人とじっくり向き合って、
ごはんを食べながら話をしました。
心の底まで覗き見てやろう、と。
喰いついて、話しました。
興味をもつと、
その人のことを多く考えるので、
こういう風に考えているのではないか、
こういうことが好きなんじゃないか、
なぜこういう風に答えないんだろう、
と、あらゆることに考えが巡りますが、
実際のところ、
本当のことを完全に解るということは、
誰も、誰のことをも出来ないんじゃないか、
と、そのとき実感しました。
寂しいことではなくて、
私たちの目の前に映るものや、
耳に入って来る言葉、
触れた感触、は、
その人や物の本質のほんの一部の面でしかなく、
私の脳の中で感じて、解ったと思っている答えは、
あくまでも私の脳の中だけで作りだされた実態なんだ、
と、すっきりしたのです。
だから、
あれ?なんでこうならないんだろう?
この人はなんでこんなことをするんだろう?
私が思っている人と何か違う。
などと、深く考える必要は、まったくない!ということに気付いたのです。
この
「実態を一生知り得ない自分以外のすべて」と、
一生つきあって、反応しあってこそ、
めくるめく楽しい人生が起き続けるんだな、という、
とてもすっきりした答えが出たのです。
だから、どんな関係になろうとも、
この一生の中で人と出逢い、関わるということは、
とても幸せなことです。
友達から、
私たちは何のために生きているの?
と質問されました。
私もこれまでの人生で3回くらい、
その疑問に心身が侵された時期がありました。
それは、何かに失望しているとかではなく、
「虚無」におそわれる、という感覚です。
むかし読んだ『はてしない物語』という本に、
虚無が襲って来ると言う表現がありました。
読んだだいぶ後になって、
自分でこれがそうかと実感したことを思い出します。
虚無感から抜けたのは、
ほんの些細なきっかけでしたが、
何か自分に合った「光」を見つけた時でした。
それぞれの「光」とは、
その人がどんな瞬間に快感を感じるかということだと
友達と結論づけました。
快感は、実は人それぞれのようです。
認められた瞬間
数字で結果が出た瞬間
笑っている瞬間
羨望の眼差しを受ける瞬間
私の今の快感は、
悟りをひらく瞬間、です。
そんな大袈裟なことじゃないけど、
頭じゃなくて、体と頭の間で、物事を理解できたとき、
ぞわぞわっと、身体にアドレナリンが放出される感じがします。
虚無に襲われたら、
とりあえず漂う様に生きていたら、
自分にとっての光を発見するのでしょう。









