アフリカツインは、ヨーロッパ市場で広く受け入れられ、好調なセールスを記録しました。
アフリカツインから漂うパリダカのオーラが、それまでのバイクでは満たせなかった冒険心を刺激したのです。
強者は200kgを超える車体重量をものともせず、険しい山道をアフリカツインで走破するアドベンチャーツーリングを楽しみました。
そんな中、YAMAHA はそれまで、空冷単気筒エンジンを搭載したビッグオフ XT600Z TENERE(テネレ)を販売していました。
23リットルもの大型ガソリンタンク、信頼性の高いタフなエンジンは46馬力を発揮し、バイク乗り達にも多くのファンがいました。
YAHAMA XT600Z(1986年式)
当時の YAMAHA を代表するビッグオフとして世界各国で愛用されていましたが、時代はパリダカブームの最高潮を迎えつつある時。他のライバルメーカーが、高出力化に有利な2気筒以上のエンジンを積んだワークスマシンを、続々とパリダカにエントリーさせてきました。
高い走破性を維持しながら、より高速のマシンであることが勝利の条件となりつつあったのです。
XT600Zベースのパリダカ参加車
例えば、HONDA のパリダカ・ワークスマシン NXR750 は、アフリカツインと同形式の水冷V型2気筒エンジンを搭載していました。単気筒エンジンの持つ悪路走破性と、多気筒エンジンの高速性、水冷化による信頼性を兼ね備え、連続優勝を成し遂げていたのです。
パリダカ連覇のHONDA NXR750
また、BMWの R80G/S は水平対向2気筒エンジンを搭載しており、年々高まるアベレージスピードの高速化に対応していました。
特に、ガストン・ライエ氏の駆る R80G/S は、1984年と85年に二輪部門で総合優勝をしており、打倒HONDAへ向けてマシンの改良と熟成を進めていました。
BMW R80G/S
一方、XT600Z TENERE をベースとする YAMAHA のワークスマシンは、単気筒エンジンによる走破性と信頼性の高さがメリットでしたが、もはやそれでは上位に食い込むことは出来ても、優勝することは不可能になりつつあったのです。
メジャーなレースでの結果が、市販車の販売成績にも大きく影響するため、YAMAHA 本社としては新生代のビッグオフマシンを必要としました。
1989年、YAMAHA はそれまでの XT600Z TENERE をあらゆる面で凌駕する意味を込めたマシン、XTZ750 SUPER TENERE(スーパーテネレ)を発売したのです。
YAMAHA の新しいパリダカ・ワークスマシンと同時開発した車体は、シリンダーを前傾させた750ccの水冷式並列2気筒10バルブエンジンを搭載し、高い吸給排気効率により、市販車ベースで70馬力を発生しました。
打倒アフリカツインを使命としたYAMAHA XTZ750 SUPER TENERE
それは正に、ロードレースでその高性能ぶりを発揮していた、「GENESIS(創世記)」のシリーズ名を冠する水冷4気筒20バルブエンジンの、オフロード車版とも言えるものでした。
アフリカツインと比較し、排気量でも最大出力でも勝る XTZ750 SUPER TENERE は、瞬く間に多くのバイク乗りを夢中にさせたのです。
YAMAHA XTZ750 SUPER TENERE