ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

前回から、

ソニー元上席常務で工学博士、

天外伺朗さんの

 

「自己否定感」怖れと不安からの解放

 

 

という本を紹介しています(^^)

 

前回を少し振り返りますと、

 

・個人や社会は、

「自己否定感」とそれに基づく

「怖れと不安」を推進力にして、

成長してきたともいえる。

 

・しかし、それだと、

「自己否定感」が、

ますます強化されてしまうので、

弊害もある。

 

・「自己否定感」は、

生まれながらに背負ってしまうものもある。

(バーストラウマ)

 

という天外伺朗さんの説を踏まえて、

 

・バーストラウマを軽減させるには、

「安心」「安全」の場や時間を

創り出すことが有効なのではないか。

(遠藤周作さんのエッセーをヒントに)

 

という考えを述べました。

 

今回は、

フロイトやユングなどが開拓した、

深層心理学から、

 

「ペルソナ」

「シャドー」

「投影」

 

について、

天外さんが解説しているところを、

紹介したいと思います(^^)

 

 

私たちが、

「意識」できる層にペルソナ、

「無意識」の層にシャドー

があるといいます。

 

まずは、

「ペルソナ」の解説です。

 

 

(ペルソナとは)

私たちは世間の目を気にして

「こうあるべきだ」

と造ってきた自分の姿です。

 

仮面舞踏会やコスプレで、

それになり切って楽しむように、

私たちは「ペルソナ」を表に出して、

立派な社会人を装って、

つつがなく社会生活を送っています。

 

ただし、

本人はそれに気づいていません。

 

人間の実態というのは、

誰でも嘘をつくし、

嫉妬もするし、

ドロドロと汚い存在です。

 

「こうあるべきだ」

と自らの言動を規制して

「ペルソナ」を形成するとき、

それからはみだした

「こうあってはいけない」

という要素も

必ず自分の中にあります。

 

でもそれは、

受け入れるわけにはいかないので、

あたかもないように

振る舞い続けます。

 

 

「ペルソナ」とは、

「こうあるべきだ」

という仮面のことだといいます。

 

心理学的には、

正確には「顔」「表の人格」

というような意味ですが、

この場合は、

「よそいきの顔」

という感じでしょうか。

 

では、

「シャドー」とは?

 

 

ところが、

(こうあってはいけない

という要素が)

いくらないように振る舞っても、

なくなるわけではなく、

無意識レベルに

抑圧されているだけです。

 

心理学では、

この抑圧された

「こうあってはならない」

思いや衝動を

「シャドー(影)」

と呼んでいます。

 

抑圧されると巨大化することが

知られており、

それを実感していただきたいため、

私はモンスターと呼んでいます。

(心理学用語ではありません)

 

 

抑圧された

「こうあってはならない」

思いや衝動を

「シャドー」といい、

それは抑圧すればするほど、

巨大化、モンスター化する。

 

やっかいなのは、

このモンスターは

無意識の世界に生息するので、

なかなか自覚できないんですね。

 

無意識の領域から

私たちをコントロールすることがある(^^;

 

ここから、

「私たちがかけている色眼鏡の正体」

という天外さんの説明があるのですが、

この説明、とても分かりやすくて、

私は腑に落ちました。

 

 

すでに、

意識レベルの

「ペルソナ」と、

無意識レベルの

「シャドーのモンスター」

の説明をしました。

 

片や「こうあるべきだ」

というポジティブな側面を代表し、

もうひとつは

「こうあってはいけない」

というネガティブな側面を

代表しています。

 

じつは、

私たちの心の中が、

ポジティブとネガティブに

大きく分離しているのです。

 

 

私たちの心の中が、

ポジティブとネガティブに

大きく分離している?

 

どういうことでしょうか。

 

 

私たちが外界を観察するとき、

必ずこのポジティブとネガティブの

フィルターを通じて認識します。

 

そういう具合に分離して見える

色眼鏡をかけている、

といってもいいでしょう。

 

じつは、

外界に存在する

あらゆるもの、

あらゆる出来事は、

まったく中立なのですが、

 

そういう色眼鏡をかけて

見えているので、

必ずどちらかに

分離して見えてしまうのです。

 

つまり、

「二元性」というのは

外部にあるのではなく、

私たちの心の中にあるのです。

 

心の中の分離状態を通じて見るから、

外界も分離しているように

見えるのです。

 

これを心理学では

「投影(プロジェクション)」

といいます。

 

 

外界のあらゆる出来事は、

本来は、いいも悪いもなく、

まったくの中立・・・

 

たしかに、そうかもしれません。

 

むしろ、

私たちの心の中が分離している。

 

まとめると、

 

「意識レベル」=「ポジティブ(善)」

=「こうあるべきだ」=「ペルソナ」

 

と、

 

「無意識レベル」=「ネガティブ(悪)」

=「こうあってはいけない」=「シャドー」

 

に分離している

ということでしょうか。

 

そして、

そのような色眼鏡をかけて

外界を見るから、

そこも分離しているように見える。

 

それが「投影」。

 

 

「善:悪」

のみならず、

「いい:悪い」

「正義:悪」

「正:誤」

「成功:失敗」など、

外界に投影される、

ありとあらゆる

「二元性」は、

 

じつは心の中の

「ペルソナ」と

「シャドーのモンスター」

が投影されているだけなのです。

 

私たちは、

そういう色眼鏡を通じてしか、

物事を見ることができません。

 

色眼鏡ですから、

ちょっと角度が違えば、

ある人には「いい」

に見え、

別の人には「悪い」

に見えてしまいます。

 

 

どんな色眼鏡をかけているのかによって、

物事の見え方が変わってくる、

 

色眼鏡とは「信念」、

心理学用語でいうと、

「ビリーフ」「スキーマ」

とも意味が近いかもしれません。

 

 

しかも、

ポジティブな「ペルソナ」

を自分に、

ネガティブな「シャドーのモンスター」

を相手に投影するので、

お互いに

「私が正しい」

「あなたが悪い」

という信念をぶつけ合います。

 

つまり、

争いごとは必ず

「正義」と「正義」の戦いに

なってしまうのです。

 

 

ポジティブな「ペルソナ」

を自分に、

ネガティブな「シャドーのモンスター」

を相手に投影する・・・

 

なるほど・・・

 

自分が抑圧しているものを、

無意識に相手に投影してしまうのですね。

 

抑圧しているものは、

「こうあってはいけない」こと、

すなわち、

「ネガティブ(悪)」ですから、

 

つまり、

「あなたが悪い」

になってしまう・・・

 

 

自分の外側に

理由を捏造し、

それを省くことで

「怖れと不安」から

逃れられると思うのですが、

それは錯覚で、

その努力はまったく無駄骨です。

 

本当の理由は

心の奥底に密かに流れている

「シャドーのモンスター」

だからです。

 

 

なるほど・・・

 

たとえば、

立場を利用して、

上司が部下を、

親が子を、強引に変えたとしても、

 

一時的に解決したかのように見えても、

根本的な「怖れと不安」が解消しないのは、

こういうことなんですね。

 

自分の中の問題、

すなわち、自分の、

「抑圧」が原因なのですから。

 

 

「社会はどんどん悪くなってきた」

「昔はよかった」

「最近の若者はなっていない」

「わが社(国)は遅れている」

 

これらのネガティブな嘆きが、

よく聞かれる典型的な

「シャドーの投影です」

 

 

どきっ・・・

私も、このような嘆きを

つい、いいたくなることがありますが(^^;

 

ちなみに、

古代エジプトのミラミッドの壁画にも、

 

「近頃の若い者は・・・」

という嘆きが書かれているそうですよ(笑)

 

人類は、太古の昔から、

シャドーを投影しているんですね・・・

 

そんな、

ネガティブな「シャドーの投影」を

まったくなくすことは難しいと思いますが、

 

できるだけ少なくして、

「怖れと不安」を少しでも軽減させるには、

どうしたらいいのでしょうか。

 

私は、やっぱり、

「抑圧」を少しずつゆるめること、

すなわち、

「自己受容」だと考えます(^^)

 

 

 

--------------------------------------------------------------

 

 

 

次回に続きますね(^^;

 

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました😊

 

 

 

-------------------------------------------------------------

 

 

 

おまけです(^^;

 

 

新幹線、富士川鉄橋車窓から(^^)

 

 

 

京都出張!

 

 

 

通り過ぎただけですが(^^;

 

 

 

鴨川、

たしかにカップルが均等間隔で並んでいましたよ(^^;

 

 

 

 

八坂神社裏のネコ。

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

今回から、

天外伺朗さんの

 

「自己否定感」怖れと不安からの解放

 

 

という本を紹介します(^^)

 

考えてみたら、

天外伺朗さんの本は、

意外にも、まだちゃんと

紹介したことがなかったです(^^;

 

天外さんは、

スピリチュアルな要素を取り入れた

様々なジャンルの著作がある方ですが、

 

実は、

天下のソニーの上席常務まで

務めあげられた方なんですね!

 

CDの規格や、

ロボットのAIBOの開発にも

責任者として携わったという

技術者・経営者としても

超一流の方なのですが、

 

とても好奇心のそそられる

興味深い本をたくさん書かれています(^^)

 

私は十冊以上は、

読ませていただいていますが、

中でも、

 

実存的変容 人類が目覚め「ティールの時代」が来る

 

マネジメント革命 -「燃える集団」をつくる日本式「徳」の経営

 

ここまで来た「あの世」の科学

 

宇宙の根っこにつながる生き方

 

運命の法則

 

般若心経の科学

 

あたりが好きな本です(^^)

 

天外さんの本は、

スピリチュアルなちょっと怪しい(?)

要素もありますが、

 

さすが元技術者だけあって、

文章がとても論理的かつ明快で、

学問的というか、

とても説得力があるなあと

いつも感じます。

 

で、今回は、

割と最近(2021年7月)に発刊された、

 

「自己否定感」怖れと不安からの解放

 

を紹介・解説していきますね。

 

 

「人類社会は、

過去数千年間にわたって

”自己否定感”に

密かに支配されてきました。

 

しかしながら、

いままさに、

人類はそこから卒業しようと

しています」

 

 

人類社会は、

数千年間にわたって

”自己否定感”に支配されてきた?

 

どういうことなのでしょうか。

 

 

「自己否定感」

というのは、

世の中でとんでもない

悪役にされていますが、

じつは努力、頑張り、

向上意欲などの

源泉でもあるのです。

 

人々はそうとは気づかずに

「自己否定感」と

それに基づく

「怖れと不安」

を刺激して、

学校でも家庭でも

子どもを頑張らせ、

会社では社員に

奮闘させています。

 

落第の恐怖を見せて

勉強させる、

能力に優劣をつけて

競わせる、

などというのが

その典型ですが

そこまで行かなくても

競争や評価により

「自己否定感」

は刺激されます。

 

 

たしかに・・・

 

自分の人生を振り返っても、

「自己否定感」をバネにして、

頑張ってきたというのは、

多分にあります。

 

それはそれで、

悪くはないような気もしますが・・・

 

 

少し大きな構図で

お話しすると、

 

いままで経済が

大きく成長し、

文明が素晴らしく

発展してきたベースも

「自己否定感」

だったといえます。

 

つまり私たちがいま、

おいしい食事をし、

レジャーを楽しみ、

豊かな生活をして

近代文明を

謳歌できているのは、

 

先人たちが

「自己否定感」

から必死に頑張ってきた

お陰です。

 

 

戦後日本の高度経済成長などは、

まさにそうですね・・・

 

 

いまの社会というのは、

努力、頑張り、

向上意欲などを、

限りなくポジティブな

美徳として

伸ばそうとしますが、

そのために

「怖れと不安」

を刺激します。

 

そうすると、

限りなくネガティブと

みなされている

「自己否定感」

が自動的に強化され、

膨れ上がってしまうという、

とんでもない矛盾を

はらんでいるのです。

 

これは、

いままであまり

世の中では知られていません。

 

 

う~ん、

 

努力や頑張りは、

「怖れと不安」

を刺激するので、

 

一時的に

「自己肯定感」

が高まった気がしても、

 

実は、無意識の領域では、

「自己否定感」

が強化されてしまう・・・

 

ということでしょうか。

 

 

だから、いくら

「自己否定感」

をなくそうと努力をしても、

「自己肯定感」

を高めるセミナーを受けても、

 

人々の

「自己否定感」

が自然に癒されて

解消することは

あまり期待できません。

 

片手で火に水をかけて

消火しようとしていても、

 

もう一方の手で

火に油を注いでいるような

ものだからです。

 

 

現代社会が、

「自己否定感」

とそれに基づく

「怖れと不安」

を原動力にして動いている以上は、

 

人々の、

「自己肯定感」は、

ほんとうの意味で、

なかなか高まることはなく、

「自己否定感」は

なかなか拭いきれない

ということですね・・・

 

その「自己否定感」が、

抑圧された「シャドー(影)」となり、

それを、他人に投影するために、

「正義」と「正義」の戦いに

なってしまうということなのですが、

 

それは、

次回以降で、詳しく

紹介・解説することにして・・・

 

今回は、

「自己否定感」は、

そもそも、

人間が生まれながらに

背負ってしまう要素もある

という説を

紹介したいと思います(^^;

 

えっ・・・

 

競争社会の中で

成長する過程ならばともかく、

「生まれながら」

に背負ってしまう?

 

どういうことでしょうか。

 

 

エデンの園の楽園で

人類の祖先である

アダムとイブが、

 

食べてはいけないと

神からいわれていた

禁断のリンゴ、

 

善悪を知る智慧の木の実を、

蛇にそそのかれて

食べてしまいました。

 

このあと2人は

楽園から追放されました。

 

人類の祖が、

「食べてはいけない」

という神の言いつけに

背いた罪は

「原罪(original sin)」

と呼ばれ、

人類すべてに引き継がれている、

といいます。

 

 

有名な旧約聖書の話ですね。

 

一方で、

 

 

フロイトの

一番弟子とみなされていた

オットー・ランクは、

 

誰しもが母親の胎内から

強制的に追い出されたという

傷を負っていると説き、

 

それを

「バース(誕生の)トラウマ」

と名づけました。

 

 

・・・これを結びつけると、

 

つまり、

赤ちゃんが生まれるというのは、

エデンの園の楽園からの追放と

同じ意味だというのですね。

 

楽園=子宮

 

そこから出る、

つまり、

誕生すること自体が

原罪=傷(トラウマ)になり、

それが、

「自己否定感」

に繋がってしまう・・・

 

 

陣痛が始まると、

それまでは優しく自分を

包んでくれていた子宮が

突然収縮して

胎児を締めつけます。

 

これは胎児にとっては

驚愕の出来事だということは

容易に想像できるでしょう。

 

それから、

子宮口が開いて

参道を降下していく

プロセスは、

単に締めつけられる

だけではなく、

へその緒がねじれて

血流が途絶え、

胎児にとっては

耐えようもない苦痛を

ともないます。

 

出産により、

その苦痛からは解放されますが、

それは胎児にとっては

自分を包み込む

宇宙そのものだった母親との

悲しい別離でもあります。

 

この一連のプロセスで、

幼児は大きなトラウマを負い、

「自己否定感」を募らせます。

 

これが、

オットー・ランクが発見した

「バーストラウマ」です。

 

 

なるほど・・・

 

「バーストラウマ」説は、

深層心理学の分野では、

広く支持されている考え方のようですが、

 

これを読んで、

私は、遠藤周作さんのエッセイ集

ほんとうの私を求めて

のある一節を想起しました。


その中に、

バーストラウマを軽減させる

ヒントがあるような気がします(^^)

 

遠藤周作さんが

執筆に励んだ仕事場は、

カーテンを閉め切った

狭くて薄暗い小部屋だったそうですが、

 

何故か、

そんな陰気臭い場所が、

心から安心できる場であり、

執筆活動も捗ったということです。

 

つまり、

その薄暗い小部屋が、

子宮の代わり、

すなわち、

「安心」「安全」の場

になったのですね。

 

う~ん、

わかる気がします(^^;

 

私事になりますが、

 

ウチは子どもがいないので、

ひと部屋、MY書斎

(とはいっても本の物置みたいな

4畳半の小部屋ですが)

を何とか確保しているのですが、

 

昼間は、特に西日が入り、

眩しいくらいの角部屋なのですが、

 

しかし、

カーテンを閉めると、

かなり薄暗くなりますし、

本に埋もれているので、

夜には、何だか湿っぽく、

陰気くさい感じになります(^^;

 

私も、この空間が好きなんですね。

 

落ち着きます(^^)

 

逆に、天井の高い、

明るくて広い立派な図書館のスペースとかは、

何だか落ち着かない・・・

 

(ちなみに、このブログも、

いつも書斎のパソコンで書いています)

 

 

有り難いことに、

私は、ささやかながら、

MY書斎がありますが、

 

皆さまも、

心からくつろげる、

「安心」「安全」の場、

 

自分の部屋がなければ、

お風呂とか、

 

家の中が難しければ、

たとえば、

お気に入りのカフェでもいいですし、

 

場所が難しければ、

好きな本や映画、音楽の世界に

没頭する時間を作るとか・・・

 

日々の生活に、

自分なりの、

「安心」「安全」

の場や時間が作れると、

 

「自己否定感」

が軽減できて、

今よりも、

楽に生きられるかもしれませんね😊

 

 

 

-------------------------------------------

 

 

 

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました😊

 

次回も、

この本の紹介・解説を続けます(^^;

 

 

 

-------------------------------------------

 

 

 

おまけです(^^;

 

 

山中湖、石割山頂から、

富士山、雲で隠れて見えず・・・

 

 

 

隣の平尾山頂でも(^^;

 

・・・動禅をやって、

念力(?)を送ったら、

約10分後・・・

 

 

 

おお、雲が取れてきました!

 

 

 

山頂でよく出会う、

幸運の蝶(と勝手に名付けています(^^;)

 

 

 

帰り道、パノラマ台から🗻

 

ああ、自然は美しい・・・


ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

心理カウンセラーで、

ミリオンセラー作家、

オンライン自己実現塾

(私も学びました(^^)

の塾長でもある、

 

野口嘉則さんの最新刊!

 

自分を好きになれない君へ


 

の内容(の一部)を、

4回にわたって、

紹介・解説してきました。

 

今回で5回目、最終回です(^^;

 

前回は、

「禁止令」について、

紹介・解説しました。

 

「禁止令」

とは、多くの場合、

子ども時代に、自分を守るために、

自分で定めてしまうケースが

多いのですが、

 

代表的なものですと、

「感情を感じるな」

 

この禁止令が強いと、

自分が何を感じているのか、

気づくことができない、

 

たとえ、気づくことができても、

感情を受け入れることが、

なかなかできないので、

(特にネガティブな感情を

受け入れられない時には)

逆に、感情的になってしまう。

 

ということでした。

 

「禁止令」は、他にも、

(要約して簡単に紹介します)

 

「存在するな」

 

→たとえば、親から、

「あなたがいなければ

離婚できたのに・・・」

と聞かされて育った。

「健康であるな」

→体調が悪い時には、

親が夫婦ゲンカをやめて

心配してくれたり、

優しくしてくれた。

「成長するな」

→過剰なまでに

過保護に育てられた。

「子どもであるな」

→夫婦ゲンカの仲裁役になっていた。

親の感情のケアをしていた。

「重要であるな」

→意見を言うと、

「子どもはだまっていろ!」

ということが重なった。

 

などがあります。

 

程度の差こそあれ、

誰にでも、

少しは当てはまることが

ありそうですね(^^;

 

これらの「禁止令」が、

大人になってからも続いている場合、

生きづらさにつながるケースが

あるのですが、

 

では、その場合、

どうすればいのか。

 

「禁止令」を解く、

すなわち、

「許可書」(アロワー)を出す。

 

とよいのです(^^)

 

 

これまでは

「感情を感じてはいけない」

という禁止令がかかっていた。

 

その禁止令に対して

 

「感じるままを

感じていいんだよ」

 

「感じたことは表現しても

いいんだよ」

 

「悲しいときは

悲しんでもいいし、

泣きたいときは

泣いてもいいんだよ」

 

というように

許可を与えるメッセージを、

ことあるごとに

出してあげるのです。

 

まわりに誰もいなければ

実際に自分に

声をかけてみてください。

 

心の中で自分に

語りかけてもかいません。

 

 

「禁止令」に対して、

「許可」を与えるメッセージを、

ことあるごとに出してあげる・・・

 

私も、それ、

あまり得意なほうではないのですが、

 

ネガティブな感情を感じた時には、

あえて、独りでぶつぶつ、

つぶやくようにしています。

(妻には聞こえないように(^^;)

 

 

こんな方法もあります。

 

たとえば

お風呂に入ったとき、

自分の体を両手で

抱きしめるようにして

「感情を感じてもいいんだよ」

と声をかけてあげる。

 

そうなふうに

生活のルーチンに

組み入れるのも

とてもいい方法です。

 

 

お風呂で体を抱きしめる・・・

いいですね(^^)

 

 

自分に許可書を出すことを

繰り返していると、

たくさんの許可書が

自分の中に積み重なって

いきます。

 

そして自分にかけられた

禁止令が

次第にゆるんでいきます。

 

すると、

少しずつ自分の気持ちが

感じられるように

なっていきます。

 

自分は〇〇さんに対して

ずっと腹を立てていたけど、

あの人の言葉に本当はすごく

傷ついていたんだなあとか、

 

あの出来事に

大きなショックを受けて

無気力に陥っていたんだなあと

いうように、

 

それまで気づけなかった感情に

気づくということも

よくあります。

 

 

そうですね・・・

 

どうしても、

なかなか自分の感情に

気づきにくいときには、

 

信頼できるカウンセラーと

一緒に取り組んでみるのも、

おすすめします(^^)

 

 

著者の野口嘉則さんは、

この「許可書」を出す時に、

大事なポイントが

2つあるといいます。

 

(1)「禁止令を悪者にしない」

(2)「他者を否定することではない」

 

(1)の、

「禁止令を悪者にしない」

 

から紹介しますね。

 

 

大事なことは、

そもそもどうして

自分がそのような禁止令を

持つようになったのか、

その経緯をしっかり

理解してあげることです。

 

禁止令は、

多くの場合、

幼いころに

親や身近な人との関係において

なるべく傷つかないように、

自分を守るために定めた

ルールです。

 

感情を表現すると

親から否定されてしまう。

 

叱られたり、

たしなめられてしまう。

 

そうすると、

自分が傷ついてしまう。

 

自分の存在が

否定されたような気持ちに

なってしまう。

 

傷つくことから

自分を守るためには

どうすればいいのだろうか。

 

そうだ、

感情を感じなければいいんだ。

 

感情さえ感じなければ、

自分という存在を

否定されることはない。

 

こんなふうに、

無意識のうちに、

自分が傷つくまいと

自分自身を守るために

必死で決めたルールが

禁止令なのです。

 

 

子どもながらに、

意識せずとも、

自分を守るために、

必死で決めたルールなんですね。。

 

涙ぐましいです・・・

 

 

ですから、

禁止令に対しても、

 

なかったことにして

目を背けたり、

自分の中から

追い出そうとするのではなく、

 

感謝とねぎらいの

気持ちを持って、

受け入れることが

大切です。

 

「感情を感じるな」

という禁止令を

持っていることに気づいたら、

 

その禁止令に

声をかけてあげてください。

 

「小さなときから

自分を守ってきてくれたんだね」

 

「ありがとう」

 

そして、

そんな禁止令をつくって

必死に生きてきた

小さな子どものころの自分を

ねぎらってみてください。

 

 

必死に生きてきた

小さな子どものころの自分を

ねぎらう・・・

 

本書の別の箇所で、

「インターペアレンツ」

(内なる親)

「インナーチャイルド」

(内なる子ども)

という言葉が出てきますが、

 

「インターペアレンツ」は、

「見つめる自分」

 

「インナーチャイルド」は、

「見つめられる自分」

 

のことを差します。

 

「見つめる自分」が、

「見つめられる自分」

にたいして、

厳しい視線を送るのではなく、

あくまで、

受容的、共感的にふるまう。

 

「よく頑張ってきたよね」

「ありがとう」

と感謝して、

ねぎらうことが大切なんですね。

(それがまさに自己受容)

 

次に、

(2)他者を否定することではない

 

 

禁止令は、

もしかすると

小さなころに親から言われた

何気ない一言が

きっかけになっていたかも

しれません。

 

だからといって

 

「どうしてあんなことを

言ったの」

 

「お父さんのせいで

禁止令が生まれてしまった。

どうしてくれる」

 

と親を責めてみても、

あまり意味はありません。

 

たしかに

禁止令が生まれたきっかけは

親やまわりの誰かの

言葉だったのかも

しれません。

 

けれども

禁止令を解くプロセスは、

他者に変化してもらったり、

悪かったと認めてもらう

ことではなく、

 

禁止令に囚われていた

「自分自身」

を開放することです。

 

 

そうですね・・・

つい、親を責めたくもなりますが、

 

禁止令を解くのは、

自分自身を開放するためですよね。

 

 

過去に起こった

出来事は変わりませんし、

相手の性格も

そうそう変わるものでは

ありません。

 

けれども自分が決めた

ルールは変えられますし、

ゆるめていくことはできます。

 

 

「過去と他人は変えられない、

未来と自分は変えられる」

(byエリック・バーン)

 

ですね(^^)

 

 

大切なのは、

いま自分が

何を感じているのか、

どんなことを

考えているのか、

 

あるがままに

自分でそれを

受け入れることです。

 

自己を受容することが

できれば、

自分の中にある

親子関係が

変わっていきます。

 

そして、

いつの間にか

禁止令から自由になっている

自分に気づくはずです。

 

自分を受容することができれば、

呪縛は解けるのです。

 

 

本書によると、

許可書を出すことに取り組んで、

禁止令が解け始めるのは、

(個人差はありますが)

3か月ほどかかるようです。

 

仮に、禁止令がなかなか

解けない場合でも、

 

「なかなか解けないね」

「あせるよね・・・」

とあくまで、

そんな自分の気持ちを

受け入れつつも、

 

コツコツ取り組んで

いきたいですね😊

 

もちろん、

自分で自分を癒すことは、

じゅうぶん可能だと思いますが、

 

難しい場合は、

信頼できるカウンセラーと、

一緒に取り組んでみるのも、

手かと思います。

 

参考にしてください🍀

 

 

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以上、

 

野口嘉則さんの最新刊!

 

自分を好きになれない君へ

 

 

の内容(の一部)を、

5回にわたって、

紹介・解説してきました。

 

紹介できたのは、

全体のほんの一部で、

 

本書で紹介されている、

自己受容をするための3つの方法

 

(1)マインドフルネス

(2)禁止令を解く

(3)心の中に安全基地をつくる

 

のうち、

(2)しか紹介できませんでしたが、

 

(1)も(3)も、

とても具体的で有益なアプローチです(^^)

 

興味を持たれた方は、

是非、本書をお読みください!

 

本書は、主に若者向けのシリーズなりますが、

老若男女、すべての方に有益だと思います。

 

自分を好きになること、

すなわち、

「自己受容」の旅は、

死ぬまで一生続くわけですから。

 

「自己受容」は、

深まれば深まるほど、

自分らしく、

「これでいいんだ!」

と自分自身に納得のできる人生を、

歩めるようになると思います。

 

私自身も、絶賛、

自己受容進行中です😊

 

 

 

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今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました😊

 

次回からは、別の本を紹介します(^^;

 

 

 

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おまけです(^^;


 

心臓破りの階段をひたすら登り・・・

 

さらに、登山して・・・

 

 

ようやく、石割神社

(山梨県山中湖)

に辿り着きます!

 

 

大岩の割れ目、

ここ、通れます!が、

リュックは、降ろさないと無理(^^;

(それでもギリギリ・・・)

 

 

山の中の神秘スポット、

おすすめです(^^)

 

さらに、山頂は絶景・・・

 

は次回(^^;

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

3連休は、

いかがお過ごしでしたか🍀

 

 

野口嘉則さんの最新刊!

 

自分を好きになれない君へ

 

 

の内容から、

主に「自己受容」の考え方について、

皆さまとシェアしてきました。

 

今回で4回目になります(^^;

 

前回は、

「自己受容」を、

「doing」「having」「being」

という言葉を使って説明している箇所を、

紹介・解説しました。

 

「自己受容」とは、

「being」すなわち、

自分が感じていることを、

ありのままに、そのまま受け入れること。

 

それによって、地に足がつく。

 

そうすれば、

「doing」すなわち、

行動・行為は、

適応的なものに変わっていく。

 

ということでしたね。

 

では、その

「自己受容」を、

具体的にどうやって深めていけば

よいのでしょうか。

 

本書には、大きく、

3つのアプローチが紹介されています。

 

(1)マインドフルネス

(2)禁止令を解く

(3)心の中に安全基地をつくる

 

どのアプローチも、

とても実践的で、しっかり取り組めば、

かなりの効果が見込めると思いますが、

(興味を持たれた方は、

是非、本書をお読みください)

 

今回は、この中の、

 

(2)禁止令を解く

 

にフォーカスして、

解説していきたいと思います。

 

この「禁止令」とは、

心理療法でいうと、

エリック・バーンが創始した、

「交流分析」の中で、

グールディング夫妻が唱えた

ものなのですが、

全部で12もあるんですね。

 

「禁止令」は、

子どものころに、

定めてしまうことが多いのですが、

中でも、代表的なのが、

本書でも取り上げられている、

 

「感情を感じるな」

 

です。

 

 

小さな子どもは

悲しくて泣いていても、

「悲しいのね」

と親に言ってもらうと、

受容された気持ちに

なることができます。

 

けれども、

こんなふうに

言われることも

珍しくないのでは

ないでしょうか。

 

「いつまでも

泣いているんじゃないの」

 

「泣きやんで

元気を出しなさい」

 

「あなたは

泣き虫じゃないでしょう」

 

こうしたことが

繰り返されると、

やがて子どもは

「悲しんではいけない」

という禁止令を

自分に出すようになります。

 

 

皆さんの子ども時代は、

いかがだったでしょうか。

 

私の場合は、

親から、そんなに、

感情を否定された覚えはないのですが、

(覚えていないだけかもしれませんが)

 

やはり、

「男は強くあらねばならない」

「泣いたり、悲しんだりすることは、

みっともない」

というような社会通念には、

かなり影響を受けていたと思います。

 

実際、母親が、

「感情的」になっているのを見るのは、

嫌だったし、

 

感情的にならずに、

クールでいることが、

「かっこいい」

「男らしい」

と思い込んでいたところがありました。

(なかなかできませんでしたが(^^;)

 

しかし、

今となってはわかるのですが、

「感情的」になってしまうのは、

感情を感じるからではなく、

(特にネガティブな)

感情を感じるのが怖くて、

受け入れられないからなんですね。

 

むしろ、

感情をしっかり感じられれば、

感情的にはならない。

 

感情的といえば、

「怒り」ですね。

 

 

たとえばある人が

カフェに入ったとします。

 

店員がオーダーを

とりに来て、

コーヒーをお願いすると、

なぜかすごく不機嫌そうで、

返事もせずに

メニューを下げて

奥に戻ってしまいました。

 

しばらくすると

同じ店員が

コーヒーを持ってきて、

ガチャンと音を立てて

テーブルに置き、

無言で戻っていきました。

 

なんだ、失礼じゃないか。

 

そんな怒りが湧いてきます。

 

 

・・・たまにこういう目に遭う事って、

ありますよね。

 

そりゃ、怒りが湧いてきます!

 

人間のできていない私は、

しばらく、イライラを、

引きずってしまうことも(^^;

 

 

このとき

最初に湧いてきた感情は

何かと聞かれたら、

それは怒りだと

答えるでしょう。

 

怒りのほかに

感情は感じていなかったと

いうかもしれません。

 

 

ふつう、

そう思いますが・・・

 

 

でも本当は、

怒りは第二の感情なのです。

 

その前に、

本当は感じかけて

いたのだけれども、

自分が感じたくなかった感情が

あったはずです。

 

 

えっ・・・

何でしょうか?

 

 

この例で言うなら

 

「まるで尊重して

もらえていないようで

悲しいな」

 

「自分はお客さんなのに、

こんなふうに扱われて

惨めだな」

 

という感情です。

 

それが本当の第一感情です。

 

 

・・・なるほど。

 

「怒り」は第二の感情で、

その前に、

「悲しい」「惨め」

といった第一感情があるんですね。

 

 

でも悲しみや惨めさは、

できれば

感じたくない感情です。

 

自己受容する力が高ければ、

そうした感情を引き受けて

感じることができるのですが、

 

そうした感情を

自分で受け入れられないとき、

自己防衛のために

無意識で怒りの感情に

すり替えているのです。

 

「この店員が悪い」

「店の教育は

どうなっているんだ」

 

こんなふうに

店員や店に

矛先を向けて怒ることで、

自分の本来の感情を

感じなくて済みます。

 

つまり

悲しみや惨めさという感情から

自分を防御しているのです。

 

 

う~ん、

なるほど・・・

 

「悲しみ」「惨めさ」

を自分で受け入れたら、

それこそ、

自分が弱い人間になる気がする。

相手に負けたような感覚になる。

 

と以前の私は思っていましたが、

逆なんですね。

 

そういったネガティブな感情を、

受け入れられるだけの

「心の器」がないから、

自分を守る意味で、

「怒り」の感情にすり替えている。

 

言い換えると、

しっかりとした

「心の器」があれば、

ネガティブな感情も、

すんなり受け入れられる。

(なかなか難しいですけど(^.^;)

 

ということなんですね。

 

なので、

怒りっぽい人は、実は、

「感情を感じるな」

という禁止令に縛られている

可能性があるのですが、

(かつての私もそうだったかも)

 

禁止令は、他に、

代表的なものだけでも、

 

「存在するな」

「健康であるな」

「成長するな」

「子どもであるな」

「重要であるな」

 

があるんですね。

(本書に詳しく解説されています)

 

程度の差こそあれ、

自分を好きになれない人は、

何かしらの「禁止令」を

抱えていることが多いと思います。

 

それが生きづらさに繋がっている

ケースもある。

 

では、この「禁止令」を、

具体的にどのように

解いていけばよいのでしょうか。

 

「許可書」(アロワー)を出す。

 

ということなのですが・・・

 

 

・・・すみません次回に続きますね(^^;

 

 

 

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今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました😊

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

今日は、計画年休をいただいて、

プールに行ったり、散髪に行ったり、

読書したり・・・

 

の~んびり過ごしましたが、

何故か、罪悪感を感じてしまい、

定期的に仕事のメールを

チェックしてしまうという、

昭和生まれのおじさんです(^^;

 

さておき、

野口嘉則さんの最新刊!

 

自分を好きになれない君へ

 

 

の内容から、

主に「自己受容」について、

皆さんとシェアをしています(^^)

 

今回で3回目になります。

 

この本には、

「自己受容」

をよりよく理解するために、

 

「doing」「having」「being」

 

という考え方が述べられています。

 

「なるほど~」と、

私、とても腑に落ちましたので、

今回は、それを中心に、

紹介・解説させていただきますね。

 

引用します。

 

 

doingというのは、

何かをすること。

つまり自分の行動です。

 

たとえば

テスト前に一生懸命勉強した。

 

あるいは、

さぼってゲームをしてしまった。

 

これはどちらもdoingです。

 

 

doingとは、その名の通り、

「行為」「行動」のこと。

 

 

havingというのは、

自分が持っているもの、

手に入れたもののことです。

 

たとえばお金や財産、

大きな家やブランドの洋服。

 

こうしたものはhavingです。

 

 

havingとは、その名の通り、

「持っている」もの。

 

物以外にも、

地位や肩書、才能なども当てはまります。

 

では、beingとは?

 

 

beingとは存在そのもの、

あるがままの状態のことです。

 

そして自己受容というのは、

自分のbeing、

つまり存在そのものを

受け入れることです。

 

自分がどのような

行動をしているか、

 

何を持っていて

何を持っていないのか、

 

そうしたdoingやhaving

にかかわらず、

ただあるがままの自分を

受容することです。

 

 

あるがままの自分を

受容するというのは、

自分が「感じていること」を

あるがままに受け入れるということですね。

 

もちろん、

doingやhavingを充実させることは、

悪いことではありませんし、

それに越したことはないと思います。

 

しかし、

それだけに依存していると、

いろいろな事情があって、

doingやhavingがうまくいかない時には、

自分はだめな人間だと、

落ち込んでしまうわけです。

 

だから、

何だか焦ってしまう。

 

doingやhavingを満たすことが、

目的化してしまい、

駆り立てられる人生に

なってしまうんですね(^^;

 

doing(行動)やhaving(持ち物)が

あるに越したことはありませんが、

 

やはり、

ありのままの自分を受け入れるという

being(存在そのもの)

がしっかり土台にないと、

不安定な人生になってしまう。

 

 

自分が感じていることを

受け入れる、

 

自分がいま感じていることを

認めて受け入れることです。

 

それが自分の存在そのものを

受け入れることになります。

 

悲しいときには

「ああ、私はいま悲しいんだね」

 

苦しい時には

「僕はいま苦しいんだよね。

そうだよね」

 

と認めて、

心の中で自分を抱きしめ、

受け入れることです。

 

人は自分が感じていることを

ありのままに受け入れてもらうと、

自分の存在、

つまりbeingが受け入れられたと

感じます。

 

 

自分が感じていることを

ありのままに、

受け入れてもらうことが大切。

 

だから、

相手のありのままを、

受け入れてあげることが大切・・・

 

・・・なのは、わかりますが、

 

しかし、

そうもいっていられない場合、

 

たとえば、

どうしても

子どもを叱らなければならない時って

ありますよね(^^;

 

たとえば、仕事でも、

部下を指導しなければならない時もある。

 

その場合、

どう考えればいいのでしょうか。

 

「なるほど〜」

ということが、本書に書かれています(^^)

 

「beingは受け入れ、

doingは必要に応じて修正する」

 

ということです(^^)

 

 

叱るときは

beingを受け入れて、

doingを叱るといいのです。

 

たとえば

きょうだい喧嘩して、

お兄ちゃんが小さい弟を

叩いてしまった、

とします。

 

「あなたも悪いんだから、

腹を立てるのはやめなさい」

 

「お兄ちゃんなんだから、

我慢しなさい」

 

親はそう言いたくなりがちです。

 

 

言いたくなりますね・・・(^^;

 

 

でも、

それは子どもを感じていることを

否定することになってしまいます。

 

「腹が立つんだね」

と子供が感じていることは認めて、

受け入れてあげる。

 

「だけど、

暴力はいけないことだから、

弟を叩くのはやめなさい」

というふうに、

行為だけを叱るのです。

 

つまり、

その子のありのまま(being)

を受け入れて、

叩いたこと(doing)に

ストップをかければいいわけです。

 

すると子どもは、

自分が悪いのではなく、

叩くという行為が

悪いことなんだな、

と学ぶことができます。

 

 

なるほどです(^^)

 

being(腹が立ったと感じたこと)

は受け入れて、

doing(叩いたこと)

はやめさせる。

 

こんな例も、

紹介されています。

(田中信生先生の

「子育ての勘どころ」より)

 

 

子どもが外で泥んこ遊びをして、

手を泥だらけにして

おうちに帰ってきた。

 

そんな時、

お母さんやお父さんは

どう言うでしょうか。

 

「まあ、汚ない。

早く洗っていらっしゃい」

 

こんなふうに言う

親御さんも

多いのではないでしょうか。

 

 

はい、言いたくなりますが(^^;

 

 

お母さんは、

心から子どものためを思って

「まあ、汚ない」

と言うのですが、

 

言われた子どもの無意識には

「自分は汚い」

「これでは、お母さんに

怒られてしまう」

と刻みこまれてしまう。

 

つまり

自分のBeingを

否定されたかのように

伝わってしまうのです。

 

では、

どう言えばいいのでしょうか。

 

「この手は大事な大事な

あなたの手ね。

でも、泥はばっちいから

洗いましょうね」

 

 

う~ん、なるほど・・・

 

なかなかこんな風に

冷静にはいえないような気もしますが(^^;

 

でも、たしかに、

私が子どもならば、

嬉しいし、

素直に手を洗いたくなる気がします。

 

「beingは受け入れ、

doingは必要に応じて修正する」

 

とは、こういうことなんですね。

 

もちろん、

この考え方は、

子育てだけではなく、

部下育成はもちろんのこと、

広く人間関係全般に当てはまると思います。

 

たとえば、

部下に厳しい査定を伝えなければ

ならない時、

 

「不本意かもしれないし、

がっかりするだろうけど・・・」

と、部下が感じているであろうこと(being)

は尊重しつつも、

 

伝えるべきことは伝えて、

今後の課題や目標を共有する(doing)

 

これは、

相手に対してではなく、

自分に対してでも、

同じだと思います。

 

たとえば、

仕事が思い通りにいかない時には、

 

「思い通りにいかなくて、焦るよね」

「いらいらするよね・・・」

「みじめな感じもするよね・・・」

と、自分の感じていること(being)は、

そのまま受け入れる。

 

そのうえで、

どうすれば、

少しでもこの状況が好転するか、

現実的に考えて、

今、できることを実行する(doing)。

 

たとえば、

配偶者の言動にカチンときた時(笑)

 

「あんなこと言われたら、

そりゃ腹立つよね」

「何だか、悲しくなるよね」

と、自分の感じていること(being)は、

そのまま受け入れる。

 

そのうえで、

どうすればいいのか、

 

そのままやりすごしたほうがいいのか(^^;

それとも、

自分の正直な気持ち(攻撃的にはならずに)

を伝えたほうがいいのか、

考えて、実行する(doing)。

 

beingを受け入れたうえで、

(これが大前提)

そのうえで、

理性を使って、

現実的なdoingをする。

 

前回、

「自己受容をすると、向上心がなくなって、

堕落してしまうのではないか」

 

「同じく、他者受容をすると、

相手はダメになってしまうケースも

あるのではないか」

 

という疑問を呈しましたが、

これがその回答です!

 

私の経験上からも、

自分の感じていること(being)を、

十分に受け入れられた時には、

(受け入れてもらった時には)

 

地に足がついた感じがして、

むしろ、自然に向上心が芽生えてくる、

 

そして、

自分なりに何かできることを

やってみたくなるような気がします(^^)

 

 

 

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次回に続きますね(^^;

 

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました😊

 

 

 

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おまけ

 

先日、衝動に駆られて、

葉山、森戸大明神の裏の海岸に、

ぶらっと行きました(^^;

 

 

富士山はあいにく見えませんでしたが、

(もろ逆光)

 

 

 

 

少しだけ、海に入りました。

気持ちよかった(^O^)

 

 

人の少なめな、静かな海は、

癒されます😊