ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

田坂広志さんの、

 

人間を磨く 人間関係が好転する「こころの技法」

 

田坂広志「人間を磨く」こころの技法

 

から、

私の印象に残った箇所を、

紹介・解説しています(^^)

 

前回、

田坂広志さんが大学院時代に、

教授から、

「君は、可愛気が無い」

と言われ、

 

そこから、

「心の中で自分の非を認める」

ことの大切さを学んだという

エピソードを紹介しましたが、

 

今回は、

「自分から声をかけ、目を合わせる」

ということを紹介します。

 

こちらも、

田坂広志さんの若かりし頃の

エピソードが語られています。

 

企画会議で、

同僚のA君と意見が食い違い

議論が白熱。

 

思わず感情的になってしまい・・・

 

 

そうしたときには、

会議が終わった後は、

相手の顔もあまり見たくない

気持ちになり、

 

夜、帰宅の道を歩みながらも、

その会議での

やり取りが思い起こされ、

不愉快な気分が

心を占めることもあった。

 

 

私も若い頃は、

こういうことがよくありました(^^;

 

もっとも、

最近は、そんなにはないのですが、

 

それは、

成長したからというよりも、

そこまで本気で議論する熱量が

なくなってしまったからかも

しれませんが(^^;

 

 

そして、

そのような日の翌日は、

朝起きると、

やはり、

昨日の会議のことが

頭に浮かび、

 

同僚とのやりとりに

自己嫌悪を感じ、

しばし不愉快な気分に

浸されるのだが、

 

不思議なことに、

しばらくすると、

あのY教授の言葉が、

その弟子に対する

温かい眼差しとともに、

心に浮かんでくるのだった。

 

「君はね・・、

可愛げが無いんだよ・・」

 

すると、

これも不思議なことに、

体の奥深くで、

 

自分の非を認める

「可愛げのある心」、

「しなやかな心」が動き出し、

こんな気持ちが

湧き上がってくるのだった。

 

「そうだな・・。

同僚のA君も、A君なりに、

このプロジェクトの

ことを考えて、

ああ言っていたんだな・・。

 

自分は、それを、

もう少し

理解してあげるべきだった・・」

 

 

そうですね・・・

 

翌日になると、

自己嫌悪とともに、

「自分にも非があったな・・・」

と思えてくることが、ある(^^;

 

 

そして、

こうした気持ちになり、

自分の「非」を

認める気持ちになってくると、

 

自然に、

心の奥から、こんな思いが

浮かんでくるのだった。

 

「そうだな・・。

今日、会社に行って、

A君と会ったら、

こちらから声をかけよう。

 

そして、

昨日のことを謝ろう・・・」

 

そう思い定めて出社すると、

廊下の向こうから、

A君が歩いてくる。

 

そのA君、

自分に気がつくと、

顔を合わせるのも気まずそうに

歩いてくる。

 

こちらも、

やはり、昨日のことがある。

 

A君と目を合わせるのは、

どこか気まずい。

 

それでも、

彼が近づいてきたタイミングで、

目を合わせることが

できなくとも、

 

心の中から絞り出すように、

声をかけた。

 

「A君・・・、

昨日は、すまななったな・・・。

 

自分が、少し言い過ぎた・・」

 

これは、

著者の若き日の未熟さを示す、

恥ずかしい話だが、

 

こうした形で声をかけることが、

当時の著者にとって、

「こころの修行」であった。

 

 

田坂広志さんほどの人でも、

若き頃には

目を合わせることはできなかった(^^;

 

ただし、それはできずとも、

「自分から声をかける」ことはできた。

 

それだけでも、すごいことです!

実際は、なかなかできませんよ(^^;

 

少なくとも、私は、

気まずい関係になった時に、

自分から声をかけたり、

 

ましてや、

自分の非を認める

発言をしたことは・・・

 

・・・う~ん、

すぐには思い浮かばないのが

つらい(^^;

 

「まあ、時が解決してくれるか・・・」

と寝かしてしまうタイプかも

しれません(^^;

 

ちなみに、飲みの席で、

部下と激しい口論になった時、

 

翌日、部下から、

「昨日は言い過ぎました・・・

申し訳ございません」

というメールをもらったことはあります。

 

もちろん、

「私も言い過ぎました・・・」

と返信はしましたが、

それは、

私のほうから発信してもよかったわけです。

 

部下のほうが大人でした(^^;

 

こんなエピソードも、

紹介されています。

 

 

著者は、若き日に、

ときおり、

母と厳しく意見がぶつかり、

心がぶつかることがあった。

 

いま振り返れば、

それは、

私の未熟さゆえの出来事であり、

苦労をして自分を育ててくれた

親に対する感謝の無い姿が

原因であったのだが、

 

母もまた、

息子に対する

深い愛情を持っていたがゆえに、

人間として

筋の通らないことには、

 

毅然として

厳しい言葉を語る人物であった。

 

当時、こうした形で、

母と心がぶつかったとき、

私の心の中では、

「納得できない!」

という気持ちが渦巻き、

その不愉快な気分のまま外出し、

 

しばらくして、

その気分をもう一度、

母にぶつけようと、

外から電話することがあった。

 

 

この意地になる気持ち、

わかりますね~

 

 

当然のことながら、

母も生身の人間、

感情もある人間、

 

息子の筋の通らない

理屈や理不尽な言葉に、

腹が立たなかったわけでは

ないだろう。

 

心が波立たなかったわけでは

ないだろう。

 

しかし、

こうした衝突の後、

私が母に電話をすると、

 

電話に出た母が、

最初に口にするのは、

必ず、次の一言であった。

 

「広志・・、

すまなかったね・・」

 

(中略)

 

母は、

私から電話があったっとき、

 

必ず、自分から、

「すまなかったね・・」

と語った。

 

自分に非がないときでも、

「すまなかったね」

と語った。

 

そして、

深い思いの込められた、

この母の言葉を聞くと、

 

私は、いつも、

固まってしまった自分の心が、

静かに溶けていくことを

感じていた。

 

 

・・・実は、私の母親も、

毎回ではないにせよ、

私とぶつかったあとに電話で話す時の、

第一声は、

 

「すまなかったね・・・」

 

ということが多いです。

 

私は子供がいないのですが、

もし子供がいたら、

自分から、第一声で、

「すまなかったね」

と言えるだろうか・・・

 

・・・う~ん、

自信がない。

 

まだまだ未熟者ですの~(^^;

 

 

 

***********************************************

 

 

今回も最後までお読みくださいまして

有り難うございました😊

 

次回もこの本の紹介をする予定です(^^;

 

 

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おまけ写真集(^^;

 

ひのきの森広場への道標と木漏れ日

 

近所散策。

 

ひのきの森で、

ちょっと瞑想・・・

 

 

石碑と森の風景

 

昔の神社跡の石碑。

神々しい光が差していました。

 

 

竹林の美しい景色

 

竹林はやっぱり美しいですね。

 

鶴見川の野鳥と動禅

 

鶴見川で野鳥をみながら、

動禅(のまねごと)

 

 

神社にある提灯と石段

 

等々力不動尊、

に立ち寄り。

 

早く渓谷復活しないかな。

 

 

高取山 705.7m 山頂標識

 

高取山。

 

山並みと湖、橋の風景

 

山頂の鉄塔に登ると、

絶景!が待っています(^^)

 

 

高取山からの街並みと山並み

 

東京方面を望む・・・

 

 

山頂の看板と石仏

 

仏果山頂の仏像群。

 

 

鎖場のある登山道

 

低山ですが、

鎖場ルートもあってスリルを味わえます!

 

私の大好きな山です(^^)

(ただし、夏季はヒルに注意(^^;)

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

今年に入ってからの初ブログ!

 

何だか、

月一ペースの記事になりつつある・・・(^^;

 

ブログを書くのは好きなので、

もう少し頻度を上げたいとは思いますが、

最近、気持ちと時間に余裕がなく・・・

 

何とか、自分のペースで

続けていければと思っています。

 

お付き合いいただければ嬉しいです😊

 

で、今回紹介する本は、

私の敬愛する田坂広志さんの新書本、

 

人間を磨く 人間関係が好転する「こころの技法」

 

人間関係改善「こころの技法」本

 

田坂広志さんの本は、

モチベーションが低下している時に読むと、

何だか勇気づけられる気がします。

 

この本、

久しぶりに読み返してみたのですが、

やはり・・・

 

勇気が湧いてきますね~(^^)

 

タイトルには、

「人間を磨く」とありますが、

それは、

決して「非の無い人間」を

目指すというわけではありません。

 

むしろ、

自分の中の

「非」や「欠点」や「未熟さ」

を抱えたまま、

周りの人々と良き人間関係を築くことを

目指すという・・・

 

それなら、

私にもできそうな気がします(^^)

 

田坂広志さん自身の、

大学院時代の研究室でのエピソードが、

印象深いです。

 

研究室で優秀な成績を収め、

その研究室を去る際に

Y教授から言われた言葉が、

田坂さんの人生を変えた、

いや、救ってくれたというのですが・・・

 

引用します。

 

 

教授室で、Y教授に、

最後の感謝を述べると、

教授も、

「君も、よく頑張ったな」

「君は優秀だな」

といった世辞を述べてくれたが、

 

最後に、

「しかしね・・」と続け、

一言、私の目を見ながら言った。

 

それは、

静かな一言であり、

教授の眼差しは、

弟子への愛情に溢れていたが、

 

その一言は、

私の胸に突き刺さり、

生涯、心の中で

鳴り響く言葉となった。

 

「君はね・・、

可愛気が無いんだよ・・」

 

それは、

恩師からの終生の教えでもあった。

 

なぜなら、

何年か後に大学院を終え、

実社会に出て働き始め、

様々な人間関係の問題に

直面したとき、

いつも自分を救ってくれたのは、

この言葉だったからである。

 

「君は、可愛気が無い」

 

 

「君は、可愛気が無い」

 

これ言われたら、

けっこうドキッとしますよね~

 

この言葉は、文字通り、

「愛想が無い」「愛嬌が無い」という意味も

あると思いますが、

 

そのような

表面的なことだけではないと

田坂さんは考えます。

 

 

この言葉は、実に的確に、

当時の私の、人間としての

「未熟さ」を指摘していた。

 

それは、

私の心の中の

「密かな驕り」

とでも呼ぶべきものを

指摘する言葉でもあった。

 

人間であれば、

誰でも、非があり、欠点があり、

未熟さがある。

 

それにもかかわらず、

「自分には非が無い」

「自分には欠点が無い」

と思い込み、

それを密かに誇る心の姿勢。

 

教授は、

その「密やかな驕り」

「無意識の傲慢さ」を、

当時の私の姿から

感じていたのであろう。

 

 

田坂さんは、東大卒の正真正銘のエリート。

自然な優越感を持っても

決しておかしくはないのですが、

 

そこに、

「密やかな驕り」

「無意識の傲慢さ」

があると自覚した。

 

自分を客観視したうえで、

ここまで内省ができる田坂さんは、

やはりスゴイ人だと言わざるを得ない(^^;

 

 

あの日、

研究室を辞するときに

恩師が教えてくれた、

「可愛気」という言葉。

 

それは、

素直に、自分の非を認め、

欠点を認め、

未熟さを認める、

「しなやかな心」

のことであった。

 

(中略)

 

人は、非があり、

欠点があり、

未熟であるから、

周りの人の心が

離れていくのではない。

 

人は、自分の非を認めず、

欠点を認めず、

自分には非が無い、

欠点が無いと思い込むとき、

周りの人の心は離れていく。

 

 

・・・ほんとそうですね。

 

この、自分の非を認めず、

欠点を認めず、

自分には非が無い、

欠点が無いと思い込んでしまう原因は、

 

私たちの心の中にある、

「小さなエゴ」の働きだといいます。

 

でも、悲しいかな、

人間である以上、

この「小さなエゴ」を

消し去ることはできない。

 

(消し去ることができるという考え自体が、

エゴの罠だというから、やっかいです(^^;)

 

では、どうすればいいのか?

 

田坂さんいわく、

それは・・・

 

「小さなエゴを、

ただ、静かに見つめる」

 

ことだと言います。

 

それが、なかなか難しいのですが(^^;

 

まずは、自分の中に

「小さなエゴ」があることに気づき、

自覚するところ、

 

そこから始めたいですね😊

 

(次回に続きます(^^;)

 

 

 

*********************************************

 

 

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました😊

 

時間もこの本の紹介を続けます(^^;

 

 

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おまけ写真集(^^;

 

明治大学ラグビー部優勝、選手たち歓喜

 

おかげさまで、

母校が大学ラグビー日本一になりました!(^^)!

 

選手の皆さん有り難う!

 

 

大山を望む冬の山々

 

大山を望む・・・

今年もたくさん山歩きするぞ~!

 

 

本棚でくつろぐ猫

 

この子も、

「小さいエゴ」あるのかな・・・?😸

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

村上春樹さんの長編小説、

騎士団長殺し

 

騎士団長殺し 村上春樹 橙色の表紙

 

を紹介、解説しています。

 

「騎士団」といえば、

ロックバンド「氣志團」

をイメージしてしまうのは、

世代のせいなのか、

それとも、

私が低俗なせいなのか(^^;

(けっこう好きです。

昔よくカラオケで歌いました)

 

今回は、第2部の、

「遷ろうメタファー編」

から、

私の印象に残った箇所を、

紹介・解説していきます(^^)

 

この小説には、イデアとしての、

「騎士団長」が登場します。

 

「イデア」とは

いったい何なのか?

 

ネットのAI調べですが・・・

 

 

イデアとは、

プラトン哲学における

「現実世界にある個々のもの

(花、人間など)

の背後にある、

完全で永遠不変な『本質』や『原型』」

のことで、

「理想の姿」「理念」を指します。

 

私たちが「美しい」と感じるのは、

不完全な現実の「美しい花」ではなく、

完全な「美のイデア」を

魂(精神)の目で捉えるからだとされ、

現代の「アイデア(思いつき)」

の語源でもありますが、

元々は「形」「姿」という意味です。

 

 

イデアとは、

個々の背後にある、

完全で永遠不変な「本質」である。

 

ちょっと抽象的なので、

「花」で、

もう少しわかりやすく例えると・・・

 

 

現実の花は枯れて形が変わるけど、

「完璧な花」としての

「花のイデア」は永遠に変わらない、

というイメージです。

 

私たちが「これは花だ」

と認識できるのは、

この「花のイデア」

を知っているからだと考えます。

 

 

なるほど・・・

 

イデアとは既に知っている

「記憶」のようなものでしょうか。

 

「記憶」といっても、

それは後天的に学習して覚えたもの

というよりも、

生まれる前から知っていること。

 

プラトンの想起説によると・・・

 

 

私たちは生まれる前に

イデアを見ていたけれども、

生まれるときにそれを忘れてしまう。

 

私たちは生まれてから忘れられた

イデアの記憶を「想い起こす」、

つまり学習とは想起に他ならない

 

と考えます。

 

 

生まれる前に見ていたイデアを、

想い起こす。

学習とは「想起」に他ならない・・・

 

面白い考え方ですね~

 

私は若い頃、

プラトンの「イデア論」や「想起説」、

「洞窟の比喩」などに興味があって、

本を何冊か読んだりもしました。

(内容はかなり忘れておりますが(^^;)

 

もちろん、

「イデア論」は、実証できるものではなく、

一種のファンタジーの世界なのですが、

 

でも一方で、

(直感的にですが)

もしかしたら、

真実の一端を含んでいるのではないかと

いう気もしております。

 

・・・それはさておき、

 

この小説の中のイデアの概念は、

切り口が微妙に違う感じです。

 

以下、本書からの引用。

騎士団長が語ります。

 

 

「・・・しかるに

イデアの優位な点は、

もともと姿かたちを

持っておらないことだ。

 

イデアは他者に

認識されることによって

初めてイデアとして成立し、

それなりの形状を

身につけもする。

 

その形状は

もちろん便宜的な借り物に

すぎないわけだが」

 

「つまり他者による

認識のないところに

イデアは存在し得ない」

 

 

イデアは、

他者に認識されることによって、

初めて成立し、形作られる。

 

主人公は、

騎士団長に問いかけます。

 

 

「・・・イデアには

モラルみたいなものはないと

言いました。

 

イデアというのは

どこまでも中立的な観念であり、

それを良くするのも

悪くするのも、

人間次第である、と。

 

だとすれば、

イデアは人間に良いことを

するかもしれないけれど、

逆によくないことを

する場合だってある。

 

そうですよね?」

 

 

それに対して、

騎士団長は・・・

 

 

「E=mc2という概念は

本来中立であるはずなのに、

それは結果的に

原子爆弾を生み出すことになった。

 

そしてそれは

広島と長崎に

実際に投下された。

 

諸君が言いたいのは

たとえばそういうことかね?

 

私は肯いた。

 

「それについては

私も胸を痛めておるよ

(言うまでもなくこれは

言葉のあやだ。

イデアには肉体もない、

したがって胸もあらないからな)。

 

 

あらないからな。

 

ここは入力ミスではなく、

騎士団長の独特な語り口です(^^;

 

たしか、

村上春樹さんの他の小説でも、

こんなのがあったような。

 

続きます・・・

 

 

しかしな、諸君、

この宇宙においては、

すべてが、

caveat emptorなのだ」

 

「はあ?」

 

「caveat emptor。

カウェアト・エンプトル。

ラテン語で

『買い手責任』のことである。

 

人の手に渡ったものが

どのように使用されるか、

それは売り手が関与することでは

あらないのだ。

 

たとえば洋服屋の店先に

並んでいる衣服が、

誰に着られるのか

選ぶことができるかね?」

 

「なんだか都合の良い

理屈みたいに聞こえますが」

 

「E=mc2は

原子爆弾を生み出したが、

一方で良きものも

数多く生み出しておるよ」

 

「たとえばどんな?」

 

騎士団長は

それについて少し考えていたが、

適当な例が

すぐに思いつけなかったらしく、

口を閉ざしたまま、

両手の手のひらで顔をごしごしと

こすった。

 

 

この宇宙においては、

すべてが、

「caveat emptor」

=「買い手責任」

 

何に使うかは、

すべて買い手に委ねられる。

 

そうですね・・・

 

E=mc2が生み出した良きものを、

騎士団長がすぐに答えられないのは、

悲しい現実ですが、

 

「買い手責任」

たしかに、そうだと思います。

 

「買い手」がどのように使うかは、

自由である。

 

多くのスピリチュアル本に

述べられていますが、

 

私たちの感情は、

究極的には「愛」と「怖れ」しかなく、

行動や選択も、

すべて「愛」か「怖れ」

のいずれかに基づいているといいます。

 

(「神との対話」という

スピリチュアルの名著にも書かれています。

過去ブログで何回か紹介しました。

よかったらご覧ください)

 

 

 

心理学博士、カウンセラーの

古宮昇先生は、こう述べます。

 

 

スピリチュアルな視点では、

愛や怖れのどちらかを選ぶのが

上だとか立派だとか、

そういうことはありません。

 

あなたがどちらを選ぶかを、

あなたが自由に決めていいのです。

 

そもそも

そのような選択が可能な場を

経験したくて、

魂の私たちはこの世に来たのです。

 

そのような選択を通じて

自分を創るのが、生きる目的です。

 

言い換えれば、

私たちは選択を通じて

「自分は何者になるか」

「何者として生きるか」

を創っており、

それが生きる目的です。

 

 

「愛」か「怖れ」の選択を通じて、

自分を「創る」こと。

それが生きる目的である。

 

・・・深く同意します(^^)

 

もちろん、

「愛」に基づく選択をしたほうが、

喜びを感じられます。

 

私も、なるべく

そのような選択をしたいと

思っておりますが、

一方で、

この現実世界は、

「怖れ」による選択も

時には必要なのかとも思います。

 

たとえば、

世界の水問題に挑む、

起業家の高野雅彰さんによると、

 

ビジネスを動かすには、

「ワクワク感」と「危機感」

の両方が必要だといいます。

 

前者が「愛」、後者が「怖れ」

ともいえると思いますが、

 

「ワクワク感」は「未来に引っ張る力」

「危機感」は「今の場所から動かす力」

 

両方揃わないと、

人も組織も続かない/動かないといいます。

 

たしかに、

「ワクワク感」がないと、

イヤイヤやることになり続かないですが、

一方で、「危機感」がないと、

人はどうしても現状維持を望みがちです。

 

だから、時には「危機感」も必要・・・

 

ただし、

今の社会情勢を鑑みると、

どうも、

「不安」や「危機感」

を煽るような傾向が強すぎると感じます。

 

どちらが、良い・悪い、

という訳ではないのですが、

私としては、

両方のバランスを取りつつも、

なるべく「愛」による選択を通じて、

自分の人生を創っていきたい。

 

そう考えています😊

 

 

 

********************************************

 

 

以上、最後は本の内容から

かなり脱線してしまいましたが(^^;

 

2回にわたって、

村上春樹さんの長編小説、

 

騎士団長殺し

 

騎士団長殺し 村上春樹 橙色の表紙

 

の一部を、

紹介、解説してきました。

 

人生を考えるうえで、

多くの示唆を与えてくれる

小説だと思います。

 

年末年始、お時間のある方は、

物語の世界に

どっぷり浸ってみてはいかがでしょうか。

 

 

 

*******************************************

 

 

 

最後までお読みいただきまして

有り難うございました(^^)

 

今年も読んで下さる皆さまに支えられて、

ブログを続けることができました。

感謝申し上げます😊

 

 

 

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おまけ写真集(^^;

 

おかげさまで、今年は、

たくさん山歩きができました(^^)

 

山歩き納め、

昨日は沢ルートから鍋割山へ!

 

最高の天気の中・・・

 

沢の岩と枯れ木のある山道

 

沢越えて・・・

 

 

鍋割山山頂付近の鎖場

 

鎖場越えて・・・

 

 

富士山と山々の絶景

 

おおっ、

鍋割山頂上付近から・・・

 

雲一つない、

最高の富士山🗻

見えました(^O^)

 

 

今年、自由に山歩きに行かせてくれた

妻に感謝です!

 

では、今年最後に、

愛猫の宮音(みやお)くん。

 

愛猫みやおくん、猫と暮らす

 

小説家、白石一文さんの名言。

 

 

猫と一緒に暮らすと、

「お互いをまったく

理解しあうことがなくても、

生き物同士は充分に愛し合える」

ということを知る。

 

 

ほんと、そう思います。

 

最後までお付き合いくださいまして、

有り難うございました(^^)

 

よいお年をお迎えください😊

 

新年が、

皆さまにとって素晴らしい年で

ありますように・・・

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

最近、仕事やら資格試験の勉強やらで、

なかなか気持ちに余裕がなく、

ブログの更新が滞りがちになっていました・・・

 

が、その割には、山歩きや読書には、

ちゃんと時間を割いているという(^^;

 

で、一か月ぶりのブログになります。

今回ご紹介する本は、

 

またまた村上春樹さんで、

今度は長編小説の、

 

騎士団長殺し

 

騎士団長殺し 村上春樹 著書

 

この本、まだ読んでいなかったので、

ずっと、気になっていたのですが、

 

古本屋でハードカバーの美本が、

格安で売られていたので、

思わず買ってしまいました!

 

この本は、

2巻で1,000ページ以上もある大作、

 

いやあ・・・

資格試験の勉強そっちのけで、

すっかり、物語の沼に

ハマってしまいましたよ(^^;

 

ネタバレにならないように、

ストーリーをちょっとだけ紹介しますと・・・

 

まず、この物語の舞台ですが、

主人公の男性(肖像画を描く画家)は、

山の上に住んでいます。

 

この山というのが、

小田原周辺の山の設定で、

 

・・・ということは、

私がよくいくエリアの一つではないか!

 

急に親近感が湧いたのですが(^^;

それはさておき、

主人公は、

もともと著名な画家が住んでいた

山の上の別荘に、

事情があって住むことになります。

 

そして、そこから見える、

隣の山の豪邸に住む不思議な人物から、

肖像画を描いてほしいと依頼があり、

そこから物語が展開していくわけですが・・・

 

この本のタイトル、

「騎士団長殺し」とは、

絵のタイトルを指します。

 

この絵は、

主人公が間借りしている、

別荘の屋根裏部屋から、

発見された日本画なのですが、

 

(「騎士団長殺し」は、

モーツアルトのオペラに

出てくるシーンなのですが、

この絵は、何故か西洋画ではなく日本画)

 

この日本画、

何とも奇怪で、興味をそそります。

 

引用します。

 

 

そこに描かれているのは、

飛鳥時代の恰好をした男女だった。

 

その時代の服装とその時代の髪型。

しかしその絵は私をひどく驚かせた。

 

それは息を吞むばかりに

暴力的な絵だったからだ。

 

 

日本画というと、

一般的には穏やかなイメージがありますが、

この絵は、とても暴力的だった・・・

 

 

「騎士団長殺し」

という絵の中では、

血が流れていた。

 

それもリアルな血が

たっぷり流れていた。

 

二人の男が

重そうな古代の剣を手に

争っている。

 

それはどうやら個人的な

果たし合いのように見える。

 

争っているのは

一人の若い男と、

一人の年老いた男だ。

 

若い男が、

剣を年上の男の胸に

深く突き立てている。

 

若い男は

細い真っ黒な口髭をはやして、

淡いよもぎ色の

細身の衣装を着ている。

 

年老いた男は

白い装束に身を包み、

豊かな白い髭を生やしている。

 

・・・

 

 

何か、

意味深なシーンですね・・・

 

 

そしてその果し合いを

近くで見守っている人々が

何人かいた。

 

1人は若い女性だった。

 

上品な真っ白な

着物を着た女だ。

 

髪を上にあげ、

大きな髪飾りをつけている。

 

彼女は片手を口の前にやって、

軽く口を開けている。

 

息を吸い込み、

それから大きな悲鳴をあげようと

しているように見える。

 

美しい目は大きく見開かれている。

 

 

若い男が年老いた男を刺すのは、

驚きの展開だったのでしょう・・・

 

 

(中略)

 

そしてもう一人、

そこには奇妙な目撃者がいた。

 

画面の左下に、

まるで本文につけられた

脚注のようなかっこうで、

その男の姿はあった。

 

男は地面についた蓋を

半ば押し開けて、

そこから首をのぞかせていた。

 

蓋は真四角で、

板でできているようだ。

 

その蓋は

この屋根裏に通じる入口の蓋を

私に思い出させた。

 

形も大きさもそっくりだ。

 

男はそこから

地上にいる人々の姿を

うかがっている。

 

(中略)

 

彼は曲がった茄子のような

異様に細長い顔をしていた。

 

そしてその顔中が黒い髭だらけで、

髪は長くもつれていた。

 

浮浪者のようにも、

世を捨てた隠者のようにも見える。

痴呆のようにも見えなくもない。

 

しかしその眼光は

驚くほど鋭く、

洞察のようなものさえ

うかがえる。

 

とはいえ、その洞察は

知性を通じて獲得されたものではなく、

ある種の逸脱が

ーひょっとしたら狂気のようなものがー

たまたまもたらしたもののように

見える。

 

 

地面のフタを押し開けて、

顔を出している、

この曲がった茄子のような

黒い顔の男。

 

何だか「夢」に現れてきそうな

奇妙なキャラクターですね(^^;

 

主人公の男から、

「顔なが」と名付けられますが、

何だかジブリ映画にも出てきそう。

 

それは「顔なし」か(^^;

 

で、皆さんお察しのように、

この「騎士団長殺し」という日本画に

登場する人物たちは、

「寓意」であり「象徴」なわけですが、

 

では何の象徴か?

というのは・・・

 

読んでみてのお楽しみということで(^^;

 

この「顔なが」が潜んでいる地下の世界は、

村上春樹さんお家芸の「無意識」の世界、

ユング的な「深層心理」の領域ともいえますが、

 

物語の後半では、

主人公が、その地下世界を冒険することになります。

 

物語は、地下世界だけでなく、

歴史の世界、すなわち、

ナチス・ドイツや

日本軍の中国戦線の出来事なども絡み合い、

重層的に展開していくのですが・・・

 

・・・と、

このあたりにしておきますね(^^;

 

 

 

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今回も最後までお読みいただきまして、

有り難うございました(^^)

 

次回もこの本の紹介を続けます(^^;

 

 

 

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おまけ写真集(^^;

 

11月、少し前になりますが、

天気のいい日は、

山歩きでリフレッシュ!

 

渓流と古い橋、苔むした岩

 

渓流沿いの登山道から、

 

 

滝と森の自然景観

 

不動尻の不動の滝。

 

 

岩場の登山道に設置された鎖場

 

あまたの鎖場越えて、

いざ三峰山へ!

 

秋の山道、紅葉と木漏れ日

 

紅葉に癒されながら・・・

 

 

鎖場のある登山道、根の張る急斜面

 

乗り超えろ!

 

三峰山 標高九三四・六米

着きました!

 

登山道の木製階段と鎖

 

整備されているので、

慎重に行けば大丈夫・・・

 

 

紅葉の山と古木、根っこ

 

下の方は、

ちょうど紅葉ピークでした!

 

 

富士山と山々、紅葉の秋の景色

 

別日に、

今度は表丹沢ルート、三の塔へ、

 

山頂の道標と富士山

 

三ノ塔、眺めいいです!

 

 

登山道の木製階段と山々

 

天気もいいので、

欲張って塔ノ岳まで行くことに!

 

石仏と枯れ木、岩のある風景

 

安全祈願・・・

 

塔ノ岳山頂:富士山を望む景色と登山者

 

塔ノ岳着きました!

 

山歩きと富士山の遠景

 

水墨画みたいに写りました・・・

 

 

小田原の山頂、休憩所と木製小道

 

暗くなる前に、

帰路急がねば・・・

 

富士山と山々の夕暮れ景観

 

今年は、富士山、実際に登ったせいか、

神々しいというよりも、

何だか友達みたいな、

身近な存在になってきました(^^;

 

 

浄発願寺奥の院、洞窟と石仏

 

また別日、

こちらは、浄発願寺奥の院。

 

洞窟の中に、石仏が何体か鎮座されています。

 

 

浄発願寺縁起絵詞伝より弾誓上人

 

弾誓上人が修行されたようですね。

集まってきた珍獣たち?が微笑ましい(^^;

 

 

森の根っこが露出した登山道

 

大山まで足を伸ばします。

 

山道に整備された丸太の階段

 

ひたすら登って・・・

 

大山山頂、丹沢山域の案内標識

 

大山山頂は、やはり賑わってました!

 

石周奥井石材店の温度計

 

山頂は0度・・・

ちょっとぬるめになってしまったカップ麺、

美味かった(^^;

 

 

日向薬師本堂の茅葺き屋根と境内

 

私の大好きなお寺。

日向薬師に立ち寄りました。

 

報道でご存知の方も

いらっしゃるかもしれませんが、

今回、私が歩いた、

浄発願寺奥の院のあたり(日向山の西北?)で、

先日、山火事がありました。

 

幸いにも人的被害はなかったようですが、

奥の院や登山道に、

被害がないことを祈ります・・・

 

 

神宮外苑のイチョウ並木、秋の風景

 

ここは神宮外苑のイチョウ並木。

(今年は、半分以上すでに散っていましたが(^^;)

 

ラグビー早明戦、明治大学対早稲田大学スコアボード

 

ラグビー早明戦、

母校勝ちました!嬉し~

 

おつきあいいただき、

有り難うございました(^^;

 

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

村上春樹さんの文庫本、

エッセー、

 

走ることについて語るときに僕の語ること

 

村上春樹 走ることについて語るとき僕の語ること表紙

 

から、

私の印象に残った箇所を、

紹介・解説しています。

 

今回で3回目、最終回です(^^;

 

この本には、

「なるほど~」「たしかに!」

と思えることが、

いくつかあったのですが、

今回もそれを紹介します(^^)

 

 

「村上さんみたいに毎日、

健康的な生活を送っていたら、

そのうちに小説が

書けなくなるんじゃ

ありませんか?」

 

みたいなことを

ときどき人に言われる。

 

外国にいるときには

あまり言われないけれど、

日本ではそういう意見を持つ人が

けっこうたくさんいるようだ。

 

小説を書くということは、

即ち不健康な行為であり、

作家たるものは

公序良俗から

遠く離れたところで、

できるだけ健全ならざる生活を

送らなくてはならない。

 

そうすることによって、

作家は世俗と訣別し、

芸術的価値を持つ

純粋な何かにより

近接することができるのだ

といった通念のようなものが

世間には根強く存在する。

 

長い年月をかけて、

そういう芸術家=不健康(退廃的)

という図式が

作り上げられてきたらしい。

 

映画やテレビ・ドラマには、

よくこういうステレオタイプの

ーよく言えば神話的なー

作家が登場する

 

 

村上春樹氏は、

ほとんど毎日走り続けているような、

いわば「健康的」な作家ですが、

 

たしかに作家って、

不健康で退廃的なイメージがありますよね(^^;

 

たとえば、太宰治とかは、

まさにその典型ですが、

 

私も、デカダンスな生き方に

ちょっと憧れがあり、

飲んだくれてた時期もあります。

(それで体を壊したのですが(^^;)

 

今でも、

単なる健康的な生活だけだと、

つまらない人生だと思うところがある。

 

 

小説を書くのが不健康な作業である

という主張には、

基本的に賛成したい。

 

我々が小説を書こうとするとき、

つまり文章を用いて

物語を立ち上げようとするときには、

人間存在の根本にある

毒素のようなものが、

否応なく抽出されて表に出てくる。

 

作家は多かれ少なかれ

その毒素と正面から向き合い、

危険を承知の上で

手際よく処理して

いかなくてはならない。

 

そのような毒素の介在なしには、

真の意味での創造行為を

おこなうことはできないからだ

(妙なたとえで申しわけないが、

河豚は毒のあるあたりが

いちばん美味い、というのに

ちょっと似ているかもしれない)。

 

それはどのように考えても

「健康的」な作業とは

言えないだろう。

 

 

河豚(ふぐ)のたとえは、

分かりやすいですね(^^;

 

たしかに、

小説などで人間を描く際には、

毒素、というか、

精神世界で言う「影」、

すなわち、

心の奥底にある闇の部分に触れないと、

深みがでないような気がします。

 

しかし、そこに安易に触れるというのは、

健康的とはいえませんし、

どっぷり浸かるのは、

危険でもありますね。

 

生活じたいが、

退廃的になってしまうおそれがある。

 

(中略)

 

しかし僕は思うのだが、

息長く職業的に

小説を書き続けていこうと

望むなら、

 

我々はそのような危険な

(ある場合には命取りになる)

体内の毒素に対抗できる、

自前の免疫システムを

作り上げなくてはならない。

 

そうすることによって、

我々はより強い毒素を

正しく効率よく

処理できるようになる。

 

言い換えれば、

よりパワフルな物語を

立ち上げられるようになる。

 

そしてこの

自己免疫システムを作り上げ、

長期にわたって維持していくには、

生半可ではないエネルギーが

必要になる。

 

どこかにそのエネルギーを

求めなくてはならない。

 

そして我々自身の

基礎体力のほかに、

そのエネルギーを

求めるべき場所が

存在するだろうか?

 

 

体内の毒素に対抗できる、

自前の免疫システムを作る。

それが基礎体力である。

 

なるほどです(^^)

 

たとえば、

禅の修行の世界では、

日々の生活をきちんと

丁寧に過ごすことが求められますが、

これも、一種の

基礎体力作りなのかもしれません。

 

瞑想を続けていると

「魔境」という境地に陥ることが

あるそうです。

(私はまだ経験はありませんが)

 

仏陀や如来のイメージが現れることですが、

実はこれはエゴが肥大化したもの

なのだそうです。

 

日々の修行というものは、

これを防ぐための、

自己免疫システムなのかもしれない。

 

 

(中略)

 

真に不健康なものを

扱うためには、

人はできるだけ

健康でなくてはならない。

 

それが僕のテーゼである。

 

つまり不健全な魂もまた、

健全な肉体を

必要としているわけだ。

 

逆説的に聞こえるかもしれない。

 

しかしそれは、

職業的小説家になってからこのかた、

僕が身をもって

ひしひしと感じ続けてきたことだ。

 

健康なるものと

不健康なるものは

決して対極に

位置しているわけではない。

対立しているわけでもない。

 

それらはお互いを補完し、

ある場合においては

お互いを自然に含みあうことが

できるものなのだ。

 

往々にして

健康を指向する人々は

健康のことだけを考え、

不健康を指向する人々は

不健康のことだけ考える。

 

しかしそのような偏りは、

人生を真に

実りあるものにはしない。

 

 

「健康」と「不健康」は、

お互いに補完している。

 

補完することで人生が実りあるものになる。

 

そうですね・・・

 

シュルレアリスムの巨匠として知られる

ルネ・マグリットは、

芸術家としては、

非日常的で摩訶不思議な絵を書きますが、

 

それとは裏腹に、

生活レベルでは、

極めて平凡で規則正しい日々を

過ごしていたいたようです。

 

だからこそ、

精神世界の闇に飲み込まれることなく、

独創的な作品を多く残せたのだと思います。

 

カウンセリングで、

時間の枠や、空間の枠といった

「枠」を重要視するのも、

 

その分、来談者が安心して、

心の深いところまで

降りていけるようになる効果が

あるのだと思います。

 

私自身、

読書や心の学びの中で、

時には、人間の影や闇の部分にどっぷり浸かり、

それをじっくりと味わうためにも、

 

日常生活は、

なるべく健康的に過ごして、

基礎体力をつけておきたい。

 

そんなふうに思いました😊

 

 

 

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以上、3回にわたって、

 

村上春樹さんの文庫本、

エッセー、

 

走ることについて語るときに僕の語ること

 

村上春樹 走ることに語るとき僕の語ること 表紙

 

から、

私の印象に残った箇所を紹介しました。

 

取り上げた箇所以外も、

多くの示唆が得られる本です。

 

自分で決めた道を

自分のペースで歩んでいこう!

という勇気が湧いてくるような本。

 

一読をおすすめします😊

 

 

 

 

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今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました(^^)

 

次回は別の本を紹介する予定です(^^;

 

 

 

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おまけ写真集(^^;

 

私の健康、基礎体力作りの一助になっている、

山歩き(^^)

 

県立久留里城山公園入口の石碑

 

前日に城山(津久井城址)で

足慣らしをしたあと・・・

 

 

村上春樹「走ることについて語るときに僕の語ること」表紙

 

車中泊・・・

星がきれいだったのですが、

私のスマホレベルでは、

ほとんど写っておらず(^^;

 

 

青根 諏訪神社 大スギ

 

日の出とともにスタート!

 

 

登山道案内標識:東野、蛭ヶ岳8.0km、姫次4.7km

 

蛭ヶ岳二回目。

今度は姫次経由で。

 

 

森の中の木製階段

 

整備された登山道・・・

 

 

紅葉したカエデの葉と小枝

 

木製デッキと雑草

 

凍ってました(^^;

 

 

登山道標識 蛭ヶ岳 焼山

 

姫次到着!

 

 

富士山とカラマツの紅葉

 

おお、カラマツの間から富士山(^^)

 

 

紅葉と青空のコントラスト

 

青空の下の紅葉、

映えます!

 

 

富士山と紅葉の山並み、青空

 

この角度、

檜洞丸が富士山を隠しています(^^;

 

 

紅葉の山道と遠くの山並み

 

振り返れば、紅葉!

 

 

紅葉の登山道と山腹

 

頂上見えてきた!

 

 

登山道の木製階段と木々

 

ようし、もう一息・・・

 

 

蛭ヶ岳からの富士山と登山道

 

頂上着きました(^^)

神奈川県最高峰、蛭ヶ岳!

 

前回はガスっていて何も見えなかったので、

リベンジ達成🗻

 

富士山と紅葉の山並み、登山道の様子

 

おかげさまで、最高の天気です!

 

 

富士山と紅葉の山々

 

アップ、

美しい・・・🗻

 

 

山頂からの絶景と紅葉

 

宮ケ瀬湖と関東平野・・・

 

 

登山小屋と富士山

 

蛭ヶ岳山荘で蛭カレーいただきました(^^)

 

 

紅葉の登山道と山々

 

元来た道を、下山します。

 

 

紅葉の落ち葉と登山靴

 

紅葉する木々、登山道の秋景色

 

みごとな紅葉!

 

 

森の中の木々

 

林相が美しい・・・

 

古い学校校舎と秋の山

 

下山後・・・

素敵な建物ですね。

 

 

青根諏訪神社の大スギ

 

青根の諏訪神社、無事帰還できました!

有り難うございます😊

 

青根の諏訪神社の大杉

 

見事な大スギです!

 

蛭ヶ岳登山、

往復10時間近くかかり、

ヘロヘロになりましたが(^^;

 

天気最高!紅葉も美しく、

おかげさまで満喫できました😊

 

大自然という名の神様に感謝!

 

 

追伸 おまけのおまけ(^^;

 

ピンクの被り物とマントを着た猫

 

遅ればせながら・・・

 

 

子猫がピンクの衣装を着ている

 

嫌がってる・・・😸