ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

世界的な名作、

レ・ミゼラブル(角川文庫)

 

レ・ミゼラブル 角川文庫版 表紙

 

から、

私の印象に残った箇所を、

紹介・解説しています(^^)

 

前回、

主人公のジャン・バルジャンが、

「強き人」に変容した理由は

いったい何なのか?

 

という問いを立てました。

 

それは、

(遠藤周作さんの描く)

イエスの弟子たちと同じ理由ではないかと。

 

つまり、

「無条件の愛」を与えられたから。

 

イエスの弟子たちの話

(遠藤周作さんの仮説)は、

過去ブログで詳しく述べましたので、

よかったらご覧いただきたいのですが、

 

 

イエスの弟子たちは、

ユダだけではなく、

ペテロも含めて、

イエスを事実上裏切ったわけで、

 

それは強烈な罪悪感に苛まれる

と同時に、

自己正当化する気持ちも働いたと思います。

 

「そうするしかなかったんだ・・・」

 

ただ、

イエスを見棄てたことは事実であって、

 

「イエスは、最愛の弟子に裏切られて、

きっと恨みつらみでいっぱいだろう」

 

「十字架上で、

怒りや憎しみの言葉を吐きながら、

死んでいったのだろう・・・」

 

そう考えて、

怯えていたのではないかと思われます。

 

しかし、

実際のイエスは違いました。

 

 

「主よ、

彼等を許したまえ。

 

彼等は

そのなせることを

知らざればなり・・・・・」

 

(「私のイエス」より引用)

 

 

弟子たちの救いを神に祈る、

「愛の言葉」を残して逝ったのです・・・

 

 

********************************************

 

 

レ・ミゼラブルでは、

ジャン・バルジャンが

司教からこう告げられます。

 

 

「ジャン・バルジャン、

わが兄弟よ、

あなたはもう悪人ではない。

 

善人に生まれ変わったのだよ。

 

あなたの魂のために、

わたしはこれを授ける。

 

(中略)

 

 

一宿一飯の恩を仇で返すように

銀の食器を盗んで逃亡しようとした

ジャン・バルジャン。

 

彼もきっと、

司教から厳しく罰せられると

思ったに違いない。

 

しかし、司教は、

罰するどころか、

彼の閉ざされていた「良心」を

とことん信じ抜いた。

 

さらに、

銀の燭台まで授けてくれた・・・

 

それまでの人生で、

ほとんど愛を知らなかった

ジャン・バルジャンにとって、

この衝撃はいかほどのものだったか。

 

親鸞の「歎異抄」の有名な言葉、

 

 

善人なをもて往生をとぐ、

いはんや悪人をや。

 

 

(現代語訳:善人ですら、

阿弥陀さまの本願によって、

真実の生き方に目覚めることが

できるのだから、

まして悪人はなおさらです)

<金山秋男・致知出版社>

 

を想起します。

 

すなわち、

自分の「罪」を自覚している人ほど、

愛によって、

真実の生き方、

つまり、愛に目覚めることができる。

 

渇ききった喉には、

一杯の水が最高の味わいとなるように、

 

自己肯定感マイナス100から、

一気にプラス100に昇華されるような、

 

この振れ幅が大きければ大きいほど、

心に強烈なインパクトを与えるのではないか。

 

そしてそれが、

「無条件の愛」

に抱かれているという安心感に繋がり、

それによって、

「強さ」が身に付くのではないか。

 

そんなふうに考えました。

 

 

************************************************

 

 

もちろん、

現実はそう甘くはありません(^^;

 

特に、社会人になってからは、

「無条件の愛」、

すなわち、

「至らない自分を含めた、

そのままの自分を受け容れられる」

ような経験をすることは、

ほとんどありません。

 

多くは、条件付きの愛です。

 

たとえ家族であっても、

なかなか難しいわけであって(^^;

 

やはり、どんな関係においても、

信頼を積み重ねていく努力は必要です。

 

しかし、ずいぶん昔には、

「無条件の愛」を与えられたという

微かな記憶があるような気が・・・

 

 

・・・まだ幼い頃ですね。

 

確かに、

親からの無条件な愛を感じた瞬間が、

何度かあったような・・・

 

もちろん、

親も人間ですから、

常に無条件の愛を示すことはできません。

 

子どもが生きていくうえで、

むしろ、適度なしつけは必要ですし、

仮に示すことができたとしても、

 

それだけでは、

人の痛みが分からなかったり、

打たれ弱い子になってしまう弊害もあります。

 

ですので、

必ずしも無条件の愛が

いつも必要というわけではないのですが、

 

でも、やっぱり、

 

人生において、

無条件に愛されたことがある、

という経験は、

 

その程度に応じて、

「自分の中にある良心を信じる」という

「強さ」に結び付くのではないか、

と考えます。

 

大人になって、

無条件の愛を感じることがほとんどないのは、

切ない現実ですが(^^;

 

せめて、自己受容、

自分で自分を大切にする。

 

至らないところも含めた、

「そのままの自分」の感情を

抱きしめて、

受け入れるところからはじめたい。

 

それが、ひいては、

他人を大切にする、

他人を愛することに

繋がっていくのではないか。

 

カウンセリングも、

その一助になるのでは・・・

 

そんなことを考えました😊

 

 

 

 

***************************************

 

 

 

以上、何だか、

「無条件の愛」に関しての、

私の語りになってしまいましたが(^^;

 

ヴィクトル・ユゴーの傑作!

レ・ミゼラブル(角川文庫)

 

レ・ミゼラブル 角川文庫版 表紙

 

の一部を紹介させていただきました(^^)

 

ネタバレになるので、

詳しい中身は紹介しませんでしたが、

 

この小説の真骨頂は、

やっぱり、

ドラマチックなストーリー展開だと思います!

 

物語の世界にグイグイ引き込まれますし、

その中にも、

読者が考えさせられるような、

心理描写や葛藤のシーンもあり、

さすがに語り継がれる名作だけあります。

 

読み終わると、

ちょっとだけ精神レベルが

高まったような気にもなります!

 

角川文庫版は、

上下2巻にコンパクトに収まっていて、

読みやすいのでおすすめします😊

(他は読んだことがありませんが(^^;)

 

 

 

******************************************

 

 

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました(^^)

 

次回は別の本を紹介する予定です。

 

 

******************************************

 

 

 

おまけ写真集(^^;

 

山と青空、公園の遊具

 

矢倉岳、登りました(^^)

 

 

矢倉岳からの富士山と登山客

 

頂上着きました!

はい、登山馬鹿です(^^;

 

 

富士山と新緑の山々

 

富士山アップ!

 

 

矢倉岳山頂と富士山の眺め

 

人がいなくなり、

シャッターチャンス!

 

 

大雄山最乗寺の緑あふれる石段

 

帰りに、大雄山最乗寺。

新緑が眩しい・・・

 

 

新緑の滝と寺院、パワースポット

 

この滝スポット、

いつ来ても美しい・・・

 

 

大雄山最乗寺の仁王門と新緑

 

大雄山最乗寺の石段と新緑

 

大雄山最乗寺の古い本堂と新緑

 

大雄山最乗寺。

素敵なパワースポットです!

 

 

茅葺き屋根の古民家と竹垣

 

二宮金次郎の生家。

 

 

神山(箱根最高峰)の案内標識

 

こちらは箱根の最高峰、神山山頂。

(展望なし(^^;)

 

 

箱根駒ケ岳山頂への登山道

 

箱根駒ケ岳へ!

 

草原の小道と青空

 

よし、もうすぐ・・・

 

駒ケ岳山頂の石碑

 

箱根駒ケ岳、頂上!

 

 

箱根駒ケ岳頂上、神社と登山客

 

箱根神社、奥の院。

 天空の神社です!


 

箱根駒ケ岳山頂の神社へ続く参道

 

下に降りて見上げると、

おお、開放感・・・

 

 

富士山と緑の山々、広がる景色

 

富士山!

 

 

ゴルフ場から望む海岸線と街並み

 

湘南方面・・・

 

 

箱根駒ケ岳からの絶景と遊歩道

 

ロープウェーでも登れます!

芦ノ湖を見下ろして・・・

 

 

大雄山最乗寺の赤い本殿と鳥居

 

下山後、九頭龍神社。

 

 

箱根神社 湖畔の鳥居と新緑

 

芦ノ湖に立つ鳥居。

 

ああ、日本は美しい・・・

 

お付き合いいただき、

有り難うございました😊

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

今回ご紹介する本は、

フランスの文豪、

ヴィクトル・ユゴーの

言わずと知れた傑作!

 

レ・ミゼラブル(角川文庫)

 

レ・ミゼラブル 角川文庫版 表紙

 

この世界的な名作、

ストーリーをご存知の方も

多いと思います。

 

私自身、

子どもの頃に(偕成社か岩波少年文庫?)、

読んだことがありますし、

 

家族で帝国劇場のミュージカルを

観に行った記憶もあります(^^)

(斉藤由貴さんのコゼットが初々しかった!)

 

映画も、

子どもの頃に観た記憶がありますし、

大人になってからも、

いくつかのバージョンのものを観たり、

 

直近だと、

ミュージカル仕立てのものも、

映画館で鑑賞しました!

 

という訳で、

私にとって思い入れのある

物語なのですが、

 

何故か、ふと、

この歳になって

改めて原作の小説を読んでみたくなり、

 

岩波文庫版や新潮文庫版を

検討したのですが、

長さにちょっとビビってしまい(^^;

 

最終的に選んだのが、

少しダイジェストになっていて

読みやすそうな、

角川文庫版です!

 

ということで、

ストーリーの詳細は割愛、

私の印象に残ったシーンを紹介しながら、

そこを掘り下げていきますね。

 

まずは、やっぱり、

「銀の燭台」のシーンから、

 

主人公のジャン・バルジャンは、

親切に泊めてくれた司祭の

恩を仇で返すように、

銀の食器を盗んで逃亡します。

 

しかし、警察官に捕らえられ、

引っ立てられます、が・・・

 

 

(司祭は)

「おお、きみか!」

 

ジャン・バルジャンを見ながら

声を上げた。

 

「また会えて、嬉しいよ。

ほかのものと同じ

二百フランの価値がある、

銀製の燭台もあげるつもり

だったのに。

 

なぜ、食器といっしょに

持っていかなかったのだね?」

 

ジャン・バルジャンは目を上げ、

そんなことを言うひとが

いるのだろうかといった表情で、

相手を見返した。

 

(中略)

 

「友よ」

司教は声をかけた。

 

「出かけるまえに、

この燭台も持っていくがいい。

さあ」

 

(中略)

 

ジャン・バルジャンは、

全身をふるわせている。

 

ぎこちなく燭台二脚をうけ取ると、

怯えたような表情になった。

 

「さて」

司教が声をかけた。

 

「怖れずに、

出かけるといい」

 

警察官たちに向きなおる。

「みなさん、

もう引き上げてもだいじょうぶだ」

彼らは帰っていった。

 

ジャン・バルジャンは、

いまにも気が遠くなりそうな

気分だった。

 

司教がそんな彼に近づき、

小声でささやいた。

 

「この銀食器や燭台を、

あなたが正直者になるために使うと

約束しましたね。

 

それを

絶対に忘れないように」

 

そんな約束などしていなかった

ジャン・バルジャンは、

まごつきながら立っていた。

 

ささやくとき

威圧するような口調で言った司教は、

さらに厳かに説明した。

 

「ジャン・バルジャン、

わが兄弟よ、

あなたはもう悪人ではない。

 

善人に生まれ変わったのだよ。

 

あなたの魂のために、

わたしはこれを授ける。

 

あなたを陰湿な思いから

解き放ち、

煉獄から救い出し、

神のもとに

連れていくために、

こうしたのだよ!」

 

 

・・・人を「信じる」というのは、

こういうことを指すのでしょうか。

 

銀の皿を盗んだ

ジャン・バルジャンを糾弾しても

おかしくない立場なのに、

 

それどころか、

銀の燭台までも授けるとは・・・

 

司祭は、

ジャン・バルジャンの罪ではなく、

閉ざされていた「良心」を見つめたのです。

 

 

 

********************************************

 

 

ジャン・バルジャンの

身になってみると・・・

 

彼は、貧しさのあまり、

一斤のパンを盗んだだけで、

(脱獄の失敗はあるにせよ)

なんと19年もの間、投獄されていました。

 

あまりにも理不尽。

 

出所してからも、

囚人のレッテルは消えることなく、

差別され続ける日々・・・

 

そりゃ、

世の中に対して、

恨みつらみしかなくなるのが

あたりまえですよ。

 

だから、

銀の食器を盗んで逃亡しようとした。

無理もない・・・

 

しかし、その罪は司祭によって

許される、どころか、

さらに銀の燭台まで

授けられることになる。

 

 

(ジャン・バルジャンは)

いままで感じたことのない、

怒涛のような感情に

囚われていた。

 

怒りを感じていたが、

誰に対してのものかわからない。

 

感動とも屈辱感とも

つかない気分だ。

 

不安にかられ、

自分の人生の不公平さを

考えたときの、

胸を締めつけるような

やりきれなさに似たものを

感じて、

身をふるわせる。

 

いままで感じたことのない、

この感情は何だろうと

自分に問いかける。

 

(中略)

 

 

今までの人生で、

ほとんど「愛」を感じたことのない、

ジャン・バルジャンは、

 

司祭の「愛」をすぐには、

受け入れられなかった。

 

実際、この直後に、

またもや小さな罪を犯してしまうのですが、

 

しかし、

 

その後、彼は改心して、

自分の「良心」に従う人生を

歩むことになる・・・

 

もちろん、

生身の人間ですから、

究極の選択をしなければならない場面では、

(物語でいくつも出てきます)

 

彼も迷ったり、悩んだり、

葛藤しまくったりするのですが(^^;

 

最終的には、

自分の「良心」に従う選択をする。

 

「そこまでしなくてもいいのに!」

というくらいに。

 

この「強さ」は

いったい、どこからくるのか・・・

 

・・・そうですね。

 

やはり、

司祭から「無条件の愛」を与えられたこと、

 

別の言い方をすれば、

 

彼の中に

「良心」が眠っていることを

心の底から

「信じて」もらえた経験が大きいのだと

考えます。

 

 

*********************************************

 

 

遠藤周作さんの描く、

イエスとその弟子たちとの物語を

想起します。

 

 

(過去ブログでも紹介しました。

よかったらご参照ください)

 

イエスの弟子たちは、

イエスの死後、

「強き人」に変容するのですが・・・

 

それはいったい、何故なのか?

 

 

・・・次回に続きますね(^^;

 

 

 

*********************************************

 

 

 

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございます😊

 

次回に続きます(^^;

 

 

 

*********************************************

 

 

 

おまけ写真集(^^;

 

少し前(GW)になりますが、

三峯神社に登った翌日、

秩父礼所巡りをしました!

 

一部、シェアさせていただきますね(^^)

 

秩父礼所巡り、仁王像と石段

 

観音院。

階段をひたすら登ると・・・

 

 

秩父観音院の懸崖造り本堂

 

おお、着きました!

 

 

秩父礼所巡り 観音院 本堂

 

(滝になっている)崖の直下に

本堂があります。

 

奥の院も含めて、

神秘的な異空間のようでした(^^)

 

 

秩父霊場巡り 観音院 山門

 

法性寺。

 

秩父礼所巡り、観音院の断崖絶壁本堂

 

舞台造りの観音堂。

この奥の岩窟も見ごたえがありましたが、

 

さらに、奥の院へ・・・

(ここから、ほとんど登山レベル!)

 

 

観音像と緑の山々

 

(2~30分の登山後・・・)

 

おお、山頂の断崖絶壁に観音さまが!

 

 

秩父礼所巡り 鎖場のある岩場

 

反対方面、

急角度の鎖場越えると・・・

 

岩窟に座る大日如来像

 

おお、大岩の窪みに・・・

 

仏像、大日如来、秩父礼所巡り

 

なんと、大日如来さまが鎮座!

 

ああ、

ありがたや・・・

 

 

登山鎖場、断崖絶壁の奇岩

 

反対向くと、

うわあ、スリル・・・

 

ちょっとだけ

大日如来になりました(^^;

 

 

野坂寺の牛と観音像

 

・・・無事、

下界に生還して、ここは、野坂寺。

 

牛(実在した牛がモデル)のうえに、

観音さまが!

 

 

秩父札所観音院の山門と緑

 

金昌寺の大わらじ!

 

石仏群と神社(秩父礼所巡り)

 

あまたの石仏・・・

 

洞窟の仏像と灯籠

 

奥の院、

すごい木の生え方!

 

秩父礼所巡り、岩窟の観音さま

 

暗かったはずですが、

何故か明るい・・・

 

スピリチュアルを感じる

エリアでした(^^;

 

 

猫が眠っている様子

 

ボクも、

スピリチュアルな存在?😸

 

秩父礼所巡り、

おすすめします😊

 

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

皆さま、

GWはいかがお過ごしでしたか。

 

私は、以前から行きたかった、

秩父の三峯神社登山や

礼所巡りをさせていただきました!

(詳しくは、おまけ写真集で(^^;)

 

あとは、

「プロジェクト・ヘイル・メアリー」

というSF映画を観ましたが、

とてもよかったです!

 

で、今回紹介する本は、

ブレイディみかこさんの

エッセー集、

 

他者の靴を履く

 

他者の靴を履く ブレイディみかこ著書

 

ブレイディみかこさん

といえば、

 

ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー

(私はまだ未読ですが)

が有名ですが、

その中に出てくる、

 

「エンパシー」

 

をいろんな角度から深堀りしたのが、

本書の内容です。

 

この

「エンパシー」とは、

日本語だと、

「共感」という意味ですが、

「共感」は、

「シンパシー」の訳でもありますね。

 

どう違うのか?

 

 

つまり、

シンパシーは

かわいそうだと思う相手や

共鳴する相手に対する

心の動きや理解や

それに基づく行動であり、

 

エンパシーは

別にかわいそうだとも

思わない相手や

必ずしも同じ意見や考えを

持っていない相手に対して、

 

その立場だったら

自分はどうだろうと

想像してみる

知的作業といえる。

 

 

「シンパシー」は、

思わず同情することや、

「わかるわかる!」というような、

自然に沸き起こる感情のようなもので、

 

「エンパシー」は、

同情や同意することはなくても、

相手の立場に立って

意識的に想像してみる、

といったところでしょうか。

 

で、この

「エンパシー」のことを、

フレディみかこさんは、

「他人の靴を履く」

といっているんですね。

 

「他人の靴を履く」

 

この言葉は、

カウンセリングを学んだ際に、

「共感」をイメージするキーワードとして

口酸っぱく言われた言葉でもあります。

 

自分の価値観は置いておいて、

相手の立場になりきってみる。

 

簡単なことではありませんが(^^;

 

この本を読んで、

特に印象深かった箇所を紹介します。

 

「帰属性アイデンティティ」

について述べられている箇所です。

 

 

わたしたちは、

様々な顔

(役柄と言ってもいい)

を持つ。

 

例えば、

医師である人が同時に

誰かの息子だったり、

また父親だったり、

近所の人々で構成された

ラグビーチームの

一員だったり、

公園のガーデニングを行う

ボランティアの

メンバーだったりする。

 

その時々によって、

彼は医師を演じたり、

父親を演じたり、

公園で雑草を刈っている

気さくなおじさんを

演じたりする。

 

彼という「個」は

それらの顔の集合体なのだ。

 

どれか一つが

「本当の自分」

と思い込む必要はないし、

誰かから

「これが本当の君の顔だ」

と決めつけられる

筋合いもない。

 

 

そうですね~

 

この考え方は、

平野啓一郎さんの

「分人主義」にも

通ずるものがあります。

 

(過去ブログで紹介しました。

よかったらご参照ください)

 

 

これは

他者の靴を履くためには

とても大切な認識になるだろう。

 

ある特定の状態で、

誰かの顔がどんな風に

(醜く、美しく、優しく、

非人道的に、正しく、

悪意に満ちて)

見えたとしても、

 

それはその相手が持っている

顔の一つにすぎない。

 

その人には必ず

別の顔(役割)があることを

忘れたり、

故意に否定すべきではない。

 

人間は社会の中で演じている

様々な顔の集合体なのだから、

 

「これが本当のこの人」

と決め付ける考え方は

的外れなだけでなく、

危険ですらある。

 

それは

帰属性のアイデンティティを

一つに決めつける場合と同様に、

憎悪や暴力や悲劇に

つながるからだ

(こんなやつには

極刑を与えろ

ーつまり殺してしまえー

などの極端な考え方が

生れるのもその一つだろう)。

 

 

自分自身で考えてみても、

たしかに、

色々な顔がありますし、

 

行動一つにしても、

それで、

「これが本当のこの人」

だと決め付けられたら、

イヤですよね~

 

たとえば、私の場合、

 

夫婦ゲンカのあとで

ムカムカしている時は、

会う人にとって、

かなり不愛想だと思いますし(^^;

 

逆に、ちょっとした幸せを

感じている時は、

愛想がよくて、

やたら親切な人だったり(^^;

 

先日、パソコンが壊れて

コールセンターに電話した時には

思わず感情的になってしまったり(^^;

 

(かなり感じ悪かったと自覚しています。

対応して下さった方、ごめんなさい)

 

そんな時には、

「いつもはそんなわけじゃない!」

「決めつけないで~」

 

と言い訳したくなります(^^;

 

 

このことは

「汚い靴、臭い靴は

履きたくない問題」

を解決する糸口

にもなりそうだ。

 

誰かが履いている靴が汚く、

臭く見えたとしても、

 

単にそれはその人の顔

(の一つ)を見て

こんな人の靴は

どうせ汚いとか臭いとか

思い込んでいるだけであり、

 

ひっとすると、

人間が履く靴

(それは「人生」と呼ばれる

ものなのかもしれない)

それ自体には、

臭いとか汚いとかいう特性は

ないのかもしれないのだ。

 

 

そうですね。

その時の、その人の一部だけを見て、

靴が汚くて臭いと

解釈してるだけかもしれない。

 

そもそも、

自分自身を省みても、

時には、汚くて臭いところを

見みせてしまうことも

あるわけですから。

 

坂上監督の

こんなツイートが紹介されています。

 

 

何年も前、

電車で気弱な中学生男子が

もう一人から

一方的にこづかれたり、

首を締められたりしていた。

 

「やめなよ。

私だったら嫌だよ、

そんなことされるの」

 

といじめっ子に言った。

 

続けて

「でも大変だよね、君も。

学校も家も、きついよね」

 

と言ったら、

 

手を放し、

表情から緊張が消えた。

 

 

この後半部分こそ

まさに、

「他人の靴を履く」

ということですね。

 

「いじめっ子」としての顔は、

複数の顔の一つにすぎない。

 

相手の立場に立って

想像してみると・・・

 

いじめっ子も

つらい思いをしている

のかもしれない・・・と。

 

 

「本当の自分」、

「本当の誰か」

というコンセプトから

解放されることは、

 

帰属性のアイデンティティは

一つしかないと思い込む

ことからの解放に似ている。

 

たった一つでなければならず、

たった一つであることが

素晴らしいのだという

思い込みから外れること。

 

そうすれば

人は一足の自分の靴に拘泥せず、

他者の靴を履くために

脱ぐことができるように

なるのかもしれない。

 

言葉はそのきっかけになれる。

既成概念を溶かして

人を自由にする

アナーキーな力が

言葉には宿っているのだ。

 

そしてそれは

やがて社会全体を溶かし、

変容させるウィルスのような

不可視の有機体にもなれる。

 

 

自分の中には、

嫌な自分もいれば、

ダメな自分もいるわけであって、

 

そんな多様な自分自身を

まずは受け容れる。

 

それが、

他者の靴を履く、

すなわち、他者を理解することにも

繋がるのではないか。

 

そんなことを考えました😊

 

 

 

******************************************

 

 

 

以上、

ブレイディみかこさんの

エッセー集、

 

他者の靴を履く

 

他者の靴を履く ブレイディみかこ 本

 

の一部分ですが、

紹介させていただきました(^^)

 

他にも、

「エンパシー」に関して、

金子文子やサッチャー首相、

エーリッヒ・フロムや

ニーチェなどの考え方も踏まえて、

様々な角度から考察されています。

 

中身が濃くて、かつ、

視野を広げてくれる一冊です!

 

 

 

*****************************************

 

 

今回も最後までお読みくださいまして

有り難うございました(^^)

 

皆さまが読んでくださること、

励みになります!

 

 

 

*****************************************

 

 

おまけ写真集(^^;

 

一度行ってみたかった、

奥秩父の三峯神社!

 

表参道(といってもモロ登山道ですが)

を約2時間かけて登りました!

 

秩父の鍾乳洞入り口と登山道

 

途中、鍾乳洞のぞいて・・・

 

 

秩父三峯神社への登山道、滝と鳥居

 

見事な清浄の滝・・・

 

 

新緑と山並み、登山道の風景

 

あれが奥の院かな?

 

 

三峯神社案内図と歴史的建造物

 

よ~やく、

遥拝殿着いた!

 

 

秩父三峯神社、日本オオカミ像と鳥居

 

三峯神社の鳥居

 

髄身門!

 

三峯神社の日本オオカミ像

 

狛犬でも、キツネでもなく、

日本オオカミです。

(明治時代まで

この付近に生息していたそうですよ)

 

 

三峯神社、木々、参拝者

 

8時過ぎの駐車場オープンの影響か、

この時、やたら混んでいました・・・

 

 

秩父三峯神社 拝殿の彫刻

 

拝殿、見事!

お参りできました😊

 

 

秩父三峯神社、摂末社が並ぶ様子

 

摂末社、

全国の有名神社勢ぞろい!

 

 

秩父三峯神社、日本狼、白い鳥居

 

独特の形の白い鳥居、

いったん出ます。

 

秩父 三峯神社 参道入口 巨石碑

 

奥の院(妙法ヶ岳)チャレンジ!

 

 

三峯神社登山道、根っこ地帯

 

根っこ地帯、越えて・・・

 

 

三峯神社奥の院への鎖場登山

 

ええっ、

最後、鎖場!

 

三峯神社、日本オオカミ像と鳥居

 

何とか着きました!

 

 

三峯神社に立つ狛犬(日本オオカミ)

 

三峯神社まで下山して・・・

お仮屋神社のオオカミ。

 

 

秩父の山々、緑あふれる自然景観

 

右の、でこぼこした山が、

さっき登った奥の院かな?

 

 

秩父の森、木々が立ち並ぶ風景

 

秩父三峯神社 拝殿と杉の巨木

 

三峯神社。

 

噂にたがわぬ、

清々しく素敵な神社でした!

 

下から登山したので、

喜びもひとしお!

 

・・・えっ、

左手薬指の骨折は、

 

まだ治っていませんが、

自己責任ということで(^^;

(一度コケて、

ひやっとしましたが💦)

 

(次回、秩父礼所巡りに続きます)

 

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

だいぶ期間が空いてしまいましたが(^^;

 

カウンセラー東畑開人さんの新書本、

カウンセリングとは何か 変化するということ

 

カウンセリングとは何か 東畑開人著書

の紹介をしております。

 

今回で3回目、最終回です(^^;

 

本書の中で、

「鎧とスライム」という、

印象的な話があります。

 

引用します。

 

 

鎧とスライム。

 

硬い表層とドロドロした深層。

 

心の中の

大人の部分と子どもの部分。

 

色々な言い方がありますが、

フロイトやユングなど

さまざまな理論家たちが、

「意識と無意識」

あるいは

「自我とエス」

などと呼んできたものたちです。

 

これらが

深層心理学の基本理論になるので、

少しだけ立ち入って

説明しておくことにします。

 

その理論の基本的想定は

次のようなものです。

 

人が誕生したとき、

最初にあるのは

無意識=ミニスライムです。

 

心はどろどろしている。

 

それは混乱しやすくて、

暴走しやすく、

そして

傷つきやすい心です。

 

精神分析はこれを

子どもや乳児の比喩で

語ってきたし、

 

ユング心理学だと

神話の神々のメタファーで

捉えたりもします。

 

 

子どもの頃の心が、

やわらかくて傷つきやすい、

「スライム」だというのは、

イメージしやすいですね。

 

 

スライムは

そのままではあまりに

脆弱なので、

成長するに従い、

鎧を着ていきます。

 

他者に触れ、

社会で生きる中で、

自分を守れるように

なっていく。

 

こうして、

自分の柔らかい部分を

隠し持っておけるようになる。

 

表層があり、

深層があるという

心の構造が作られます。

 

皆さんの心にも

多かれ少なかれ、

心を守るための硬い部分と

秘められている柔らかい部分が

あるのではないでしょうか。

 

作戦会議としての

カウンセリングで

取り組まれていたのは、

このようにして

心を守ることで

生存を可能にする作業でした。

 

 

「鎧」を着るというと、

何だか、偽りの自分になる、

というような

ネガティブな印象を受けますが、

 

脆弱な「心」を守るためにも、

必要不可欠なことなんですね。

 

まずは、

「鎧」をしっかり着込む。

 

「作戦会議」としての

カウンセリングとは、

一回目、

 

 

で少し紹介しましたので、

よかったらご参照ください。

 

 

これに対して、

鎧があまりに硬化

してしまうときがあります。

 

厳しい社会で

生存するためには

誰しもがそういうところが

あると思いますが、

次のような時は顕著です。

 

たとえば、

過去に何らかの破局があり、

(たとえば幼少期の

困難な環境や

人生のある段階の

痛ましい暴力)

 

それに自分ひとりで

対応せねば

ならなかった場合です。

 

 

そうですね・・・

 

「鎧」を着るということは、

この社会で生きていくうえで

自分を守るために、

必要不可欠なことですが、

 

過去の出来事によっては、

それが過剰になってしまう場合がある。

 

私は、必ずしも幼児体験だけではないと

思いますが、

でもやっぱり、多くの場合、

その影響は大きいのだと考えます。

 

 

彼らは頼れる他者がいないままに、

ひとりでサバイブしてきた。

 

そういうとき、

セルフで作戦会議を行い、

自分で自分に対して

介入を行うことになります。

 

破局しないように、

高度に心を防衛する。

 

すると、

傷ついた心は

基本的に隔離され、

凍結されることになります。

 

傷の修復には

他者が必要なわけですが、

 

自分しか頼れる人が

いない場合には、

 

痛みを麻痺させるために、

傷ついている自分そのものを

なかったことにするしかない。

 

「生き延びるために、

心の一部を殺さざるを得なかった」

 

とはそういうことです。

 

 

頼れる人がいない場合、

自分で自分を必死で守ってきた。

 

「自我防衛機制」という

アンナ・フロイトの

有名な説がありますね。

 

これは、

程度の差こそあれ、

誰もがやっていることでもありますが。

 

ただし、

これ以上傷つかないように、

心の一部を殺したとしても・・・

 

それは消えるわけではないのです。

 

抑圧したつもりでも、

無意識から湧き上がってくることがある。

 

それに翻弄されるわけですね。

 

 

冒険の対象となる

ユーザーの心は

アンバランスです。

 

一部は大人で、

一部は子ども。

 

生き延びるために

高度に防衛されてきたから、

現実とはうまく

付き合えている。

 

表面には大人として

洗練され、

成熟した自分がいる。

 

しかし、

その鎧の陰には、

傷つき、未熟なままに

時間が止まっている

子どもの自分が潜んでいる。

 

 

私たちは、

現代の競争社会において、

 

やわらかくて傷つきやすい

「スライム」の部分を、

「鎧」を着ることで必死に守りながら、

日々を生きています。

 

まずは、そんな自分を、

「よく頑張っているよね」

と労わってあげたい。

 

そして、

今、着ている鎧は、

もしかしたら過剰かもしれないと

考えてみる。

 

その中に、

しっかりと鎧を着込む前に

傷ついてしまった幼少期の自分が

いるのかもしれない。

 

(これは、程度の差こそあれ、

誰もがもっている傷つきです)

 

そんな「スライム」の自分を生き直すのが、

東畑さんいわく、

「冒険」としての

カウンセリングだといいます。

 

実存的変容、

中年の危機、

個性化・・・などといわれるものですね。

 

今まで抑圧していた

半分の自分、すなわち影の部分・・・

 

ただ、そこを一人で探るのは、

大変だし、とても勇気がいります。

 

そんな時こそ、

同伴者としてのカウンセラーが

求められるのかもしれません(^^;

 

 

 

 

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以上、3回にわたって、

カウンセラー東畑開人さんのベストセラー、

カウンセリングとは何か 変化するということ

 

カウンセリングとは何か 東畑開人著書

 

のごく一部ですが、

紹介・解説をさせていただきました(^^;

 

この本、

前にも申し上げましたが、

事例紹介、

(守秘義務があるので

もちろん脚色されたものですが)

 

特に「冒険」としてのカウンセリング

の事例紹介

(ハルカさん・30代後半女性のケース)、

がリアリティーがあり、圧巻です!

心を動かされます。

 

カウンセリングに興味のある方に、

おすすめします😊

 

 

 

 

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おまけ写真集(^^;

 

少し前になりますが、

マイナールートから三ノ塔へ!

 

吊り橋と渓流、緑豊かな山道

 

この沢、ジャンプで越えて・・・

(行きは大丈夫だったのですが・・・)

 

 

森の小道、木漏れ日、自然の癒やし

 

ひたすら尾根歩き。

 

 

小道と枯草に覆われた山頂

 

おお、開けてきた・・・

 

 

森の中の木々

 

ヨモギ平。

三ノ塔、見えてきました!

 

 

山の登山道にある手すり

 

モノレール登場(貨物用?)

乗せてって!

 

 

山頂、赤い編み物人形と山々

 

お地蔵さんスポット、

もうすぐ頂上ですが、あれっ・・・

 

 

三ノ塔山頂の標識と山並み

 

頂上、着きました!

 

晴れているのに、

富士山は残念ながら薄雲の中?

 

 

三ノ塔山頂からの山並みと景色

 

塔ノ岳方面を望む・・・

 

三ノ塔は、

比較的登りやすい山ですが、

景色が素晴らしいです!

 

 

森の中のベンチと枯れ木

 

帰り道、ヨモギ平。

 

大山を望む・・・

 

お手製?のベンチ、

有り難や~

 

 

沢と岩場の渓流風景

 

帰り道、最後の沢、

ジャンプしたら、

すべってコケてしまいました(^^;

 

で、左手をついたら、

ううっ・・・薬指骨折💦

 

資格試験、

学科は合格でしたが

実技が何と1点足りず、不合格・・・😢

 

踏んだり蹴ったりですが、

気持ちを立て直して頑張ります!

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

カウンセラー東畑開人さんの

2026年新書大賞受賞作!

 

カウンセリングとは何か 変化するということ

 

カウンセリングとは何か 東畑開人著書

 

から、

私の印象に残った箇所を、

紹介・解説しています(^^)

 

前回、

カウンセリングには、

大きく分けて、

 

(1)「生活=作戦会議」

としてのカウンセリング

と、

 

(2)「人生=冒険」

としてのカウンセリング

 

の2つがあるという説を、

紹介させていただきました。

 

本書には、

それぞれ、具体的に

どんなカウンセリングが展開されるのかが、

 

(1)「カナタ」さんの事例

(2)「ハルカ」さんの事例

(※もちろん守秘義務がありますので、

いくつかの事例が統合、脚色されたものです)

 

を通じて、紹介されているのですが、

この事例紹介が、

まさに、この本の真骨頂!

 

まるで自分がカウンセリングを

受けているような感覚になります。

 

東畑さんは、学者ではなく、

さすが、実際に臨床の現場で

活躍されている方だけあって、

リアリティが抜群!

 

「変化する」

ということが具体的にどういうことなのか、

腑に落ちで理解できるのですが・・・

 

・・・詳しい内容は、

是非、本書をお読みください(^^;

 

ということで、

今回は、ちょっとだけ、

(1)「カナタ」さんの事例

から、私の印象に残った箇所を紹介して、

そこを掘り下げてみたいと思います。

 

「カナタ」さんは、

上司との関係からくるストレスから、

ゲームにのめり込み、不眠症になり、

「うつ病」と診断され、

休職することになります。

 

しかし、

カウンセリング(作戦会議)

を続けることで、少しずつ回復をして、

やがて復職します。

 

その時点での、

カウンセラー(東畑さん)

のコメントです。

 

 

カナタさんの

作戦会議としての

カウンセリングは

終盤に入っています。

 

ひとまず目の前で解決すべき

問題はなく、

問題が起きても、

彼が自分で解決できるように

なっている。

 

ですから、

この2週間について

話すことがないと

彼が言ったとき、

 

そこに僕は

「自立」のニュアンスを

感じ取りました。

 

先輩との仲が

接近しているのも

いいですね。

 

よく言われるように、

依存先が増えるのが

自立の条件です。

 

 

えっ・・・

依存先が増えるのが自立の条件?

 

この言葉、

ちょっと引っ掛かりました。

 

依存先が増えれば、

そこにどんどん依存してしまい、

自立からは遠ざかるのではないか?

 

浅はかな私は、

一瞬、そう考えてしまったのですが(^^;

 

この言葉、

注釈があって、

「熊谷晋一郎さんの名言」

とあります。


名言と?

 

URLもありましたので、

さっそく見てみました。

 

 
小児科医の熊谷晋一郎さんは、
新生児仮死の後遺症で脳性まひになり、
以後車いす生活となります。
 

HPから引用します。

 

 

東日本大震災のとき、

私は職場である5階の研究室から

逃げ遅れてしまいました。

 

なぜかというと簡単で、

エレベーターが

止まってしまったからです。

 

そのとき、

逃げるということを可能にする

“依存先”が、自分には

少なかったことを知りました。

 

エレベーターが止まっても、

他の人は階段やはしごで逃げられます。

5階から逃げるという行為に対して

三つも依存先があります。

 

ところが私には

エレベーターしかなかった。

 

これが障害の本質だと思うんです。

つまり、“障害者”というのは、

「依存先が限られてしまっている人たち」

のこと。

 

健常者は

何にも頼らずに自立していて、

障害者は

いろいろなものに頼らないと

生きていけない人だと

勘違いされている。

 

けれども真実は逆で、

健常者はさまざまなものに

依存できていて、

障害者は限られたものにしか

依存できていない。

 

依存先を増やして、

一つひとつへの

依存度を浅くすると、

何にも依存してないかのように

錯覚できます。

 

“健常者である”というのは

まさにそういうことなのです。

 

世の中のほとんどのものが

健常者向けにデザインされていて、

その便利さに

依存していることを

忘れているわけです。

 

実は膨大なものに

依存しているのに、

「私は何にも依存していない」

と感じられる状態こそが、

“自立”といわれる状態

なのだろうと思います。

 

だから、自立を目指すなら、

むしろ依存先を

増やさないといけない。

 

障害者の多くは

親か施設しか頼るものがなく、

依存先が集中している状態です。

 

だから、障害者の自立生活運動は

「依存先を親や施設以外に広げる運動」

だと言い換えることが

できると思います。

 

今にして思えば、

私の一人暮らし体験は、

親からの自立ではなくて、

親以外に依存先を

開拓するためでしたね。

 

 

・・・なるほどです。

 

私たちが悩みに直面した時も

同じですね(^^;

 

たとえば、

依存先が、会社の上司しかいなかったり、

親しかいなかったり、

 

依存先が限られている時には、

そこでの関係が上手くいかなくなれば、

行き詰ってしまいがちですよね。

 

また、

本当は依存先はたくさんあるのに、

視野が狭くなって

気づかない場合もあります。

 

しかし、

依存先を多く持つ、

もしくは、

多くあることに気づいていれば、

 

特定の依存先がダメでも、

それに固執する必要はなくなりますし、

 

他に選択肢があるので、

心に余裕ができ、

思いきった行動が取れるようにもなります。

 

ちなみに、山口周さんも、

「オプション・バリュー」

(常に選択肢を複数持つ)

という考え方を提唱しています。

 

人生の経営戦略

 

たとえば、やりたいことがある場合、

できれば本業を残しておいて取り組んだ方が、

大胆なチャレンジができる。

 

本業を辞めて退路を断つと、

逆にリスクが怖くて小粒な取り組みになり

失敗してしまう。

 

同感です(^^)

 

主体的な「選択」をしやすくなるように、

「依存先」を増やしておく。

 

それが「自立」に繋がる。

 

今回は本書から、

ちょっと脱線気味な話になりましたが(^^;

 

覚えておいて損はない

考え方だと思いましたので、

紹介させていただきました😊

 

 

 

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今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました(^^)

 

次回に続きます(^^;

 

 

 

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おまけ写真集(^^;

 

石祠に苔むした石仏と供物

 

久しぶりにシダンゴ山へ

 

 

シダンゴ山 標高七五八米 登山道

 

頂上は・・・

 

 

馬酔木(アセビ)の花が咲く様子

 

馬酔木(アセビ)

が咲き始めでしょうか。

 

(西條さんに教えていただいた花)

 

馬酔木の花咲く小道と森

 

馬酔木(アセビ)を越えて・・・

 

 

森に咲くミツマタの花と木々

 

おお、今度は、

 

 

ミツマタの花、山歩きの春風景

 

思いがけず、ミツマタ桃源郷が!

 

 

ミツマタの花と「三椏の森散策路」の看板

 

ほのかな、

いい香りがします(^^)

 

 

森の精と語らう処、ミツマタの花

 

はい、少し休んで、

語らいました😊

 

鷹巣五段の滝の道標

 

小滝と枯葉の積もる岩場

 

小振りながらも、

なかなか見事な滝でした!

 

タケ山富士見台への道標と山並み

 

タケ山、富士見台。

残念ながら🗻見えず😢

 

 

タケ山展望台への道標と山々の風景

 

タケ山展望台。

こちらは表丹沢方面が、

なかなかの絶景でした!

 

 

枝に咲く黄緑色の小花

 

このあたり、

アブラチャン(という低木)

の群生地だそうです(^^)

 

 

満開の枝垂れ桜と青い車

 

下山後、

なかなかみごとな、枝垂れ桜!

 

 

枝垂れ桜と青空

 

真下から見上げると、

何だか桜に抱かれた感じ🌸

 

 

桜並木と河原、山並み。春の風景

 

 

今回の山歩きは、

花に恵まれ、人も少なく、

静かに春を満喫できました😊

 

ルートを整備してくださっている、

「虫沢古道を守る会」

の皆さまに感謝です!