「大江戸評判記 美男の顔役」(1962)

 

河内山宗俊モノをフランク・キャプラ要素で味付けした娯楽時代劇をU-NEXTで観ました。初見。

 

 

監督は沢島忠。予告編はありません。

 

お祭りのインチキ出店のオヤジ(堺駿二)にインチキで対抗する丑松(渥美清)。小唄の師匠をしている勘美津(花園ひろみ)と組んで美人局で小銭を稼ぐ金子市之丞(大川橋蔵)。といった面々は、いつも河内山宗俊(山形勲)の家にたむろしているゴロツキです。ある日、宗俊が浪人くずれの直次郎(里見浩太郎)から相談を持ちかけられます。大目付に出世したというウソを真に受けた実家の河内に住む母おもん(浪花千栄子)が江戸にやってくる便りが届いたというんで、それだったら直次郎を大目付に成りすませて、江戸にいるうちだけ母を盛大にもてなそうと企みます。ある旗本の屋敷がちょうど空き家になってることに気づいて、そこに棲みついている乞食連中も仲間に引き入れて、全員を直次郎の家来に仕立てることに。宗俊が伊勢守の家臣(田中春男)を騙してゴミ同然の尿瓶を貴重な骨董品として売りつけた時の50両を使って、町人の協力を得て全員分の衣装一式や豪華料理を買い込みます。市之丞に惚れる琴江(桜町弘子)や、二人の仲を怪しむ兄の栄次郎(山城新伍)もなぜか協力。

 

一世一代の大芝居を打つ準備ができて、おもんを出迎えた御一行。飲めや歌えやのどんちゃん騒ぎで盛り上げてくれる姿に感動して、これからも直次郎をよろしくお願いしますと深々と頭を下げるおもん。息子思いの母を見てうらやましがる丑松。母に捨てられた過去を持つ市之丞も、おもんに母の面影を抱きます。しかし、宴の灯りがついてる自分の屋敷を屋形船から見つけた碩翁(月形龍之介)が突然訪れます。その場を空気を察した碩翁は、おもんが踊る河内音頭の輪に参加する羽目になって、事なきを得ます。続いて、身投げしようとする彦六を丑松が助けた縁で、伊勢守(阿部九州男)の邸宅に奉公したまま監禁されている彦六の娘を救出することになった4人宗俊の策略娘の奪還に成功するものの、追っ手が襲撃することを覚悟した宗俊は、直次郎だけは母と一緒に実家に帰らせて、市之丞と丑松の3人で敵を迎え撃つことにします。襲ってきた敵と大立ち回りをしていると、剣の達人である琴江の兄や宴に参加していた乞食たちが助っ人にやって来て・・・というのが大まかなあらすじ。

 

劇場公開は1962年1月14日。同時上映は加藤泰監督の「瞼の母」。豪華な二本立てです。脚本は小国英雄「一日だけの淑女」(1933)でも有名な筋立てを拝借。フランク・キャプラのセルフリメイク「ポケット一杯の幸福」(1961)の日本公開が1962年2月なので、その前に似たような物語を時代劇で公開しちゃおうとする商魂が東映らしいです。ゴロツキが結集して仲間の親孝行のためにウソ芝居をする人情劇を沢島忠がカラっとした明るさでテンポ良く演出。序盤に出てきた巨大磁石、身投げ、美人局のエピソードが中盤以降の展開にも繋がっていく構成も見事。本来ならば主役となるはずの河内山宗俊を演じる山形勲は脇に回って、女性にモテモテの市之丞役の橋蔵が主役。普段は優柔不断ですが、チャンバラではしっかりとカッコいいところを披露。青二才の直次郎役の里見浩太郎は若々しいです。自分の家を勝手に使われた月形龍之介も、悪事に利用されてないことを悟って「この家賃、高いものにつくかもしれぬぞ」と釘を刺して去っていく懐の深さを見せます。

 

前半で軽快な演技を飛ばして場をさらっているのは、暗闇の丑松役の渥美清。カナヅチなのに身投げするじいさんを助けようとして、案の定溺れてしまって、逆にじいさんに助けてもらうおっちょこちょいぶり。そして、本作で最大の魅力を放っているのは、直次郎の母役の浪花千栄子。笑わせる演技も、泣かせる演技も、リアル関西弁で巧みに操っています。別れを惜しむ浪花千栄子に橋蔵が最後の願いを聞いてほしいと頼んで、母に見立てて「お母さん!」と叫ぶ橋蔵受け止めるシーンが最後の見せ場。「他人のおふくろさんを恋しがりなさんのはな、うんとええおふくろを持ったお方さんか、うんと悪い母親を持ったお方さんかの、どっちかに決まってまんにゃんせ。」というセリフがなんとも泣かせます。なお、ポスター記載の西村晃が出演してないのは、阿部九州男あたりの配役で出演予定だったのではと思われます。