため」

であり、

その欺瞞を

察知するからこそ、

子どもは反発するのです。

 

どきっ、

 

その欺瞞を

察知するからこそ、

子どもは反発する

 

というのは、

わかる気がします(^^;

 

<青年>

 

じゃあ、

子どもがまったく

勉強していなかったとしても、

それは子どもの

課題なのだから放置しろ、

と?

 

<哲人>

 

ここは注意が必要です。

 

アドラー心理学は、

放任主義を奨励するものでは

ありません。

 

放任とは、

子どもがなにをしているのか

知らない。

知ろうともしない。

という態度です。

 

そうではなく、

子どもがなにをしているのかを

知った上で、

見守ること。

 

勉強についていえば、

それが

本人の課題であることを伝え、

もしも本人が

勉強したいと思ったときには

いつでも援助をする用意

があることを伝えておく。

 

けれども、

子どもの課題に

土足で踏み込むことはしない。

 

頼まれもしないのに、

あれこれ口出ししては

いけないのです。

 

なるほど・・・

 

たしかに、私が子どもだったとしたら、

何にせよ、

土足で踏みこまれたら反発しますね(^^;

 

やっぱり、

したいと思ったときに、

適切な援助をしてもらえたら嬉しいです(^^)

 

私は、子どもがいないので、

親の立場はよくわからないのですが、

職場の部下育成で考えてみると・・・

 

「言うは易し、行うは難し」

けっこう、バランスが難しいですね(^^;

 

この本を読んで、

「今まで、けっこう土足で踏みこんでいたなあ」

と反省して、

「これからは、部下の主体性を尊重しよう」

と考えた時期もありましたが、

ともすれば、

それは、

「放任」になってしまうんですね。

 

おそらく、それは、

部下にも見抜かれる。

 

そもそも、

私のことに、

そんなに関心が無いのだと。

 

だから、本当の意味で、

「信頼」はされない(・・;)

 

実際、

私の上司から、

私の部下育成に対して、

 

「おまえは優しすぎる」

「(無理矢理でも)やらせなきゃだめだ」

 

といわれたこともあります(^^;

 

仕事だから、とはいえ、

そうかなあ・・・

と全面的には受け入れられないのですが(^^;

 

でも、たしかに、

一面では、その通りのところもあって、

部下への関心、

すなわち、

部下を想う気持ちが薄かった部分も

やっぱり、あるのですね(^^;

 

それを、部下の主体性を尊重するという、

キレイごとにすり替えていたという(^^;

 

う~ん・・・

 

土足で踏みこんでもだめだし、

放任でもだめ。

 

相手を気にかけつつも、

口出しをせず、じっと見守る。

 

相手が求めた時や、

いざという時は、

最大限の援助をする。

 

その先、

それ以上は踏み込まない。

(すなわち、相手を変えようとしない)

 

なかなか難しいことですが、

心がけていきたいです(^^;

 

 

「課題の分離」

 

は奥が深いので、

次回も、別の角度から解説します。

 

今回も、

最後までお読みくださいまして、

誠にありがとうございました(^^)

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

200万部突破!

ミリオンセラーの

 

嫌われる勇気

 

 

の内容で、

私の印象に残ったところを、

紹介、解説しています(^^)

 

今回で、

もう7回目ですね(^^;

 

中身が濃い本なので、

なかなか終わりません(^^;

 

この本、

哲人(岸見一郎先生)と、

悩み多き青年(古賀史健さん)

の対話形式で進みます。

 

今回は、

「承認欲求」

から

「課題の分離」

までを、

紹介、解説していきたいと思います。

 

(特に、課題の分離の考え方は、

初めて読んだ時、目からうろこでした!)

 

「承認欲求」

 

すなわち、

「私を認めてほしい!」

という欲求。

 

誰にでも、ありますよね。

 

マズローの欲求5段階説

では、

上から2番目、

高いレベルの欲求に入っています。

 

しかし、

この本では、

な、なんと、

承認欲求を否定します。

 

 

ええっ・・・

 

 

個人的には、

さらに上位の

自己実現欲求を満たすためにも、

まずは、承認欲求を満たすことが、

必要不可欠だと考えますが・・・

 

たとえば、

このブログを書いていることだって、

いいね!やコメントをいただけると、

正直、とても嬉しい!

 

ということは、

承認欲求を満たすために、

書いている要素もあるわけであって(^^;

 

仕事だってそうですね。

 

たとえば、

地位が上がると嬉しいのは、

給料が増えるのはもちろんのこと、

それ以上に、

「認められた」

という実感が湧くからです(^^;

 

承認欲求は、

頑張る原動力にもなる。

 

しかし、

この本では、

他者から承認を求めることを

否定するのです。

 

 

で、そもそも、

何故、人は、

他者からの承認を求めるのか?

 

賞罰教育の影響だといいます(・・;)

 

<哲人(岸見先生>

 

適切な行動をとったら、

ほめてもらえる。

 

不適切な行動を取ったら、

罰せられる。

 

アドラーは、

こうした賞罰による教育を

厳しく批判しました。

 

賞罰教育の先に

生まれるのは、

 

「ほめてくれる人が

いなければ、

適切な行動をしない」

 

「罰する人がいなければ、

不適切な行動もとる」

 

という、

誤ったライフスタイルです。

 

ほめてもらいたいという

目的が先にあって、

ごみを拾う。

 

そして

誰からもほめてもらえなければ、

憤慨するか、

二度とこんなことはするまいと

決心する。

 

明らかにおかしい話でしょう。

 

 

ほめてもらえない限り、

適切な行動をしない・・・

 

そんな世界になったら、

悲しいですね。

 

 

<青年(古賀さん)>

 

違います!

話を矮小化しないで

いただきたい!

 

わたしは教育を論じているのでは

ありません。

 

好きな人から

認められたいと思うこと、

 

身近な人から

受け入れられたいと思うこと、

 

これは当たり前の

欲求です!

 

 

そりゃあ、そうです!

 

 

<哲人>

 

あなたは大きな勘違いをしている。

 

いいですか、

 

われわれは

「他者の期待を満たすために

生きているのではない」

のです。

 

 

う~ん、

 

たしかに、

私たちは、他者の期待を満たすために、

生きている訳ではありません。

 

 

<哲人>

 

他者からの承認を求め、

他者からの評価ばかりを

気にしていると、

最終的には

他者の人生を生きること

になります。

 

承認されることを

願うあまり、

他者が抱いた

「こんな人であってほしい」

という期待をなぞって

生きていくことになる。

 

つまり、

ほんとうの自分を捨てて、

他者の人生を

生きることになる。

 

 

よく言われることですが、

特に日本は、

海外と比較しても、

「世間」という考え方が根強く、

世間の目、

すなわち、

他人の目、周りの評価を

非常に気にするという

風土がありますよね。

 

たしかに、

よほど意識しないと、

気が付いたら、

いつのまにか、

「他人の人生を生きている」

という状態になりかねません。

 

 

<哲人>

 

意外に思われる

かもしれませんが、

カウンセリングを

受けに来られる相談者に、

わがままな方は

ほとんどいません。

 

むしろ

他人の期待、

親や教師の期待に

応えようとして

苦しんでいる。

 

いい意味で

自分本位に振る舞うことが

できないわけです。

 

 

同感です。

 

いわゆる、

「いい人」ほど、

期待に応えようとして、

苦しんでしまう・・・

 

そういう方は、

むしろ、

わがままなくらいが

ちょうどいいのかもしれません。

 

 

一度きりの人生。

 

「他人の人生」ではなく、

「自分の人生」を、

 

「他人の価値観」ではなく、

「自分の価値観」を、

 

「他人」ではなく、

「自分」で「自分」を承認できる強さを

身に付けたいものですね・・・

 

 

よしっ、

 

このブログ、

たとえ、

だれも読んでくれなくても、

 

だれも「いいね!」や

「コメント」をくれなくても

 

続けるぞ!

 

 

 

と、いうわけには・・・

いきません(笑)

 

(ちょっと極論ですね)

 

私、そこまで強くありませんので(^^;

 

(ということで、

どうか引き続きご支援くださいね(^^;)

 

今回も、

最後までお読みくださいまして、

有り難うございました(^^)

 

あっ、今回、

「課題の分離」

まで紹介できませんでした(^^;

 

それは次回に😊

 

 

 

追伸

 

承認欲求について、

とても興味深く掘り下げている本、

 

勢古浩爾さんの、

わたしを認めよ!

 

 

他者承認から自己承認への道筋が

熱く述べられています(^^)

 

アマゾンのレビュー評価は何故か低いですが、

私はとても好きな本です!

(残念ながら絶版ですか)

 

もう10年以上前ですが、

夢中になって読みました😊

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

200万部突破!

ミリオンセラーの

 

嫌われる勇気

 

 

の内容で、

私の印象に残ったところを、

紹介、解説しています(^^)

 

今回で、

もう6回目ですね(^^;

 

この本、

哲人(岸見一郎先生)と、

悩み多き青年(古賀史健さん)

の対話形式で進みます。

 

前回、

劣等コンプレックスや、

不幸自慢、

優越コンプレックス、

に陥る原因は、

 

他者との「比較」や「競争」

 

だということを述べました。

 

対人関係の軸に

「競争」があると、

人は対人関係の悩みから

逃れられず、

不幸から逃れることが

できないといいます。

 

なぜ?

 

競争の先には、

勝者と敗者があるからです。

 

そうなると、

他者全般のことを、

ひいては、世界全般のことを、

「敵」だとみなすようになるといいます。

 

<哲人(岸見先生)>

 

敗者になりたくない、

そして、

敗者にならないためには、

つねに

勝ち続けなければならない。

 

他者を信じることができない。

 

社会的成功を

おさめながら

幸せを実感できない人が

多いのは、

彼らが競争に

生きているからです。

 

彼らにとっての世界が、

敵で満ちあふれた

危険な場所だからです。

 

 

たしかに、そうですね。

 

心休まる場所がなくなります(^^;

 

たとえば、

企業社会では、

多少の競争も必要だとは思いますが、

そもそも、今の時代は、

競わせるというのは、

あまりモチベーションアップには

繋がらないと感じます。

 

私が、管理職試験に

なんとか合格したとき、

社長から、

同じタイミングで登用された同僚と

「この先は競争だぞ!」

と言われましたが、

何だか、醒めた気分になったことを

思い出します(^^;

 

 

<哲人>

 

実際のところ、

他者はそれほどにも

「あなた」を見ている

ものでしょうか?

 

あなたを24時間監視し、

隙あらば攻撃してやろうと、

その機会を虎視眈々と

窺っているものでしょうか?

 

おそらく違うでしょう。

 

私の若い友人が

少年時代、

長いこと鏡に向かって

髪を整えていたそうです。

 

すると彼は、

祖母からこういわれました。

 

「お前の顔を

気にしているのは

お前だけだよ」と。

 

それ以来、

彼は生きていくのが

少しだけ楽になったといいます。

 

 

うわっ、

思春期のころの私です(^^;

 

「お前の顔を気にしているのは

お前だけだよ」

 

たしかに、

その通りだと思います(^^;

 

他人は、

一瞬は注目するかもしれませんが、

すぐに忘れるものです。

 

ちなみに・・・

 

今の私は、

髪型を整えたくても、

それが、できなくなってきました(^^;

 

かなり薄いので(笑)

 

えっ、

アイコンと違うって?

 

アイコンに

うすらハゲバージョンがなかった(?)

ので、

ご容赦ください・・・

 

 

さておき、

 

他人の言動を気にし過ぎると、

けっきょく、損するのは、

自分なんですよね。

 

たとえば、

(本人に悪気はないとしても)

気になることを言ってきたり、

いわゆる、

マウンティングを

とってきたりする人がいます。

 

言われた方は、

気になって、

ずっと思い悩んだり、

くやしくて眠れなかったりしますが、

(私もたまにあります(^^;)

でも、

当の発言した本人は、

すっかり忘れて、

高枕で爆睡しているのかも

しれないのです。

 

「気にしない♪気にしない♪」

(アニメ一休さん)

ですね(^^)

 

 

また、相手が、

「権力争い」をしてきたら、

それに乗ってはいけないと、

哲人さんはいいます。

 

相手のその目的が、

「勝つことによって、

自らの力を証明したい」

からです。

 

その場合、

たとえ、こちらが相手を

言い負かしたとしても、

権力争いは終わりません。

 

次の段階に突入してしまう。

 

すなわち、

「復讐」の段階です。

 

別の場所、

別のかたちで、

報復行為にでるのです。

 

たとえば、

こんな例が挙げられています。

 

<哲人>

 

(親から虐げられた子供が)

自分が非行に走ったり、

不登校になったり、

リストカットをしたりすれば、

親は困る。

 

あわてふためき、

胃に穴が開くほど

深刻に悩む。

 

子どもはそれを知った上で、

問題行動に出ています。

 

過去の原因(家庭環境)

に突き動かされている

のではなく、

いまの目的(親への復讐)

をかなえるために。

 

う~ん、

手厳しいですが・・

 

目的論で捉えると、

この場合の目的は

親への復讐なんですね・・・

 

私は、必ずしも、

非行や不登校、リストカットをする目的が、

すべて復讐のためだとは思いませんが、

そういうケースも、

たしかにあると思います。

 

権力争いについては、

もうひとつ、罠があるといいます。

 

<哲人>

 

いくら自分が正しいと

思えた場合であっても、

それを理由に

相手を非難しないように

しましょう。

 

ここは多くの人が陥る、

対人関係の罠です。

 

<青年>

 

なぜですか?

 

<哲人>

 

人は、

対人関係のなかで

「わたしは正しいのだ」

と確信した瞬間、

すでに権力争いに

足を踏み入れているのです。

 

なるほど・・・

 

これを受けて、

私は、

尊敬する心理学博士

古宮昇先生が、

本やフェイスブックで触れていたお話を

思い浮かべました。

 

シェアさせていただきますね(^^)

 

--------------------------------------

 

古宮先生が勤めていた大学で、

禁煙の場所でタバコを吸う学生を

ときとき見かけたそうです。

 

「ここでタバコを吸ってはあかんねん!

喫煙場所へ行きなさい!」💢

 

とキツイ言葉で注意します。

 

すると彼らは、

「チッ」と不服そうにタバコを消します。

 

時には、

古宮先生が通り過ぎたあとに、

再びタバコに火をつける姿も

見受けられたそうです。

 

「態度が悪いヤツ!」💢

とさらに腹が立ちますね。

 

しかし、

古宮先生は、あるとき、

ふと思ったそうです。

 

「ひょっとして、ひょっとして・・・

態度の悪いのはボク?」

 

そこで、アプローチを変えました。

 

笑顔で優しく、こう言ってみました。

 

「あの、ごめんね」😊

 

「タバコはあっちの

喫煙エリアで吸ってね」😊

 

すると学生は、

「あ、すいません」

と素直に答え、

すぐにタバコを消したり、

移動したりしました。

 

このアプローチによって、

学生が快く答えてくれた確率は

なんと100%!

 

穏やかに話す人には、

人はかみつかないものです。

 

特に、

「自分が正しい」

「自分が正義だ」

と思うときは、

穏やかに優しく話すことを

心がけたいです・・・

 

------------------------------------

 

以上、古宮先生のエピソードを

紹介させていただきました(^^)

 

ほんと、そうですね。

 

正直にいいますと、

私は、古宮先生のような対応は、

なかなかできません(^^;

 

こちらが正しいと思うと、

鬼の首を取ったように、

ここぞとばかりに、

主張してしまったりします(^^;

(いい年して情けないですが・・・)

 

妻に対しても、同僚、部下に対しても・・・

(とほほ、まだまだ未熟です(^^;)

 

「正しさ」や「正論」で追い詰めると、

相手は反論できなくなりますが、

いずれ、復讐するか、面従腹背しますよね。

 

「正義は時に人を傷つける」

 

こちらが明らかに正しいと思う時こそ、

心がけたいものですね。

 

誰もが、弱さを抱えて、

生きている訳ですから。

 

今のご時世。

 

傲慢にならないように。

 

自戒を込めて(^^;

 

今回も、

最後までお読みくださいまして、

有り難うございました😊

 

次回は、

アドラー心理学の中で、

私が一番インパクトを受けた考え方

「課題の分離」

を紹介させていただく予定です。

 

ご期待ください!

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

200万部突破の

ミリオンセラー

嫌われる勇気

 

 

の内容を、紹介、解説しています!

 

早くも、5回目になりました(^^;

 

この本、

哲人(岸見一郎先生)と、

劣等感や自己嫌悪に苛まれ、

なかなか対人関係に踏み出せないという

青年(古賀史健さん)

の対話形式で進みます(^^;

 

前回、

 

「人間の悩みは、

すべて対人関係の悩みである」

 

というアドラーの言葉を紹介して、

「劣等感」

について述べました。

 

本来、

「劣等感」それ自体は、

別に悪いものではないんですね。

 

劣等感をバネにすることが

できるからです(^^)

 

<哲人(岸見先生)>

 

自らの劣等感を

取り除くべく、

より前進しようとする。

 

現状に満足することなく、

一歩でも先に進もうとする。

 

もっと幸せになろうとする。

 

こうした劣等感のあり方には、

なんの問題もありません。

 

そうですね、

劣等感は、

向上心につながりますよね。

 

私も実感があります(^^)

 

 

ところが、

一歩踏み出す勇気をくじかれ、

 

「状況は現実的な努力によって

変えられる」

 

という事実を

受け入れられない

人たちがいます。

 

なにもしないうちから

 

「どうせ自分なんて」

「どうせがんばったところで」

 

と、あきらめてしまう

人たちです。

 

このように、

「どうせ自分なんて」

と、あきらめてしまうことを、

 

アドラー心理学では、

「劣等感」

ではなく、

「劣等コンプレックス」

といいます。

 

嫌われる勇気(3) 岸見一郎・古賀史健

 

 

でも触れましたが、

 

「一歩踏み出すのが怖い」

「現実的な努力をしたくない」

「今の楽しみを犠牲にしてまで

変わりたくない」

 

すなわち、

「ライフスタイル」

を変える勇気を持ち合わせていない

ということなんですね(^^;

 

(私も過去、そんな時期がありました・・・)

 

「劣等コンプレックス」

は、別の心理状態に発展することもあります。

 

「優越コンプレックス」

です。

 

「できない自分」

を受け入れられず、

安直な手段で補償しようと考えること、

 

あたかも自分が

優れているかのように振る舞い、

偽りの優越感に浸ることをいいます。

 

たとえば、

やたらと「権威づけ」や

「自慢」をすることですね。

 

(どきっ・・・

私も自分に自信が持てない時ほど、

やってしまいます(^^;)

 

「優越コンプレックス」は、

「自己愛性パーソナリティ障害」

の傾向とも似ていますね。

 

ちなみに、

三島由紀夫やカラヤン、

サルバドール・ダリ、

ココ・シャネル、

などは、

「自己愛性パーソナリティ障害」

の傾向があったと言われています。

 

「パーソナリティ障害」

に関して興味関心のある方は、

岡田尊司さんの

パーソナリティ障害 (PHP新書)

 

 

をおすすめします。

 

横道にそれました(^^;

 

「劣等コンプレックス」

は、特異な優越感に至ることもあるといいます。

 

「不幸自慢」です。

 

<哲人>

 

生い立ちなど、

自らに降りかかった不幸を、

まるで自慢するかのように

語る人。

 

そして他者が慰めようとしたり、

変化を促そうとしても、

 

「あなたには

わたしの気持ちはわからない」

 

と救いの手を

払いのけるような人です。

 

こうした人たちは、

不幸であることによって

「特別」であろうとし、

不幸であるという

一点において、

人の上に立とうとします。

 

(中略)

 

もちろん、

傷を負った人の語る

 

「あなたにはわたしの

気持ちがわからない」

 

という言葉には、

一定の事実が

含まれるでしょう。

 

苦しんでいる

当事者の気持ちを

完全に理解することなど、

誰にもできません。

 

しかし、

自らの不幸を

「特別」であるための

武器として使っている限り、

その人は永遠に

不幸を必要とすることに

なります。

 

 

う~ん、

これは、ずいぶん辛辣な意見ですが(^^;

 

たしかに、

「不幸」を武器に使っている限り、

永遠に「不幸」を必要とする。

 

というのは、納得できます・・・

 

もし、そこから本気で脱却しようと思うなら、

まず、「傷つき」を解消する必要があります。

 

ただし、独力だとけっこう難しいので、

その場合は、人の支援を受ける、

たとえば、カウンセラーの力を借りるのも、

有効だと思います(^^)

 

(ご自分で抱え込む必要はないですよ(^^;)

 

 

健全な劣等感ではなく、

このような、

劣等コンプレックスや、

不幸自慢、

優越コンプレックス、

に陥る原因は、

 

他者との「比較」や「競争」

だといいます。

 

<青年(古賀さん)>

 

人生は競争ではない、と?

 

<哲人(岸見先生)>

 

ええ。

誰とも競争することなく、

ただ前を向いて

歩いていけばいいのです。

 

もちろん、

他者と自分を

比較する必要もありません。

 

(中略)

 

健全な劣等感とは、

他者との比較のなかで

生まれるのではなく、

「理想の自分」との比較から

生まれるものなのです。

 

(中略)

 

われわれが歩くのは、

誰かと競争するためではない。

 

いまの自分よりも

前に進もうとすることにこそ、

価値があるのです。

 

 

ほんと、そうですね(^^)

 

私たちは、ついつい、

他人と比較、競争をしてしまいがちですが、

それでは、決して満たされることのない、

不安定な人生を歩むことになります。

 

「今の自分よりも前に進む」

 

やっぱり、

そこにフォーカスしていきたいですね!

 

(と、自分にも言い聞かせています(^^;)

 

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました。

 

次回も続きます😊

 

追伸

 

まったく関係ないのですが、

昨日、宮音(ミヤオ)くんが、

1歳の誕生日だったので、

特別出演させていただきます(^^;

 

 

 

 

 

 

 

宮音、いつも有り難う!

存在に感謝します😊

 

ただ・・・

 

どいてくれ!ブログ更新できない(笑)