SHINO LEONOR KAMEDA -34ページ目

SHINO LEONOR KAMEDA

by かめだしの

photo:01


今日は汗ばむくらい、
気温が高い。

色々あっても、
一年の季節は流れて、
また春を越えて
暑い夏がくる。

日が昇ってから落ちるまで、
花が咲いてから実をむすび種をおとすまで、
いきものが生まれてから死ぬまで、
文明が誕生して滅びるまで、
星が起きて破裂するまで、
とかとか、

大小いくつもの輪の中に、
私たちは置かれていると気付かされる。

ひとつの歯車を回していると見えるけど、
視界をどんどん広げたら、
膨大な数えきれない歯車の一部を、
一生かけて私は回してるんだ、
と思ったら、面白くなってくる。

私の一生はとーっても小さいけれど、
この銀河系の一生にすこうしだけ、
影響してくるのかも。

母の日です。
いつもありがとう、母様。


photo:01


連休後半のこどもの日です。
もう子供じゃないし、
まだ子供もいないけど、
一応、
かしわもちを食べて、
こどもって何だ?
と考えてみたりしました。

私は四人姉妹の長女です。
幼い頃から、
うちの中には家族がいっぱいいて、
繋がりと愛で溢れていました。

大人になってしまった今、
こどもの日に
子供達が実家にも集まることもなく、
店頭に並ぶかしわもちは今、
母の目には、
どんな風に映るのでしょう。

こどものイベントを全て
全開で催してくれていた分、
たくさん子供がいた分、
イベントのなくなった今は
どんな感じなんだろう?

少し寂しいのかも

母に渡されたバトンを、
私も同じように繋いでいきたいと、
実感する今年のこどもの日でした。
photo:01


前回のつづき。

最近食べ物を口に入れると、
その食べ物の生きていたところにトリップする、ような気がする、
と散々吹いていますが。

この前お寿司をたべた時、
同じ海の生き物のばかりなのに、
トリップする先が全然違うことに
気づきました。

温度と湿度が高い砂浜の近くだったり
冷たく深い沖だったり。

私、自慢じゃないですが、
料理や食物に詳しくはないのに、
ようく見たら、
沖から見える、
岸の山並みまで見えそうなくらい。

ところで、

食べ物はすべて「命」です。
食べ物に、生き物以外はいないのです。
改めて考えたら、発見です。

だからもしかしたら、
私が食べたときに見える景色は、
食べた命、
ひとつひとつの記憶かなのかもしれません。

見える景色がどこだか分かったら、
食べ物の産地まで、
いつか判るようになるかもしれません。

命を食べている、
人も生き物の連鎖の中にいるのです。
どんなに小さな主張しない命も、
何ひとつ無駄にはできません。
残すことは勿論、食べすぎることも。
photo:01


ひとりでゆっくり
お昼ごはんを食べるとき、
たびたび私は至福の旅をします。

ワンプレートに、
いくつもの素材が、
そのまま生かされている様なメニューで。

鶏肉をほおばると、
生きていたときの鶏の小屋に飛び、
オクラをほおばると、
太陽を浴びてる大地に飛びます。

周りにいる人に、
変な風に見えるだろうなと思うくらい
トリップする様になってしまいました。

一つ一つの、
食物の命を食らう、
その瞬間は至福の旅です。
有難く、そして、
今からの私の命に、
最大限活用させるように、
旅をしながら、
私の体の隅々まで、
他の生き物の命が染み渡る感覚を味わいます。

隣のおばさま達、
楽しいランチの会は、
とてもいいことだと思うけど、
ほとんど残してる。

一つ一つの生き物の命、
残さず、全うさせてほしいな。

本日は、
上大岡のアフタヌーンティにて。
photo:01


昨日は大震災からの
四十九日だったそうです。

全国のお寺に、
本山からのお達しがあったそうです。
四十九日の法要をするようにと。

あれから四十九日が経ち、
元に戻れたことと、
以前とは変わったことがあります。

一人ひとりにとっては、
大変大きなことですが、
長い地球や宇宙の歴史にとっては、
小さなことなのかもしれません。

今も辛く悲しい気持ちが
癒えない人々に、
一日でも早く
明るい光が差し込むように、
あれから毎日欠かさず願ってます。

photo:01


オオカミが出たぞー!
と、いつも大人をからかって
遊んでいた少年は、
いざ、本当に狼が出たときに、
いつもの嘘だと思われ
誰にも信じてもらえませんでした。

日々の積み重ねが、
将来の信頼を築きあげている、
という責任に、
はじめは気付かないものですが、
積み重なった後に後悔しても、
取り戻すのは相当困難。

あとのまつりです。

積み重なった不信感が信頼を崩す
のとは逆に、
積み重なった信頼は、
いざという時の失敗をも
かき消してくれることがあります。

あの人がまさか!と思われる人は、
一度くらいの失敗や嘘は帳消しです。
逆に、
あの人ならやり兼ねない
と思われる人は、
してもいない濡れ衣を着せられることもあります。

いざという時の為に、
日頃積み重ねるものを真っ白に。
まっすぐ人に向き合っていきたいと思います。
photo:01


見なくていい裏側を、
わざわざ自分で覗いて、
嫌なことまで探す必要はないのに、
一目表に惹かれると、
すべてを知ろうと、
手に入れようと欲が出る。

与えられた奇跡への感謝、
はじめの満足感を、
いつまでも忘れないでいるって、
なかなか皆できない、難しいこと。

人の欲の増幅は、面白い。
photo:01


自信と感謝と、
謙虚の気持ちをもっていれば、
嫌なことや、辛いことは、
ほとんどないと思う。

でも、この「謙虚」は、
たびたび、自分を「卑下」することと
取り違えられてる様な気がする。

例えば、
誰か、もしくは、何かに対して、
カチンときたり、
違う!と思ったりすることがあるとして、

そんなとき、
意見したり怒ったりすることは、
自分の主張を相手に押しつけること。

誰も私がどう思ってるかなんて、
聞いちゃあいないんだから、
怒ったり、意見したりすること自体が
自分、何様?と、
私は思うように心がけている。

世の中に起こることや、
誰かがすることには、
私みたいなもんは、
すべて受け入れようと思う。
それ自体をどうこうしようなんて、
おこがましいことだと思うから。

これが、私の中の謙虚。

卑下は、
自分なんかどうせ、
と鼻から諦めとかを含んでいて、
更には、それが
他人や環境のせいだったりすると思ってることもあるように見える。
本当だったらもっと~なのに、どうせ、、、だから、みたいな。

卑下には、感謝が足りない。

卑下+感謝+自信が、謙虚なのかな?
photo:01


期待するとか、
妬むとか、
憤るとか、
比較したりするのは、
自分が思い込んでいる
何らかの感情から生まれてしまうと思う。

誰かに何かを依存したり、
過去に執着をしたり、
今ここでないどこかに、
自分を連れて行くことで生まれる不満なんだと思う。

いつでも、
今ここにいれば、
過去に執着しない、
未来に期待をしない、
誰かと比較したりしない、
今だけを見て幸せに生きれると思う。
photo:01


妹のお腹に新しい命が生まれました。
初めての種類の喜びです。

噂には聞いてたけど、
地に足のつかない、ふわっとした幸福感に包まれます。

10ヶ月、大切に育ってね。