ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

ロシアの文豪

トルストイさんの古典的名作、

人生論

 

 

から、私の印象に残った箇所を、

紹介・解説しています。

 

今回で3回目です(^^;

 

この本は、

「生命と幸福論」

的な色合いが濃い

「人生論」なのですが、

 

「愛」

 

に関しても、

かなり詳しく述べられています。

 

「愛」とは、

単なる「気分」によるものではなく、

理性(意志)によるものだと、

述べられているのですが、

 

では、

「気分」によるものとは、

どういったことなのでしょうか。

 

トルストイさんは、

それを「動物的個我」

という言葉で表しているのですが、

たとえば、

 

 

(中略)

 

一人の母親が

わが子の幸せのため、

別のひもじい子供から

母親の乳を奪って、

育児の首尾を案じて

思い悩むような感情となる。

 

父親が

わが子に

ひもじい思いをさせぬため、

心を鬼にして、

飢えている人たちから

最後の一片のパンを

奪い取る時の感情である。

 

女を愛した男が

その愛に苦しみ、

女を誘惑して、

女をも苦しませたり、

 

嫉妬のあまり

自分も女も

滅ぼしたりする時の

感情である。

 

 

う~ん、

 

後半の男はともかく、

前半の母親と、父親の行動は、

やむを得ないところも

あるような気がしますが(^^;

 

 

人々が

愛する祖国に対する侮辱に

耐えきれなくなり、

戦場を敵味方の死傷者で

うずめつくす時の感情である。

 

 

・・・この感情は、

たしかに、祖国愛、

というよりも、

「怖れ」

からくるものだと思います。

 

 

人は

自分の赤ん坊や、

友人や、妻や、

子供や、祖国などを、

 

よその子供や、

妻や、子供や、

祖国などよりも

好ましく思い、

その感情を愛と名づける。

 

 

う~ん、

自分に関係するものほど

大切に思うのが、

「人情」というものですが、

 

たしかに、

「愛」そのものでは

ないのかもしれない・・・

 

では、

こういう場合は、

どうなのでしょうか。

 

 

今、

わたしがいくらか

好意を持っている

飢えた老人がやってきて、

私の愛する子供たちの

夜食用にとってある

食物をねだるとする。

 

わたしとしては、

現在の

やや弱い愛の欲求と、

もっと強い

愛の未来の欲求とを、

どう秤にかけたら

いいのだろう?

 

 

う~ん、

迷いますが・・・

 

私は、子どもたちを、

すなわち、

「愛の未来の欲求」

を優先するかもしれません。

 

 

わたしの

ねだられている服を、

やがていつか

わたしの子供たちに

必要になるだろう

という理由で、

凍えた赤ん坊に

着せてやらなくともよいと

認めるなら、

・・・

 

 

う~ん、

これは迷います・・・

 

これは、

凍えた(他人の)赤ん坊に

着せてあげるかもしれない・・・

 

 

このように、

「愛」の優先順位って、

なかなか難しいですよね(^^;

 

もちろん、

その時、その時の状況で判断して、

最善だと思う選択を

していくしかないのですが、

 

それが果たして正解なのかは、

わからない。

 

(あとで、

後悔することもありそうです)

 

で、この本では、

答えといえるものが

掲示されています。

 

それはいったい?

 

 

将来の愛などというものは

ありえない。

 

愛はもっぱら

現在における活動である。

 

現在において

愛をあらわさぬ人は、

愛を持たないのである。

 

 

将来の愛などというものは、ない。

 

愛は、もっぱら、

現在における活動である。

 

なるほど・・・

 

優先順位をつけたり、

損得勘定で考えたり、

出し惜しみしたりせずに、

 

今、目の前の人にできる愛を、

とにかく、実践する。

 

それが、

「気分」による愛、

「動物的個我」による愛ではなく、

 

「理性」(意志)による愛、

「人間としての」愛だというのですね。

 

この思想は,

過去ブログ、

 

 

でも取り上げましたが、
トルストイさんの小説の中に
たびたび出てくるモチーフです。
 
この本の中の短編、
では、
主人公のセミョーンが、
怪しい裸の男を、
見て見ぬふりをして、
通り過ぎますが、
「良心」の声を聴いて、
引きかえすんですね。
 
この「良心」の声とは、
この人生論でいう、
「理性」(意志)による愛
のことだと考えますが、
 
「理性」(意志)による愛、
というよりも、
で紹介しましたが、
 

物乞いの老女から、

「25セントください」

と乞われる話があります。

 

そこで、述べられている、

考え方も、

 

「直感」や「良心の声」

を聞いたら、衝動に従い、

考える前に「行動」する。

 

ということです。

 

あれこれ考えずに、

衝動に従い、今、行動する。

 

そして、

与えることができれば、

それは、すなわち、

 

「私は持っている」

「私は豊かである」

 

ということの証明になるので、

ますます豊かになる。

 

ということなんですね。

 

まずは、

理性を使って、

「ありたい姿」

すなわち、

「私は豊かである」

と定義をする。

 

そのうえで、

「直感」や「良心の声」

を聞いたら、

あれこれ考えずに、

即座に行動する。

 

出し惜しみをせずに、

今、与える。

 

そして、

与えることのできる、

自分自身の「豊かさ」に、

感謝をする。

 

そうすれば、

ますます豊かになる・・・

 

すぐれた自己啓発書の

源流にもなっている、

考え方ですね。

 

もちろん、それには、

ちょっと勇気が必要ですし、

将来の備えも、

もちろん必要なので、

現実的な判断も生じるのですが、

 

出し惜しみせずに、

「今、与える」こと

 

出来る範囲で、

実践していきたいです(^^;

 

 

 

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今回も、最後までお読みくださいまして、

有り難うございました😊

 

次回も、

この本の紹介を続けます(^^;

 

 

 

 

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最近の私のお気に入りスポット、

葉山の森戸神社先から

 

曇っていて、

富士山は見えませんでしたが、

 

黄金風景・・・

(勝手に撮らせていただきました(^^;)

 

・・・先のほうに、

鳥居が海に浮かんでいます⛩

 

 

太宰治さんの名作短編、

黄金風景

ここ↑クリックするとすぐ読めます。

(青空文庫さん、有り難うございます)

 

私の大好きな短編、

とってもあたたかい気持ちになれますよ😊