ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

今日の横浜は、

天気がとってもよくて、

ぽかぽかでした😊

 

テレビドラマの脚本家、

作家としても有名な、

山田太一さんの

 

異人たちとの夏

 

 

を読んで、

私の印象に残ったところを、

紹介しています。

 

48歳の男性の主人公は、

何故か、自分よりも年下の

両親らしき?人と遭遇し、

何度か浅草の自宅を訪れるのですが、

 

そこで、

私にとって、

印象的なシーンがあります。

 

 

「英雄」

 

急に背後から声をかけられた。

父の声だ。

すぐには振り返れなかった。

 

「なにしてる?」

 

声は忽ち近づき、

右肩を軽く

たたかれたかと思うと、

父は私の横を

すりぬけるようにして

部屋に向かっていた。

 

背中のまま父はいった。

 

「キャッチ・ボールやるか?」

 

 

キャッチボール・・・

 

幼い頃、

亡き父と、キャッチボールをしたことを、

ふと、思い出しました・・・

 

といっても、

せいぜい1~2回くらいしか記憶になく、

それも、私のほうからお願いして、

父は、しぶしぶだったような気もします(^^;

 

詳しくは覚えていないのですが、

たしか、父は、

グローブをしなかったんですね。

 

球はソフトボールだったとはいえ、

素手では、

ちょっと痛かったと思うのですが、

 

父は、両手でなんとかボールを受け取って、

砲丸投げみたいな慣れない感じで、

投げ返してきました・・・

 

推測ですが、

父は、ちょうど戦時中に少年時代を過ごしたので、

敵国のスポーツである野球は、

ほとんどやらなかったのではないか。

 

(もしくは、貧しくて、

グローブを買ってもらえなかった?)

 

だから、

グローブの使い方も分からずに、

素手でやったのではないか・・・

 

もちろん、

父は単に野球が嫌いだっただけ

かもしれませんし、

 

もしかしたら、

そのとき、グローブがひとつしかなかったので、

私に使わせてくれただけかもしれません。

 

今となっては、真相はやぶの中ですが・・・

 

私のささやかな

キャッチボールの思い出でした(^^;

 

 

キャッチボールといえば、

内田樹さんのエッセーで、

印象深い文章があったと思うのですが、

 

どれだっけ・・・

 

・・・ありました!

 

ひとりでは生きられないのも芸のうち

 

 

過去ブログでも取り上げていました(^^;

 

(よかったらこちらもご参照ください)

 

この本、

数ある内田樹さんのエッセー集の中でも、

私の中でベスト3に入る

おすすめ本なのですが(^^)

 

こんな一節があります。

 

 

キャッチボールは

ひとりではできない。

 

私が投げる球を受け取った

相手のグローブの発する

「ばしっ」

という小気味良い音と、

相手が投げる球を

補給したときの

手のひらの満足げな

痺れのうちに、

 

私たちは

自分がそのつど

相手の存在を要請し、

同時に相手によって

存在することを

要請されていることを知る。

 

あなたなしでは

私はこのゲームを続けることが

できない。

 

キャッチボールをしている

二人は

際限なくそのような

メッセージを

やりとりしているのである。

 

このとき、

ボールとともに

行き来しているのは、

 

「I cannot live without you」

という言葉なのである。

 

これが根源的な意味での

「贈与」である。

 

 

たしかに、

キャッチボールって、

相手がいないとできないですよね。

 

自分が投げたボールを、

相手が「ばしっ」と

キャッチしてくれた時には、

 

「自分を受け止めてもらえた」

という感覚になる。

 

逆に、

相手が投げたボールを、

自分が「ばしっ」と

キャッチした時には、

 

「あなたを受け止めたよ」

というサインになる。

 

ボールが行き来するたびに、

お互いが、

「あなたのことが必要だ」

 

すなわち、

「あなたなしでは生きてゆけない」

 

というメッセージを、

お互いに与え(贈与し)合うことになる。

 

なるほど・・・

 

だから、

キャッチボールをすると、

何だか気持ちよくなるんですね(^^;

 

久しぶりにキャッチボールが

したくなってきましたよ⚾

 

 

 

異人たちとの夏

 

に戻ります(^^;

 

別の印象に残ったシーンから、

(ここ、クライマックスですね)

 

 

「いい?」

と母が、座り直した。

 

「気がせいて、

うまくいえないけど、

お前を大事に思っているよ」

 

「行っちゃうの?」

 

そんな気がした。

 

「お前に逢えてよかった」

と父はいった。

 

「お前はいい息子だ」

 

「そうだよ」

と母がいう。

 

「よかないよ。

ぼくはお父さんたちが

いってくれるような

人間じゃない。

 

いい亭主じゃなかったし、

いい父親でもなかった。

 

お父さんやお母さんの方が、

どれだけ立派か知れやしない。

 

暖かくて驚いたよ。

こういう親にならなくちゃって

思ったよ。

 

ぼくなんか

親孝行面してるけど、

お父さんたちが

ずっと生きてたら、

大事にしたかどうか

分からない。

 

ろくな仕事も

して来なかった。

 

目先の競争心で―

 

(中略)

 

「なんにもいうな」

とその父がいった。

 

「もうなんにもいうな」

 

「あんたをね」

と母がいった。

 

「自慢に思っているよ」

 

「そうとも、

自分をいじめることはねえ。

手前で手前を大事にしなくて、

誰が大事にするもんか」

 

・・・

 

 

「お前を大事に思っているよ」

 

「お前はいい息子だ」

 

「自慢に思っているよ」

 

「自分をいじめることはねえ」

 

親からの、

無条件の肯定・・・

 

 

私たちは、

心の中では、

誰よりも、

親からの「無条件の肯定」

を求めているのかもしれません。

 

48歳の主人公は、

「中年の危機」に直面して、

それこそ、かなりの危機を乗り越えて、

結果的に、

未完了の感情を完了させることが

出来るのですが・・・

 

・・・詳しくは、

是非、本書をお読みくださいね(^^)

 

 

 

------------------------------------------------------

 

 

 

あまり詳しく紹介すると、

ネタバレになってしまいますので、

 

以上で、

山田太一さんの

 

異人たちとの夏

 

 

の紹介を終わりますね(^^;

 

中年危機がテーマともいえる小説ですが、

 

読後感は

あたたかい気持ちになると同時に、

生きる力も湧いてくると思います。

 

ご一読をおすすめします😊

 

次回は、別の本を紹介します。

 

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました(^^)

 

 

 

-------------------------------------------------------

 

 

 

おまけ

 

 

よくウチに遊びにくる、

タキシーくん😸

 

(九州から、くろちゃんが時空を超えて、

来るという説もあります)

 

 

あれ、表紙にも登場していましたよ(笑)

 

 

 

 

うちの宮音くん😸

 

これ「ごめん寝」

というのでしょうか(^^;

 

 

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

今回は、

前回の河合隼雄先生の著書、

 

中年危機

 

からの芋づる式読書ということで、

そこで取り上げられていた小説、

 

山田太一さんの

 

異人たちとの夏

 

 

を読んで、

私の印象に残ったところを、

紹介します(^^)

 

この本、

あるブロガーさんが読まれたということで、

興味をもって私も読んでみたのですが、

なかなか面白かったです!

 

私の場合は、

河合隼雄さんの本を読んで、

ちょっとネタバレしたうえで読んだので、

展開が少し読めてしまったところが

あるのですが(^^;

 

予備知識なく読めば、

かなり意外性もあり、楽しめますし、

どこか、しんみり、

心の中があたたかくなるような、

読後感にもなると思います。

 

ということで、

ネタバレに注意しながら、

紹介していきますが、

 

主人公は、

47歳のシナリオライター。

 

妻子と別れたばかりで、

孤独な日々を過ごしています・・・

 

そこで、

幼い頃、死別したはずの、

父母と出会ったり、

 

同じマンションに住む、

謎の美女との関係が深まったり・・・

 

というお話しなのですが(^^;

(はしょりすぎ)

 

ちなみに、

「異人」というのは、

外国人のことではありません。

 

では、どんな人かというと・・・

 

これネタバレになるので

いえませんが(笑)

 

ヒントは、

ちょっとハロウィン🎃

っぽいかもしれません(^^;

 

で、私の印象に残った箇所ですが、

引用します。

 

 

「静かすぎる」

 

(中略)

 

離婚による

一種の神経症かも

しれない。

 

幹線道路の側のビルを

静かすぎると感じるのは、

普通ではなかった。

 

しかし、

離婚は私が望んだことである。

 

そして妻も、

はじめはいろいろ

いったにせよ、

 

二人の間にある主感情が

無関心であることは

認めたのだし、

妻も空虚をかかえていて、

 

結局のところ

離婚に希望を託したのだ。

 

経済的な条件で

少しごたごたしたが、

悪い離婚ではなかった。

 

少なくとも、

あのまま

あたりさわりのない

表情をつくって

同居を続けるよりは、

はるかに生きる力の湧く

行動だった。

 

 

二人の間にある主感情が

「無関心」・・・

 

おそらく、主人公は、

仕事に意識を奪われていて、

妻に「無関心」になっていったんですね。

 

マザーテレサは、

「愛情」の反対語は

「無関心」といったそうですが、

 

たしかに、

「怒り」や「憎しみ」ではなく、

(それは愛情の裏返しでもあるので)

お互いが、

「無関心」になれば、

関係は終わってしまうのかも知れません。

 

ちなみに、

私は、何とか妻とは続いておりますが、

 

う~ん・・・

今のところは、

「無関心」というよりも、

「怒り」や「憎しみ」を

感じることが多いので、

 

まだ、大丈夫かな?(笑)

 

 

それと、

「静かすぎる」

という言葉。

 

幹線道路沿いの、

騒音がうるさい

マンションの一室にも関わらず、

主人公は、

「静かすぎる」

と感じる。

 

これは、

離婚を機に、主人公が、

いままで目をそらしてきた自分の内面、

すなわち、

ほんとうの自分を

見つめるモードになったという、

「シグナル」なのではないかと考えます。

 

うるさい、静かというのは、

けっこう主観的なものであって、

 

たとえば、

騒々しいカフェにいる時でも、

何かに集中していたり、

深く考えている瞬間には、

気にならないですよね。

 

もちろん、

一人で静かな環境にいる時が

多いのですが、

 

心の中が、

「し~ん」とする時は、

何かしらのメッセージが与えられると思って、

心の耳を澄ましてみると

いいかもしれませんね。

 

 

 

十二歳から

私はほとんど泣いたことがない。

 

しかし、

そのあたりを歩いて、

両親といた頃を

強く蘇らせるなにかに

ぶつかったりしたら

 

一瞬のうちに

身につけている鎧の

糸という糸がちぎれて、

 

素裸になり、

みすぼらしくただ

泣き崩れてしまいそうな

気がした。

 

 

「私は泣いたことがない・・・」

 

・・・ふと、

中森明菜さんの歌が

降りてきましたが(^^;

(「飾りじゃないのよ涙は」

井上陽水さんの名曲ですね)

 

主人公は、

十二歳の時に、

両親を交通事故で亡くしているんですね。

 

で、悲しむ間もなく、

祖父や叔父に引き取られて、

今まで必死に生きてきた・・・

 

十二歳という多感な時期に、

両親を理不尽にも突然失うという、

「悲しみ」を十分に感じて味わうことなく、

その感情を「抑圧」してきた。

 

そうでもしないと、

生きていけなかったのだと思います。

 

日々の生活があるので、

悲しみに浸る余裕などなかったのかも

しれませんし、

 

まだ幼い彼には、深い悲しみを受け止める、

それに直面するだけの、

心の器ができていなかったのかも

しれません。

 

同じようなケースを、

心理学の学びで教わったことがあります。

 

幼い頃、

両親を事故で失った兄弟姉妹がいました。

 

しかし、長男だけは、

「オレがしっかりしなければ」

という使命感もあり、

お葬式の時も、

いっさい涙を見せなかったそうです。

 

そんな彼が、

成人してから、

ちょっとした別れ、

 

たとえば、

信頼していた上司が異動する、

といった、よくありがちな別れでも、

 

ものすごく動揺して、

パニックになってしまったりする。

 

両親を失ったときの悲しみを

受け入れることが、

「未完了」になっているんですね。

 

(ちなみに、このような深い悲しみを、

大人になってから完了させることは可能です。

カウンセラーの力を借りると

スムーズかもしれません)

 

 

心理学者、

小此木啓吾先生の名著、

 

対象喪失―悲しむということ

 

 

この本には、

専門的な内容も含まれていますが、

 

悲哀を見つめることなく、

「全能感」を感じやすい現代社会に

警鐘を鳴らしていたり、

 

しっかり「悲しむ」ことの効用、

そして、他人の悲しみに

「共感」することの重要性

などが分かりやすく説かれています。

 

心理学に興味のある方、

援助職に就かれている方には、

ご一読をオススメします(^^)

 

 

中年から先、

私たちは否が応でも

喪失体験を重ねていくわけです。

 

肉親、先輩、友人の死はもちろんのこと、

 

自分自身も、

体力、記憶力、社会的地位など・・・

 

しだいに失っていくわけです。

 

いい意味で、抑圧や抵抗することなく、

喪失体験をしっかりと受け入れて、

 

同時に、

柔軟に新しいものも取り入れながら、

 

中年以降も、

心の成長・成熟をしていきたいですね😊

 

 

 

---------------------------------------------------

 

 

 

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました(^^)

 

次回に続きます(^^;

 

 

 

---------------------------------------------------

 

 

 

おまけです(^^;

 

 

少し前になりますが、

東京の目黒不動周辺を散策しました。

 

 

目黒不動尊、仁王門。

 

 

 

水かけ不動様。

(このあと水をかけさせていただきました)

 

神社仏閣のある場所には、

けっこう湧き水や池が多いような。

(それだけ古来から

水は大事だということですね)

 

特に不動尊には多い気がしますが、

弘法大師が杖を突いたら

水が湧いた伝説が、

全国各地にあるようです。

 

弘法大師は、

実は治水工事に秀でた技術者の側面も

あったようですね。

 

 

 

大本堂の裏手の屋外に、

大きな大日如来様が、

鎮座されていらっしゃいますよ。

 

見どころの多いお寺です。

オススメします(^^)

 

 

 

近くの五百羅漢寺にも行きました。

 

撮影禁止なのですが、

ここの数百にも及ぶ、

羅漢様が並んでいるさまは、

圧巻です!

 

他にも、

 

本堂で、大きな釈迦如来様が、

弟子たちに説法しているお姿も、

見どころ。

 

隠れた仏像一大スポット!

仏像好きな方は一度、是非(^^)

 

 

 

その中で、

獏王像だけが、期間限定で、

めずらしく撮影可になってましたよ。

 

 

 

 

獏(ばく)とは、

悪夢を喰らうとされた空想の動物のことですが、

 

この獏王は、

人面牛身虎尾の聖獣で、

災いや病を避けるとのこと。

 

三つ目の「目力」ビームが強かったです!

 

皆さんにもとどけ~

 

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

東京、横浜は、

だいぶ寒くなってきました(^^;

 

臨床心理学の大家!

河合隼雄先生の著書、

 

中年危機

 

 

を紹介しています。

 

この本には、

河合隼雄さんが、

「中年危機」に関する小説、

 

 

夏目漱石「門」

 

山田太一「異人たちとの夏」

 

広津和郎「神経症時代」

 

大江健三郎「人生の親戚」

 

安倍公房「砂の女」

 

円地文子「妖」

 

中村真一郎「恋の泉」

 

佐藤愛子「凪の光景」

 

谷崎潤一郎「蘆刈」

 

本間洋平「家族ゲーム」

 

志賀直哉「転生」

 

夏目漱石「道草」

 

 

を取り上げて、

解説をされているのですが、

 

小説のネタバレをしないように

あえてそのストーリーは紹介せずに、

 

私が河合隼雄さんの解説で、

印象に残った部分を引用しながら、

 

「中年の危機」について、

皆さまと一緒に考えていきたいと

思います(^^)

 

今回は、

谷崎潤一郎「蘆刈」

(この小説はミステリアスで

なかなか味わい深い感じですよ)

 

に入る前の解説部分から・・・

 

 

中年も少し

年をとってくると、

 

あらためて自分という存在に

目を向けることになる。

 

いったい自分というのは

何者なのか

 

 

そうですね・・・

特に新型コロナ後は、

内省することが

多くなったような気がします。

 

 

もちろん、

そんなことは誰しも

若いときから、

ある程度考えているものだ。

 

若いときだって、

自分というものを

大切に思い、

自分を生かして

ゆきたいと思う。

 

そして一般的にいえば、

自分のやりたい職業とか、

結婚したい相手などが

見つかり、

 

その中で自分を確立して

ゆくことになる。

 

 

若い頃は、

一般的には

社会的な役割の中で、

自分を確立していくわけですね。

 

 

それがある程度成功したとして、

そのときに自分とは何かを

考えてみると、

 

それを支えてくれるものが、

社会的な地位や

自分の能力や財産や・・・

 

いろいろあるにしても、

それを測定する尺度が

外側にあって、

 

そのことによって

相当明確に

自分の位置を

見定められることがわかる。

 

自分は

「○○会社の××課長である」

と思うとき、

その会社に対する

世間一般の評価や、

課長職というものに対する

会社内での評価などに

支えられて、

 

「俺もたいしたものだ」

とか、

「まあ、そこそこやっている」

などと感じることができる。

 

このようにして

「私」とは何か、

 

に相当応えることが

できるのだ。

 

 

そうですね・・・

 

現実問題、

 

外側の基準、すなわち、

組織に所属していたり、

役職があったりすることによって、

自分を確立できるということは

ありますよね(^^;

 

そこで頑張ることで、

少しずつ自信がついていくことも

ありますし・・・

 

 

このような考え方の

便利な点は、

他と比較することが

容易なことである。

 

たとえば

「年収」

などということを

尺度とする限り、

 

その人がどのような職業に

ついていようと、

どこに住んでいようと、

 

ともかくピッタリと

順位をつけることが

できる。

 

その尺度は

どこにも適用できる

という意味で、

普遍性をもつ。

 

これがこのような考えの

強みである。

 

 

たしかに、

数字で表せるものは、

明確に「比較」できますので、

はっきりしますよね。

 

ただし、

「比較」の世界は、

必ず勝者と敗者を生むことになる。


常に勝者でいられる人は、

ごくわずか。

 

勝者になれればともかく、

敗者になった時は、みじめ・・・


そう考えると、

「比較」の世界では、

けっきょく、多くの人が、

幸せを感じにくくなるような

気がします(^^;

 

 

しかし、

人間が「私」とは何かを

考えるとき、

 

これとまったく異なる

考え方もある。

 

たとえば「私」とは、

今ここに一人で

山小屋の前に座って、

 

高い山々の峰を見ている。

 

それだけでまったく

十分なときがある。

 

これが「私だ」と

感じることができるのだ。

 

そんなとき、

その山や空気や、

そして自分の体の状況や、

それらすべてが

渾然一体となり、

「私」の感覚を支える。

 

 

これ、分かります。

 

私も(低山専門ですが)

山に登るのが好きなので、

この感覚が分かるのですが、

 

特に、山頂に辿り着いて、

運よく(?)、

他に登山者が誰もいない時、

 

おおっ、ラッキー!

山頂独り占め状態(^^)

 

空や雲や太陽や、周りの山々、

草木や、野鳥、トンボや蝶・・・

 

すなわち、

「大自然」と私が、

一体となったような感覚になります(^^)

 

ああ、至福の時・・・

 

 

と、この感覚を味わっていると、

 

たいてい、中高年の団体登山者が、

ワイワイガヤガヤ登ってきたりして(^^;

 

至福の時は、

終わりを告げるのですが(笑)

 

この感覚、

すなわち、

これが「私だ」という感覚は、


もちろん山以外でも、

味わえると思います。

 

人によっては、

旅行先での、

何気ない風景や、

 

近所で普段は

気づかなかった場所で

感じたり・・・

 

心に残る、

思い出の土地や、

故郷の風景で

感じたり・・・


神社仏閣や、

あるいは、

やっぱり自宅がいい、

という人も・・・

 

それぞれ人によって違う。

 

 

このような感覚が

わからない人には、

 

自分がそのときに見た山が

「海抜何メートル」

であるのか、

 

自分がそこに行くために

どれほどの費用を使ったのか、

 

その場所は

「有名」かどうか、

 

などを強調する。

 

こうした人は、

同じように山を見てる

「私」について考えるとしても、

 

その尺度は

先に述べた一般的尺度に

頼っている。

 

 

「一般的尺度」

に頼っていると、

自分の「感覚」に気づきにくくなる

ような気がします・・・

 

 

一般的・普遍的尺度は

わかりやすいし、

他人に対して

説得力を持ち、

他と比較することが

容易なので、

 

多くの人が

それに頼ることになる。

 

しかし、

それだけで十分であろうか。

 

「年収」が

どれだけ多くとも、

「年収」を

大きい支えとしている人は、

 

他の非常に多くの人々と

同じ人生を歩んでいるわけで、

 

特に「私」というものの

独自性を示すことには

ならないのではなかろうか。

 

それに対して、

ある場所である時に、

自分のみが

 

「ウン、これが私だ」

と感じたことは、

 

他との比較を超え、

一般的尺度に

還元しがたいものとしての

独自性をもつと言える。

 

 

世の中には、

「比較」が蔓延していて、

特にビジネスの世界、

それに、少し薄れてきたとは思いますが、

教育の世界も、

現実的には、それを原動力にして、

動いている要素が強いと思います。

 

業界内での売上シェアが~%とか、

偏差値ランキングとか(^^;

 

もちろん、

「比較」は分かりやすし、

競争することで成長できる部分もあります。

 

しかし、

「比較」の世界にどっぷり浸かり過ぎると、

何より、

「自分」を見失うことになる。

 

そして、

「独自性」というものが失われていきます。

 

人生の後半、

中年以降こそ、

 

人との「比較」ではなく、

「独自性」

 

すなわち、

「自分らしさ」

 

大切にしていきたいですね😊

 

 

 

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今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました。

 

次回は、別の本を、

紹介させていただく予定です(^^;

 

 

 

----------------------------------------------------

 

 

 

おまけです(^^;

 

 

おお、誰もいない・・・

至福の時(笑)

 

 

 

足柄の矢倉岳山頂です(^^)

 

低いけど・・・あっいかん、

比較しない(^^;

 

 

 

パノラマ富士山、頂部分だけ(^^;

 

 

 

拡大しました!

(翌日からは雪化粧されましたよ)

 

 

 

小田原方面(?)の海を臨む。


ああ、大自然との一体感・・・

 

 

 

帰路、洒水の滝。

すっと美しい流形でした(^^)

 

夕方、既に薄暗かったのに、

滝の周辺だけ妙に明るかったです。

(摩可不思議・・・)

 

 

 

 

まだまだ青い(私?)

 

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

臨床心理学のレジェンド、

河合隼雄さんの著書、

 

中年危機

 

 

を紹介しています。

 

この本は、

「中年危機」に関する小説、

 

 

夏目漱石「門」

 

山田太一「異人たちとの夏」

 

広津和郎「神経症時代」

 

大江健三郎「人生の親戚」

 

安倍公房「砂の女」

 

円地文子「妖」

 

中村真一郎「恋の泉」

 

佐藤愛子「凪の光景」

 

谷崎潤一郎「蘆刈」

 

本間洋平「家族ゲーム」

 

志賀直哉「転生」

 

夏目漱石「道草」

 

 

を河合隼雄さんがそれぞれ取り上げて、

心理学的なメスを入れるといった、

 

中年の当事者としては、

捨て置けない内容の本なのですが(^^;

 

ネタバレしない程度に、

私の印象に残ったところを、

引用させていただきたいと思います。

 

 

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1話目の、

夏目漱石「門」は、

「人生の四季」がテーマになっています。

 

小説の終わり部分ですが、

 

冬が終わると春が来るように、

氷が自然にとけていくように、

 

中年の危機を乗り越え、

それが解消したかに見えた夫婦・・・

 

妻が夫にこう言います。

 

 

「本当に有難いわね。

漸(ようや)くの事

春になって」

 

 

しかし、

夫は・・・

 

 

「うん、然し又じき

冬になるよ」

 

 

ようやく春が来たのに、

また冬が来る・・・?

 

そんな殺生な(^^;

 

以下、

河合隼雄さんの解説です。

 

 

これが

「門」の終わりである。

 

「冬来りなば、春遠からじ」

という言葉がある。

 

これは

若者の言葉だろう。

 

中年は

「春来りなば、冬遠からじ」

と思うのである。

 

寒い冬も耐えていると

春が来る。

 

そして、

やがて夏の盛りを

迎えるのだ。

 

というように

順序立てて、

自分をつくりあげてゆくのが、

人生の前半の仕事である。

 

しかし、

後半に向かってゆくときは、

「春来りなば、冬遠からじ」

なのだ。

 

 

「春来りなば、冬遠からじ」

とは、いったい、

どういうことなのでしょうか?

 

老後を示唆している

ということ・・・?

 

 

・・・私は、河合隼雄さんの別の本、

珠玉のエッセー集、

 

こころの処方箋

 

 

の中の、

 

「ふたつよいこと、さてないものよ」

という法則の話を想起しました。

 

こころの処方箋

から引用します。

 

 

「ふたつよいこと

さてないものよ」

 

というのは、

ひとつよいことがると、

ひとつ悪いことがあるとも

考えられる、

 

ということだ。

 

抜擢されたときは

同僚の妬みを買うだろう。

 

宝くじに当たると

たかりにくるのが

居るはずだ。

 

世の中なかなか

うまくできていて、

よいことずくめに

ならないように

仕組まれている。

 

 

なるほど・・・

 

 

この法則はまた、

 

ふたつわるいこと

さてないものよ

 

と言っていると

考えられる。

 

何かわるいこと

嫌なことがあるとき、

 

よく目をこらして見ると、

それに見合う

「よいこと」が

存在することが多い。

 

せっかく頑張って

仕事をしようと思ったときに

病気になる。

 

残念で仕方がない。

 

しかし、

考えて見ると、

それは「休息」が

与えられたのかも知れないし、

やりすぎに対する

警告かも知れない。

 

 

そうですね・・・

 

私は、30代のころ、

暴飲暴食?のため病気を患って、

 

今も完治はせず、

薬を飲み続けているのですが、

 

たしかに、

今考えると、

悪いことばかりでなく、

良い面もあったと思います。

 

お酒がそんなに飲めなくなったので、

その分、お金が貯まっただろうし(^^;

 

結婚しようという気持ちになったし(^^;

 

仕事以外の視野が広がったし、

 

心の学びを深める、

きっかけにもなっただろうし、

 

自分の体を気遣うようになったし、

 

万能感を手放して、

少し謙虚になれましたし・・・(^^;

 

 

人間の認知というものは、

どうしても歪んでしまうんですね。

 

どんなに理性的な人でも、

客観視しているつもりでも、

 

フラットに見ることは、

なかなかできない・・・

 

ですので、

「よいこと」「わるいこと」

が生じたと思ったら、

意識して「逆」を見るようにすると、

ちょうどいいのかもしれません。

 

「よいこと」「わるいこと」

はコインの裏表。

 

プラスの中には

マイナスが隠れていて、

 

マイナスの中には、

プラスが隠れています。

 

それを意識的に見つけることが、

バランスのとれた日々を過ごすことに、

繋がるような気がします。

 

ちなみに、この話、

過去ブログで取り上げておりました(^^;

(やはり、印象深かったんですね)

 

よかったら、ご参照ください。

 

 

 

・・・で、

夏目漱石「門」の

河合隼雄さんの解説に戻ります(^^;

 

 

「春来りなば、冬遠からじ」

の心境で生きていると、

 

冬の中に春を見たり、

春の中に冬を見たりすることも

可能になってくる。

 

春夏秋冬が

このように順番に

ゆっくりと交代して現れ、

 

春と夏や、

夏と秋などが

峻別できると思うのは、

若者の考えである。

 

冬のなかに

春を見ることが

上手になってこそ、

 

中年の次にやってくる

老年へと

スムーズに入って行ける。

 

人生の冬のなかに生きつつ、

そこに春夏秋冬を

見ることができるので、

老いが豊かに

なってくるのである。

 

(中略)

 

せっかくこの世に生まれてきて

春だけ楽しむのも、

もったいない話である。

 

春夏秋冬を

すべて味わうほうが

面白いのではなかろうか。

 

 

そうですね・・・

 

私たちがこの世に

生まれてきた「意味」は、

 

人生の「春夏秋冬」を

感じて味わうためではないかと

思います。

 

もちろん、

「冬」を体験している時には、

そんな余裕はなく、

 

「早く春よ来い!」

と考えてしまうのが人情ですが(^^;

 

たとえ

「冬」の中にいると感じても、

そこに

「春」を意識的に見出だす視点。

(逆もまたしかり)

 

大切にしていきたいです😊

 

 

 

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今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました(^^)

 

次回へ続きます(^^;

 

 

 

 

 

宮音オヤジに、

愛用のストレスレスチェアを

取られました・・・

 

早くどいてくれ(^^;

 

 

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

過ごしやすい気候になってきましたね😊

 

今回紹介する本は、

ユング派の臨床心理学者で有名な、

河合隼雄さんの著書、

 

中年危機

 

 

です(^^;

 

何だか最近の私、

この手をテーマにした本の紹介が

多いような気がしますが(^^;

 

やっぱり、私自身、

自覚があるわけでして(苦笑)

 

ここ数年来、

(いや、もっと前から?)

じわじわと

「中年危機」

(カタカナだと、

ミドルエイジ・クライシス)

の時期を迎えている・・・

 

という気がしています(^^;

 

河合隼雄先生は、

この中年の問題を考えることを、

「中年心理学」

とおっしゃっていますが(^^;

 

この問題を最初に取り上げたのは、

心理学者のユングだといいます。

 

本書の「はじめに」

から引用します。

 

 

彼(ユング)は

自分のところに

相談に来る人に

中年以降の人が

多いと言っている。

 

それに興味深いことに、

彼のところに来る

約三分の一の人は、

一般的な意味で言うと、

何の問題もない、

むしろ

「適応がよすぎることが問題」

とでも言いたいほどであった、

と言っている。

 

そのような人は、

財産、地位、家族などについては、

問題がないどころか、

むしろ他と比較すると、

はるかに恵まれた状況にあった。

 

しかし、

彼らのすべてが

「何かが足りない」

と感じたり、

「不可解な不安」

に悩まされたりして、

ユングのところを

訪れたのである。

 

 

私の場合は、

仕事や家庭のことで、

多かれ少なかれ

問題が生じてきましたので、

 

「適応がよすぎることが問題」

 

という訳ではないのですが(^^;

 

やっぱり、

中年期になると、

 

たとえ、

表面上は順風満帆に見えたとしても、

今までの人生で、

無意識に目を背けてきたことや、

抑圧してきた影の部分は、

 

程度の差こそあれ、

多くの人の中にあるのだと思います。

 

そして、

自分や家族に、

何らかの問題が生じてくることもある。

 

ただ、それは、

決して「悪いこと」

とは言い切れないんですね。

 

 

ユングは

このような人々に会い、

また自分自身の体験をも踏まえ、

 

中年において、

人間は大切な人生の転換期を

経験すると

考えるようになった。

 

彼は人生を

前半と後半に分け、

 

人生の前半が自我を確立し、

社会的な地位を得て、

結婚して子供を育てる

などの課題を成し遂げるための

時期とすれば、

 

そのような

一般的な尺度によって

自分を位置づけた後に、

 

自分の本来的なものは

何なのか、

 

自分は

「どこから来て、どこに行くのか」

 

という根源的な問いに

答えを見出そうと

努めることによって、

 

来るべき

「死」をどのように

受けいれるのか、

という課題に取り組むべきである、

と考えたのである。

 

 

これが、

ユング心理学でいう、

いわゆる、

「自己実現」

「個性化」

というやつですね。

 

この場合の自己実現とは、

「功成り名を遂げる」

というような意味ではなく、

 

引用したように、

「自分の本来的なものになる」

ということです。

 

 

太陽が上昇から下降に

向かうように、

中年には転回点があるが、

 

前述したような課題に

取り組む姿勢をもつことにより、

下降することによって

上昇するという逆説を

経験できる。

 

 

下降することによって

上昇するという逆説・・・

 

素敵な表現ですね。

 

人生の後半は、

決してすべてが下り坂という訳ではなく、

 

今まで無意識に、

目を背けていたことや、

抑圧したこと(影)を受け入れて、

統合することによって、

 

人格的には、

さらに成長することができるのです。

 

ただし・・・

 

 

そのような

大きい転回を経験するためには、

相当な危機を経なければならない、

 

というわけである。

 

 

・・・簡単なことでは

ないんですね(^^;

 

この本でも、

「創造の病」

(クリエイティブ・イルネス)

として紹介されていますが、

 

フロイトやユング自身も、

かなり重い病的体験を経ていますし、

夏目漱石も、

胃潰瘍で死に近い体験をしています。

 

 

われわれにとっては、

自分の人生そのものが

「作品」であると

言うこともできる。

 

つまり、

かけがえのないひとつの人生を、

われわれは

「つくり出す」

のであり、

そのような意味で、

どのような人間であれ、

「創造活動」にかかわっていると

考えられる。

 

そのように考えると、

どのような人にとっても、

「創造の病」にかかる可能性は

高いわけである。

 

 

そうですね・・・

 

私たちが、

人生という名の

「作品」を作り出すうえで、

「創造の病」は避けて通れないのです。

 

ですから、

もし、今、中年危機で、

苦しんでいらっしゃる方がいれば、

どうか、これを乗り越えれば、

「自己実現」に近づく、

 

つまり、通過儀礼だと

考えていただければ・・・

 

と思います。

 

 

現代は平均寿命が長くなったので、

80歳くらいまで

生きることになる。

 

 

この本が書かれたのは、

1993年ですので・・・

 

今はもっと長い。

100年といわれていますね(^^;

 

 

人間の人生を

「効率」という点から見る

考え方によると

 

―そんな見方をする人が

増えてきたように思うが―

 

随分と効率が

悪くなってしまってから、

まだ大分長い人生を

生きねばならない。

 

それを今までどおりの

「働け働け」や

「効率主義」の考え方で

生きることなど

不可能である。

 

老年になってくると、

それまでの生き方とは異なる

人生観や価値観をもって

生きていくことが必要になる。

 

それはつまり

ユングのいう

「人生後半」の生き方を

自分なりに

見出さねばならぬことを

意味しているが、

 

それを行うためには

中年からの心がけが

大切である。

 

このように考えると、

これからの人生は、

 

一山型のカーブでなく、

双子型の山の軌跡を

たどることになり、

 

一回目の山を越え、

二回目の山に

とりかかろうとするあたりが

中年に当たると考えられる。

 

 

・・・今でこそ、

ベストセラー

ライフ・シフト

などの影響で、

このような考え方が

メジャーになっていますが、

 

河合隼雄さんは、

何と30年前に、

述べられているんですね!

 

先見の明というか、

これからの時代で必要なものを、

しっかりと洞察されていたのだと思います。

 

 

ということで、

前置きが長くなりましたが、

この本は、

 

「中年危機」に関する文学作品を、

河合隼雄さんが取り上げて、

解説をしている本になります。

 

既に、河合隼雄さんが、

鋭い解説をされていますので、

私の出る幕はないのですが(^^;

 

私は、河合隼雄さんが解説されている中で、

「なるほど~」

と感じたところを紹介して、

私なりに補足をさせていただければと思います。

 

ちなみに、

取り上げられている文学作品は、

 

 

夏目漱石「門」

 

山田太一「異人たちとの夏」

 

広津和郎「神経症時代」

 

大江健三郎「人生の親戚」

 

安倍公房「砂の女」

 

円地文子「妖」

 

中村真一郎「恋の泉」

 

佐藤愛子「凪の光景」

 

谷崎潤一郎「蘆刈」

 

本間洋平「家族ゲーム」

 

志賀直哉「転生」

 

夏目漱石「道草」

 

 

・・・皆さま、

読んだことのある作品はありますか。

 

私は、正直にいうと、

ひとつもないのですが(^^;

(「砂の女」は読んだかも?)

 

この本を読んで、

いくつかの作品を読みたくなりました!

 

で、・・・

 

・・・次回に続きますね(^^;

 

今回も、最後までお読みくださいまして、

有り難うございました😊

 

 

 

 

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甘えん坊の宮音(みやお)です😸

(通称みいたん)

 

 

 

近所の鶴見川(逆光)。

 

よく、散歩がてら、

動禅(太極拳のようなもの)を一人でやっています。

 

我ながら、怪しいおっさんですが(^^;

 

とってもリフレッシュできます😊