前回のつづき。
最近食べ物を口に入れると、
その食べ物の生きていたところにトリップする、ような気がする、
と散々吹いていますが。
この前お寿司をたべた時、
同じ海の生き物のばかりなのに、
トリップする先が全然違うことに
気づきました。
温度と湿度が高い砂浜の近くだったり
冷たく深い沖だったり。
私、自慢じゃないですが、
料理や食物に詳しくはないのに、
ようく見たら、
沖から見える、
岸の山並みまで見えそうなくらい。
ところで、
食べ物はすべて「命」です。
食べ物に、生き物以外はいないのです。
改めて考えたら、発見です。
だからもしかしたら、
私が食べたときに見える景色は、
食べた命、
ひとつひとつの記憶かなのかもしれません。
見える景色がどこだか分かったら、
食べ物の産地まで、
いつか判るようになるかもしれません。
命を食べている、
人も生き物の連鎖の中にいるのです。
どんなに小さな主張しない命も、
何ひとつ無駄にはできません。
残すことは勿論、食べすぎることも。
ひとりでゆっくり
お昼ごはんを食べるとき、
たびたび私は至福の旅をします。
ワンプレートに、
いくつもの素材が、
そのまま生かされている様なメニューで。
鶏肉をほおばると、
生きていたときの鶏の小屋に飛び、
オクラをほおばると、
太陽を浴びてる大地に飛びます。
周りにいる人に、
変な風に見えるだろうなと思うくらい
トリップする様になってしまいました。
一つ一つの、
食物の命を食らう、
その瞬間は至福の旅です。
有難く、そして、
今からの私の命に、
最大限活用させるように、
旅をしながら、
私の体の隅々まで、
他の生き物の命が染み渡る感覚を味わいます。
隣のおばさま達、
楽しいランチの会は、
とてもいいことだと思うけど、
ほとんど残してる。
一つ一つの生き物の命、
残さず、全うさせてほしいな。
本日は、
上大岡のアフタヌーンティにて。
オオカミが出たぞー!
と、いつも大人をからかって
遊んでいた少年は、
いざ、本当に狼が出たときに、
いつもの嘘だと思われ
誰にも信じてもらえませんでした。
日々の積み重ねが、
将来の信頼を築きあげている、
という責任に、
はじめは気付かないものですが、
積み重なった後に後悔しても、
取り戻すのは相当困難。
あとのまつりです。
積み重なった不信感が信頼を崩す
のとは逆に、
積み重なった信頼は、
いざという時の失敗をも
かき消してくれることがあります。
あの人がまさか!と思われる人は、
一度くらいの失敗や嘘は帳消しです。
逆に、
あの人ならやり兼ねない
と思われる人は、
してもいない濡れ衣を着せられることもあります。
いざという時の為に、
日頃積み重ねるものを真っ白に。
まっすぐ人に向き合っていきたいと思います。
自信と感謝と、
謙虚の気持ちをもっていれば、
嫌なことや、辛いことは、
ほとんどないと思う。
でも、この「謙虚」は、
たびたび、自分を「卑下」することと
取り違えられてる様な気がする。
例えば、
誰か、もしくは、何かに対して、
カチンときたり、
違う!と思ったりすることがあるとして、
そんなとき、
意見したり怒ったりすることは、
自分の主張を相手に押しつけること。
誰も私がどう思ってるかなんて、
聞いちゃあいないんだから、
怒ったり、意見したりすること自体が
自分、何様?と、
私は思うように心がけている。
世の中に起こることや、
誰かがすることには、
私みたいなもんは、
すべて受け入れようと思う。
それ自体をどうこうしようなんて、
おこがましいことだと思うから。
これが、私の中の謙虚。
卑下は、
自分なんかどうせ、
と鼻から諦めとかを含んでいて、
更には、それが
他人や環境のせいだったりすると思ってることもあるように見える。
本当だったらもっと~なのに、どうせ、、、だから、みたいな。
卑下には、感謝が足りない。
卑下+感謝+自信が、謙虚なのかな?









