Let's Go Steady――Jポップス黄金時代 ! -37ページ目

Let's Go Steady――Jポップス黄金時代 !

Jポップスの黄金時代は80年代から始まった。

そんな時代を活写した幻の音楽雑誌『MUSIC STEADY』をネットで再現します。

明日、11月27日(日)、午後9:00から WOWOWライブ / WOWOWオンデマンドで、先月、10月26日(水)に恵比寿「ザ・ガーデンホール」で開催された甲斐よしひろのソロデビュー35周年ツアー『KAI YOSHIHIRO FLASH BACK LIVE 2022 レミニセンス』の東京公演の模様が放送・配信される。同ライブ直後にライブリポートをFBのタイムラインに掲載しているが、明日の予習・復習として改めてアメブロにも上げておく。掲載に際して、多少、加筆している。

 

 

 

甲斐バンドをデビューから解散、そして甲斐よしひろのソロデビューから現在までを欠かさずに見続けたわけではないが、いつも気になる存在ではあった。1978年にリリースしているナッシュビルで録音した最初のソロアルバム『翼あるもの』に森山達也の「えんじ」(クレジットは何故か、森山達夫となっている。森山のアマチュア時代の楽曲)を収録しているし、また、1981年2月5日、THE MODS上京後、初の新宿ロフトでのワンマンライブを甲斐は見に行ったものの、階段まで人が溢れ、見られずに帰ったと言うエピソードもある。さらに2010年4月、福岡・天神のライブ喫茶「照和」で開催された『甲斐バンド Live at the 照和』の演奏を中心に映像化したドキュメンタリー&ライブ映画『照和 My Little Town KAI BAND』に森山は陣内孝則などとともに出演している。そんな関わりや縁を含め、福岡発のBEAT MUSICの応援サイト『福岡BEAT革命』でもちゃんと、紹介しないといけないと思っている。甲斐バンドはチューリップや海援隊、井上陽水などとともに“福岡は日本のリヴァプール”という文脈で語られることが多いが、福岡発のBEATMUSICという観点からも語る必要を感じていた。

 

 

甲斐よしひろのライブを見るのは本当に久しぶりだ。甲斐バンド解散後、結成したKAI FIVE以来か。甲斐バンドそのものは“THE BIG GIG”(1983年8月7日、当時の新宿副都心の都有5号地、現在都庁が建っている場所で開催された野外イベント)など、“ニューヨーク3部作”前後は欠かさず見ていた。

 

ご存知のように甲斐バンドのリユニオンなどもあったが、残念ながらWOWOWで、後から見るくらいで、現場へは足を運ぶ機会を逸していた。ソロデビュー35周年ツアーも当初、10月16日(日)に東京「Zepp DiverCity」で開催される同公演を見るつもりだったが、生憎、日程が合わず、予定を組みなおし、最終公演である恵比寿「ザ・ガーデンホール」の追加公演にぎりぎり間に合った。

 

 

 

同公演は甲斐バンドではなく、甲斐のソロ、KAI FIVEの隠れた“名曲”たちを現在に甦らす。甲斐のソロとしてのデビューアルバム『ストレート・ライフ』<1987年>は、ボブ・クリアマウンテンやニール・ドーフスマン、ジェイソン・コーサロなど、80年代を代表するエンジニアとコラボレーションした“ニューヨーク3部作”(『虜–TORIKO- 』<1982年>、『GOLD』<1983年>、『ラヴ・マイナス・ゼロ』<1985年>)と交差するように作られた。当時の最新型ゆえ、いま聞くと、シンセやリズムなど、古色蒼然としているところもある。この10月にリリースされている甲斐のソロやKAI FIVEのアルバムを11枚組ボックスとしてコンパイルした『HOT MENU』も過去の名曲を新たに生まれ変わらせるかが肝だったのではないだろうか。

 

このツアーもそんなテーマがあるのではないかと、勝手に考えている。東京だけでなく、10月9日(日) 大阪「Zepp Namba」、10日(月・祝) 愛知「Zepp Nagoya」などでも開催されたツアーには土屋公平(G)<ex.THE STREET SLIDERS> や 奥野真哉(kb)<ソウル・フラワー・ユニオン>、Tokie(B)<ex.RIZE>、吉田佳史 (Dr)<TRICERATOPS>、鈴木健太(G)<D.W.ニコルズ>など、いずれも腕に覚えあり、かつ、この世界に確固たる地位を築く。そんな精鋭たちとともに甲斐よしひろの名曲群を現在に甦らせる。

 

 

土屋公平に提供した「立川ドライブ」を挟みつつ、ソロ・デビュー・アルバム『ストレート・ライフ』の「レイン」や「イエロー・キャブ」、KAI FIVEの「風の中の火のように」、「幻惑されて」など、2022年ヴァージョンにアップデートされる。お色直しされるが、同時代の厚化粧を剥ぎ取り、素顔を晒す作業か。いまも多くの方に愛される、お馴染み、人懐こい甲斐よしひろ節が聞くものの琴線に触れる。

 

実は甲斐のソロデビューアルバム『ストレート・ライフ』(1987年)やKAI FIVEのデビューアルバム『幻惑されて』(1991年)は、どういう経緯か、忘れたが、同作がリリースされた際に取材している。

 

ソロデビューの前年、1986年12月20、21日、明治神宮球場で行われたピーター・ガブリエルやルー・リード、ジャクソン・ブラウン、ユッスンドゥール、スティーブ・ヴァン・ザント、レベッカ、サンディー&サンセッツ……などが参加したチャリティーイベント『JAPAN AID 1st』に甲斐は出演している。「イエロー・キャブ」と「冷血(コールドブラッド)」(ピーター・ガブリエル、ノナ・ヘンドリックスがコーラスで共演)を披露。それも会場で見ている。

 

『幻惑されて』の取材の際には甲斐の地元、福岡で行きつけの屋台やバーなどで撮影もした。世界と福岡に地保を築く甲斐よしひろを目の当たりにすることができた。

 

普段はぼんやり聞いているが、取材があると、繰り返し聞き、身体に沁み込ませるようにしている。そのため、過去の曲でも不思議と身体が反応する。心の中で調べを奏で、歌が木霊する。

 

甲斐の歌の骨格はある意味、ロックだけでなく、歌謡曲やフォーク、GS(グループサウンズ)などの領域をも浸食するもので、安易な売れ線狙いなら抵抗感を抱くが、何故か、抗えないところがある。いまは味噌もくそも一緒、すべてがJ-POPやCITY POPなどに収斂されている。いまさらロックや歌謡曲、フォークなどと呼称やジャンルに拘ることはナンセンスかもしれないが、そんなもやもやをある種の“力業”で超えていくのが甲斐流と勝手に解釈している。

 

この日もそんなアンビバレンツな思いを抱えながらも最後には笑顔になって、帰路の足取りが軽くなる。時間があれば、カラオケで「安奈」や「BLUE LETTER」、「観覧車’82」などを歌いたくなるもの(笑)。

 

 

改めて"ニューヨーク3部作"に言及すると、当時はここまでサウンド志向とは思っていなかっただけに、その端緒となるボブ・クリアマウンテンの起用は意外に感じたものだった。だが、彼がピュアなロックファンであるため、常に新しい音や形に拘るというのも必然かもしれない。洋楽志向などといわなくても欲しいサウンドがあれば取りに行く――それを成し遂げる意志を持って、態勢を作り上げる。以前、リザードのMOMOYOから聞いた話だが、ペニー・スミスが甲斐バンドを撮影した際、甲斐はクラッシュの『ロンドン・コーリング』を模して、ギターを叩きつけるポーズを取ったという。ペニー・スミスは同期間、日本に滞在し、リザードも撮影している。リザードの写真はNMEなどに掲載されたはず。また、甲斐バンドの3枚組ライブアルバム『流民の歌』のジャケットの3方背仕様や3枚組にしては低価格なのはクラッシュの『サンディニスタ』を参考にしたものだろう。そんな甲斐だからこそ、ボブ・クリアマウンテンに目を付けたのではないだろうか。やはり、自らのアルバムに“英雄と悪漢”や“マイ・ジェネレーション”、“ラヴ・マイナス・ゼロ”、“幻惑されて”など、名付けるだけはある。

 

いずれにしろ、甲斐よしひろの音楽の奥行と幅を再確認する機会になる。アンコールツアーがあるか、ないか、わからないが、このプロジェクトは強力である。見れる機会があれば、見るべきだ。

 

明日、11月27日(日)のオンエアーは午後9時ならアディショナルタイムが長くなければ国民的な行事も終わり、いい気分で見られるのではないだろうか。伸びたらオンデマンドという手もある。いずれにしろ、手に汗、握る体験となるだろう。

 

 

 

 

 

 

https://www.wowow.co.jp/detail/183780

 

 

“俺のSASURAI TOUR、始まる”の“パートⅢ”。“下山淳、穴井仁吉を故郷・鶴岡へ連れて行く――俺SASUⅡ”の続きと言うか、補足である。実は鶴岡行きは10月9日(日)の下山淳の故郷・山形県鶴岡でのライブ『“北帰行”return to the north Live at Bar TRASH』(同日は「荘内大祭」の日でもあった)の前日、8日(土)から始まっていた。

 

“Ⅱ”でも“今年は酒井家が庄内地方に入って400年になるのを記念して、徳川家康を支えた酒井忠次など「徳川四天王」と呼ばれた武将の子孫たちも招かれたそうだ(そのため、市内のホテルなどは軒並み満室状態になった)”と、書いたが、鶴岡のホテルは9日は同日を含め、前後も空室がない。荘内大祭の大名行列は午前11時30分に始まると言う。そのため、新幹線などを利用しても東京からその時間に着くのは難しい状況。それゆえ、前日、8日(土)の深夜に発つ夜行バスで行くしかない。同バスならその日に早朝に着くことができる。ただ、9日の宿はない。行きも帰りも深夜バスと言う過酷な行程が頭を過る。幸いなことに9日の鶴岡に空室が出た。まずは穴山淳吉のライブ後に深夜バスで帰ると言うのは免れた。どうせならば、前後の行動を考え、単独行なので行きも帰りも運転するのは疲れるが、自ら運転することにした。そうしているうちに前日、8日に鶴岡ではないが、山形に空室が出た。前乗りで山形まで行き、当日、同所から鶴岡であれば、車なら1時間ほどだ。最終的に宿泊も移動も身体に負担のかからない理想的な行程になった。説明が長くなったが、日頃の行いの良さゆえだろう(!?)。

 

10月8日(土)の昼前に東京を発つ。本来であれば、もう少し早く出たかったが、宿泊が確保された気の緩みか、のんびりスタートになってしまった。首都高から東北道へ。福島からは数年前に出来た東北中央道を通る。従来であれば東北道を北上し、山形道経由になるが、東北中央道経由は福島~山形間の最短ルートになる。しかも、福島JCT料金所から米沢北ICまでの36.5km(うち約9kmは東北最長の道路トンネルである「栗子トンネル」)は、国が整備した「直轄高速」として無料で通行できるため、料金も割安になる。福島のSAで教えてもらった。確かに最短で割安だが、車線は少なく、トンネルが長いので、運転は手こずる。途中、米沢中央ICを降りて、すぐのところにある「道の駅 米沢」に寄り、米沢牛入りコロッケと玉こんにゃくを食べて、”山形成分”を補給する。

 

 

道の駅 米沢

https://michinoeki-yonezawa.jp/

 

 

 

「道の駅 米沢」から再び、高速に乗り、山形へは1時間もかからず、着く。駅の観光案内所で聞き込みを開始する。急遽、予約の取れたホテルは駅から少し離れるので、駅に車を停めたまま、夕食を取ることにする。駅周辺には芋煮、玉こんにゃくなど、郷土料理を出す店も多いが、足で探す。すると、山形駅西口に誕生した山形県の新たな文化芸術拠点と言われる「やまぎん県民ホール」に隣接したモールにアル・ケッチャーノ」の系列店「ヤマガタ0035 アル・ケッチァーノ コンチェルト」があった。山形県屈指の自然派レストラン「アル・ケッチァーノ」(本店は鶴岡にある)の奥田政行シェフがプロデュースしている。奥田は荘内の食材を生かし、独自の審美眼で一級に料理を仕立てる食の匠である。私自身、たまたま、東京スカイツリーの東京ソラマチ最上階にあるイタリアンレストラン「ラ・ソラシド」でランチを食べたくらいで、良くは知らないが、料理番組や旅番組では度々、その名前は聞いていた。人気店ゆえ、系列店とは言え、予約がないと食事は難しいと考え、とりあえず、様子見と同店を訪れる。テーブルは予約したらしい客でいっぱいだったが、カウンターには空きがあった。だめもとで聞いてみると、コース料理しかないが、食べることは可能とのこと。店の方の対応も丁寧で、飛び込みを快く受け入れてくれる。

 

 

一番安いコースを選んだが、サラダにパスタにメインにオイル寿司にスープにドルチェにコーヒーと、豪華なラインナップ。いずれも荘内の野菜や魚、肉などの食材を過不足なく、取り揃えつつ、華美や過剰にならないしつらい。オイル寿司は奥田シェフが考案したもので、オリーブなどのオイルと数多の塩で締め、荘内の魚をいただくと言うもの。醤油と山葵で食べたいという感想もあるみたいだが、単なる寿司ではなく、イタリアンに落とし込みつつ、山形の地のものという新鮮さと風情を併せ持つ。遊び心もある。山形の旬を供するという心意気は貫かれる。5月に山形に行った時に感じた山形という街の持つ粋や洗練を食で再確認した思いだ。心が豊かになる。贅沢をしたから豊かになったのではない、かの地の豊かさを体感したからではないだろうか。

 

 

 

 

ヤマガタ0035 アル・ケッチァーノ コンチェルト

https://alcheconcert.theshop.jp/

 

 

https://tabelog.com/yamagata/A0601/A060101/6011073/

 

 

同所からはホテルへは車で数分。いわゆるビジネスホテルだが、天然温泉も朝食もあるというところ。残り物には福があるということか。

 

温泉に浸かり、メールなどをチェックしたら、早めに寝ることにする。明日は鶴岡までは車で1時間ほどだが、集合時間(穴山淳吉のライブではなく、大名行列の開始時間)に遅れるわけにはいかない。

 

朝、ホテルの窓から雲海が見えた!

 

 

翌9日(日)、ホテルで朝食を取る。芋煮が出ていたのだが、ことのほか、美味しく、お代わりする。流石、山形といえば芋煮である。荘内大祭の取材(笑)に時間がかかり、昼食を取る時間も無くなりそうなので、たんまりと食べておく。

 

鶴岡には10時過ぎに着く。チェックインには早いが、予約した駅前のホテルに車を停め、荷物を預かってもらう。大名行列の会場になる荘内神社や鶴岡公園は交通規制がされている。車で行ったら大変なことになりそうだ。駅からバスに乗り換え、同所へ向かう。祭りの模様は“Ⅱ”で、写真を満載して紹介をしている。目を通してもらいたい。

 

大名行列が終わったのは3時近かった。行列を写真に収めていたら、案の定、食事をする暇がなくなった。一度、駅に戻り、駅前のビル(日本初「ユネスコ食文化創造都市・鶴岡」の情報発信拠点「つるおか食文化市場FOODVER」が入っている。同所のフードコートでも食事ができる。この日、イベント会場では、全国のハムメーカーのブースが出展、品評会の様相を呈していた)の“観光インフォメーション”で良さそうな店を聞く。ネットなどで検索もするが、地元の方の意見も聞く、現地調査は怠らない。ランチタイムは既に終わりという微妙な時間だが、荘内の魚を食べたいと言ったら、通し営業をしている鶴岡駅から徒歩5分ほどの「うなぎ若林」を紹介された。うなぎという口ではないと答えたが、魚もうまいところで、新鮮な魚を目当てに行く方も多いという。同所を目指すと、数分で着く。路地に面した地味で古びた店構え。中に入るとカウンターと三和土があった。カウンターには刺身を肴に酒をやる先客あり。隣町の方らしく、祭り目当てにきたようだ。メニューを見ると、刺身定食があった。地魚の刺身とともに小鉢やつけもの、あら汁などもついて、1500円ほど(料金はうる覚え。いずれにしろ、リーズナブルな値段だった)。出てきた料理はいずれも丁寧に作られ、地魚は口に入れるととろけていく。小さな切り身だが、白身を中心にかなりの数がある。その違いがわからず、4種類ほどだと思っていたら、聞くと十数種類という。2切ずつ、地の魚を入れている。その細やかな仕事ぶりに驚く。うなぎ店ではあるが、うなぎだけでなく、魚を食べる方が多いというのも納得。こんな鄙びた店(失礼!)にも荘内の食の豊かさを感じる。恐れ入りました。

 

 

うなぎ若林

http://www.unawaka.com/access/

 

 

https://tabelog.com/yamagata/A0603/A060302/6002542/

 

 

既に芋煮と地魚はクリアした(!?)。時間的に昼食兼夕食になるかもしれない。そのまま、穴山淳吉のライブが行われる「Bar TRASH」を目指す。同店は小さな飲み屋街の路地裏に佇む。まわりも飲み屋やバーなどが点在する。そういうところなのだろう。ライブなどの模様は“Ⅱ”を参考にしてもらいたいが、ライブ後、店主から出してもらった芋煮をいただいた。下山は地域や家ごとに芋煮はあると言っていたが、この日の朝、食べたものとは違っていた。いずれにしろ、芋煮は一食や二食、食べただけではわからないということだろう。

 

会場を出たのは0時近かった。ホテルに戻り、簡単な呟きをして、寝落ちる。翌10日(月・祝)の朝もホテルの朝食で腹いっぱいにして、移動のため、食事できない事態に備える(笑)。

 

 

 

今日は行くところがあった。下山が推薦した世界一のクラゲ水族館「鶴岡市立加茂水族館」とあつみ温泉である。水族館は鶴岡駅から1時間ほど、同館は加茂港付近の日本海に面した断崖絶壁に建っている。この日はあいにくの雨と言うか、豪雨である。祝日のため、駐車場もほぼ満車で、水族館から一番遠いところを車が出るのを待って、入れることができた。“Ⅱ”でも紹介しているので、クラゲ関係の記述は省くが、入館して、すぐは近海や山間の魚の水槽で、何か、鮮魚店や魚料理店の生け簀を見ているようだった。山形の豊富な海の幸を再確認する。売りのクラゲだけでなく、アシカやせいうちなどのショーも楽しめる。プールは野外になるが、それでも多くの方が見ていた。幻想的なクラゲの展示もいいが、コミカルで楽しいショーもいいものだ。何故か、横山まさみちの『やる気まんまん』のオットセイを思い出していた。予断になるが、某編集部で撮影のため、横山先生からオットセイの人形を借りて、暫く編集部にマスコットとして置いてあったことを思い出す。担当は私ではないが、ちゃんと、返却したのだろうか。

 

 

加茂水族館

https://kamo-kurage.jp/

 

 

 

 

加茂水族館から再び、雨の中、あつみ温泉を目指す。海沿いの道を新潟へ向かって、下っていく。当初は加茂水族館から上り、酒田に向かう途中にある海沿いの湯野浜温泉を行くことを考えていた。マリンリゾートの拠点にもなっているところだが、日本海を見ながら湯に浸かるのも悪くない。

 

ところが、前日、荘内大祭の大名行列で、行列の終わりに荘内各地の祭りを再現する行列で、あつみ温泉の湯かけ祭りを見てしまった(!?)。あつみの熱湯を観客にかけながら行進するというもの。まるでダチョウ倶楽部状態だが、どこか、コミカルで、その祭りそのものが長年の伝統のあるものではなく、あつみ温泉を盛り上げるため、数年前から始めたものだという。いい意味でその遊び心と言うか、いいかげんさ(失礼!)に感服する。伝統と格式を重んじつつも進取の気風がある、こんな柔軟さが山形らしさか。これは行くしかないと、目的地の変更である。

 

日本海を下る。あつみ温泉は温海温泉と書くから海沿いの温泉だと思っていたが、海沿いの道から山に向かい、車で15分ほどである。海沿いの温泉ではなかった。むしろ、深山幽谷を抱くほどではないが、山の中に分け入った感じではある。HPによると“千二百年前、傷を癒す一羽の鶴から開湯の歴史が始まったという言い伝えがあります。江戸時代に入ると庄内藩の湯役所が設けられ、湯治場として栄え現在のような湯町ができました”とある。由緒あるところらしい。温海川の両側に温泉旅館が立ち並ぶ。車を駐車場に停め、観光協会を目指す。行くと、やっていない。昨日の荘内大祭でこと切れ、力尽きたのか、拍子抜けである。日帰り入浴が出来る旅館を探すが、時間の関係か、ほとんどが日帰りには対応していない。聞けば公衆浴場(共同浴場)があるという。そこに行くことにする。温海川にかかる橋を渡り、少し山側に歩くと、あった。管理人などはおらず、箱に200円を入れるだけだ。しかし、小銭の持ち合わせがなく、共同浴場から出てきた方に両替をお願いする。手持ちがないらしく、すぐそこだからと、わざわざ、自宅まで取りに行ってくれた。感謝である。風呂に入ると、誰もいない。湯舟に足を入れると、熱くて、中に入れない。熱湯風呂である。下町の熱い銭湯に慣れているが、そんなものではない。以前、磐梯熱海温泉の共同浴場に入ったが、そこも熱湯風呂状態。温泉旅館のような湯温調整もなく、容赦しない。申し訳ないが、誰もいないのをいいことに、水を入れさせてもらう。10分ほど入れ、水を入れた周辺に浸かる。それでも1分や2分が限界。すぐ熱くなってくる。その熱さが身体に良いかのか、悪いのか、わからないが、荒行としての“温泉気分”を満喫する。わずか、30分ほどの入浴時間(ほとんどが水を入れて待機していた)ながらあつみ温泉を堪能する。川沿いには足湯もあり、橋のところには飲泉場もあった。内臓や気管支にもいいという霊験あらたかな湯をぐい飲みする。あつみ温泉を堪能し、同所からは日本海沿いを下っていく。本来なら夕日なども美しく、愛でることもできるが、この日は、雨が降り続く。雨に煙る日本海の絶景を右に見ながら車を走らす。

 

 

あつみ温泉

https://atsumi-spa.or.jp/

 

 

 

本来であれば、鶴岡からは来た道を福島へ戻り、東北自動車道で帰ればいいのかもしれない。同じ道ではつまらないし、同時に太平洋側は豪雨になるという情報もあった(実際はそれほどではなかったらしい)。それゆえの日本海側、新潟から関越道を通って、東京へ帰ることにした。行きたいところもあった。山形ではなく、新潟だが、村上に行ってみたかった。観光するというか、村上の鮭を食べてみたかったのだ。

 

意外と村上までの道は長く、同所へ着くころにはすっかり夕闇が町を包む。駅から数分ほどのサーモン丼と村上牛丼を食べられる「悠流里」へ向かう。同敷地内には鮭製品と推奨地場産品の直営ショップ「鮭乃蔵」もある。

 

同所でサーモン丼と村上牛丼のセット(村上牛炙り丼・鮭親子丼セット)を食らう。サーモン丼ははらこも乗っているが、気にならずに食べられる(魚卵は少し苦手)。村上牛も村上牛の特色などはわからなかったが、柔らかく食べやすい。ハーフサイズなので、連食の罪悪感も軽減される。同所で腹ごしらえをしたら、高速へ乗り、東京を目指す。雨もあるが、長岡まで対面交通など、道が狭く、その割に交通量が多い、また、工事のため、苗場の前後は車線規制があり、車線規制中は速度を落とすものだが、スピードを落とすものは少なく、煽られはしなかったものの、おっかなびっくりの運転になる。途中、疲れと眠気のため(意外とハードワークだった!)、月夜野を過ぎたあたりのSAで30分ほど、仮眠する。それから数時間を経て、東京へ着いたのは深夜2時を過ぎていた。 “DRIVE ALL NIGHT”状態。エリオット・マーフィーではなく、花田裕之が歌う同曲を東京凱旋のフィナーレとしてカーステレオで流す。走行距離は1000キロを超える。身体には応える旅だったが、至福の体験ができたこと、満ち足りた気分である。改めて、この機会をくれた下山淳と穴井仁吉には感謝だ。

 

 

悠流里

https://www.nagatoku.co.jp/hpgen/HPB/entries/13.html

 

 

https://tabelog.com/niigata/A1505/A150504/15002033/

“俺のSASURAI TOUR、始まる”の“パートⅡ”である。実はこの原稿、既に福岡のビート・ミュージックの応援サイト『福岡BEAT革命』のFBページに掲載している。『福岡BEAT革命』そのもののHPへの掲載は諸事情で滞っているが、昨日、アメブロに掲載したエントリーとも関連するので、改めて同原稿をアップしておく。アメブロ掲載に際して、多少、手を加えている。いずれにしろ、長文なので、お手すきの時にでもご覧いただきたい。

 

 

 

穴山淳吉(下山淳+穴井仁吉)はこの3月に福岡、小倉を回る“里帰りツアー”(正式名称は『SPRING HAS COME TOUR.』。凱旋公演である)を行っている。しかし、それは穴井仁吉の故郷、福岡への里帰りだった。下山淳は経歴から故郷は福岡と勘違いされがちだが、彼の故郷は山形の鶴岡である。当然、5月に山形へ行ったことも大きかった。もっと、深く関わりたいと思った。いずれにしろ、里帰りが福岡だけでは“片手落ち”というものだ。

 

このところ、アカネ&トントンマクートやEli and The Deviants など、「穴山淳吉」の“発展形”での活動(アカネに代わり、KJこと、梶浦雅弘が参加したKJ&トントンマクートの札幌ライブ、Eli and The Deviantsの福岡、熊本ツアーは、穴井は骨折の手術と入院のため、不参加となる!)に精力的だったが、この10月9日(日)、久しぶりに下山淳と穴井仁吉による本家「穴山淳吉」のライブが行われた。会場は下山淳の故郷、山形の鶴岡にある「Bar TRASH」。同所は遠藤ミチロウや中川敬(ソウルフラワーユニオン)、リクオ、花田裕之、高田エージ、エマーソン北村、三浦雅也(夜のストレンジャーズ)などがライブを行っている(早川義夫は、ライブではないが、2013年12月に来店している)。鶴岡の拠点的なライブハウスで、佐藤岳志店主、曰く、“ライブもできるバー”らしい。2020年に20周年を迎えている。下山淳自身も2015年2月22日(日)に白崎映美(上々颱風)をゲストに同所へ出演している。

 

https://bartrash.jimdofree.com/

 

 

https://twitter.com/bartrash1147

 

下山淳は穴井仁吉に故郷を見せたかったというが、この久しぶりのライブは特別な日に行われる。下山はその日が特別な日だとは知らなかったらしい。実は、10月9日(日)は荘内神社の「荘内大祭」の日である(「荘内大祭」は、江戸時代に庄内地方を治めた酒井家の先祖を祭る荘内神社の創建を記念して始まり、140年以上の歴史があるという。ちなみに庄内藩は映画『たそがれ清兵衛』や『蝉しぐれ』の舞台、藤沢周平の小説に出てくる「海坂藩」のモデルになっている)。開催は当初、8月だったが、昨年から10月9日になっている。そのことをわかっていなかった。久しぶりの里帰りが荘内大祭に当たる。持っている男といっていいだろう。

 

特に今年は酒井家が庄内地方に入って400年になるのを記念して、徳川家康を支えた酒井忠次など「徳川四天王」と呼ばれた武将の子孫たちも招かれたそうだ(そのため、市内のホテルなどは軒並み満室状態になった)。祭りのメインイベントは「大名行列」。鎧甲冑姿の参加者が勝ちどきをあげて鶴岡公園(庄内藩酒井家が約250年来、居城とした鶴ヶ岡城址)を出発し、荘内神社に向けおよそ2キロを練り歩く。庄内の各町で開催される祭り事も協賛し、行列では酒田祭りの獅子頭、庄内町余目からは全長30メートルの龍、八幡神社、温海の湯かけ祭りも荘内大祭の行列に花を添えるという。

 

10月9日(日)、午前11時、鶴岡神社のある鶴岡公園では大名行列に参加する“出演者”と、それを見物する“観覧者”が集まる。藩主に扮する(公募で初代藩主、酒井忠勝が入部した時の年齢が28歳と言うことで、28歳の若者が選ばれた)埼玉出身の若者の口上や合戦を模した演舞と寸劇、出発式が行われていた。11時を少し過ぎ、大名行列が始まる。人だけでなく、馬や鷹(これは剝製)も登場する。その規模に驚く、聞けば総勢600名だというが、公園の周りを練り歩くため、市役所前の大通りでも直線距離が短く、大行列を一気に見ることは出来ない。ところどころで渋滞が起きる。前の方で木遣りや演舞、庄内論語の発声などがあると、その度に止まって待つことになる。ある意味、のんびりしている。祭りの興奮や熱狂とは少し違い、静かで和やかである。前述通り,これまで8月の盛夏に行われ、熱中症対策などもあり、昨年から10月に開催されることになった。しかし、この日は猛暑ではないものの、晴天である。各所で水分補給などをしていた。いい意味で、厳かでいて緩やかなのが鶴岡流かもしれない。いずれにしろ、そこからは“遊び”を含め、豊かさみたいなものを感じさせる。

 

ちなみに鶴岡公園内には「藤沢周平博物館」もある。彼の小説には鶴岡の風景や人達が描写されている。下山から同博物館を必ず見るようにと“指令”が出ていた。博物館そのものは拍子抜けするぐらい、こじんまりとしている。ある意味、藤沢周平の世界をそのまま体現したような慎ましやかなところである。下山淳の音楽を理解する上で、藤沢周平は外せないだろう。

 

 

 

鶴岡公園から鶴岡駅までは徒歩で15分、バスで5分ほどである。城下町の風景を愛でながらホテルや複合施設が隣接する駅に着く。駅前のオブジェが肥沃で豊潤な庄内を象徴する。黄金の稲束をかかげる農民夫婦と子供の像は「大地」というらしい。駅前には左側に複合ビル、右側にショッピングセンターがある。複合ビルには「つるおか食文化市場 FOODEVER」が入っている。同所はHPによると“日本で唯一ユネスコ食文化都市として認定された鶴岡市の食をまるごと味わえる飲食店や厳選された旬の食材やお土産品が並ぶ最先端の食の複合施設です”とある。この日は全国各地の特色あるハムを試食する見本市的なイベントが行われていた。また、同所では情報交換&情報発信の場としてシンポジウムなども行われ、山形の食材を生かした食を提供することで有名なイタリア料理店「アル・ケッチァーノ」(本店は鶴岡にある)の奥田政行シェフのガストロノミーセミナーなども開催されている。

 

 

 

http://tsuruokamarukajiri.info/

 

 

 

広いロータリーから市の中心街にメインストリートが伸びる。両側には飲食店や居酒屋があり、フルーツショップには行列が出来ていた。少し歩くと、「イケハラ楽器」という楽器店があった。店内に入ると、いきなりビンテージなドブロが数台、さりげなく置かれていた。下山淳がギターを買った店かもしれない。そんなことが閃く。彼に後ほど、確認すると、以前は同所ではなく、別のところで営業したらしいが、そこで初めて楽器を買ったという。“初めて買った楽器はそこで買いました。グヤトーンのベース、¥800でしたので。ネックに長ーいヒビの入ったジャンクでしたね(笑) 。ベースが¥800で、カールコードは¥1500でした(笑)。それを家のステレオにぶっ込んでレコードに合わせて弾いてました、弦が一本しか張っていないベースを”と語る。意外なことに彼のプレイヤーとしてのスタートはベーシストだったのだ。

 

 

 

会場の「Bar TRASH」は駅から5分ほど、末広町というところにある。周りには飲み屋やバーなどが点在している。狭い路地を入った飲み屋の2階にある。店の看板や扉などは隠れ家的でおしゃれである。路地裏そのものも「はちみつぱい」の『センチメンタル通り』を思い起こす風情がある。狭く急な階段の壁や天井にはポスターやフライヤーが所狭しと、貼られている。遠藤ミチロウのポスターが目立つ。トイレの横の板壁にはミチロウや下山淳のサインが書かれていた。何故か、ミチロウの横には早川義夫が小さくサインしているところが奥ゆかしい(笑)。店内はライブもできるバーという作りで、ターンテーブルが置かれたDJブースもある。壁には『HARDER THEY COME』や『The Commitments』 、『Buena Vista Social Club』などのロックムービーのポスターが貼ってあった。

 

午後4時前だが、二人は既に会場入りして、リハーサルをしていた。二人だけなので、イントロやコードなどの簡単な打ち合わせをしながらのリハーサルだが、「穴山淳吉」は久しぶりのため、とこか、和みながらも緊張感が漂う。1時間ほどで、彼らのリハーサルは終わる。

 

彼らは自分達の開演時間まで、外に出て、打ちあわせをしているという。店にはオープニングアクトを務める「はんちゃびん with WAI-BO」がリハーサルに来る。彼らは下山と穴井に挨拶をする。彼らのリハーサルが始まる。新潟でストリートライブなどをメインに活動を続け、実力を磨いてきた女性シンガー、はんちゃびん。彼女の才能を見染めた木俣が板垣とともにバッキングを務める。木俣は東京でも音楽活動をし、プロフェッショナルな仕事をこなしてきている。現在は地元・鶴岡に戻り、音楽活動をしつつ、ライブもできる“焼き鳥屋”を経営しているという。はんちゃびんは23歳、木俣、板垣は53歳と、30歳差のあるトリオである。穴山淳吉が同所に出演することを知った木俣が店主に直訴し、共演が実現したらしい。自分達にとって、大きなチャンスになると思い、熱望したそうだ。

 

 

彼らのリハーサルが終わり、開演時間の午後7時30分の少し前になると、観客が続々とつめかける。ステージ前がビニールで覆われている。飛沫感染を防ぐためだ。既に東京のライブハウスなどではビニールで覆われることはないが、店も狭く、観客が多いとなれば、いたしかたないだろう。限定30名ながらすべての客席は埋まり、立ち見も出ている。店のカウンターにも人がいる。

 

アルコール消毒をして、連絡先の書くように指示している。当初、感染者が少なかった東北ゆえ、慎重なのだろう。開演時間の7時30分を少し過ぎて、オープニングアクトのはんちゃびん with WAI-BOのステージが始まる。アコースティックギターを抱え、歌うはんちゃびんを木俣のベース、板垣のキーボードで支える。歌自体は硬質な歌で時折、刺すようなところもある。その歌を二人が変にストリートロックすることなく、ポップで軽やかさがある音で飾る。わずか、20分、4曲ほどのライブアピアランスながら“違和感”を表明した歌が聞くものの耳を捉える。ちなみにはんちゃびんは普段使用しているギターが故障したため、木俣からギターを借りて演奏したそうだが、そんな違和感もあったという。

 

 

午後8時10分に穴山淳吉の凱旋公演が始まる。観客はさらにふくれあがり、店内には入りきらず、階段で聞くものもいる。流石、地元である。山形だけでなく、宮城や福島、秋田など、近県からも観客が詰めかける。お土産持参の方も少なくない。年齢層も同年代だけでなく、若い方もいた。鶴岡在住の外国人の方も来ている。

 

二人はステージに覆われたビニールシートに違和感を感じつつもこれはこれでちょっと違った感覚で楽しいと語る。柔軟に対応できるのが同行二人らしいところだろう。

 

下山は“こんばんは。どうも。穴井と一緒に来ました。楽しんでください”と、満員の客席に告げる。1曲目は1999年に同時発売された下山のソロアルバム『Living On The Borderland』と『Monkey Night』に収録されている「長い道」(『Living On~』にショートヴァージョン、『Monkey~』にロングヴァージョンが収録されている)。タイトルを含め、故郷の1曲目に相応しいナンバーだろう。続けて“昔、穴井くんと一緒にやっていた曲をやります”と言って、「鉄橋の下で」が披露される。いうまでもなく、同曲は下山と穴井がバンドメイトだった“Z”(念のため、The Roosterzのこと)のオリジナルアルバムとしてはラストアルバムになる『FOUR PIECES』に収録されたナンバーである。これも挨拶代わりは相応しい。この選曲からも意気込みが伝わる。

 

「OLD GUITAR」、「Bon Ton Roulet」と畳みかけ、挨拶代わりに穴井のヴォーカルでドクターフィールグッドなどもカヴァーした「Violent Love」が演奏される。観客の反応もすこぶる良い。流石、下山の故郷である。誰もが温かく、優しい。二人ともHOMEにいるようにのびやかである。お馴染み、「KING BEE」を披露した後、下山がプロデュースした南浩二のソロアルバム『GLITTER』に収録されたフルノイズの「わからなくなる世の中」(原曲は「わからない世の中」)が披露される。同曲を終えた時点で、8時50分を超えていた。第1部はここで終了。20分ほどの休憩に入る。休憩と言っても楽屋がない状態なので、彼らは階段を降り、店外に出て、煙草を吸う。外は雨が降っている。この日、鶴岡市の最高気温は午後1時の時点で20.8 度(ちなみに最低気温は午前6時の時点で10.0 度だった)。昼は過ごしやすかったが、夜になると冷え込む。北国である。山形が豪雪地帯であることを実感する。冬になれば、さらに気温は下がり、その動きは鈍くなるのではないだろうか。

 

下山と穴井は、この日の観客を見て、外人受けする(!?)ニール・ヤングの「ライク・ア・ハリケーン」をレパートリーに入れることを決める。臨機応変に演奏曲の入れ替えができるのが穴山淳吉という二人組の良さだろう。同曲は身体に沁みついている。20分ほどの休憩後、二人がステージに戻って来る。果せるかな、彼らが第Ⅱ部の1曲目に演奏したのはニール・ヤングの「ライク・ア・ハリケーン」だった。下山の歪んだギターに乗って、切実で性急な歌が始まると、予想通り、会場から大きな拍手とマスク越しの歓声が巻き起こる。

 

続いて、下山はアコースティックギターを弾き、それをシーケンサーでリピートさせていく。曲そのものはトッド・ラングレンの「I Saw The Light」である。本来なるインストから歌へといくところ、歌が入り損ねたか、真偽は不明だが、インストのまま、とりあえず、切りのいいところで曲が終わる。そして鶴岡では初披露、穴井仁吉のトークショー(!?)が始まる。何故か、TH eROCKERSの福岡時代の話をし出す。この夏、穴井は不参加ながらEli and Deviantsで、熊本に行っているが、まだ、デビュー前のアマチュア時代、1978年に熊本大学の学祭「黒髪祭」に出演しているという。もっとも出演といっても彼らは荒々しい校風で知られる同祭で、THE MODSのボディガードを務めることになっていた。黒い革ジャンを着て、まるでヘルスエンジェルスのようなスタイルだったそうだ。もともと、出演の予定はなかったが、如才ない陣内孝則はせっかくだから演奏させて欲しいと主催者(学祭の実行委委員会)に交渉し、出演することになる。出演の予定がなかったので、楽器などは他の出演者から借りたらしい。穴井は北里晃一にベースを借り、それを壊してしまい、気まずい雰囲気になったと当時のことを語っている。いまとなっては懐かしい笑い話だが、誰もが熊本の話、それも40年以上前のことを話すとは思わなかっただろう。流石、エピソードトークの魔術師(!?)である。当然、観客も一瞬、ポカーンとしつつも嬉しそうに笑顔になっている。ちなみに穴井はこの鶴岡のライブのため、数日前にベースを新調し、初披露であることを告げる。穴井のこの日にかける意気込みを感じさせる。

 

下山は“さっきやっていた曲、もう一回、いきます”と、今度は「I Saw The Light」の歌入りヴァージョンを披露する。続いて、“Z”の『FOUR PIECES』に「鉄橋の下で」や「曼陀羅」などの歌詞を提供したPANTAのPANTA&HAL時代の隠れた名曲「裸にされた街」をしんみりと聞かす。

 

続けて、ピンクフロイドの名曲「Shine On You Crazy Diamond」をサイケなギターを入りで披露する。元メンバーだったシド・バレットに捧げた曲と言われる同曲。ロジャー・ウォーターズは、彼に捧げた曲であることを否定しているが、聞けば聞くほど、シド・バレットが浮かんでくる。驚いたのは同曲を演奏していると、客席から“懐かしい”という言葉が上がったこと。外国人の方である。流石の速攻の反応ぶりだ。一瞬、ニューヨークやロンドンのライブハウスにいる感覚になる(笑)。

 

続いて、『FOUR PIECES』から下山が作詞・作曲した「Everybody's Sin 」が披露される。圧巻の下山の歌唱の後、穴井が歌うシーナ&ロケッツの「ラフネック・ブルース」が披露される。いうまでもないが、穴井はシーナ&ロケッツのメンバーでもあった。彼は1998年にリリースされたアルバム『@HEART』(細野晴臣プロデュース)のレコーディングに参加。同年の第2回「フジロック・フェスティバル」(会場は東京都豊洲地区の東京ベイサイドスクエア)にも出演している。同曲そのものは1988年にリリースされたアルバム『HAPPY HOUSE』に収録されているナンバーだ。

 

下山が“穴井くんとかつてやっていたバンドの曲をやります”と告げ、「曼陀羅」が演奏される。続いて、下山のソロアルバム『Living On The Borderland』から「Shallow Me」を披露して、この日の大団円を迎える。

 

客席から大きな拍手とマスク越しの歓声が上がる。下山は“Ⅱ部は終わりです。ステージにいたたまま、アンコールします”と伝える。同時に下山は中学、高校時代の鶴岡での“音楽活動”の模様を話す。“バンドをしているやつがいなくて、そもそも楽器をやっているやつが少ない。やっていてもアコースティックギターでフォークをやっていた。メンバーを集めることは難しかった”という。ドラムをやるやつもいたけど、ベースをするやつはほとんどいなかったそうだ。キャロルのファンで、永ちゃん経由でビートルズを知って、ベースをやっていたやつもいたけど、彼とはうまくいかなかったらしい。不本意(笑)ながらキャロルをやったこともあるという。こういう人(と言って、穴井を指さす)が近所にいたら人生が変わったという。穴井と出会うのは、下山が石井聰亙&バチラス・アーミー・プロジェクトで活動しだした1983年前後だから、もう少し時間がかかる。

 

アンコールの1曲目は泉谷しげる、藤沼伸一、Dr.kyOnなどともに結成した侍バンド「下郎」のナンバー「武義を重んず」。同プロジェクトは下泉茂兵衛(旧姓:泉谷しげる) 、下下淳之介(旧姓:下山淳)、藤下伸之介(旧姓:藤沼伸一)、川下恭之助(旧姓:KYON)という変名を名乗り、和服姿で曲間には立ち回りもあるといいう異色のプロジェクトである。荘内大祭ではないが、Bar TRASHで大名行列(!?)が行われる。演奏中にここで立ち回りと指示があり、ソロを取る。観客も呆れながらも嬉しそうに聞いている。

 

続けて、ニール・ヤングのソフトでメロウな名曲「Harvest Moon」が披露される。こじつけめくが、鶴岡駅前にあったモニュメントが被る。豊穣な月が「大地」を照らすと書きたいところだが、この夜は冷たい雨が降っていた。

 

そして、下山が“気を付けて帰ってください。また、会いましょう”と観客に呼びかけ、最後は「Do The Boogie」で締める。同曲は彼らのキラーコンテンツだ。観客を興奮と歓喜の坩堝に落とし込む。誰もが熱いまなざしをステージに向け、椅子に座りながらだが、一心不乱に身体を揺らす。同曲を終えると、ステージを去る。彼らの里帰りの凱旋公演は午後10時30分を過ぎていた。穴山淳吉としては、休憩はあるものの、演奏時間として最長になるのではないだろうか。いつもより長くやっています状態だ。

 

ステージを終え、楽器をかたずけ、バーでくつろいでいると、観客が気さくに声をかけてくる。驚いたことに下山の学生時代の同級生も来ていた。また、流石、郷里である。共通の知人、友人の名前なども上がる。

 

下山に今回の鶴岡行きについて聞いた。“穴井くんに鶴岡を見て欲しかった。鶴岡に置いたら、どうなるかを見たかった。そういうのが好きだ”という。実はルースターズ時代も宮城での公演後、メンバーやスタッフを鶴岡の実家へ招待している。その時は存命だった父親に酔いつぶされるものもたくさんいたそうだ(笑)。穴井はこの日のライブについて、”ものすごく、たくさん集まってきてくれた。感激しました”と嬉しそうに語る。下山と穴井がBar TRASHお手製の山形名物「芋煮」をつまみながら、この日のことを振り返る。聞けば、穴井は明日も鶴岡に留まり、連泊するという。ライブだけでは鶴岡は味わい尽くせない。下山も連れていきたいところがあるという。どこへ連れて行き、何を見せるのか――興味深い。話は尽きず、時計は12時を回る。下山は穴井をホテルまで送っていくと言う。細やかな心遣い、彼の新たな一面を見た気がする。

 

穴井から翌日に動画、翌々日に画像が届いた。動画は出羽三山の羽黒山の石段を歩きながら交わした二人の会話が収録されている。下山に動画や画像の説明を問い合わせたところ、メールをくれた。“羽黒山の石段は2500段もあり、かなりキツイので石段のところどころに盃の絵が彫ってあって、その石段を見つけながら気休めにして昇る”という。“羽黒山の石段は勿論、途中まで行って引き返しました。病みあがりですからね。流石、穴井の体調を考え、全踏破は難しいので、途中まで、五重搭まで歩きました。夜に弟の家(昨年亡くなり今月1周忌でもあった。下山アキラではなく、下の弟になる)に行き、丁度いい時期でもあったので内陸の芋煮を俺が作ることにして、弟もベースを弾いていたということもあり穴井を連れていきました”という。

 

“弟の家族にも穴井さんは大人気で、流石、穴井だと思いましたね(笑)。彼には俺がどんな場所でどうロックを感じていたのか、見てもらいたいと、ふと思ったのです。もうこんな機会は訪れないと思ったので”と、そのメールは結ばれていた。

 

 

実は下山には羽黒山行きを誘われたが、その日に東京に戻らないといけないため、遠慮させてもらった。勿論、日程的なこともあるが、二人して密な時間を過ごすことで醸成されるものがあるのではないか、と思ったからだ。あとはお若い二人にお任せしますという感じである。仲人のおばさんか――というツッコミが飛んできそうだが、何でも同行すればいいというものではないだろう。その代わり、下山から推薦された日本海に面した加茂水族館へ寄った。鶴岡駅から車で30分ほど、山形県内唯一の水族館である。クラゲの展示種類(60種類以上)は世界最大級、色とりどりの様々なクラゲが漂う様子はとても魅惑的として評判を呼んでいる。元々、普通の水族館だったが、1997年に入館者が底を打ち、それを境にクラゲをメインの展示にしたところ、8年後の2005年には全国的にクラゲの水族館として有名になり、全国から多くの観光客が押し寄せるようになった。

 

この日も豪雨にも関わらず、祝日(スポーツの日)だったため、多くの人が訪れ、クラゲの水槽の前は見るだけでなく、撮影する人も多く、なかなか、水槽の前に辿り着けず、渋滞が発生する。すんなり見ながら先へ進むことができない。ちゃんと見るには1時間以上、かかる。しかし、それだけの価値がある。その幻想的な雰囲気は多くの人を虜にする。同所ではコンサートなども開催されている。この11月12日(土)にクラゲの大水槽があるクラゲドリームシアターで「第37回 音楽の夕べ ~あなたとクラゲと音楽と~」が開催され、吉川忠英が出演するという。加茂水族館がクラゲ水族館として全国的に注目を浴びる遥か以前に下山は上京している。それゆえ、彼が学生時代に同水族館を体験し、影響を受け、情操を養ったということはないだろう。しかし、彼の作るものにどこかしら通じるものがある。浮遊し漂泊しつつも不思議な魅力を振りまく……と言ったらこじつけかもしれないが。当たらずとも遠からずだろう。

 

 

https://kamo-kurage.jp/

 

 

 

同所に限らず、鶴岡は行くべきところがたくさんありそうだ。下山は、今度は穴井だけでなく、バンドメンバーを引き連れて、鶴岡へ行くのではないだろうか。なんとなく、そんな未来が想像できるのだ。

 

なお、穴井から送られてきた動画だが、本ブログに転載できなかった。以下の『福岡BEAT革命』のFBページのエントリーのコメント欄にリンクしている。お手数をおかけしますが、同所に飛んでいただき、ご確認ください。よろしくお願いします。

 

 

 

 

 

穴山淳吉2022年10月9(日)山形県・鶴岡市「Bar TRASH」セットリスト

 

第Ⅰ部

1 長い道(下山ソロ)

2 鉄橋の下に(Z)

3OLD GUITAR(rock'n'roll gypsies)

4 Bon Ton Roulet(Johnny Winter)

5Violent Love (Otis Rush Willie Dixon)穴井Vo

6キング・ビー(S)

7分からなくなる世の中(フルノイズ)

 

第Ⅱ部

8 Like a Hurricane(Neil Young)

9 I saw the light1インスト (Todd  Rundgren)

10 I saw the light2(歌あり)(  ‘’   )

11 裸にされた街 (PANTA&HAL)

12 Shine On You Crazy Diamond(Pink Floyd)

13  Everybody's Sin (Z)

14  ラフネック・ブルース(シーナ&ロケッツ)穴井Vo

15 曼陀羅(Z)

16 Shallow Me(下山ソロ)

 

EC

17 武義を重んず(下郎)

18 Hervest moon(Neil Young)

19 Do The Boogie(S)