「父子草」(1967)

 

渥美清と石立鉄男が共演した人情モノを観ました。初見。

 

 

監督は丸山誠司。予告編はありません。

 

ある夜、ガード下の小さいおでん屋の女将をしている竹子(淡路恵子)が、ごつい顔をした酔っ払い客の耳慣れない歌を聞かされています。地元佐渡に伝わる『相川音頭』だと語るのは、土木作業員として現場を渡り歩いている平井義太郎(渥美清)という男。初めて訪れた平井が気分良く歌い続けていると、常連客らしい西村茂(石立鉄男)という青年が現れて、おでん種を注文。歌のジャマをされたと怒った平井が西村にケンカを吹っかけると、受けて立った西村と屋台の外に出て取っ組み合いとなり、平井をあっさりと倒した西村がすぐに立ち去っていきます。西村は田舎から上京している予備校生で、生活費を稼ぐために大学の夜警に行く前のルーティンとして、毎夜おでん屋で腹ごしらえをしていました。雨の降る翌晩も平井が屋台にやって来て、同じ時間帯に来た西村に再戦を申し出て、路上で第2ラウンド開始。またしても平井が負けてしまいます。さらに翌晩、また懲りずにやって来た平井が西村を待ち続けるも、いつも来るはずの西村が一向に姿を現しません。

 

すると、西村の代理だという美代子(星由里子)が来店して、おでんのテイクアウトを注文。昨夜の雨中でのケンカで風邪を引いて寝込んでいることを美代子から聞いて、弱っちょろい野郎だと言いながら心配になる平井。次の日、竹子のおでんを持ち帰ってアパートへ見舞いに行くと、西村を叱咤激励します。口は悪いけど優しいところもあるんだなと平井を見直した竹子は、次に平井が来店した時、彼の身の上話を聞いて愕然とします。第二次大戦で出征した平井はシベリアでの捕虜生活を終えて故郷に帰還したものの、彼がすでに戦死してしまっていると思われていて、彼の子供を産んでいた妻は弟と再婚していました。新潟に着いた平井を出迎えたのは父(浜村純)だけで、その事実を聞かされた平井は黙って身を引いて、現在の出稼ぎ生活を続けていたのでした。「俺は生きている英霊さ」と嘆く平井に同情する竹子。いつの間にか西村に自分の息子の姿を重ね合わせていた平井は、その後も西村の受験生活を陰ながらサポートするようになっていき・・・というのが大まかなあらすじ。

 

劇場公開は1967年12月6日。父子草は"ちちこぐさ"と読む、なでしこの別称だそうです。竹子が営むおでん屋の屋台に飾られているなでしこの鉢植えが物語のキーアイテムになっています。脚本は松竹の名監督、木下恵介。渥美清が東映、松竹、東宝といった各映画会社の作品に出ていた頃の作品で、東映の列車シリーズでヒットを飛ばす直前に東宝で出演した小品。佐渡の田舎者というよりは(寅さんと同じく)下町の江戸っ子に見えますが、荒っぽいけど人情に厚い風来坊の役どころは渥美清にピッタリ。まずいおでんだとボヤきながらおでん屋の女将をババア呼ばわりするくせに毎日食べに来る素性不明の男の背景が中盤で明らかにされます。壮絶な半生を送っていた平井にささやかな幸せが訪れるベタな展開にホロっと来ます。屋台付近の線路の踏切を時間経過を表す小道具にしているのが効果的で、警告音ゆえに無事にハッピーエンドを迎えられるのか、ちょっとだけハラハラ。苦学生に肩入れする過程の強引さも渥美清の演技に惹き込まれて忘れてしまいます。

 

渥美清の暑苦しいしゃべりをしなやかに受け止める女将役が淡路恵子。劇中では夫がいると言っている竹子の人物造形はちょっと曖昧。絶世の美女ではないのに、ババアとは程遠いクールな色気にそそられます。前年に中村錦之助と再婚して一時的に寿引退する前の最後の出演作のようです。ちなみに、20年後の映画復帰作は「男はつらいよ 知床慕情」(1987)。サッパリした髪型の石立鉄男の姿もレア。後年のTVドラマで得意にしていた、ちょっとワケありの人懐っこい独身男の人物像は、渥美清が演じるキャラクターにも通じてるのかもと感じました。彼に恋心を寄せてプラトニックで微笑ましい関係を続けている星由里子の可憐さが、しみったれたおでんみたいな味わいの本作に一服の清涼剤となっています。同じ時期に心を通わせた4人がその後どうなったのかがちょっと気になります。あと、セリフなしの映像だけで描写される平井の過去の回想場面だけに出演する浜村純も無言の芝居で地味に好演。適材適所で少数精鋭の俳優陣で魅せる佳作でございました。