ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

スピリチュアル本で、

世界中でベストセラーになった本、

神との対話シリーズ

 

 

の内容で、

私が印象に残ったところを、

紹介、解説しています(^^)

 

今回で7回目になりました(^^;

 

この本の成り立ちですが、

著者の、

ニール・ドナルド・ウォルシュさんが、

人生がうまくいかず、

やけっぱちになって、

神さまに向けて、

いくつか質問を書いたんですね。

 

そして、最後に、

 

こんなに、

もがきつづけて

いなければならないなんて、

わたしが

いったい

何をしたというのか。

 

 

とぶつけたところ、

突然、神さまからの返事が浮かんできた・・・

 

その対話を書き記したのが、

この本になります(^^;

 

で、神さまとの対話だけあって、

なかなか

示唆に富む内容が多いのですが、

今回は、

 

「お金」「豊かさ」

 

に関するところを、

紹介しますね。

 

神さまは、

こうおっしゃいます。

 

 

あなたは、

金は悪いものだと思っている。

 

また、

神は善いものだと思っている。

 

それはよろしい!

 

しかし、

あなたの思考の中では、

神と金は混じり合わない。

 

(中略)

 

あなたにとっては、

「良い」と判断することは、

金銭的な価値が

低いことになる。

 

(中略)

 

あなたは、

崇高な天職を選んだものは、

誰よりも報酬が低くて

当然だと感じている。

 

う~ん、

 

「清貧の思想」

などとも言いますが、

たしかに、

お金は、欲深くダークなイメージ、

貧しいのは、清らかなイメージ、

というのは、

私の中にも、少しあります・・・

 

「武士は食わねど高楊枝」

が、かっこいい!

と憧れる気持ちもありますね。

 

しかし、

冷静に考えると、

本来、お金は

あるに越したことはないですし、

お金があれば、

気持ちも豊かになります。

 

お金は、それ自体、悪いものではない。

 

ただ、何故か、

お金に対して、

罪悪感をもってしまうことがある・・・

 

そうすると、

宇宙(神さま)は、

どうしていいか分からないといいます(^^;

 

「お金が欲しいのか、欲しくないのか、

どっちなんだ!」

と(笑)

 

何故、私たちは、

お金に対して、

一種の罪悪感を持ってしまうのか、

 

 

あなたの心は

他への反応でしかない

思考で満ちている。

 

他者の経験から

生じた考えだ。

 

自分自身のデータに

もとづいた考えは

ごく少ないし、

こうありたいという

自分の希望に

もとづいた考えは

さらに少ない。

 

あなたの金に対する

考え方の根本にある

思考がいい例だ。

 

金は「悪いものだ」

という考えは、

あなたの経験―

「金があるのは

すばらしいことだ!」

と真っ向から対立する。

 

そこで、

あなたは自分をごまかし、

根にある考えを

正当化するために、

経験の方が間違っていると

自分をだまさなければ

ならなくなる。

 

 

自分の経験だと、

お金があるのは

すばらしいことなのに、

(そりゃ当然ですよね(^^;)

しかし、何故か、

「金は悪いものだ」

と考えてします。

 

いわゆる、

社会通念からですね。

 

不安を掻き立てるもの、

たとえば、

汚職や買収のニュースなど見ていても、

そう思えてきます。

 

なお、

この社会通念は、

キリスト教社会のほうが、

もしかしたら、強いのかもしれません。

 

昨今の日本では、

むしろ、

「金がすべて」

という考え方の方が、

主流なのかもしれませんが、

これも、一種の、

社会通念ですね(^^;

 

要は、

自分の経験から、

導かれた考え方では

ないということです。

 

自分の経験から

導いて考えると、

 

そうですね・・・

 

お金は、

適切な使い方をすれば、

自分の豊かさを実感できる、

ツールだというところでしょうか。

 

お金に関して、

神さまは、

私たちには、

別の「根となる思考」

があるといいます。

 

 

足りないという考えだ。

 

じつは、

その考え方は

すべてについての

根でもある。

 

金が足りない、

時間が足りない、

愛が足りない、

食べ物が、

水が、

世界に同情が足りない・・・

 

良いものは

すべて足りない。

 

この

「足りない」

という集合的な意識が

いまのような世界を

創りあげている。

 

たしかに・・・

 

「足りない」

という意識は、

「不安(怖れ)」

からくるのだと思いますが、

そこから、

 

過度な競争、

サバイバル、

奪い合い、

自分さえよければいい、

 

(なぜなら、足りないのだから、

他人から奪わないと生き残れない!)

 

という発想になりがちですね。

 

では、どうすればいいのか。

 

支えになっている考えを

変えることだといいます。

 

思考→言葉→行為

というパラダイムを変える、

 

すなわち、

「行動する前に考える」

のではなく

「考える前に行動する」

ことだといいます。

 

 

たとえば、

通りを歩いていて、

老女に25セントくださいと

乞われたとする。

 

いくら貧しいといっても、

老女に小銭を与えることは

できる。

 

あなたはすぐに気づく、

そこで、

まず老女に金を与えようという

衝動が起こる。

 

ポケットに手を入れて

たたんだ札を

とり出しかけるかもしれない。

 

1ドルか、

あるいは5ドル札さえ

とり出そうとするかもしれない。

 

そうしたら、

老女はどれほど

喜ぶだろう。

 

どんなに

元気づくだろう。

 

そこへ、

考えが割り込む、

おまえはどうかしているのでは

ないか?

 

今日の予算として

7ドルしかないんだぞ!

老女に5ドルやるつもりか?

 

そこで、

あなたは1ドル札がないかと

探しはじめる。

 

そこへまた

考えが割り込む。

 

おいおい、

ひとにくれてやるほど

金があるのか!

 

コインをやって、

さっさと立ち去った方がいいぞ。

 

あなたは急いで、

25セントのコインがないかと

べつのポケットを

探ろうとする。

 

(中略)

 

ところが、

そのときにはもう、

きまりの悪そうな

笑みを浮かべながら

老女の前を

通り過ぎてしまっている。

 

引きかえすには遅すぎる。

 

老女は何ももらえなかった。

 

あなたも何も得られなかった。

 

あなたは

豊かさと分かち合いと

いうことを知るかわりに、

老女と同じくらい

貧しい気分になる。

 

どうして、

お札を与えなかったのか!

 

最初は衝動的に

そうしようとしたのに、

考えがじゃまをしたのだ。

 

 

・・・

こういうことって、

ありますよね(^^;

 

もちろん、

必ずしも、大盤振舞して

かっこつける必要はなく、

できる範囲でかまわないと思います。

 

冷静な判断が必要な時もありますが、

ただ、このように、

考えているうちに身動きがとれなくなり、

あとで後悔することって、あります(^^;

 

 

つぎの機会には、

考える前に行動しなさい。

金を与えなさい。

 

かまうことはない!

あなたには

金があるし、

あなたが

金を得たところには

まだある。

 

その考えだけが、

あなたと

物乞いの老女を

隔てる違いだ。

 

あなたは

金を稼いだところには

まだ金があることを

はっきりと知っているが、

老女は知らない。

 

根となっている考えを

変えたいと思うなら、

新しい考え方に沿って

行動しなさい。

 

 

根となる考えとは、

「足りない」という考えですね(^^;

 

新しい考え方とは、

「こうありたいと思う考え方」

すなわち、

「私たちは豊かである」

という考え方でしょうか。

 

「思考」から入ると、

ついつい、不安から、

「足りない」という考えに

陥ってしまいがちなので、

こうありたいという

「行動」から入る。

 

「直感」や「良心の声」

を聞いたら、衝動に従い、

考える前に「行動」する。

 

そして、

「与える」ことのできる

「自分の豊かさ」に、

感謝をする。

 

そうすれば、

ますます、私たちは、

「豊か」になれるのかもしれませんね(^^;

 

心がけていきたいです。

 

今回も、

最後までお読みくださいまして、

有り難うございました(^^)

 

「神との対話」

次回、最終回にしますね(^^;