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SHINO LEONOR KAMEDA

by かめだしの

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ふと思った。

私が一生で一番嬉しかった贈り物は、
両親からの贈り物。
ひとつには決められないほどだけど、
あえてひとつに絞るなら、
三人の妹たちかなと。

両親はこれまで私に沢山のものを
与えてくれたけど、
こんな赤ちゃんの頃から、
私達が死ぬまでの宝物って、
なかなか与えられない贈り物でしょう。
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奇跡が起こりますようにと、
両手を合わせて祈った事が
何度もあるけど、

手を合わせた奇跡は、
そう分かりやすく形にはならない。

でも、
その奇跡が起きなかった事で在る、
いまの幸せとか、
奇跡とも思わなかった
多くの偶然こそが、
じつは全て、
奇跡的な事なのかもと思う。
$SHINO LEONOR KAMEDA

小学校高学年ころの冬、
私たち姉妹は2回電車を乗り換えて、
1時間くらいかかる学校に通っていた。

朝は姉妹3人揃って納豆ご飯やピザトーストなんかを食べ、
キンと寒い冬空の中、元気に駅まで歩いて通っていた。

毎年、
冬の冷たい風が肌に触れると思い出す。
朝早い、家から駅までの並木道、
自分のほっぺたを触ると、
いつもつるつるっと冷たく気持ちがよかったこと。

それは毎朝、家を出るときに、
母が顔中に塗ってくれたニベアミルクのおかげだった。
母は覚えていないかもしれないくらい、
何気ない日常の一コマ、
だけど、
私はきっと死ぬまで忘れない。
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鰯雲。
すっかり涼しい今日このごろ。

でも今年も満足な夏を経験したから、
来年までさようなら。

一気に追い風が吹いてきた最近、
何が変わったというわけじゃないけど、
すごくチカラを消耗していて、
毎日よく寝てる。

ショートスリーパーだった頃、
なんであんなに遅く寝て、
あんなに短かくしか眠らなかったのか、
今ではよくわからないな。

今の方が充実した意味のある仕事をしているのに、
意味のある時間を過ごしているのに。

寝る時間も、
ゆっくりご飯を食べる時間も、
独りでいられる時間もいっぱいある。
家族にも会えるし、
週に一日は誰ともしゃべらないで充電できる。

オトナって気持ちいい。
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漂う。

私はここんとこ、
水の中を漂うように
生きています。

水の中を漂うように
生かされています。

水の中にいる私は、
目前に現れる、
誰とも、どんなこととも、
ぶつかることななく、
近づいてくる全てのものを滑るように
お互いなぞりあうだけ。

なるようになる、ように。

大気の中では、
重力や、摩擦や、衝突。
自分自身が、
目の前に現れる全てのものに、
ぶつかって、
影響を受け合ってしまいます。

摩擦や衝突を受けない
水中を漂うような感覚は、
決して逃げるようなことではなくて、
波に任せて、
全てを受け入れるということ。

漂い始めると、抜けられません。
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中秋の名月とな。

まるくまるく。
月も、
気持ちも、
関係も。

人と人、の、
物事と物事、の、

点と点、が繋がって、線に。
最近は、そう線になっていることは感じるけれど、

それがどんどんつながって、次は、面になっていくと言われる。

面、を感じる前に、
「まる」を感じるかな。
点と点が線に、その線が円に=丸に。

今週、空気がどっと動き出した。
2週間ほど吹き荒れた風が、
全てを一掃して、青空をのぞかせて、
新しい風が舞い込んできた。

これからの毎日は、
まぁるく、まぁるく、何もかもが繋がっていく様な気がする。
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今年の春を過ぎて、

実の妹たちや、
妹みたいな近しい知合いに、
新しい命が、次々と宿ってます。

私が注がれてきたような、
温かい愛情を、
今度は私たちが受け継いでいく時間がきました。

ね。
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ただいま、心の内側が、
ミルクみたいに、綺麗なくらい
真白く混濁中です。


八月が終わって、
何かの節目が、
台風と共に押し寄せてきている様子。

いま、目を閉じると、
浅く青く透きとおった、
海の中にいる感じがする。
それは、きっと
自己メンテナンス中なんだと思う。

生き生きとした海からあがって、
力強い海老や魚貝や、
牡蠣が食べたいな。

海からもらう「生き物の命の力」

今週末の夜に、
リニューアルしたプラネタリウムに
行ってきます。

星側から見える「人間の儚さと尊さ」

この二つがいつからか、
私を構成する軸になっていました。

だから、メンテナンスの時は、
この感覚を磨けばいいんです。


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すこし心を浄化しよう。
すこし丁寧に時間を送ろう。

物事の慌ただしさに流されて、
最近ちょっとだけ、
雑に生きかけそうになってる、
気がする。

一本の線を始めから終わりまで
丁寧に描くように、
起きる時から寝る時まで、
一瞬一瞬を丁寧に時間を送らないと。

いつでも、
少し上から広く全景を見て、
でも触れるときは、
指先で感触を捉えながら。

マクロとミクロを行き来して。

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夏の終わりの高尾山に入った。

いつも怠けてる五感を研ぐ様に、
まず耳を澄ましたら、
幾つか見当もつかない数の虫の声が、
耳の周りを圧迫した。
それに、その中には
風とか木とかの音もあって、
考えてみたら、
いのちの数だけ音が聞こえてる、
と思った。

そう考えると、
ラッシュ時の東海道線なんか目じゃないくらいの生命密度。

東京は、地方の人からしたら、
人口密度が高いと言われてるけれど、
この山のいのちの密度とは、比べ物にならないくらい少ない。

私が住んでる自宅近辺も、
百平米で数人?

人間は、虫に比べたら大きいけど、
いのちの重さは変わらないからな。