ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

最近、仕事やら資格試験の勉強やらで、

なかなか気持ちに余裕がなく、

ブログの更新が滞りがちになっていました・・・

 

が、その割には、山歩きや読書には、

ちゃんと時間を割いているという(^^;

 

で、一か月ぶりのブログになります。

今回ご紹介する本は、

 

またまた村上春樹さんで、

今度は長編小説の、

 

騎士団長殺し

 

騎士団長殺し 村上春樹 著書

 

この本、まだ読んでいなかったので、

ずっと、気になっていたのですが、

 

古本屋でハードカバーの美本が、

格安で売られていたので、

思わず買ってしまいました!

 

この本は、

2巻で1,000ページ以上もある大作、

 

いやあ・・・

資格試験の勉強そっちのけで、

すっかり、物語の沼に

ハマってしまいましたよ(^^;

 

ネタバレにならないように、

ストーリーをちょっとだけ紹介しますと・・・

 

まず、この物語の舞台ですが、

主人公の男性(肖像画を描く画家)は、

山の上に住んでいます。

 

この山というのが、

小田原周辺の山の設定で、

 

・・・ということは、

私がよくいくエリアの一つではないか!

 

急に親近感が湧いたのですが(^^;

それはさておき、

主人公は、

もともと著名な画家が住んでいた

山の上の別荘に、

事情があって住むことになります。

 

そして、そこから見える、

隣の山の豪邸に住む不思議な人物から、

肖像画を描いてほしいと依頼があり、

そこから物語が展開していくわけですが・・・

 

この本のタイトル、

「騎士団長殺し」とは、

絵のタイトルを指します。

 

この絵は、

主人公が間借りしている、

別荘の屋根裏部屋から、

発見された日本画なのですが、

 

(「騎士団長殺し」は、

モーツアルトのオペラに

出てくるシーンなのですが、

この絵は、何故か西洋画ではなく日本画)

 

この日本画、

何とも奇怪で、興味をそそります。

 

引用します。

 

 

そこに描かれているのは、

飛鳥時代の恰好をした男女だった。

 

その時代の服装とその時代の髪型。

しかしその絵は私をひどく驚かせた。

 

それは息を吞むばかりに

暴力的な絵だったからだ。

 

 

日本画というと、

一般的には穏やかなイメージがありますが、

この絵は、とても暴力的だった・・・

 

 

「騎士団長殺し」

という絵の中では、

血が流れていた。

 

それもリアルな血が

たっぷり流れていた。

 

二人の男が

重そうな古代の剣を手に

争っている。

 

それはどうやら個人的な

果たし合いのように見える。

 

争っているのは

一人の若い男と、

一人の年老いた男だ。

 

若い男が、

剣を年上の男の胸に

深く突き立てている。

 

若い男は

細い真っ黒な口髭をはやして、

淡いよもぎ色の

細身の衣装を着ている。

 

年老いた男は

白い装束に身を包み、

豊かな白い髭を生やしている。

 

・・・

 

 

何か、

意味深なシーンですね・・・

 

 

そしてその果し合いを

近くで見守っている人々が

何人かいた。

 

1人は若い女性だった。

 

上品な真っ白な

着物を着た女だ。

 

髪を上にあげ、

大きな髪飾りをつけている。

 

彼女は片手を口の前にやって、

軽く口を開けている。

 

息を吸い込み、

それから大きな悲鳴をあげようと

しているように見える。

 

美しい目は大きく見開かれている。

 

 

若い男が年老いた男を刺すのは、

驚きの展開だったのでしょう・・・

 

 

(中略)

 

そしてもう一人、

そこには奇妙な目撃者がいた。

 

画面の左下に、

まるで本文につけられた

脚注のようなかっこうで、

その男の姿はあった。

 

男は地面についた蓋を

半ば押し開けて、

そこから首をのぞかせていた。

 

蓋は真四角で、

板でできているようだ。

 

その蓋は

この屋根裏に通じる入口の蓋を

私に思い出させた。

 

形も大きさもそっくりだ。

 

男はそこから

地上にいる人々の姿を

うかがっている。

 

(中略)

 

彼は曲がった茄子のような

異様に細長い顔をしていた。

 

そしてその顔中が黒い髭だらけで、

髪は長くもつれていた。

 

浮浪者のようにも、

世を捨てた隠者のようにも見える。

痴呆のようにも見えなくもない。

 

しかしその眼光は

驚くほど鋭く、

洞察のようなものさえ

うかがえる。

 

とはいえ、その洞察は

知性を通じて獲得されたものではなく、

ある種の逸脱が

ーひょっとしたら狂気のようなものがー

たまたまもたらしたもののように

見える。

 

 

地面のフタを押し開けて、

顔を出している、

この曲がった茄子のような

黒い顔の男。

 

何だか「夢」に現れてきそうな

奇妙なキャラクターですね(^^;

 

主人公の男から、

「顔なが」と名付けられますが、

何だかジブリ映画にも出てきそう。

 

それは「顔なし」か(^^;

 

で、皆さんお察しのように、

この「騎士団長殺し」という日本画に

登場する人物たちは、

「寓意」であり「象徴」なわけですが、

 

では何の象徴か?

というのは・・・

 

読んでみてのお楽しみということで(^^;

 

この「顔なが」が潜んでいる地下の世界は、

村上春樹さんお家芸の「無意識」の世界、

ユング的な「深層心理」の領域ともいえますが、

 

物語の後半では、

主人公が、その地下世界を冒険することになります。

 

物語は、地下世界だけでなく、

歴史の世界、すなわち、

ナチス・ドイツや

日本軍の中国戦線の出来事なども絡み合い、

重層的に展開していくのですが・・・

 

・・・と、

このあたりにしておきますね(^^;

 

 

 

************************************************

 

 

今回も最後までお読みいただきまして、

有り難うございました(^^)

 

次回もこの本の紹介を続けます(^^;

 

 

 

***********************************************

 

 

おまけ写真集(^^;

 

11月、少し前になりますが、

天気のいい日は、

山歩きでリフレッシュ!

 

渓流と古い橋、苔むした岩

 

渓流沿いの登山道から、

 

 

滝と森の自然景観

 

不動尻の不動の滝。

 

 

岩場の登山道に設置された鎖場

 

あまたの鎖場越えて、

いざ三峰山へ!

 

秋の山道、紅葉と木漏れ日

 

紅葉に癒されながら・・・

 

 

鎖場のある登山道、根の張る急斜面

 

乗り超えろ!

 

三峰山 標高九三四・六米

着きました!

 

登山道の木製階段と鎖

 

整備されているので、

慎重に行けば大丈夫・・・

 

 

紅葉の山と古木、根っこ

 

下の方は、

ちょうど紅葉ピークでした!

 

 

富士山と山々、紅葉の秋の景色

 

別日に、

今度は表丹沢ルート、三の塔へ、

 

山頂の道標と富士山

 

三ノ塔、眺めいいです!

 

 

登山道の木製階段と山々

 

天気もいいので、

欲張って塔ノ岳まで行くことに!

 

石仏と枯れ木、岩のある風景

 

安全祈願・・・

 

塔ノ岳山頂:富士山を望む景色と登山者

 

塔ノ岳着きました!

 

山歩きと富士山の遠景

 

水墨画みたいに写りました・・・

 

 

小田原の山頂、休憩所と木製小道

 

暗くなる前に、

帰路急がねば・・・

 

富士山と山々の夕暮れ景観

 

今年は、富士山、実際に登ったせいか、

神々しいというよりも、

何だか友達みたいな、

身近な存在になってきました(^^;

 

 

浄発願寺奥の院、洞窟と石仏

 

また別日、

こちらは、浄発願寺奥の院。

 

洞窟の中に、石仏が何体か鎮座されています。

 

 

浄発願寺縁起絵詞伝より弾誓上人

 

弾誓上人が修行されたようですね。

集まってきた珍獣たち?が微笑ましい(^^;

 

 

森の根っこが露出した登山道

 

大山まで足を伸ばします。

 

山道に整備された丸太の階段

 

ひたすら登って・・・

 

大山山頂、丹沢山域の案内標識

 

大山山頂は、やはり賑わってました!

 

石周奥井石材店の温度計

 

山頂は0度・・・

ちょっとぬるめになってしまったカップ麺、

美味かった(^^;

 

 

日向薬師本堂の茅葺き屋根と境内

 

私の大好きなお寺。

日向薬師に立ち寄りました。

 

報道でご存知の方も

いらっしゃるかもしれませんが、

今回、私が歩いた、

浄発願寺奥の院のあたり(日向山の西北?)で、

先日、山火事がありました。

 

幸いにも人的被害はなかったようですが、

奥の院や登山道に、

被害がないことを祈ります・・・

 

 

神宮外苑のイチョウ並木、秋の風景

 

ここは神宮外苑のイチョウ並木。

(今年は、半分以上すでに散っていましたが(^^;)

 

ラグビー早明戦、明治大学対早稲田大学スコアボード

 

ラグビー早明戦、

母校勝ちました!嬉し~

 

おつきあいいただき、

有り難うございました(^^;

 

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

村上春樹さんの文庫本、

エッセー、

 

走ることについて語るときに僕の語ること

 

村上春樹 走ることについて語るとき僕の語ること表紙

 

から、

私の印象に残った箇所を、

紹介・解説しています。

 

今回で3回目、最終回です(^^;

 

この本には、

「なるほど~」「たしかに!」

と思えることが、

いくつかあったのですが、

今回もそれを紹介します(^^)

 

 

「村上さんみたいに毎日、

健康的な生活を送っていたら、

そのうちに小説が

書けなくなるんじゃ

ありませんか?」

 

みたいなことを

ときどき人に言われる。

 

外国にいるときには

あまり言われないけれど、

日本ではそういう意見を持つ人が

けっこうたくさんいるようだ。

 

小説を書くということは、

即ち不健康な行為であり、

作家たるものは

公序良俗から

遠く離れたところで、

できるだけ健全ならざる生活を

送らなくてはならない。

 

そうすることによって、

作家は世俗と訣別し、

芸術的価値を持つ

純粋な何かにより

近接することができるのだ

といった通念のようなものが

世間には根強く存在する。

 

長い年月をかけて、

そういう芸術家=不健康(退廃的)

という図式が

作り上げられてきたらしい。

 

映画やテレビ・ドラマには、

よくこういうステレオタイプの

ーよく言えば神話的なー

作家が登場する

 

 

村上春樹氏は、

ほとんど毎日走り続けているような、

いわば「健康的」な作家ですが、

 

たしかに作家って、

不健康で退廃的なイメージがありますよね(^^;

 

たとえば、太宰治とかは、

まさにその典型ですが、

 

私も、デカダンスな生き方に

ちょっと憧れがあり、

飲んだくれてた時期もあります。

(それで体を壊したのですが(^^;)

 

今でも、

単なる健康的な生活だけだと、

つまらない人生だと思うところがある。

 

 

小説を書くのが不健康な作業である

という主張には、

基本的に賛成したい。

 

我々が小説を書こうとするとき、

つまり文章を用いて

物語を立ち上げようとするときには、

人間存在の根本にある

毒素のようなものが、

否応なく抽出されて表に出てくる。

 

作家は多かれ少なかれ

その毒素と正面から向き合い、

危険を承知の上で

手際よく処理して

いかなくてはならない。

 

そのような毒素の介在なしには、

真の意味での創造行為を

おこなうことはできないからだ

(妙なたとえで申しわけないが、

河豚は毒のあるあたりが

いちばん美味い、というのに

ちょっと似ているかもしれない)。

 

それはどのように考えても

「健康的」な作業とは

言えないだろう。

 

 

河豚(ふぐ)のたとえは、

分かりやすいですね(^^;

 

たしかに、

小説などで人間を描く際には、

毒素、というか、

精神世界で言う「影」、

すなわち、

心の奥底にある闇の部分に触れないと、

深みがでないような気がします。

 

しかし、そこに安易に触れるというのは、

健康的とはいえませんし、

どっぷり浸かるのは、

危険でもありますね。

 

生活じたいが、

退廃的になってしまうおそれがある。

 

(中略)

 

しかし僕は思うのだが、

息長く職業的に

小説を書き続けていこうと

望むなら、

 

我々はそのような危険な

(ある場合には命取りになる)

体内の毒素に対抗できる、

自前の免疫システムを

作り上げなくてはならない。

 

そうすることによって、

我々はより強い毒素を

正しく効率よく

処理できるようになる。

 

言い換えれば、

よりパワフルな物語を

立ち上げられるようになる。

 

そしてこの

自己免疫システムを作り上げ、

長期にわたって維持していくには、

生半可ではないエネルギーが

必要になる。

 

どこかにそのエネルギーを

求めなくてはならない。

 

そして我々自身の

基礎体力のほかに、

そのエネルギーを

求めるべき場所が

存在するだろうか?

 

 

体内の毒素に対抗できる、

自前の免疫システムを作る。

それが基礎体力である。

 

なるほどです(^^)

 

たとえば、

禅の修行の世界では、

日々の生活をきちんと

丁寧に過ごすことが求められますが、

これも、一種の

基礎体力作りなのかもしれません。

 

瞑想を続けていると

「魔境」という境地に陥ることが

あるそうです。

(私はまだ経験はありませんが)

 

仏陀や如来のイメージが現れることですが、

実はこれはエゴが肥大化したもの

なのだそうです。

 

日々の修行というものは、

これを防ぐための、

自己免疫システムなのかもしれない。

 

 

(中略)

 

真に不健康なものを

扱うためには、

人はできるだけ

健康でなくてはならない。

 

それが僕のテーゼである。

 

つまり不健全な魂もまた、

健全な肉体を

必要としているわけだ。

 

逆説的に聞こえるかもしれない。

 

しかしそれは、

職業的小説家になってからこのかた、

僕が身をもって

ひしひしと感じ続けてきたことだ。

 

健康なるものと

不健康なるものは

決して対極に

位置しているわけではない。

対立しているわけでもない。

 

それらはお互いを補完し、

ある場合においては

お互いを自然に含みあうことが

できるものなのだ。

 

往々にして

健康を指向する人々は

健康のことだけを考え、

不健康を指向する人々は

不健康のことだけ考える。

 

しかしそのような偏りは、

人生を真に

実りあるものにはしない。

 

 

「健康」と「不健康」は、

お互いに補完している。

 

補完することで人生が実りあるものになる。

 

そうですね・・・

 

シュルレアリスムの巨匠として知られる

ルネ・マグリットは、

芸術家としては、

非日常的で摩訶不思議な絵を書きますが、

 

それとは裏腹に、

生活レベルでは、

極めて平凡で規則正しい日々を

過ごしていたいたようです。

 

だからこそ、

精神世界の闇に飲み込まれることなく、

独創的な作品を多く残せたのだと思います。

 

カウンセリングで、

時間の枠や、空間の枠といった

「枠」を重要視するのも、

 

その分、来談者が安心して、

心の深いところまで

降りていけるようになる効果が

あるのだと思います。

 

私自身、

読書や心の学びの中で、

時には、人間の影や闇の部分にどっぷり浸かり、

それをじっくりと味わうためにも、

 

日常生活は、

なるべく健康的に過ごして、

基礎体力をつけておきたい。

 

そんなふうに思いました😊

 

 

 

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以上、3回にわたって、

 

村上春樹さんの文庫本、

エッセー、

 

走ることについて語るときに僕の語ること

 

村上春樹 走ることに語るとき僕の語ること 表紙

 

から、

私の印象に残った箇所を紹介しました。

 

取り上げた箇所以外も、

多くの示唆が得られる本です。

 

自分で決めた道を

自分のペースで歩んでいこう!

という勇気が湧いてくるような本。

 

一読をおすすめします😊

 

 

 

 

*******************************************

 

 

 

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました(^^)

 

次回は別の本を紹介する予定です(^^;

 

 

 

*******************************************

 

 

 

おまけ写真集(^^;

 

私の健康、基礎体力作りの一助になっている、

山歩き(^^)

 

県立久留里城山公園入口の石碑

 

前日に城山(津久井城址)で

足慣らしをしたあと・・・

 

 

村上春樹「走ることについて語るときに僕の語ること」表紙

 

車中泊・・・

星がきれいだったのですが、

私のスマホレベルでは、

ほとんど写っておらず(^^;

 

 

青根 諏訪神社 大スギ

 

日の出とともにスタート!

 

 

登山道案内標識:東野、蛭ヶ岳8.0km、姫次4.7km

 

蛭ヶ岳二回目。

今度は姫次経由で。

 

 

森の中の木製階段

 

整備された登山道・・・

 

 

紅葉したカエデの葉と小枝

 

木製デッキと雑草

 

凍ってました(^^;

 

 

登山道標識 蛭ヶ岳 焼山

 

姫次到着!

 

 

富士山とカラマツの紅葉

 

おお、カラマツの間から富士山(^^)

 

 

紅葉と青空のコントラスト

 

青空の下の紅葉、

映えます!

 

 

富士山と紅葉の山並み、青空

 

この角度、

檜洞丸が富士山を隠しています(^^;

 

 

紅葉の山道と遠くの山並み

 

振り返れば、紅葉!

 

 

紅葉の登山道と山腹

 

頂上見えてきた!

 

 

登山道の木製階段と木々

 

ようし、もう一息・・・

 

 

蛭ヶ岳からの富士山と登山道

 

頂上着きました(^^)

神奈川県最高峰、蛭ヶ岳!

 

前回はガスっていて何も見えなかったので、

リベンジ達成🗻

 

富士山と紅葉の山並み、登山道の様子

 

おかげさまで、最高の天気です!

 

 

富士山と紅葉の山々

 

アップ、

美しい・・・🗻

 

 

山頂からの絶景と紅葉

 

宮ケ瀬湖と関東平野・・・

 

 

登山小屋と富士山

 

蛭ヶ岳山荘で蛭カレーいただきました(^^)

 

 

紅葉の登山道と山々

 

元来た道を、下山します。

 

 

紅葉の落ち葉と登山靴

 

紅葉する木々、登山道の秋景色

 

みごとな紅葉!

 

 

森の中の木々

 

林相が美しい・・・

 

古い学校校舎と秋の山

 

下山後・・・

素敵な建物ですね。

 

 

青根諏訪神社の大スギ

 

青根の諏訪神社、無事帰還できました!

有り難うございます😊

 

青根の諏訪神社の大杉

 

見事な大スギです!

 

蛭ヶ岳登山、

往復10時間近くかかり、

ヘロヘロになりましたが(^^;

 

天気最高!紅葉も美しく、

おかげさまで満喫できました😊

 

大自然という名の神様に感謝!

 

 

追伸 おまけのおまけ(^^;

 

ピンクの被り物とマントを着た猫

 

遅ればせながら・・・

 

 

子猫がピンクの衣装を着ている

 

嫌がってる・・・😸

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

村上春樹さんの文庫本、

エッセー、

 

走ることについて語るときに僕の語ること

 

村上春樹「走ることについて語るときに僕の語ること」表紙

 

を読んで、

私の印象に残った箇所を

紹介・解説しております。

 

 

毎日走り続けていると言うと、

そのことに

感心してくれる人がいる。

 

「ずいぶん意志が強いんですね」

とときどき言われる。

 

ほめてもらえれば

もちろん嬉しい。

 

けなされるよりは

ずっといい。

 

しかし思うのだけれど、

意志が強ければ

なんでもできてしまう。

というものではないはずだ。

 

世の中はそれほど

単純にはできていない。

 

というか正直なところ、

日々走り続けることと、

意志の強弱のあいだには、

 

相関関係は

それほどなんじゃないかという

気さえする。

 

僕がこうして二十年以上

走り続けていられるのは、

結局は走ることが

性に合っていたからだろう。

 

少なくとも

「それほど苦痛ではなかった」

からだ。

 

人間というのは、

好きなことは自然に続けられるし、

好きではないことは

続けられないようにできている。

 

そこには意志みたいなものも、

少しくらいは関係しているだろう。

 

しかし

どんなに意志が強い人でも、

どんなに負けず嫌いな人でも、

 

意に染まらないことを

長く続けることはできない。

 

またたとえできたとしても、

かえって身体によくないはずだ。

 

 

なるほど・・・

 

そう考えると、

「長く続いていること」

というのが、

無理していないこと、

そして、

性にあっていること

のバロメーターに

なるかもしれないですね(^^)

 

私の場合は、

やっぱり、なんだかんだ、

「読書」の習慣は続いているので、

性に合っているかと(^^;

(最近は忙しくて、たとえば、

長編小説にどっぷり浸かることが

なかなかできないのが悲しいですが)

 

「歩く」ことも習慣になっています。

雨が強い日を除けば、

駅をひとつ前で降りたり、

バスに乗らなかったりして、

通勤で一日8,000歩は

歩くようにしています(^^)

 

「山歩き」は、

30代から始めて、

一時期少し遠ざかっていましたが、

また復活してきました!

 

「学び」の習慣は?

心の学びなど、好きなことを学ぶことは

もちろん嫌いではないのですが、

やっぱり働きながらだと、

計画性や意志の力は必要・・・ですね(^^;

 

皆さまの、

「長く続いていること」

は何でしょうか😊

 

 

だから僕はランニングを

まわりの誰かに勧めたことは

一度もない。

 

「走るのは素晴らしいことだから、

みんなで走りましょう」

みたいなことは、

極力口にするまいと思っている。

 

もし長い距離を走ることに

興味があれば、

放っておいても、

人はいつか自分から

走り出すだろうし、

 

興味がなければ、

どれだけ熱心に

勧めたところで無駄だ。

 

マラソンは万人に向いた

スポーツではない。

 

小説家が万人に向いた

職業ではないのと同じように。

 

僕は誰かに勧められたり、

求められたりして

小説家になったわけではない

(止められたことすれ)。

 

思うところあって

勝手に小説家になった。

 

それと同じように、

人は誰かに勧められて

ランナーにはならない。

 

人は基本的には、

なるべくしてランナーになるのだ。

 

 

「人は基本的には、

なるべくしてランナーになるのだ」

 

かっこい表現ですね!

 

たしかに、

誰にも強制されずに、

今、続けてやっていることが、

 

やっぱり、

自分に向いていることなのかも

しれませんね。

 

 

とはいえ

こういう文章を読んで興味を持ち、

「じゃあ、

ちょっと走ってみようか」

と思って実際に走ってみたら、

「おお、

けっこう楽しいじゃないか」

というようなことが

あるのかもしれない。

 

それはもちろん麗しい展開ではある。

もしそういうことがあれば、

この本の著者としても

たいへん嬉しい。

 

 

はい、

私もこの本に触発されて、

 

先日、久しぶりに、

鶴見川の河川敷を7キロほど走りました!

 

そしたら、

山歩きとは

ちょっと違った種類の筋肉痛になり、

数日間、

老人のような歩き方になりましたが・・・(^^;

 

ちなみに、

鶴見川の河川敷は、

お正月の箱根駅伝放映後のPMには、

にわかランナーが激増します。

(あくまで自分調べ、

私もその一人ですが(^^;)

 

 

しかし人は

向き不向きがある。

 

フル・マラソンに

向いている人もいれば、

ゴルフに向いている人もいれば、

賭けごとに向いている人もいる。

 

学校で体育の時間に、

生徒全員に

長距離を走らせている光景を

目にするたびに、

 

僕はいつも

「気の毒になあ」

と同情してしまう。

 

走ろうとする意欲のない人間に、

あるいは

体質的に向いていない人間に、

頭ごなしに長距離を走らせるのは

意味のない拷問だ。

 

無駄な犠牲者が出ないうちに、

中学生や高校生に

画一的に長距離を走らせるのは

やめたほうがいいですよと

忠告したいんだけど、

 

まあ、そんなことを

僕ごときが言っても、

きっと誰も耳を貸してはくれまい。

 

学校とはそういうところだ。

 

学校で僕らが学ぶ

もっとも重要なことは、

 

「もっとも重要なことは

学校では学べない」

という真理である。

 

 

・・・最後の文章、

ウイットに富んでいますね(^^;

 

たしかに真理です!

 

学校って基本、集団生活ですから、

「個」に合わせたことは、

なかなかできない。

 

無理矢理やらせることの効能を

強いてあげるとすれば、

自分の向き不向きが実感としてわかる、

ということですかね。

 

ですので、

向いていないとわかったことは、

さっさとやめられればいいのですが、

それが、なかなかできないのが、

悩ましいところ・・・

 

もっとも、

社会に出てからの我慢する力、

忍耐力はつくかもしれませんが(^^;

 

(そう考えると、大学は中高と違って

比較的好きな単位を選択できるので、

よかったな~)

 

社会に出ると、

もちろん、嫌なことや、

我慢しなければならないことが

たくさんあるのが現実であって、

そこから逃げるわけにはいかないのですが、

 

その中でも、

なるべく、自分に向いていること、

自分の好きなこと、

性にあっていること、に割く時間を

しっかりと確保していきたいですね😊

 

 

 

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今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました(^^)

 

次回もこの本の紹介を続ける予定です(^^;

 

 

 

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おまけ写真集(^^;

 

どんなに忙しくても、

月に1度は山歩きしたい!

 

トレッキングシューズ

 

ということで、

 

新しいトレッキングシューズも、

買ったことだし(^^)

履き慣らしも兼ねて・・・

 

 

仏果山岩場コースの登山道

 

仏果山の岩場コース!

(半原越からのルート)

 

鎖場越えて・・・

 

 

仏果山山頂の石仏と道標

 

着きました!

 

 

仏果山山頂標識と石碑

 

仏果山山頂!

 

 

仏果山山頂看板 705.7m

 

高取山まで足を伸ばし・・・

 

 

山頂からの街並みと緑豊かな山々

 

鉄塔の上からの眺め・・・

 

湘南方面、おお絶景!

 

 

仏果山山頂からの絶景、宮ヶ瀬湖と丹沢方面

 

宮ケ瀬湖と丹沢方面・・・

 

 

仏果山山頂からの眺め

 

ヤセ尾根越えて、戻ります。

 

 

木漏れ日と新緑の山道

 

鳥のさえずりに囲まれながら

ちょっと一息・・・

 

やっぱり自然は癒されますね~😊

 

このコース、

低山ですがスリリングで楽しめます!

(ヤマビルはもう大丈夫でした)

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

最近、バタバタして、

なかなかブログがアップできない

日々が続いておりますが・・・💦

 

今回紹介させていただく本は、

村上春樹さんの文庫本、

 

 

走ることについて語るときに僕の語ること

 

村上春樹 走ることについて語るときに僕の語ること

 

村上春樹さんの小説は、

若い頃よく読みました。

(内容はかなり忘れていますが(^^;)

 

最近だと

街とその不確かな壁

(過去に紹介させていただきました。

よかったらご覧ください)

 

が、まさに村上ワールドといった感じで、

物語の世界を堪能した記憶がありますが、

 

今回読ませていただいたのは、

エッセーです。

 

タイトルのとおり、

「走ること」がテーマなのですが、

いやあ、村上春樹さんはすごいですね!

 

年に一回はフルマラソンを走り、

トライアスロンにも参加することもあるという、

(現在は分かりませんが)

 

ストイックな方だとは、

存じ上げていましたが、

単なるストイックというだけでなく、

 

何というか、

「思想」のようなものが、

その根底にあるような気がします。

 

その「思想」が、

私たちがよりよい人生を歩んでいくうえで、

とても示唆に富むと感じたので、

いくつか引用させていただきますね。

 

 

一般的なランナーの多くは

「今回はこれくらいの

タイムで走ろう」

とあらかじめ個人的目標を決めて

レースに挑む。

 

そのタイム内で

走ることができれば、

彼/彼女は

「何かを達成した」

ということになるし、

 

もし走れなければ、

「何かが達成できなかった」

ことになる。

 

もしタイム内で

走れなかったとしても、

やれる限りのことはやったという

満足感となり、

 

次につながっていく

ポジティブな手応えがあれば、

また何かしらの

大きな発見のようなものがあれば、

 

たぶんそれはひとつの

達成となるだとう。

 

言い換えれば、

走り終えて自分に誇り

(あるいは誇りに似たもの)

が持てるかどうか、

 

それが長距離ランナーにとっての

大事な基準になる。

 

 

そうですね。

 

「やれる限りのことはやった」

という満足感は、

「誇り」につながる・・・

 

 

同じことが

仕事についても言える。

 

小説家という職業に

―少なくとも僕にとっては

ということだけれど―

勝ち負けはない。

 

発売部数や、文学賞や、

批評の良し悪しは

達成のひとつの

目安になるかもしれないが、

本質的な問題とは言えない。

 

書いたものが

自分の設定した基準に

到達できているかいないか

というのが

何よりも大事になってくるし、

 

それは簡単には

言い訳のきかないことだ。

 

他人に対しては

何とでも適当に説明できるだろう。

 

しかし自分自身の心を

ごまかすことはできない。

 

そういう意味では

小説を書くことは、

フル・マラソンを走るのに

似ている。

 

基本的なことを言えば、

創作者にとって、

そのモチベーションは

自らの中に静かに確実に

存在するのであって、

 

外部にかたちや基準を

求めるべきではない。

 

 

・・・いやあ、

ステキな考え方ですね!

 

私としては、

村上春樹さんには是非

ノーベル文学賞を受賞していただきたいと

願ってはおりますが、

 

それはさておき(^^;

 

「書いたものが

自分の設定した基準に

到達できているかいないか」

それが何よりも大事。

 

完全に、

他人軸ではなく、自分軸ですね!

 

「モチベーションは

自らの中に静かに確実に存在するのであって、

外部にかたちや基準を求めるべきではない。」

 

そうですね~

 

モチベーションは自分の中にある、

だから、

何をどこまでやるのかは、自分で決める!

 

このあくまで

「自己決定する」

というのは、

自分が納得できる人生を歩むうえで、

重要なことだと思います。

 

他人が決めたことだと、

仮にうまくいかなかった時に、

他人のせいにしたくなりますしね(^^;

 

村上春樹さんは、

こんなことも述べています。

 

 

誰かに故のない

(と少なくとも僕には思える)

非難を受けたとき、

 

あるいは

当然受け入れてもらえると

期待していた誰かに

受け入れてもらえなかった

ようなとき、

 

僕はいつもより

少しだけ長い距離を

走るようにしている。

 

いつもより

長い距離を走ることによって、

そのぶん自分を

肉体的に消耗させる。

 

そして自分が

能力的に限りがある、

弱い人間だということを

あらためて認識する。

 

いちばん底の部分で

フィジカルに認識する。

 

そして

いつもより長い距離を走ったぶん、

結果的には自分の肉体を、

ほんのわずかではあるけれども

強化したことになる。

 

腹が立ったらその分

自分にあたればいい。

 

悔しい思いをしたら

そのぶん自分を磨けばいい。

 

そう考えて生きてきた。

 

黙って呑み込めるものは、

そっくりそのまま

自分の中に呑み込み、

それを

(できるだけ

姿かたちを大きく変えて)

小説という容物の中に、

物語の一部として

放出するように

つとめてきた。

 

 

「悔しい思いをしたら

そのぶん自分を磨けばいい」

 

ほんとカッコイイ生き方ですね!

 

「肉体的に消耗させることで、

自分が能力的に限りがある、

弱い人間だということをあらためて認識する」

 

これは、

謙虚さを呼び起こすうえで、

効果的な手法だと思います。

 

肉体は鍛えればその分、

確実に強化されるわけで、

 

とにかく、

今できる何か有益なことをやる!

 

「黙って呑み込めるものは、

自分の中に呑み込み、

物語の一部として放出する・・・」

 

果たして物語のどの箇所に、

それが反映されているのか・・・

 

小説を読み返したくなりますね(^^)

 

 

山歩きもいいけど、

何だか久しぶりに、

河川敷をランニングしたい気分になりました😊

 

・・・次回に続きますね(^^;

 

 

 

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今回も最後までお読みくださいまして

有り難うございました😊

 

次回もこの本の紹介を続けます(^^;

 

 

 

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おまけ写真集(^^;

 

大雄山最乗寺

明神ヶ岳に行きました!

(9月下旬)

 

石碑が並ぶ森の参道

 

神秘的な参道通って・・・

 

 

大雄山最乗寺への石段と仏像

 

奥の院を越えて、

明神ヶ岳へ!

 

 

森の中の地面で草を食む鹿

 

ひたすら登って、

もうすぐ山頂・・・あれっ、

 

 

山林で草を食む一頭の鹿

 

鹿ちゃんお出迎え(^^)

 

 

富士山と山々を望む登山道

 

ここの風景、

お気に入りです🗻

 

 

明神さんのお札、山道に吊るされた様子

 

森の中の小さな祠と鳥居

 

私の守り神、

明神さんお参りして・・・

 

 

明神ヶ岳 登山道案内標識

 

山頂、着きました!(^^)!

 

 

富士山と山々の風景

 

富士山バックに金時山!

 

 

山頂からの眺め、海岸線と街並み

 

下山します。湘南方面ですね。

 

 

石仏群と献花

 

・・・もうすぐ最乗寺、

 

 

大雄山最乗寺の滝と庭園

 

最乗寺戻りました。

 

 

大雄山最乗寺の苔むした岩と滝

 

ほんと、このお寺は自然が美しい・・・

 

 

大雄山最乗寺の風情ある灯篭と石段

 

見どころ満載なのに、拝観無料・・・

 

 

大雄山最乗寺の石段と山門

 

大雄山最乗寺

紅葉の時期が楽しみです😊

 

 

ピンクの紅葉が石段に落ちる

 

赤い彼岸花と苔むした石

 

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

臨床心理士・公認心理士、

カウンセラー東畑開人さんの、

 

なんでも見つかる夜に、こころだけが見つからない

 

東畑開人「なんでも見つかる夜に、こころだけが見つからない」新潮文庫

 

から、

私の印象に残った箇所を、

紹介・解説しています(^^)

 

本書の中で、

著者は、

「も」の思想

ということを述べています。

 

「も」の思想。

 

これは、

私たちが困難な時代を生きていくうえで、

有益な思想だと思ったので、

シェアさせていただきますね(^^)

 

 

「も」の思想。

 

それこそが

この本を貫いていた思想です。

 

僕は繰り返し繰り返し

「も」を強調してきました。

 

現実は不純で、複雑です。

 

そのせいで、

僕らは現在地を見失うし、

方向喪失に陥る。

 

そういうときに、

少しでも現実を理解し、

道筋を見出すために

懐中電灯の光を灯す。

補助線を引く。

 

それは現実の複雑さを切り捨てて、

シンプルにするためでは

ありません。

 

白と黒に分けるのは、

黒を捨て、

白にしがみつためではない。

 

「も」の一文字を

堅持し続けるためです。

 

自分の中に

複数の声があることを許す。

 

ああでもない

こうでもないと

時間をかけて

考えることを続ける。

 

それが

複雑な現実を

複雑に受け止めることを

可能にしてくれます。

 

そうやって、

複雑な現実に

ケース・バイ・ケースで

折り合うための

やり方を見つける。

 

そのために、

補助線は引かれるべきなのです。

 

 

「補助線」という考え方は、

本書の前半部分で紹介されています。

 

五角形に補助線を引くと、

三角形と四角形の組み合わせであることが

わかるように、

 

複雑なものを、

一度シンプルな形へ分割して、

再びそれらを結びつけることです。

 

たとえば、

夫に絶望している

妻の気持ちに補助線を引くと、

 

憎しみと同時に、

まだ愛している気持ち「も」

残っていることがわかる・・・

 

という感じです。

 

 

もしかしたら、

あなたから

「ポジティブすぎる」

と言われてしまうかもしれません。

 

現実というものに対して、

楽観的すぎるし、

希望を抱きすぎていると

思われるかもしれない。

 

現実は時に残酷で、

絶望的です。

 

ひどいことが

たくさん起こるし、

他者から悪意を向けられることが

日常茶飯事。

 

僕らが生きている社会には

根深い問題が山積している。

 

それはそうだと思う。

 

それでも、

現実はシンプルではない。

複雑です。

 

この世界には

さまざまな他者たちが

生きています。

 

あなたに悪意を向けてくる

他者もいれば、

あなたの苦痛に

無関心な他者もいることでしょう。

 

だけど、

それだけじゃない。

 

そこには

善意を抱いている他者

「も」いるはずです。

 

あなたの苦境を

見て見ぬふりできない他者

「も」いるはずです。

 

必ずどこかには

そういう他者たちが存在している。

 

そう信じている。

 

 

そうですね。

 

私たちの「認知」というものは、

どうしても片寄ってしまいますので、

 

たとえば、

楽しい時には、

楽しいことしか見えないし、

 

苦しいときには、

世の中、

苦しいことばかりのように

感じてしまいがちです(^^;

 

しかし、

楽しいことの裏側には、

見えないマイナス「も」潜んでいる。

 

たとえば、

調子に乗っていると、

いずれ、

しっぺ返しをくらったりしますし(^^;

 

逆に、苦しみは、

デメリットだけでなく、

メリット「も」あるわけです。

 

たとえば、

我慢強さが身に付いたり、

謙虚になれたり、

人の痛みが分かるようになったり、

あたりまえのことが

有り難く感じられるようになったり・・・

 

人間関係でも、

(本書からの引用のように)

たしかに、苦しい時には、

周りがすべて敵に見えたりしますが、

 

よくよく観察していると、

どこかに必ず

味方になってくれる人はいるものです。

 

職場の身近な人間関係で苦しい時は、

別の部署や取引先に理解者がいたり、

はたまた、家族が優しかったり、

 

家庭の人間関係が苦しい時は、

逆に職場が救いになったり・・・

 

・・・えっ、人間で

味方になってくれる人はいない?

 

そういう時は、

動物が慰めてくれたり😺

 

 

僕の仕事は、

現実で傷ついたクライエントを

小さな部屋で待っていて、

50分間だけ話をして、

 

そして彼らが

現実へと帰っていくのを

見送る仕事です。

 

現実は生きるに足るものである。

 

このポジティブな認識が、

臨床というタフな仕事を

支えています。

 

根底に存在するその信頼が、

僕にこの仕事を

しぶとく続けさせてきたし、

 

これからもずっと

続けていこうと思わせてくれる。

 

ですから、

こういう結論になります。

 

幸福とは何か。

 

複雑な現実を

できるだけ複雑に生きることである。

 

 

「幸福とは、複雑な現実を

できるだけ複雑に生きることである」

 

・・・皆さまは、

いきなりそんなことを言われても

いまいちピンとこないかもしれませんが、

 

本書を通読すると、

この言葉が腑に落ちると思います。

 

複雑な現実、そのものを受け入れる。

それができるだけの、

「心の器」を時間をかけて作っていく。

 

変に抑えつけたり、切り捨てようとはせず、

複雑さは、そのまま受け入れたうえで、

時と場合に応じてバランスを取りながら、

そこから「選択」をしていく。

 

簡単なことではありませんが、

そんな生き方、

心がけていきたいです😊

 

 

 

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以上、3回にわたって、

臨床心理士・公認心理士、

カウンセラー東畑開人さんの、

 

なんでも見つかる夜に、こころだけが見つからない

 

東畑開人「なんでも見つかる夜に、こころだけが見つからない」新潮文庫

 

を紹介してきました。

 

この本では、

「小舟」という言葉がよく出てきます。

 

その小舟とは、

私たち個人のことを指すのですが、

 

この文庫版のあとがきには、

「小舟の勇気」

ということが述べられています。

 

最後に、そこのさわりの部分を

紹介しますね(^^)

 

 

(小舟の)勇気は

出させるものではなく、

自然に出るものである。

 

雨乞い師が

雨が降るまで待つ仕事であるのと

同じように、

 

臨床家も

勇気が出るまで

一緒に待つ仕事だ。

 

 

臨床家(カウンセラー)の仕事は、

来談者(クライアント)の勇気が出るまで

一緒に待つこと。

 

私も同感です。

 

受容、共感しながら、

待つ・・・

 

勇気を待つ。

それまで、

できることをし続ける。

 

この本で書きたかったのは、

この勇気の質感であった。

 

 

この、

「できること」というのは、

カウンセリングのことでしょうか。

 

そして、

勇気の「質感」とは・・・

 

本書には、

その「質感」がとてもリアルに描かれています。

 

それを味わいたい人には、

是非ご一読をおすすめします!

 

 

 

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今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました(^^)

 

次回は別の本を紹介する予定です(^^;

 

 

 

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おまけ写真集(^^;

 

南八ヶ岳、

編笠山・権現岳登山の続きです。

 

南八ヶ岳 権現岳 ギボシ、荒々しい岩肌と緑の山々

 

編笠山の次は、

権現岳(写真右)を目指します!

 

が、その手前の、

ギボシ(写真左)という

険しい山を越えなければなりません(^^;

 

これ登れるの・・・?

 

権現岳、ギボシ、八ヶ岳の岩場

 

うわっ・・・

 

 

権現岳への険しい岩場、鎖場

 

なかなかの岩場でした💦

(ちょっと私の力量を越えていたかも)

 

 

八ヶ岳の山小屋と登山道

 

なんとか安定した場所へ、

権現小屋と権現岳が近づいてきました!

 

小休止・・・

 

蝶々が靴に止まる登山靴

 

ふと足元を見ると、

幸運の蝶々が🦋

 

よし行ける!

 

蝶と黄色い花、緑の山

 

権現小屋(無人でしたが)の前で、

軽くランチ。

 

蝶々と編笠山が

キレイに撮れましたよ🦋

 

 

南八ヶ岳 権現岳・編笠山登山の絶景

 

赤岳と阿弥陀岳が、

よく見えます!

 

南八ヶ岳 権現岳 登山道 案内標識

 

よし、

権現岳頂上は、もう少し・・・

 

権現岳頂上への険しい岩場

 

やった~、

なんとか、たどり着きましたヽ(^o^)丿

2,715m!

 

権現岳頂上、山頂標識と岩

 

これが頂上の岩!

 

 

権現岳頂上の岩と石祠

 

反対側に回ると・・・

 

それにしても、

すごい突き出た岩ですね!

 

八ヶ岳の登山道と山々

 

ここから帰路は、

長~い尾根を下っていきます。

 

 

権現岳頂上:青空と山々の絶景とリュック

 

三ツ頭からふり返ると・・・

 

左のとんがり頭が、さきほどの権現岳、

右が赤岳・・・

 

八ヶ岳の権現岳からの壮大な眺め

 

初級者程度の私には、

ちょっと難易度の高い山々

(特にギボシ越えが)でしたが、

 

天気も史上最高で、

おかげさまで、

いい思い出になりました(^^)

 

大自然という名の神に感謝!