Let's Go Steady――Jポップス黄金時代 ! -38ページ目

Let's Go Steady――Jポップス黄金時代 !

Jポップスの黄金時代は80年代から始まった。

そんな時代を活写した幻の音楽雑誌『MUSIC STEADY』をネットで再現します。

随分と時間が経ち、「俺の“SASURAI TOUR”、始まる」と書いてもいまさらという感じになる。備忘録として書いておくつもりだったが、実はこの旅は不思議な縁の始まりでもあった。

 

この5月14日(土)に宮城県・仙台「誰も知らない劇場」で開催された大澤誉志幸と山下久美子のデュオライブ『大澤誉志幸SASURAI TOUR★SPECIAL★』を見ている(9月10日に神奈川県・横浜「ビルボードライブ横浜」で開催された『大澤誉志幸&山下久美子「Best of ❤︎POP&★SOUL ~明日に向かって歌え!!」』も見ている)。ライブの模様は既に書いているが、実は同ライブの後、俺の“SASURAI TOUR”が始まった。大澤と山下のデュオライブ終演後、午後7時30分には会場を出て、仙台駅へ向かっていた。寿司の名店が集う「すしや通り」(牛タンの名店が集う「牛タン通り」もある)の「仙令鮨」を目指す。立ち食いの小さな店だが、マグロの希少部位なども出す行列店である。ライブ前、仙台駅に着いて、すぐに当たりをつけた店だ。同所に着くと、流石、行列店である。長蛇の列。わずか、8席で、店側も急かせることなく、ゆったりと食べてもらうという姿勢だから行列は仕方ない。ところが30分ほど並んでいると、ラストオーダーは8時30分、その時間までに入店しないと並んでいても入れず、注文もできませんと言われてしまう。早くいってよーという感じだが、その声を契機に離脱する人が多く、一発逆転を期して、並び続ける。しかし、残念ながらあと一人と言うところで時間切れ。仕方ないので、もう一カ所、仙台駅に隣接する商業施設「S-PAL」にある「塩竃すし哲」を目指す。震災前に塩竃を訪れたことがあり、そこの寿司が絶品だった。そんな記憶もあり、同店にした。店は商業施設の地下街とは思えない落ち着いた作りで、客層も年齢が高く、学会の帰りみたいなグループもいた。価格自体も回転寿司や立ち食いほど、安くはないが、まぐろのとろ、赤身、鯛、鮑、ホッキ貝、ぼたん海老、うに、いくら、穴子、子持ちこんぶ、玉子焼きという10巻+玉子というセット「塩竃物語」はお得である。普段。うにやいくらを好んで食べる口ではないが、すんなりと入り、すぐになくなる。他のネタも口福という感じだ。同店のカウンターに座り、寿司を食すと、ちょっと、大人になった気分である(いったい、いくつだというツッコミはなしで!)。

 

 

 

「塩竃すし哲」

http://www.shiogama-sushitetsu.com/

 

 

 

 

ホテルに戻ると、翌日の宿を探すことにする。仙台なら奥座敷といわれる秋保温泉や作並温泉などが妥当だが、当たり前過ぎて、つまらない。以前、日帰り温泉に浸かっただけだが、山形の銀山温泉への再訪を考えた。銀山温泉への道中には「尾花沢・大石田・村山 おくのほそ道 最上川そば三街道」がある。山形のご当地グルメ「板そば」を食べるのも悪くない。

 

 

某店のHPから勝手に引用すると、“板そばは秋田杉で作られた板の器に乗った蕎麦。手打ちの田舎そばで、麺は通常のそばと比べて黒く太いのが特徴。 薄めのそばつゆをたっぷりつけて、そば本来の豊かな風味を楽しむことができる”という。

 

また、“一緒に食事された仕事や人間関係のご縁が、水(縁)がこぼれ落ちる「ざる」ではなく、早く「板」に付きますよう(順風満帆になりますように)との願かけと、細く長くそばに居られますようにとの縁起を担いで、「板そば」が振舞われ、仲間が揃った時に食べる縁起の良い〆の食べ物だ”そうだ。

 

しかし、銀山温泉で検索しても宿は出てこない。さすが、連休、そして仙台は祭りがあったばかり。いろいろ探して出て来ても宿泊代がとてつもなく高い。諦める。他を当ると肘折温泉(山形県大蔵村)という山形の新庄の山間の温泉が出てくる。宿泊代もリーズナブルである。1泊2食で、朝食、夕食ともに豪勢で贅沢ではないが、秘湯の湯らしい質素ながら食べたいものが網羅されている。何度か、検索していると、あと一室と出ている。なかなか、最後の一室が埋まらないようだ。実は“肘折”という言葉にも惹かれていた。実は肘ではなく、足首を折っているのだ。数年前、大山阿夫利神社の階段で転び、動けなくなり、救急車を呼んだことがある。足首3か所の骨折だった。緊急搬送された伊勢原の病院で手術し、20日間も入院することになった。退院後もリハビリなどを続けた。3か月ほどで松葉杖は取れ、1年後には骨を固定するために入れたボルトも取れているが、いまだにむくんだりする。肘折という名前から想像するに旅のものが肘を折り、それをかの地の湯で直したと言う縁起や由来ではないかと勝手に想像した。これは身体のためにも行くしかないだろう。

 

 

翌朝、ホテルを早くに出る。まずは新庄を目指す。レンタカーでも良かったが、思い付きの旅のため、ETCカードやサングラスなどを忘れたため、列車にする。実は、肘折温泉は山形の新庄から車で1時間ほどだが、情報を見ると、地震や豪雨などの災害で崩落が多く、ところどころ、通行止め、片側交通になっているという。“酷道”を運転する自信はなかった。JR仙山線・快速山形行きを羽前千歳駅で、JR奥羽本線新庄行きに乗り換え、16駅で新庄に着く。各駅停車の旅で3時間ほどである。椅子はたんまり空いていて、のんびり車窓の風景を眺めながら進む。忘れていたが、随分前に同線に乗車し、山寺まで行ったことがあった。静けさや岩に染み入るではないが、車窓からは急峻な山の中腹にある山寺の展望台も見えた。意外と覚えているものだ。

 

 

 

 

村山や大石田で途中下車したかったが、あまり便数の少ない肘折へのバスに確実に乗るため、まずは新庄に到着を優先する。同駅の観光案内所で話を聞くと、新庄そば街道と言われ、市内にもたくさん名店があるという。そんな中から駅から徒歩10分ほどの「手打ちそば さぶん」へ行くことにする。古民家のような作りの趣きある店だ。特に待つこともなく、座敷に通される。もりやせいろもあるが、ここは板そばにする。そばそのものは器だけのような感じもするが、田舎そばらしい歯ごたえ、舌さわりで、柔な感じがしないのがいい。そばとともに山形グルメのげそ天(ケンミンショー情報!)を頼む、結構な量で腹にくる。茨城の慈久庵のような繊細さはないが、喉越しも良く、流石、そば街道というだけある。

 

 

「手打ちそば さぶん」

https://tabelog.com/yamagata/A0604/A060401/6000041/

 

 

駅からバスで肘折温泉を目指す(「肘折ゆけむりライン」という村営バスが肘折温泉-新庄間を運行している)。街中を抜けると、鄙びた風景が広がる。舟形村から進路を変え、最上川を渡り、自然に抱かれた山間地帯をゆっくりと登って、標高を稼いでいく。険しい山道ではないが、やはり崩落などで一車線になっていて、片側通行のところもある。

 

巨大なジェットコースターのような日本最大級の鋼製ラーメン構造の「桟道橋・肘折希望(のぞみ)大橋」を渡り、細い道を下れば温泉旅館が20軒ほど、点在する景色が広がる。温泉街を周遊しながら「肘折温泉」のバス停に着く。いい意味でさびれ、いい意味で取り残された感もある。リノベーションされたきれいな旅館もあるが、あまり手入れのされていない旅館もある。ただ、さびれたままかとそうではなく、昭和の温泉地の風情も残す。大型のホテルなどはないが、郵便局や土産屋、菓子屋など、いい雰囲気を出している。ちょっとしたタイムスリップ感もあるのだ。

 

湯の郷 肘折温泉

https://hijiori.jp/

 

 

 

 

私が予約したのは銅山川の畔に立地した旅館で、日本秘湯を守る会の提灯が玄関に掲げらた「元河原湯」という旅館。肘折温泉の歴史は古く、開湯は平安時代にあたる約1200年前の大同2(807)年といわれている。「肘折」とは、その名の通り体の部位である肘が由来。老僧が肘を折って苦しんでいたところ、この土地の湯に浸かったら、すぐに傷が癒えたと伝えられている。思った通りだが、泉質はナトリウム-塩化物・炭酸水素塩温泉。切り傷ややけど、リウマチ、骨折などの外傷や胃腸病、皮膚病に効能が得られるとされ、昔から、近隣の人々が農繁期の疲れを癒したり、骨折や傷に有効な湯治場として賑わいを見せていたそうだ。

 

宿自体は古いながらも適宜な改良がされていて、清潔感があり、居心地がいいところだ。宿のスタッフも気さくで人当りがいい。

 

早速、温泉に浸かる。濁り湯は仄かに香り、暫くすると、心と身体がほぐれているのがわかる。温泉の効能のほどはすぐに出るわけではないが、慌ただしく列車やバスを乗り継いできただけに漸く辿り着いたという安堵感がさらに効能を倍増させている(はず!?)。

 

風呂のあとは夕食である。いわゆる囲炉裏料理だが、テーブルに並んだ食材を見て、驚く。馬刺しと松川かれいの刺身、山形牛A5と庄内豚の陶板焼き、いわな味噌田楽、こうな、あけびのつるの胡桃和え、あいこの葉天ぷら、ウドのドンコロ汁、手打ち十割そば、枝豆の擦り流しスープ……と、至れり尽くせりのラインナップ。食材の美味さを生かす味付けと調理、そしてご飯が香ばしく、やわらかい。何杯もお代わりしてしまう。山形のブランド米「つや姫」である。家でもつや姫を買うことはあるし、充分に美味しいが、水のせいか、東京で食べるよりもさらに美味しく感じる。

 

 

食後は風呂に入り、上がったらそのまま寝落ちする。夜中に目を覚まし、宿そのものが川沿いで、部屋も川側である。川は水量が多く、水かさも増している。“五月雨を集めて早し最上川”ではないが、激流で川音がうるさくも感じる。川音がうるさくて眠れないほど、神経質ではないので、感慨に浸る間もなく、気づくと寝ていた。

 

少し早めに起き、朝風呂を浴び、朝市を覗く、メインストリート(!?)の店の軒先に数軒ほど、並ぶ、小さな市だが、新鮮な山菜やと手作りの餅、味噌などを売っている。野菜をつけて食べるため、なんばん味噌を買い求める。朝市を売りにするほどの規模ではないが、ある種の風情を醸す。売り子である老婆との会話も肘折の奥底に触れたような気になる(あくまでも気のせいだが…)。

 

宿に戻り、朝食をいただく。これも充分過ぎる量である。生野菜に蒸し野菜に豆腐にとろろに味噌汁につきたて餅(餅は小豆やきな粉、納豆など、何をつけるか、リクエストできる)が並ぶ。日本の朝食と言う感じだが、やはり、ご飯が美味しく、お代わりをしてしまう。

 

食後には、肘折の公衆浴場に浸かる。旅館の宿泊者は無料で利用できるという。施設や備品など、何もないが、公衆浴場は旅館の湯屋とは一味違う温泉の醍醐味である。勘違いかもしれないが、その地に住む人達の息遣いや生活を感じとることができるのだ。

 

旅館に戻り、帰り支度をして、宿を後にする。また、肘折温泉のバス停から新庄駅へと向かう。途中、車窓から窓ガラス越しに景色を携帯に収める。肘折からは鳥海山と月山を望むことができる。どれがどこか、よくわからないが、それらしい景色を撮る。片側通行のところでバスが止まったので、そのまま景色を撮り続ける。わずか、数分だが、バスの運転手の方がもう撮れましたか、と、声をかけてくれた。撮り終えるまでバスを少し留めていてくれたようだ。思い込みかもしれないが、乗客は少ないものの、その一人一人に心配りをする。東京にいると無関心でいることが当たり前で、無関心に慣れすぎるくらいだが、関心を抱き、気にかける。SIONの「はやく慣れることさ」ではないが、都会とは違う風景や対応がそこにはあった。その言葉や出来事がやけに心に残った。

 

 

新庄から東京までは山形新幹線を利用すれば、3時間30分ほど、すぐである。このまま帰ってはつまらない。山形に寄り道する。考えてみれば、俺の人生、寄り道ばかり(笑)。新幹線ではなく、在来線で新庄駅から山形駅を目指す。JR奥羽本線山形行きで1時間10分ほどだ。

 

山形駅に着き、観光案内所で地図などを貰う。実は同所で食べたいものがあった。冷やしラーメンである。冷やしそばでも冷やし中華でも冷めんでもなく、冷やしラーメン。山形は隠れたラーメン王国で、冷やしラーメン以外にも鳥中華、とりもつラーメン、からみそラーメン、馬肉ラーメンなど、ご当地ラーメンが数多い。冷やしラーメンは“ARABAKI”(もしくは“FUJI ROCK”かもしれない)の会場で寒いにも関わらず食べた記憶がある。いつか、現地で食べたいと思っていた。氷の入ったラーメンなど、異色だが、清涼感がある。そんな寒くない時に食べたかった。冷やしラーメンの元祖は山形駅から車で5分ほどの本町にある「栄屋 本店」である。

 

 

「栄屋本店」

http://www.sakaeya-honten.com/

 

 

 

ちょっとした商店街のようなところにその店はあった。趣きは日本そば屋である。元々はそばやうどんを出していたところらしいが、中華そばを出すようになったが、そばの冷たいのあるので、中華そばの冷たいのはできないかという客の要望で誕生した。冷やし中華ではなく、冷やしらーめん(同店はラーメンではなく、らーめんと表記している)というのは捻りが効いている。味そのものはさっぱりして、癖がない。氷が入っていても違和感はないのだ。盛夏ならさらに美味しく感じただろう。ラーオタが集うというより、しっかり山形に根付いた店である。こってりやギトギトなど、ラーメンを食べた後の罪悪感を抱かないのも嬉しい。

 

食後は山形の中心街、七日町を散策する。飲食店や服飾店、化粧品店、宿泊施設、金融機関なども多く、活気に溢れている。旧家や蔵などを生かしたリノベーションした施設もあり、いい意味で時間が止まりつつもどこかしら新しさを醸す建物も少なくない。小さな用水路がある「七日町御殿堰」など、なんとなく、そこにいるだけで和む。店も拘りを持って、食材や商品を選りすぐった感じがした。

 

また、山形郷土館文翔館や山形美術館、山形県立博物館など、実際、入館して見たわけではないが、その存在が山形の文化度の高さを感じさせてくれる。路が広く、緑が多いのも歩いていて心地良い。城址公園なども解放感がある。大変、失礼な言い方だが、自分が思っている以上に山形は大きな町だったのだ。

 

同時に山形出身のあるギタリストのことを思い出していた。彼の音楽の魅力もこんな素地があってのことではないかと感じる。この時は、数か月後に、また、山形へ来るとは思っていなかった。

 

山形から東京へは新幹線に乗る。勿論、山形駅で平田牧場の「三元豚とんかつ弁当」と米沢の「牛肉どまん中」、そして「雪若丸」(「つや姫」に次ぐブランド米)など、買うことを忘れてはいない。

 

 

実は9月22日(木)に渋谷公会堂であがた森魚の『50周年音楽會 渋谷公会堂』、9月24日 (土)に昭和女子大学人見記念講堂でムーンライダーズのレコ発ライブ『moonriders LIVE 2022』、そして9月25日(日)に恵比寿ザ・ガーデンホールでザ・ゴールデン・カップス55周年メモリアルライブ『55th ANNIVERSARY THE GOLDEN CUPS AT LAST』を見ている。一日空きがあるものの、私的には怒涛の三連荘。ステージに上がるもののほとんどが70歳超えで、観客の平均年齢も高い。3つ合わせ、“DON’T TRUST OVER SEVENTIES”というタイトルでブログを書こうと思ったが、諸事情で書けないでいる。時間ばかりが経ってしまったが、先週、とてつもないものを見てしまった。ツイッターやFBで簡単に呟き、報告しているが、それをベースにブログにまとめる。そのタイトルは当然、偉大なる先輩へ敬意を表して、DONT TRUST OVER SEVENTIES Ⅱ”とさせてもらう。“Ⅰ”は日を改めて、体力があれば、書くことにする――といいつつも、いつになるか(笑)。

 

先週、11月11日(金)は東京・中野サンプラザで『ベルウッド・レコード50周年記念コンサート』を“体験”する。午後6時に始まり、途中、休憩15分を挟み、9時25分に終わる。なぎら健壱も“長いよ、時間が”と言っていたが、3時間の長丁場である。あがた森魚や伊藤銀次、いとうたかお、大塚まさじ、小室等、鈴木慶一×武川雅寛、中川五郎、佐野史郎、森山直太朗、六文銭など、綺羅星の如くスター達が集い、歴史に残る名曲を披露する。ベルウッド・レコードの50周年、それは同時に日本のフォークやポップスの夜明けをともに祝うことを喜びつつ、高田渡や西岡恭蔵、大瀧詠一、遠藤賢司、加川良、矢吹申彦……など、亡くなった仲間を思慕しながらその物語を歌と語りで繋いでいくのだから、いたしかたないだろう。壮大なる大河のような音楽の流れを3時間にまとめてみせる。

 

立役者は音楽監督を務めた高田漣(Vo、G)が率い、坂田学(Dr)、伊賀航(B)、野村卓史(Kb)、武嶋聡(Sax、Cla)などが参加したBellwood 50th BANDではないだろうか。その手際は鮮やか。若者(と言うほど、若くはないが)ながら老獪さや熟練さも併せ持つ。

 

裏方的な立ち位置ながらその高田漣が歌った1部の冒頭を飾る高田渡の「コーヒーブルース」、同じく2部の冒頭を飾る細野晴臣の「ろっかばいまいべいびい」は、実に味があった。このコンサートで彼が重要な役割を担う必然を感じないわけにはいかない。伊藤銀次は“デビュー50周年にまさか、高田渡さんと坂田明さんの息子さんと演奏するとは思わなかった”と言っていたが、50年という時の流れとはそういうことだろう。地下水脈の如く、深く、静かに流れつつ、受け継がれるものだ。

 

印象的な光景は数多あるが、すべてを上げるわけにはいかないので、いくつか、焼き付いたものを切り取っておく。

 

いとうたかおが高田渡の「生活の柄」を歌い、大塚まさじが西岡恭蔵の「プカプカ」を歌い、中川五郎が「ミスター・ボージャングルス」を歌う。何か、ベルウッド・レコードや関西フォークの原風景を見ているようだった。中川五郎は最近のライブも見ているが、アメリカンフォークの翻訳者としてだけでなく、“福田村事件”など、トピカルなテーマを歌うところにベルウッド時代から現在まで、首尾一貫したものを感じる。

 

ベルウッド・レコードに憧れたという森山直太朗。本来なら、このコンサートも観客として見たかったという。西岡恭蔵の追悼コンサートに出ていた高田漣との共演を喜ぶ。ベルウッドの遺伝子が森山良子の子息であり、かまやつひろしの従甥に引き継がれる。西岡恭蔵の「君住む街に」と友部正人の「一本道」を慈しむように歌った。

 

第1部の締めはあがた森魚と鈴木慶一と武川雅寛という、あがた森魚とはちみつぱいの共演。この組み合わせはあがた森魚&はちみつぱいの『べいびぃろん(BABY-LON)』(2017年)のリリース時にも見ているが、ベルウッド・レコードの礎となった「赤色エレジー」や「冬のサナトリウム」などは、かりそめのノスタルジアゆえ、何度聞いても古びることなく、エバーグリーンの魅力を放つ。

 

また、鈴木慶一と武川雅寛が高田漣のバンドともに演奏したはちみつぱいの「塀の上で」と「煙草路地」の溌溂さに驚く。“センチメンタル通り”でアーリーアメリカンに興じつつ、古色蒼然を装いながらも不思議と古びてはいないのだ。2022年のはちみつぱいの歌を紡いでみせる。

 

第1部をはちみつぱいで締め、第2部はなぎら健壱が登場。高田渡の「鉱夫の祈り」と「告別式」をしんみり聞かせるが、なぎらは“バンドでがんがんやるより、ギターをバックにしっとりやった方が受けると言われたけど、あんまり受けなかった”と自嘲気味に語る。歌や演奏そのものも魅力的だったが、旅番組やバラエティ―に出ているなぎら健壱がそこにいた。“いつでもどこでもなぎら健壱”というのが彼らしさか。ちなみになぎらはベルウッド・レコードからオリジナルアルバムやシングルは出してないが、ライブアルバム(『1974 HOBO'S CONCERTS』。当時はなぎらけんいち)には入っているという。

 

なぎらに続いて、伊藤銀次が登場する。彼はごまのはえとして、シングル「留子ちゃんたら」でベルウッド・レコードからデビューしている。いまや、シティポップの伝道師にして、大瀧詠一の一番弟子、佐野元春の盟友、ヒットプロデューサーとして知られる彼だが、原点はベルウッドや関西フォークにある。彼は「留子ちゃんたら」を歌い、演奏する。気負い過ぎか、何回か、やり直しがあったが、逆に深い思いゆえの緊張からかもしれない。実は同曲、オリジナルでは伊藤の曲ながら彼は歌っていない。当時のヴォーカリスト(末永博嗣。後に山下達郎などの舞台監督を務める)が歌っているのだ。

 

ごまのはえそのものは、ザ・バンドを目指したバンドだったが、そのスワンプな音の佇まいがいまは新鮮に響いてくる。ごまえのはえの「留子ちゃんたら」をこんなにも嬉々として歌い、ギターを弾き、幻の名曲に新たな息吹をもたらす。

 

続いて、大瀧詠一大滝詠一がはっぴいえんど在籍中の1972年11月25日に発表したファースト・ソロ・アルバム『大瀧詠一』に収録された「乱れ髪」を歌う。大瀧を彷彿させる、その歌は伊藤でなければ、醸せないものがあった。伊藤の甘い歌声に酔いしれたものも数知れずである。

 

佐野史郎がゲストとして登場する。彼が演奏しだすと音が出ないハプニングが発生。佐野は“本番はいろいろありますよ。暫しご歓談ください”と、場を和ます。それでも楽器などの調整に時間がかかる。佐野は“来ている”と言って、遠藤賢司の「夜汽車のブルース」だった。グランジな音塊を観客にぶつける。往時のエンケンが去来した。

 

いうまでもなく、佐野史郎はベルウッド・レコードでレコードは出していない。しかし、彼の声は同レーベルの音盤に入っているという。71年8月に中津川で開催された『第3回 全日本フォークジャンボリー』で、はっぴいえんどを見ているが、その演奏を見た佐野は“ええど、ええど”と叫んでいるのだ。同年のライブアルバムにはしっかり、佐野史郎の16歳の時の声が残っているという。佐野は鈴木慶一を呼び、さらに鈴木茂を呼び出す。慶一はキーボード、茂は当然、ギター。そこに大瀧詠一も細野晴臣も松本隆もいないが、二人の鈴木はかつて“1973.9.21”に同じステージに立っている。頼もしい助っ人を得て、佐野ははっぴいえんどの「かくれんぼ」を披露する。いい意味での音のぶつかり合いがかのバッファローしている。

 

そして、佐野史郎と鈴木慶一がステージを降り、鈴木茂が「冷雨月のスケッチ」と「はないちもんめ」というはっぴいえんどの自作曲を歌い、演奏する。鈴木は“自らの曲を演奏するルーツミュージック的なライブをやっている”というが、名曲であることに留まらず、文化遺産的な過去の遺物ではなく、今日的な解釈を加えられた2022年の名曲として提示される。しかし、70歳にも関わらず、その若武者ぶりは眩しいくらいだ。考えてみれば、鈴木は学生時代に林立夫や小原礼などと結成した“SKY”に松任谷正隆を加え、“SKYE”として再結成。2021年にアルバム『SKYE』をリリースしている。以前、鈴木は“SKYははっぴいえんどなんかより、格好いいロックバンド”と言っていたが、この2曲ははっぴいえんど以前、ロック少年・鈴木茂の面目躍如だ。

 

最後には小室等率いる六文銭が登場する。上條恒彦はいないが、小室等、及川恒平、四角佳子という並びには驚かされた(実は六文銭は現在も活動し、小室等の愛娘、こむろゆいが参加している。「私は月には行かないだろう」(1971年にリリースされた小室等のアルバム『私は月には行かないだろう』に収録された同曲を2018年にリリースしたアルバム『自由』でカヴァー)、そして「キングサーモンのいる島」、さらに「出発の歌」が披露させる。3時間に渡る物語の締めに相応しい光景が広がった。

 

鈴木慶一は“今日、演奏したことでアップデートされる”と言っていた。本来なら“同窓会”、いや、“敬老会”(失礼!)になりそうなものだが、楽屋での病気自慢はあったものの、誰もが前向きで鮮烈だった。その歌たちは、未来や宇宙に出発(出棺ではない!)して行く。

 

 

 

改めて、その歌には良質のユーモアが宿り、その音は知的な猥雑さを纏うことを感じる。確かにプロテストやフォークロアを含みながらも“フォーク”という言葉だけでは語りきれない、奥行きと幅があった。六文銭など、改めて聞くと、舞台音楽に関わっていたこともあり、どこかしらプログレ風味を醸し、ソフトロックという風情もあった。

以前、佐野元春が友部正人(今回、出演予定だったが、ニューヨークマラソン出場のため、不参加になった!)などの音楽を日本の“意志のある音楽の始まり”と語っていた。随分前のことなので、聞き間違い、勘違いなら申し訳ないが、“志ある音楽群”と言ってもいいだろう。それを目の当たりにする。

 

そんな音楽を支えてきたプロデューサー、三浦光紀は後ろ向きではなく、前向き、かつ、精力的に動いている。最近のインタビューでは“Web3.0の時代にエンタメ会社はどうあるべきか”を念頭に置いて、世界で活動してるブロックチェーンの若きエンジニアたちと、「日本が世界に誇る、日本のサブカルチャー作品を世界に販売するNFT(非代替性トークン)マーケットプレイス」をクリエーターの立場に立って構築中です。今はMVP(最小限の製品)を作っていて、11月11日のベルウッドのコンサートに合わせてローンチ(公開)し、その後、米国でトークンを発行し事業を開始する予定です”(『日刊ゲンダイ DIGITAL』より)と語っている。“ちょっと何言っているか、わからない”(By 富澤たけし)が、齢78ながら、起業家精神に溢れ、常に勝負することを忘れない。頭が下がる。見習いたいものだ。

 

現在、ベルウッド・レコードの作品の多くが、サブスク解禁されている。実は、いまは聞くのが絶好の機会かもしれない。この日、演奏されたセットリストもプレイリストとして、公開されている。気づくと、繰り返し聞くことになるだろう。一期一会である。55周年はないかもしれない。記録映像が残してあれば、多くの方に見ていただきたい。このコロナ禍を生き抜いた70歳超えはしぶとい。

 

 

 

 

 

 

 

 

残念ながらアーカイブ視聴の期間は過ぎてしまった。先日、アーカイブ視聴期間の終了の直前、慌てて簡単な呟きをしている。ツイッターだけでなく、呟きを元にFBにも加筆して報告した。それをさらに加筆する形で、本ブログにも書かいておく。本来ならアーカイブ視聴が終わる前に掲載が良かったかもしれないが、志半ばで書き上げることができなかった。誰が待っているかわかないが、遅筆で申し訳ない、と謝っておく。

 

 

2022年11月4日(金)に下北沢「CLUB Que」で開催されたChappy’s(チャッピーズ)の隔月イベント『"Bimonthly チャッピーズ"』。アーカイブ配信にぎりぎり間に合った。

 

カルメンマキ&OZの川上シゲ(B)と武田“チャッピー”治(Dr)、澄田健(G、Vo)<VooDoo Hawaiians>とバンドを組んだチャッピーズがうじきつよし(Vo、G)<子供ばんど>の夢なら、Dr.kyon(kb)<ボ・ガンボス>、シーサー(Tp)<DOBERMAN>、NARI(Sax)<SCAFULL KING>をゲストに加えた、この日のライブも夢の実現だろう。フォーリズムにキーボードとホーンセクションが加わる。エリック・クラプトンのデラニー&ボニー&フレンズか、ジョー・コッカ―のマッドドッグス&イングリッシュマンか。いまならテデスキ・トラックスバンドというところか。大所帯のロックバンドは、ロックンロールをルーツとするバンドマンなら、チャンスがあれば、一度は試したいものだろう。そんな夢の実現のためには人脈や予算など、様々な困難は避けて通れないが、うじきは幸いなことにもその夢を実現する機会を得ることができた。

 

うじきはこのバンドにキーボードやホーンが加わればすごいことなると思っていたというが、まさにその言葉通り。フォーリズムにキーボードとホーンが小気味よく絡まり、心地良いまでのグルーブを紡いでいく。

 

オリジナルやカヴァーを問わず、拡大版チャッピーズの魅力がダイレクトに伝える。ステージにいるメンバーの誰もが嬉しそうに演奏しているのが印象的だ。観客も自然と笑顔になると言うもの(配信なので、客席はあまり写り込んでないため、あくまでも想像だが、拍手やマスク越しの歓声を聞けば、それは伝わる)。音楽的には根源や基本に忠実ながら、お決まりの賑わし的なセッションにしていない。我こそはという激しい自己主張はないものの、適材適所、要所要所で、その存在が際立つ。また、そのメッセージも単なるホンキートンク的なものではなく、いまという時代を痛烈に映し出す。

この4月1日(金)に横浜のライブハウス「THE CLUB SENSATION」で開催された「穴山淳吉」<下山淳+穴井仁吉>と「うじきタケシ」<うじきつよし(Vo、G)+澄田健(Vo、G)>とツーマンライブでも聞かせてもらったが、ジョン・メイヤーの「Waiting On The World to Change」を日本語でカヴァーした「Waiting On the World to Change 〜 世界の変化を待っている」を披露している。同曲はこの日も演奏されたが。“青い”けれども“心を打つ”ものがある。ロック黄金期への郷愁ではなく、リアルロック世代ならではの拘りや矜持がある。面目躍如と言っていいだろう。

 

 

この日のライブ、ゲストバンドにMAGUMI(Vo)<レピッシュ>率いるMAGUMI AND THE BREATHLESS、そして、飛び入りゲストに長江健次<イモ欽トリオ>などがその場を賑わしていく。カルメンマキ&OZや子供ばんどなど、レジェンド級の懐かしい名前が並ぶが、温故知新というより、絶え間ざる前進、現代版への更新に心を砕く。

 

“無礼講”のアンコールではMAGUMIや長江健次、GOOD之介<もるつオーケストラ>も加わる。「サマータイム・ブルース」(途中から「ハイスクールララバイ」にしようとしたらしいが、今回が出来なかったそうだ。次回に期待したいところ!?)や「アイ・シャルビー・リリースト」(MAGUMIは日本語の歌詞カードを見ながら歌唱)など、ロックの古典を遊び心いっぱいにチャッピーズ流に料理し、楽しく聞かせてくれる。

 

MAGUMI AND THE BREATHLESSはドラムスが諸事情により欠席でドラムレスとなってしまったが、ストレンジな感じを醸すところが彼らしく、にやりとさせられた。『レッドシューズ40周年』のイベントでMAGUMI、杉本恭一、tatsuというメンバーに冷牟田達之などを加え、結成されたPAINTにも注目だろう。

 

この拡大版チャッピーズ、次はいつになるか、わからないが、一度は見てもらいたい。チャッピーズならではの実験と冒険--“昔の名前で出ています”的ではないところが、やんちゃな彼ららしい。

 

 

 

 

 

 

2022年11月4日(金)に下北沢「CLUB Que」

 

"Bimonthly チャッピーズ"

 

【出演】

・Chappy's

[うじきつよし(子供ばんど)、川上シゲ&武田“チャッピー”治(カルメンマキ&OZ)、澄田健(VooDoo Hawaiians)]

 

【GUEST MUSICIAN】

Dr.kyon(key)+シーサー(Tp.DOBERMAN),NARI(Sax.SCAFULL KING)

 

【GUEST BAND】

MAGUMI AND THE BREATHLESS