こんにちは、エレナです飛び出すハート

 

神社参り&旅が昔から趣味です。

最近はそこに吉方位も組み合わせて

出かけています。


吉方位を組み合わせるとプチハッピーが

重なる事が多いです。


そしてベーシックを卒業したあたりから

あっ!と思う事が多くなりました。

 

先日、与論島に旅行しました✈️

詳しい投稿は後ほどアップしますね合格

 

今回の旅行は働いている時に予約したので

あと先考えず…この時期は梅雨でも大丈夫!

と根拠なき思いをもっての旅でした。

 

ところが、100年に1回の雷雨にみまわれてしまい

3泊中、2泊は朝から警報アラームが鳴り響き

ずっと空が雷で光り、容赦ない雨が窓ガラスを

叩きつけました。泊まっていたコテージの1階は足首まで水が浸水。。。


幸いにも泊まっていたホテルがしっかりしていたので、一人旅でも怖い思いをする事なく過ごす事ができました。実はこの宿、数日前に「高くても広くて過ごしやすくて心地よい宿にしよっと」とフト思い立ち、心の声にしたがって変更したばかりのホテルだったんです。


また、豪雨🌩️で那覇から飛んでくる飛行機が飛べず、帰宅便が直前で欠航になってしまい途方にくれていたら、次の便(満席🈵)だったのにも関わらず、乗せてもらい、絶対間に合わない乗り継ぎも15分差で間に合い、すんなり羽田空港に帰宅することができましたキラキラ


後にも先にも、那覇空港をあんなに走った事はないと思います。笑


奇跡としか思えない

神様と空港スタッフの

連携プレーを体感しました笑い泣き


ただただ、感謝しかなかったです!!


ありがとうございます


そして、お天道様はみてる!


昔から私が心がけてる事があります。


出張でも旅行でも大きな契約や試験前

出場した世界大会前も…


氏神様を御参りして「いってきます!」と

ご挨拶、こんな事してきますと宣言してから

目的地に向かってます。


帰ってきたら御礼参りをして

こんな事がありました〜と伝えて

必ず感謝とご報告を心がけてます。


とくに「祈りの作法」に書いてある御参りの仕方に変えてからさらに神様とつながる感覚がしてます。


境内に手を合わせている間、

自分の心を丁寧に感じる一瞬でもあり

自分自身の気持ちの整理にもなり、

そして、自分自身の一霊四魂のバランスが整う感じです。


よかったら試してみてくださいキラキラ

読んでいただきありがとうございます!


素敵な1日をスター




 

こんにちはレオナです飛び出すハート

 

 

山田眞佑里さん「祈りの作法」の出版特別イベントin東京のアーカイブを視聴しました。

師匠(勝手ながらに呼ばせていただいています)の言葉、動画から熱量が半端なく

視聴しているだけでも汗が出てきます。

(涙も出ます!最近、泣けるのが嬉しい笑)

 

その中で、「純度の高い生き方」について古神道の話を交えながら

講演をしてくださいました。

 

その中でも響いた言葉を少しだけ紹介させてください。

 

今のあなたは、

誰のため?

何のため?

そして、その生き方に神様が喜んでくれますか?

神様が喜ぶということはご先祖様も喜ぶということ。

どんな生き方をしていますか?

 

ズドーンと心に来た言葉達のシャワー!!

さらに降ってきます。

 

自分自身を愛して、認め、

自分に影響力を与えていますか?

自分に影響力がないのに他人に影響力を与えられません。

言霊にも力がのりません。

まずは自分に影響力を与えようよ!

 

これだけでも心にグッときた方いらっしゃるのではないでしょうか。

 

自分が笑えば目の前の人も幸せにできる、、

前世も癒すことができる。

全ては「今ここ」でつながっているから。

 

と仰ってました。

 

突然ですが、私、仕事を辞めたこともあり

NHK朝ドラ「虎に翼」を20数年ぶりに見ています。

この朝ドラの主人公のトラちゃんと気持ちが重なることが

多くて毎回、泣き笑いして心の良い浄化に一役勝ってもらっているドラマですキューン

 

 

舞台は戦後の日本です。

戦争に敗れ、GHQの命令で家庭裁判所設立に向けて意見が対立していた

家事審判所と少年審判所を説得し、昭和24(1949)年1月1日家庭裁判所が

誕生するまでの過程が描かれました。

 

家庭裁判所がを誕生するまで、大人同士で揉めていましたが、

その時に最高裁判所人事課長の桂場等一郎(松山ケンイチ)さんが

こんなセリフを言うんですね。

 

「正論には見栄や詭弁が混じっていてはダメだ。純度高ければ高いほど、威力を発揮する」

はい、キタ〜!

 

そこで、トラちゃんの弟が活動するボランティア団体「東京少年少女保護連盟」が

家庭裁判所設立準備室を訪れ、家事裁判所と少年審判所の担当者たちに家裁の必要性を

大学生の視点と真っ直ぐなキラキラした眼差しで必要性を力説。

それが功を得て、家庭裁判所設立につながっていきます。

 

これって・・純度高くないですか?

純度高い事例ですよね?

設立された家庭裁判所は、今の時代に欠かす事ができない場所です。

先人達の熱い想い、時代を超えているメッセージだと感じました。

 

私は最近このようにいろいろとメッセージを受けています。

何となく頭で「純度高く生きること」をぼんやりわかっていても

今回は映像として、見せられました目

 

半年前の私なら

「そんなの当たり前だし、ただの偶然、ドラマの演出だし」と片付けていたような事も

見方を変えるだけで自分の成長や五感につながるメッセージになります。

自分が素直に受け取れる器ができたのかもしれませんね。

 

右脳を感じる感覚、順調ですグッド!

 

自分に影響を与えるということは

自分の心に素直に丁寧に生きる

神様とつながるメッセージをどんどん受け取る。

 

さて、明日はどんなメッセージがあるか楽しみです。

 

こんにちは レオナです飛び出すハート

 

第2回目のセミナーから3回目のセミナーまでの1ヶ月間にたくさんのワークと

セッションがありました。

 

白状すると、実はアドバンスとが始まってから、レポートもブログも書くのがしんどくて

働いていた頃のようにうまく文字が書けない、打てない

(日常的なラインやカードのサインは別ですが)

パソコンを開けては閉じて、書いては消して・・の繰り返しで

アドバンス講座の事になると進まなくてとうとう本当に鬱になってしまった

のではないかとプチパニックしてました笑い泣き

 

今回は、そのことについてワックスしたので書いてみようかと思います。

 

最近の私の短期的なテーマは「右脳で感じる」を設定しているのですが、

書くことって考えるし意図的に左脳を使うことになるのではないか?

と違和感を感じていたのです。

 

どうしてそう思ったのか?・・堀りました。

同時に湧いてきた感情で

「そういえば私っていつから言語化することが不得意になった??」

という疑問も湧いてきましたはてなマーク

 

幼少期、日本語が得意ではない私でしたが小学生の頃は、

詩集を書いたり作文で賞を受賞したり・・むしろ得意(←今思い出しましたびっくり

この頃は自分の感情をストレートに綴ることが楽しく、

少しだけ文章を書くテクニックさえあれば大人に褒められました。

 

高校生の頃は、小論文が大の得意で小論文の模擬試験ではかなり良い成績だったのを

覚えています。この頃には、受験を勝ち抜く文章テクニックを身につけていました。

 

どこで不得意になったのだろう・・。と思ってさらに掘りさげます。

もしかして・・?就職活動に何かある??のでは??

 

就職活動って定型文の自己紹介、ご挨拶の送付状、

心に一つも思っていない単語達を連ねる志望動機、

そこに日本語の難しい言い回しに心が折れました。

ことごとく不採用になり書類が通らなかったあの嫌な感じ。

今でも思い出します魂が抜ける

 

これが日本日本で生きると言うことか!と痛感してました。

これは本当の私ではない!と日々思いながらも生きていくためには

これをクリアしないといけません。

 

なんとか勝ち取った研究職の切符も大学院卒業と同時に

就職内定が取り消されてしまい完璧な負け組になりました。

(当時、農水省に来るはずの予算が減らされて泣く泣く・・採用取り消しにしたそうです)

 

そこから1年ばかり色々ありましたが割愛します。

なんとか国の研究所に技術員として採用され社会人スタートです。

公用語は英語で理論とエビデンスでしか話せない業界。感情を口にすることもなく

生き残るために技術を磨きデーターを積み上げる、短い端的な文章で報告書を書く、

ノートを誰が実験しても再現性が取れるように仕上げる。そんな毎日。

これはこれで楽しかったしやり甲斐しかなかったです。

 

たまに仲良くなった研究者とディスカッションして

「私はあの実験でこう思うんです」と話すと

『ふーん、レオナさん、面白いね』と言われて終わり。。

業界の中ではかなり右脳派だったので変わった人だと思われていました。

そう、だから私は右脳が強いと思い込んでました。

 

今思うともっと伝え方があったのではと思います。

若かったこともあり、エビデンスのない感情論で話す人は

仕事できないとレッテルが貼られていたかもしれないです。

今の時代であれば「多様性」の一つとして受け入れられたかもしれないですね。

 

そんな業界もテンプレート通りに仕事を進めれば

あっという間に終わるし(誰よりも短時間でデータ出してたし)、

波風立てずに仕事をこなすコツを掴みました。

思考を使わないロジックで最短でかつ3つも4つも

タスクをこなす技を極めていたと思います。

感情、一切入りません。

「私、失敗しないので」の技術職バージョンで無敵でした。

 

それから20年以上、思考も感情も蓋してしまい

自分を伝える努力も辞めてしまい(諦めてしまって)

言語化することも無意味だし、本当の自分なんてわかってくれないし・・

伝える意味なんてあるのかな?みんな表面で生きてるし

と 思ってそのままにしていました。

そのままでも生きれたんです。

 

 

コアエッセンスのベーシックではかなり芋掘りをしてきたつもりでした。

私の場合、今のアドバンストクラスの方が感情と向き合ったり俯瞰して感じたり、

こうして残った大物な芋を堀返す作業が多いようです。

圧倒的に今の方がワックスをしていますね。

 

ベーシックの頃にセッションしてくれた先輩から

 

「コアエッセンスは漢方薬みたいに後からじわじわ効いてくるよ、だから焦らなくて大丈夫だからね」

 

と言われた言葉を思い出しました。

まさしく、後からジワジワ効いています!

遅効性と即効性の両方で挟み込んで効いています合格

 

言語化の苦手意識は就職活動よりさらに深く社会人生活にありました。

そこに輪をかけてSNSで発信した事によるアンチコメント

(本当は大したことない事なのに)や教員時代思うように発信できなかった

ことが重なりすっかり言語化することが苦手になってました。

 

これからは、

あの頃の自分に二重丸(マル)

気づけてよかった二重丸(マル)

これから少しずつ感覚を取り戻せばいいじゃん二重丸(マル)

感情を込めても大丈夫二重丸(マル)

 

と言う事で、思ったことを短くてもカッコ悪くても言語化していけるように

していきます。

こんにちはレオナです飛び出すハート

 

先日、アドバンスとセミナー第2回が終わり、第1回の個人セッションも行いました。

 

セミナーでは、脳科学分野からの右脳左脳(男性脳・女性脳)からみた脳の働きのお話や

 

その性質を活用したセッションの仕方。5つの傷のお話やメール相談においていかに三行で

 

相手の方の背景を洞察するのかを習いました滝汗

 

(そんな裏まで洞察できなかったし読めなかった私・・・

 

何だったら押し付けな解決法まで提案してしまっていたガーン

 

アドバンストになると、ベーシッククラス受講の方のセッションを担当する

 

機会がやってきます。

 

私もベーシッククラスの頃、先輩方にあれやこれや尋ねて大変助けられました。

 

本当に感謝ですお願いキラキラ

 

今、思い返すとベーシック時代は心も体も魂も自分自身も受け入れるのに忙しく、

 

アップダウンの日々で躁鬱状態に近いものがありました。

 

ですので、少し先を走っている先輩方から、受講しているセミナー内容を

 

わかりやすく解説して頂いたり、宿題の事など訊ねる事ができて助かりました。

 

そして今度は、私がセッションする番になりますスター

 

仕事を辞めてから、対面恐怖症や睡眠障害がどんどん加速している私ですが

 

これが私に務まるのか正直怖い気持ちもあります。

 

教員の癖ですぐに解決しようしないのか

 

その後のアンケートのジャッジでどのような事が書かれるのか

 

考えただけで「うむ・・・オエー」って・・

 

そう、まさしくこの考え方が左脳優位なんですよね。

 

教えてもらった手順をマニュアル通りにこなそうとする自分でいて

 

そうすることで自分が守られて責任を負わなくてよいような感覚になるんです。

 

ほんと、身についた習慣が恐ろしく感じますドクロ

 

そんな中、昨日第1回目の個人セッションが終わりました。

 

私はベーシック時代と同じTさんにお願いしています。

 

実は。教員していた割には、初対面の方に気持ちをオープンにすることが苦手なんです。

 

それもあり、担当して頂いたTさんには日々の成長を知っていただいているので

 

正直に何でも話せるようになっていました。

 

最近、気候のせいか寝込むような偏頭痛が続き、遅刻からのスタートでした。

 

本当に申し訳ない気持ちで一杯でしたが、久しぶりにZoom越しでお会いするTさんは

 

いつも凛としていて、黒い洋服がその場の雰囲気をさらに際立たせちました。

 

あえて言うなら、黒い洋服はこのような場に着るのだな〜と

 

思わせるような大人のかっこいい着こなしです。

 

彼女は、あちこちに散らばる私の話をじっくり聞き、

 

まとめてくれ、そして私の中の答えをゆっくり引き出してくれます。

 

そんなTさんから「雰囲気変わりましたね」と言われてなんだか私も嬉しくなりましたキラキラ

 

様々な話をいたしましたが最後に私から「ベーシックの方のセッションが怖いです」

 

勇気を出して伝えました。

 

仕事を3月でやめた理由の一つとして、対人恐怖症があります。

 

助教として実験現場を仕切ったり、学生にお願いしていた実験結果から

 

次の実験を指示したり、調べたり、生徒のプライベートな相談もあり

 

(夜中になることもしばしば)目まぐるしく対応していました。

 

もちろん、私の時間は1秒もないに等しいのですがキャリアを積むための修行だと思えば

 

辛くなく、むしろ、どんどん熟す自分に陶酔していました。

 

大学業務に会議、授業やセミナーなど、とにかく充実していました。

 

こんなに人の話を聞くのに慣れているはずなのに

 

怖いという気持ちが強く出てしまってました。

 

でも、なぜ怖いのか明確にわからない・・・。

 

最近の傾向なのか、理系特有なのかわかりませんが

 

昔と比べて最近の生徒は自分自身で実験を進めることが苦手な傾向があります。

 

常に指示待ちです。自分でこの分野に興味があって入ったのにあれれ?と

 

思うこともしばしばありました。受け身です。

 

「私達、そんな事聞いてないのでやってませーん」と何度も言われたことがあります。

 

3秒先を読んでください〜!と思っても相手は社会人ではないのでグッと飲み込んでました。

 

でも、卒業させたり学会発表させたりしないといけないので、

 

モヤモヤ感じながらも結局、現場監督である私が動かざる終えません。

 

もちろん、教授レベルまで行くと何もやらない生徒は知らんムカムカ

 

本気で卒業させない鉄の心の先生もいらっしゃいました。

 

でも、今はかなり少なくなったと思います。

 

私が学生の時は、教授やその他の先生方とディスカッションする時間はほぼでしたし

 

(雲の上の方々ですし・・)

 

自分で調べて実験を進めるのが当たり前で、良い結果が出てはじめて

 

個人的にディスカッションのアポが取れたものです。

 

それまでは、プログレスを通して周りから意見を頂戴するのが当たり前でした。

 

ですので、同級生と相談したり大学院の先輩に尋ねたりしながら

 

自分で研究を進めるのが当たり前でした。

 

今の子達は何でも、答えを聞いてくるので少し突き放して

 

「ここらへん調べておいで」「調べてから話そう」と言ってしまうと

 

「あの先生は何も教えてくれない」とか

 

「あの先生は何も知らないからディスカッションしても意味ない」となり、

 

何でも相談に乗ってくれる(答えを教えてくれる)先生にあっという間に鞍替えしますガーン

 

そんな苦い経験もあり、生徒に対してトラウマに近い人間不審が芽生えてしまいましたアセアセ

 

Tさんにただ、「怖いです」とお伝えしたら、

 

「レオナさんなら大丈夫よ、相手の中にある気づきを促してあげて、

 

そして、答えを簡単に渡さないのがポイントです」

 

と言われてはっびっくりとしたんです。

 

「答えを簡単に渡さ無くて良い」

 

今まで教育の現場と真逆なやり方でいいんだ!!

 

私が理想とするやり方でいいんだ!!

 

まさに、ここが私の中で恐怖だと感じていたポイントなんだと気がつきました。

 

自分が理想とする導き方で良い=飾らないそのままの私で良い

 

それなら、できそうな気がする。

 

そんな気づきがあった個人セッションでした。

 

やはり、Tさんプロの導き方はすごいラブ

 

自分もアドバンストが終わる頃までそうなりたいと新たな目標になりましたキューン

 

 

こんにちは、レオナです飛び出すハート

 

先日、アドバンスと2回目のセミナーが終わりました。

 

内容が盛りだくさんすぎて何から伝えたら良いかわかりませんが・・

 

私、数年ぶりに涙流しました。いや、涙が出ました。

 

同期の(別のクラス)の受講生のお話を伺いました。

 

彼女の命をかけた想い、旅立つ準備、もっと生きたかったであろう気持ち

 

悔しかっただろう、辛かっただろう、その中で心を整理して

 

清々しく生き抜いたであろう・・

 

眞佑里さんから語られるお話の中に彼女の感情がぶわっと流れ込んできました。

 

それを素直に受け入れられた自分、彼女の感情は生きていると実感しました。

 

時を超えて生きている。

 

それこそ、相手のハートを感じる、想いを感じとる「心像」を究極に感じた出来事でした。

 

まだまだ、ほぐれていない私の心でしたが彼女のおかげで

 

人間らしく息を少しずつ吹き返してきたと思います。

 

とにかくシンプルに感じたままを綴らせていただきました。

 

彼女のご冥福を心よりお祈り申し上げます。