アフリカツインが誕生する背景に、1980年代から注目されだした偉大なるラリーレース「パリ・ダカールラリー」(Paris Dakar Rally)の存在があります。


パリ・ダカールラリーとは、1979年から毎年開催されている、4輪&2輪混合のラリーレースで(クラス分けはもちろん有りますが)、フランスのパリをスタートし、アフリカのセネガルの首都ダカールまで約13,000kmを、20日間前後かけて走破する、世界で最も過酷なレースです。

スタート地点やゴール地点、途中のコースは毎年変わりますので、レースの正式な名称はその度に変わりますが、通称名として「パリ・ダカールラリー」として呼ばれています。

(略称「パリダカ」)



アフリカのサハラ砂漠を駆け巡るパリ・ダカールラリー参加車


バイクの巨大市場の一つであるヨーロッパでは、パリダカの人気は根強いものがあり、バイクメーカもパリダカで得たノウハウを、一般の市販車にもフィードバックするようになりました。


ストロークの長いサスペンション

長距離をガソリン補給無しで走れる大容量のタンク

必要なパワーがいつでも出せる大排気量のエンジン

二人乗りで自動車専用道路を走っても不安を感じさせない頑丈な車体

楽で疲れの少ない、厚みのあるシート

切れ角の大きい自然なポジションのハンドル


ビッグオフロード車のネガティブなイメージが先行した日本とは異なり、ヨーロッパでは日常の使い勝手を重視した上で、そういったバイクに乗る人が増えていったようです。

特にヨーロッパの街中では石畳の道路が多く残っており、「街中のオフロード」を快適に走り回れるビッグオフロード車は、気軽に乗れるバイクとして人気が出たのです。


HONDA XL600R (1985年)



SUZUKI DR600R (1987年)

私もこのバイクに乗っていました


ビッグオフロード車に対し、敷居の高いイメージの強い日本とは逆ですね。

でも、ヨーロッパのバイク乗りの選択が正しく、日本のバイク乗りのそれが間違っているとも思いません。

バイクは好みと嗜好、環境や文化的背景など、様々なニーズの違いで、所変われば欲しいバイクも違いが有って当然ですし、その違いが楽しいところでもあります。



BMW R80G/S (1985年)



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野山を駆け巡るオフロードバイクといえば、その扱いや取り回し易さの点から、実質的には250ccのバイクが上限でした。

もちろん、それ以上の排気量のオフロードバイクもたくさん有りますが、パワーと機動性のバランスからすれば、250ccが最もバランスがとれているとされてきました。



YAMAHA XT250T (1983年)     HONDA XLX250R (1983年)


確かに険しい林道や荒れた未舗装路では、250ccクラスのオフロード車がマッチするかも知れません。
しかし、同クラスのロード車と比べると、空冷単気筒の4ストロークエンジンでは、高速道路やバイパスなどの流れの速い道路で、アンダーパワーを感じるライダーも大勢いました。

ましてや最近は殆どの道路が舗装され、林道を走るには高速道路でそれなりの距離を移動しなくてはならないとなると、オフロードバイクとはいえ、実際の使われ方はオンロードでの場面が大半になるのではないでしょうか。

舗装路での使用をメインにしながらも、「オフ」もそれなりに走れ、長距離のツーリングもこなせるバイク… そんな欲張りとも思える良いとこ取りの発想から、1980年代に大型の4ストロークエンジンを積んだビッグオフローダーが各社から発売されました。




HONDA XLV750R (1983年)


1980年代半ばのビッグオフロード車の中でも代表的なのが、HONDA の XLV750R かもしれません。55馬力の空冷V型2気筒エンジンを積んだ車体は210kg以上もの重量があり、舗装路での長距離ツーリングは充分にこなせても、林道に分け入るにはかなりの技量を必要とするものでした。

当時、HONDAの250ccクラスの代表的車種である XLX250R の乾燥重量が118kgですから、その差は2倍近いものがありました。


友人宅でバイク雑誌を読みながら、この XLV750R の発売を知った私は写真を見て吹き出したのを覚えています。

オフロード車としては常識外れの排気量と車体重量、何よりも巨大なタンクを備えたその姿は、常軌を逸しているとすら思えたのです。


私の驚きぶりを見た友人は「あぁ・・・ そのバイクはHONDAが冗談で作ったバイクらしいよ。HONDAは儲けているから余裕があるらしい」と言ったのを、真に受けて納得した覚えがあります。



案の定、XLV750R は日本では殆ど売れませんでしたが(数百台の限定販売だったかも知れません)、輸出先のフランスでは大人気だったそうです。

大型のオフロード車が好きなのは、フランスがパリ・ダカールラリー本場の国だからかもしれませんが、それ以外に彼らの心を捉えた理由の一つが、カラーリングがフランス国旗の三色(赤、青、白)と同じだったからだそうです。

(赤、青、白のトリコロールカラーは、当時のHONDAのイメージカラーでもありました)


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私の愛車、HONDA のアフリカツイン(AfricaTwin)の生い立ちについて書こうと思います。

「アフリカツイン」というバイクがあることを知ってはいても、あまり詳しいことは知らない方が多いと思います。

それもそのはず、アフリカツインは乗ってる人も数少ない、街中で見かけることも極稀な、立派な「不人気車」なのです。
もしかしたら、アフリカツインが… と言うよりは、ビッグオフローダーというジャンル自体が、今の時代、人気が無いのかも。



アフリカツイン(AfricaTwin 型式RD07)


そんなアフリカツインでも、先入観を取り払って乗ってみれば、後から後から味が染み出る… おでんの大根みたいなバイクなのです。

そういえば昔、中学や高校の同じクラスにも、そんなヤツがいませんでしたか?

前置きが長くなりましたが、アフリカツインの生い立ちについて書き始めます。


私のアフリカツイン(1999年式)


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