アフリカツインとXTZ750スーパーテネレの真っ向勝負に、他のメーカーが手を拱いていた訳ではありません。
1988年、SUZUKI はパリダカにワークスチームとして本格的に参戦し始めました。
エースライダーに、BMW R80G/S で2回の優勝経験(1984~85)を持つガストン・ライエ氏を迎え、800ccもの排気量をもつ油冷単気筒エンジンのワークスマシン DR-Z800(ジータ)でエントリーしたのです。
油冷エンジンは水冷エンジンのような冷却装置が不要なため、軽量化と高出力化を両立させながら信頼性を高めることで、砂漠でのレースを戦い抜くというSUZUKIの戦略を具現化したものでした。
レースでの長距離高速走行に備え、空力性能の向上のためフロントカウルの前部が鳥の口端のように突き出ていることから、「砂漠の怪鳥」とのニックネームを持っていました。
(ライエ氏はこの身長でもDRを乗りこなした)
そして同じ年、DR-Z800と殆ど同じスタイルを持つ市販車DR750S(DR-BIG)をパリダカレプリカマシンとして発売したのです。
巨大な750ccの単気筒エンジンは他に例がなく、悪路走破に適したトルク特性のため、アフリカツインや XTZ750 スーパーテネレよりはオフ寄りのバイクでした。
SUZUKI DR750S(1988年)
一方の Kawasaki は、従来からのビッグオフローダーである KLR600 をベースに、より長距離走行に適したフルカウルを装備したモデルの KLR650 Tengai(天涯)を1989年に発売しました。
水冷単気筒650ccエンジンを搭載した、堅実な造りのマシンです。
Kawasaki KLR650 Tengai (天涯)
国内4メーカーは、各社それぞれの設計思想とアプローチで、理想的な大型デュアルパーパスモデル(オンもオフも、両方の走行が可能であるバイク)を競うように開発したのです。
HONDA のアフリカツインは数百台の限定ながら国内販売されましたが、他は全て輸出専用モデルでした。でも、どのバイクも逆輸入という手段で、国内で購入する事が可能でした。
ビッグオフ車、あるいはデュアルパーパス車好きには嬉しいことではありましたが、どのタイミングでフルモデルチェンジするのか予想が難しかったので、買い時の判断に迷いました。