「今を生きる」とは、”その場に留まる(とどまる)”ことなのかも。 | 景色見ながら、のんびり進む/東郷 彩乃

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人生で最も長く、最も大事な"日常"。
そこからの気づき、学びを書いてます。

◾️ 「今を生きる」とは、”その場に留まる(とどまる)”ことなのかも。

 

 

東郷 彩乃です。

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前回、

 

瞑想中に

”その場に留まる”と意識したら

うるさかった思考が静まった

 

という発見について

書いたんですが。

 

 

 

 

これは

瞑想に限ったことではなく、

 

日常のすべてに当てはまるな、と。

 

 

 

私はつい

先へと急いでしまうから、

 

少しのことで

イライラしがち。

 

たとえば最近息子が

外から帰ってたとき

 

手を洗うのに

わざと時間をかけていて、

 

何度も石鹸を出して

流しては

また石鹸を出して

また水を流して…

 

ってムダなことをする。

 

 

注意するほどに

面白がってやめないから、

 

いっそのこと

その場から離れようとすると

 

「ママもここにいて!」

って騒ぐのでね、

 

「もー!早くしてよ〜」って

イライラするんだけど

 

この週末は、

その、息子が手を洗っている時間、

体だけじゃなく頭の中も、

 

”そこに留まってみた。”

 

いつもの私の意識は

「この待ち時間に

ほかにできることがあるのに!」


って思っていて、

 

バッグの中の荷物を片付けたり

水筒洗ったり、

そういうことをさっさと

終わらせたい。


 

でもそれって

「今を生きてないじゃん〜」

と思う。

 

なぜならどうせ

バッグの片付けしながら

水筒洗わなきゃと考えて、

 

水筒洗いながら

ごはん炊いとかなきゃ、と考えて

 

ごはん炊きながら

サラダの野菜洗っとかなきゃと考えて…

 

いつもいつも

「今より先」を計画してる。

 

私が育った昭和〜平成時代は

それが「いい」とされる

時代でもあったと思う。



計画するだけじゃなく、

「ながら〇〇」も

こぞって提唱されていた。

 

でも今は違うよね。

 


常に今を生きるのが、子ども。

 

この数年ずっと

「今を生きよう」と

 

できる限り、

何かの選択をするときに

「今」を選んできた。

 

過去と未来をいったん捨てて、

今目の前を生きること。

 

でも日常生活の

ありふれたひとつひとつのシーンには、

 

なかなかそれを

うまく落としこめなくて

試行錯誤してきたなぁ。

 

でも、

やっと答えが出たかも。

 

今を生きるとは、

今その場に留まること。

 

「手を洗ってる息子を

うしろで見守ること。

体も意識も、次へ進まないこと。」

 

洗面台にいる体とともに、

思考もそこから先へと進まない。

留まる。

 

これがきっと、

今を生きるってことなんだ。

 

そうやって

息子の後ろ姿をみてみると、


「ここまで手が届くようになったんだ、

すごい」とか

 

見過ごしてきた

成長の部分に目がとまったりもする。



 

水筒を洗いながら

「水筒がきれいになるように」

ということだけに

意識が留まっていると、

 

「今日も息子が喉乾いたときに

活躍してくれてありがとう」って

水筒に感謝が湧いてくる。

 

ああ、こういうのを求めてた、

って思う。

 

ちょっとすべきことが重なると

いとも簡単に

これができなくなっちゃうんだけど、

 

求めてたものに気づけて

それを体得したから、

 

あとは、忘れても

いかに思いだし、引っ張り出して

日常に染み込ませるか、だ。

 



”日常をもっとゆったりと

楽しみたい。”

 

この半年ほどの間で

とくにフォーカスしてきたことが

だんだん叶いつつある。

 

こんなの無理かな〜

と思ったことも、

きちんと観測していれば、


すこしずつ変化が現れていることに

気がつける。

 

諦めないって大事だね。