1990年代に入り、ビッグオフロード車、或いはデュアルパーパス車とも呼べるこれらのモデルは、走る道の制約を受けない(受けにくい)、シチュエーションに対して自由度の高いバイクのジャンルとして、幅広く認知されていきました。

それはこの頃の世界的な経済指標の下降により、パリダカのブームに陰りが見えた後も同じでした。
オフロード版レーサーレプリカとしてではなく、アドベンチャーツアラー的な市販車として、独自の進化と変化を繰り返していったのです。

SUZUKI は DR750S の排気量を拡大したマイナーチェンジモデル DR800S を1991年に発売しました。
さらに大型化した800ccもの単気筒エンジンは、当時市販されている全ての車両に搭載されたガソリンエンジンの中で、最大径のボア(シリンダー内径105mm)を持つものでした。
最大馬力54ps/6500rpmのカタログスペックを持つ油冷エンジンは、その数値以上に強烈な個性を持つものでした。



SUZUKI DR800S(1990年)      DR800S(1991年)




外国メーカーの中では、BMW が最もビッグオフロード車に力を入れてきたようです。
従来からの R80G/S をモデルチェンジした R100GS を1988年にリリースした後も、よりベストな長距離ツアラーとして、改良と熟成を重ねました。


1994年には BMW 独自のフロントサスペンション構造のテレレバーを装備した R1100GS を発表しました。
テレレバーは、一般的なテレスコピック式サスペンションの宿命的とも言える弱点を克服する目的で開発されたものですが、オフロード走行では若干の違和感を伴うものでもあったのです。しかし、フラットなダートではそのスタビリティを発揮し、安定感のある走行を楽しむことが出来ました。


R1100GS が真の性能を発揮する場面は、アウトバーンなどを使ったタンデム(二人乗り)ツーリングで、トルク感のある最大馬力80psのエンジンは大柄ともいえる車体を快適に走らせ、長旅に欠かせないツールとなったのです。



BMW R100GS(1988年~)



BMW R1100GS(1994年~)




そのような中でもイタリアの CAGIVA(カジバ)は、1991年に Erefanto 900(エレファント)というパリダカファンの心を擽るような、スパルタンなバイクを発売しています。

HONDA がワークス体制でのパリダカ参戦を止めた1990年、Erefanto という挑戦的とも思えるネーミングのマシンでエントリーし、見事、初優勝を飾りました。
その市販車バージョンとも呼ぶべき Erefanto 900 は、当時、CAGIVA の傘下にあった DUCATI(ドゥカティ)の900cc空冷L型ツインエンジン(最大馬力72ps/8000rpm)を搭載していました。
ワンクラス上の足周りと、ワークスマシンそのままとも言えるカラーリングの車体は、ツーリングマシン化しつつあったビッグオフに物足りなさを感じていたマニアックなファンを喜ばせたのです。



ELEFANT(1990年パリダカ)     CAGIVA ELEFANT 900(1991年)




ですが、時代の流れは世界的にビッグオフのデュアルパーパス化、ラリーレイドマシンのツアラー化の方向へと傾いていました。
その中にあって、CAGIVA Erefanto 900 の存在は、そのスペシャリティさ故に、揺り戻しの範囲を超えるものではありませんでした。



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HONDAは1986年からのパリダカワークス参戦以来、4連覇という偉業を達成しており、ビッグオフロードバイクにおけるブランドイメージを確たるものにしていました。


エントリー車のNXR750は年々進化を重ね、カタログスペックのみでなく、長期間に及ぶマラソンレースを勝ち抜くため、ライダーに対する負担度の少ない、乗りやすいマシンへと熟成されていったのです。

それはまさに、市販車のアフリカツインが目指すべき方向性とも一致していました。


HONDA NXR750


1990年2月、HONDAはライバル各社のニューモデルの追撃に対抗するため、それまでのアフリカツイン(RD03)をリニューアルし、新型モデル(RD04)を発表しました。

レースで得たノウハウを市販車であるアフリカツインに惜しみなく投入し、総合的な完成度を高めたのです。



HONDA アフリカツイン(AfricaTwin)RD04型 1990年式


車体の形式名がRD04へと改められただけのことはあり、細部までに及ぶ徹底した改良を施しました。

特に一番大きな変更点は排気量の拡大で、それまでの647ccから742ccへと変更することにより、最大馬力が52psから57psへと増えました。

排気量の増加は高速巡航性能の向上だけでなく、ヨーロッパなどでの国境越えたロングツーリングでの快適性も素晴らしいものになっています。



HONDA アフリカツイン(AfricaTwin)RD04型 1990年式


車体は一回り大きくなり、車両重量が15kg増えました。(221kg→236kg)
オフロード車の場合、重量増加は大きなデメリットとなりますが、アフリカツインの実際の使用場面が殆どオンロードであることから、特に問題とはされませんでした。

限定ながら国内販売もされましたが、多くのファンは一回り大きくなった車体に躊躇しながらも、それもアフリカツインの魅力の一つと割り切って、ニューモデルを歓迎したのです。




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アフリカツイン(RD04)の主な諸元は以下のとおりです。

(括弧内は1988年モデルのRD03)


型式:RD04(RD03)
発売日:1990/3/20(1988/5/20)


全長×全幅×全高:2330×895×1420(2310×900×1320)
軸距:1560(1550)
シート高:880(←)
車両重量:236kg(221kg)
乾燥重量:209kg(195kg)


エンジン型式:RD04E(RC31E)
排気量:742cc(647cc)
最高出力:57PS/7500rpm(52PS/7500rpm)
最大トルク:6.1kgm/5500rpm(5.7kgm/6000rpm)


燃料タンク容量:24L(←)
タイヤサイズ 前:90/90-21(←)
タイヤサイズ 後:130/90-17(←)


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アフリカツインとXTZ750スーパーテネレの真っ向勝負に、他のメーカーが手を拱いていた訳ではありません。

1988年、SUZUKI はパリダカにワークスチームとして本格的に参戦し始めました。
エースライダーに、BMW R80G/S で2回の優勝経験(1984~85)を持つガストン・ライエ氏を迎え、800ccもの排気量をもつ油冷単気筒エンジンのワークスマシン DR-Z800(ジータ)でエントリーしたのです。


油冷エンジンは水冷エンジンのような冷却装置が不要なため、軽量化と高出力化を両立させながら信頼性を高めることで、砂漠でのレースを戦い抜くというSUZUKIの戦略を具現化したものでした。

レースでの長距離高速走行に備え、空力性能の向上のためフロントカウルの前部が鳥の口端のように突き出ていることから、「砂漠の怪鳥」とのニックネームを持っていました。



MarlboroカラーのSUZUKI DR-Z800



SUZUKI DR-Z800 と ガストン・ライエ氏

(ライエ氏はこの身長でもDRを乗りこなした)

そして同じ年、DR-Z800と殆ど同じスタイルを持つ市販車DR750S(DR-BIG)をパリダカレプリカマシンとして発売したのです。
巨大な750ccの単気筒エンジンは他に例がなく、悪路走破に適したトルク特性のため、アフリカツインや XTZ750 スーパーテネレよりはオフ寄りのバイクでした。



SUZUKI DR750S(1988年)

一方の Kawasaki は、従来からのビッグオフローダーである KLR600 をベースに、より長距離走行に適したフルカウルを装備したモデルの KLR650 Tengai(天涯)を1989年に発売しました。

水冷単気筒650ccエンジンを搭載した、堅実な造りのマシンです。



Kawasaki KLR650 Tengai (天涯)

国内4メーカーは、各社それぞれの設計思想とアプローチで、理想的な大型デュアルパーパスモデル(オンもオフも、両方の走行が可能であるバイク)を競うように開発したのです。

HONDA のアフリカツインは数百台の限定ながら国内販売されましたが、他は全て輸出専用モデルでした。でも、どのバイクも逆輸入という手段で、国内で購入する事が可能でした。
ビッグオフ車、あるいはデュアルパーパス車好きには嬉しいことではありましたが、どのタイミングでフルモデルチェンジするのか予想が難しかったので、買い時の判断に迷いました。


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