” 共存共栄 因果応報 内政不干渉 ”

 

人類全体の宿命ともいえる自然(運氣)の法則。

この三つの言葉が開運の大きなカギになるんです。

 

共存共栄 : 世界の全ては循環している


因果応報 : 必ず原因と結果がある

 

内政不干渉 : 余計なおせっかいは運氣を落とす

 

以前、マクロビをしていた時に

マクロビの尊敬する先生が言っていた言葉です。

 

「お金や法律なんか怖くない。本当に怖いのは自然の法則に逆らうことだ」

 

この言葉はある種の真実です。

 

お金も、法律も、逆らっても

やり方次第でいくらでも抜け道がある。

 

法律には賄賂、お金には権力、屁理屈や権威を

かざしたらいくらでもなかったことにできる。

 

でも、自然の法則に逆らったら

どんなにお金があっても、どんなに偉くても

どうあがいても見逃してもらえない。


この世界の法則はこの世界においては絶対的なルール。

 

逆らうと怖い自然の法則。

あなたは、この三つのルール、守れてますか?
 

 

鑑定ネコ くぅー
 

内政不干渉 余計なおせっかいは嫌いにゃ~

自己紹介はこちら ⇒ 未来を当てない鑑定士 弘記

 

 

 

こんにちは! 弘記です。

今日も・・・「予言が当たってたまるか!」

 

を信条にリアルな運命と

陰陽五行の話をお送りします。

 

*「占いを運命学へ、占い師を鑑定師へと進化させる!」が

 ブログ月の灯のテーマです。当ブログでは「占い」「運命学」

 「占い師」「鑑定師」と表記している部分があります。


今日のテーマは

「 実話!因果応報!?人生を淘汰する運命をわかりやすく解説 」

という話。

 

● 目次 ●

 

 

共存共栄・因果応報・内政不干渉

因果応報でバチが当たる!?負の引き寄せの法則

最近、ぼくの周りでいろんな厳しい現実を耳にします。

・50台の親戚がガンになって余命宣告を受けた

・引きこもりになっていた同級生の一家が
 いつの間にか家からいなくなっていた

・弟が精神的に病んで、なんとか休職しながら
 復帰をしようと頑張っていたけど
 ついに復職を諦め、退職

・友人の弟が離婚して実家に戻る

その他、離婚、病氣、精神的なトラブル
仕事関係のトラブル、子どもの問題などなど

ぼくも40歳を過ぎて、身の回りの人間の
人生の明暗がすごくはっきりしてきています。


若いころは、みんなそれぞれトラブルはあれど
それほど決定的なものではないですが

ある程度、歳がいくと、はっきりと明暗が分かれ

そこから先の人生の流れも
ある程度、見えてきてしまいます。


ぼくは常日頃から

「未来は決まっていない」

「予言はできない」

と言っていますが、それは本人に未来を
変えていこう、切り開いていこうという
意思があってこその話です。

受け身的に流されていくならば
運氣の示す通りの未来しか待っていません。


これは占いとか運命学以前の問題です。

30台半ばで精神的に病んで離職した人が
病を克服して、再就職することが

どれほど困難であるか、想像できるでしょう。

そして、これから先の未来が
どうなっていくのか鑑定師でなくても

簡単に予想がつくはずです。


余命宣告を受けた親戚も
もう諦めて余生を楽しむ・・・・と

生き残ろうとする意志はない様子。

 

足掻いたからと言って

ガンが治るのか?と言われたら

足掻いてみないとわからないですが

 

有名なバスケ漫画のセリフの通り

 

「諦めたら、そこで試合終了だよ」

という言葉が真実です。



ガンになって余命宣告を受けた人も
離婚した人も、失踪した人も
精神的トラブルを抱えている人も・・・

何もしなければ、なるようにしかなりません。


人の人生も運命も自ら決め

自ら切り開くものだからこそ

 

 「諦める」

 

という決断は

 

 「終焉」

 

という結果しか引き寄せない。

 

 

「因果応報」

 

この言葉はみなさんが良く知る通り。

 

物事の原因と結果は確かに存在し

この世界は因果で成り立っている。

 

原因なしに結果はない。

 

だから、どのような偶然も必然であり

必ず原因があって、原因から導き出される

相応の結果しか起こりえない。

 

 

仮に「運よく・・・・」「ラッキーにも・・・」

どう考えても奇跡としか思えない確率の出来事が

偶然起こるとしたら、目に見えない世界の

 

徳とか霊とか何かしらの原因が因果として

働いて、偶然の奇跡を起こしている・・・

 

そういうことです。

 

 

そういう目に見えない世界の因果の繋がりを

目に見える形にしようとすると

とても大変なので、ぼくの学んだ算命学の中では

 

「徳」と「因縁」の二つの言葉でまとめてしまってます。

 

 

算命学鑑定のベースになる宿命の運氣から見て

筋の通らないような幸運や不幸は

 

徳、因縁の影響という解釈をしています。

 

徳や因縁の法則や理論なんてのも

算命学にはありますが、それはまた別の話です。

 

 

「運悪くガンになる」「運悪く精神を病む」

 

その運とは何か?と言えば、宿命であり、徳、因縁です。

 

70歳、80歳になってからガンになるのは

ある程度、自然なことです。

 

でも、若くしてガンになるのは

ストレスなどに加え、相応の乱れた生活習慣と

食生活を送ってきた証拠です。

 

そういった「原因」なしに

ガンを患うことはありません。

 

それは他の病氣も同じです。

 

親からの遺伝であったとしたら

それは本人の生活習慣、食生活に加えて

 

先祖の因縁・・・・というか

先祖代々受け継いで作ってきた

体質や生活習慣というモノが因縁として働いて

 

病氣を作り出しているということです。

 

 

もし、先祖代々、健康的な生活習慣を

続けてきたのなら、子孫が変に病氣に弱い

体質にはならない。

 

そういう自然の法則に反する生活習慣

食習慣は世界に対する「因縁」と言えます。

 

 

みんな、運命学とか知らなくたって

当たり前にわかるはずです。

 

体に悪い食習慣(過食など)を続ければ

ガンや他の病氣になってもおかしくない。

 

この世界は基本的に

やったなりの結果しか出てこない。

 

諦めたら、当然、結果として「終焉」がやってくる。

 

まさに因果応報。

 

ただ、「やったなり」の部分は

 

ご先祖様の代まで遡って考えなきゃいけない

ところが、少しだけややこしいです。

 

 

内政不干渉の真実 求めよ!さらば助けられん!

諦めていたのに奇跡的に助かる

パターン、救われるパターンはないのか?

と言われたら 「ある」 と答えます。

 

確かにそういうこともあります。

一重にご先祖様の徳のおかげです。

 

ですが、そんな神頼み的なものにすがって

自分の人生を他人任せにするよりも

 

最初から自らの力で切り開き、生きていく方が

人生全体として充実し、幸せになれる。

 

もし、ご先祖様の徳のおかげで助かったとしたら

 

ご先祖様は・・・・

 

「諦めず、自らの力で人生を歩め」

 

「我が一族を幸せに導いて欲しい」

 

そんな願いを込めているのではないかなと思います。

 

 

どんなことでもそうですが

本人のやる氣と本氣度合いが

何かを成し遂げるための必須条件です。

 

それがなければ、周囲も助けるに助けられない。

 

 

ぼくの弟にしても、ガンの親戚にしても

その他、様々なトラブルを抱えている人たちも

 

「どうにかしたい!助けてほしい!!」

 

という、その一言がなければ

こちらは手出しができない。

 

余計なお世話だから・・・

助けようとしても相手が受け入れてくれないから。

 

ぼくの算命学の師匠がよく言う言葉

 

「 この世は 共存共栄 因果応報 内政不干渉 」

 

この三つの言葉は、この世界のルールというか

自然の法則の一部を表しています。

 

この中の一つ。

 

「内政不干渉」

 

人にはそれぞれに自分の宇宙(世界)をもっていて

お互いに干渉してはいけない、というルールです。

 

この自然の法則に反することをすると

 

物事がうまく進みません。

 

 

実際、本人が助けを求めているわけではないのに

おせっかいを役のは鬱陶しいし

余計なお世話で、助け舟を出された方も

 

素直に受け取らないし、場合によっては反発し

状況が悪化します。

 

 

「内政不干渉」のルールは

絶対に他者を助けてはいけないというモノではなく

 

相手の許可なく勝手に相手の世界に

押し入ってはいけない、というルールです。

 

相手の許可さえあればいいんです。

 

 

「内政干渉」とは他国の政治に勝手に

介入して影響を与えることです。

 

国同士のやり取りにおいても

やられたほうがいい氣はしないでしょう。

 

 

だから、例え、助ける手立てを

何かしら持っていたとしても
 

勝手に助けてはいけないんです。

 

相手はそんなこと求めてはいないんだから。

むしろ、諦めることを選んだ人たちは

終焉を望んでいるともいえる。

 

だから、それを邪魔してはいけない。

 

ただし、受け身であれば情報を流すことは

できるかもしれないです。

 

相手を助ける意図なしに、自然の流れで

自分のしていること、できること

 

他者を助けた実績など、もしくは相手の問題を

解決してくれるであろう誰かの話などを

話すことは内政干渉にはならない。

 

それで相手が情報を得たところで

「終焉」を選んでいる人であるならば

 

そんな情報には全く興味を示さないかもしれない。

 

手段の情報を流しているだけで

相手の望みに干渉していないから

問題はないけれど、だからと言って

 

相手がその情報を素直に受け取って

前向きになってくれるとは限らないし

 

多くの場合、そうならないことの方が多いでしょう。

 

 

それでも、根気よく、根気よく、情報を

流し続ければ、だんだんとある種の洗脳効果が

出てきて、うまくいく・・・

 

ということはあるかもしれない。

あくまで、可能性の一つですが。

 

そこまでする価値があるかどうかは別として。

 

 

だから、もし、助けたい誰かがいるなら

そういうやり方で根氣よく相手が氣づくのを

待つことが最善の方法です。

 

 

「共存共栄」世の中、目に見えない助け合い

自然は循環していると言われる通り

 

世界のあらゆるものが絶妙なバランスで

助け合い、循環しているからこそ

 

地球という惑星には生命が生まれ栄えてきました。

 

この世界はすべてが循環していて

全てが必要なもので不要な物はないから

 

多種多様な人、動物、植物、その他の生き物

無機物に至るまで、ともに在り、ともに栄える。

 

争ったり、滅ぼしたり、排斥したりして

自分たちだけ栄えることはないよ

 

というのが「共存共栄」の意味するところです。

 

だから、どうせ一緒に生きなければいけないなら

仲良くした方がいいよね~って話です。
 

 

共存共栄のカギとなるのは

「自然の循環」と「適材適所」です。

 

ウィルスや菌を悪者扱いして力づくで

排除しようとしても、人間は生き残れない。

 

ウィルスや菌にも劣化したモノを

分解して土に返し、循環させるという役目がある。

それを考えずにむやみやたらに無菌状態を作れば

自然は循環しなくなる。

 

そうしたら、人間の生きる環境は

どんどん悪くなって、病氣や死のリスクが上がる。

 

薬はあってもいいし、時に必要になるけれど

 

循環する世界では薬ではなく免疫力で

菌やウィルスとのバランスを取るのが

 

本来の循環の在り方です。

 

 

人間関係も同じです。

 

悪人を力づくで排除して、刑務所に

ぶち込んだところで何の解決にもならない。

 

知ってますか?刑務所に入った犯罪者が

無事刑期を終えて出てきても

 

約50%の人が再度、犯罪に手を染めるんです。

 

 

悪いことをしたから罰を受ける。

これはある意味、仕方ないですが

 

犯罪者=悪い人=社会に不要な人

 

みたいな扱いを受けるから

社会復帰がうまくできずに

犯罪に手を染める人が多くなるんです。

 

好き好んで犯罪をする人なんてのは

極わずかな人たちだけです。

 

多くは精神的に追い詰められた結果

犯罪に手を染めるんです。

 

 

犯罪者の多くは、適材適所で生きることができず

自分の力をうまく活かせなかった人たちです。

 

自分に合う、自分らしく生きられる

環境にいたならば、ちゃんと人の役に立つ

生き方ができていたはずなんです。

 

 

例えば・・・・

 

強面の人は、入ってはいけないところ

他者を遠ざける仕事をする


力が強く、乱暴な人はその有り余る力を

肉体労働に使ったり、誰かを守るために使う

 

そうすれば、人から嫌われるどころか

感謝すらされるでしょう。

 

 

もっと身近な話で言うなら

会社において、仕事ができない人って

どこの会社にもいますよね??

 

その人は本当に仕事のできないダメな人なのか??

 

というと、そういうわけではない。

行くところに行けば、ちゃんと役に立つし

 

むしろ、ある特定の分野においては

秀でた才能を持っていることもある。

 

 

うちの職場にもいるんです。

 

職人氣質で視野が狭く、自分で何でも

やってしまおうとしてチームワークが取れない

管理職の人が・・・・。

 

当然のことながら、管理職は合わないんです。

 

なのに、管理職をしているから

 

「仕事のできない人」

 

になってしまう。

 

職人的に単純な仕事をさせ

一つの単純な仕事のクオリティを極めさせたら

まさに芸術と言えるレベルの

 

仕事をしてくれることでしょう。

 

 

「自然の循環」 「適材適所」

 

適材適所を外れると、自然の循環が途切れ

あらゆるモノに害を与えるようになる。

 

「共存共栄」

 

適材適所で自分を活かすことは

自分も他人も幸せにする

 

幸せの法則なんです。

 

 

 

運命の法則は幸せになるために

みんなが得して、みんながハッピー!

 

そんな世界を作るためのルールが

自然の法則たる三つの言葉

 

「共存共栄」「因果応報」「内政不干渉」

 

 

神様は単純に人間の幸せを願って

この世界を作りました。

 

理不尽な現実がたくさん存在するけれど

 

それは神様が無慈悲なのではなく

自分が自分に対して

 

「無慈悲だった」

 

ということなんです。

 

過去の自分は、自然の法則=幸せになれる法則

に反して、自分を貶めていた。

 

結果、本当に落ちてしまった。

 

自分に合わない環境で働いて

できないことをさせられ

 

「なんで、できないんだ!!」

 

と怒られる。

 

理不尽とはそういうモノです。

 

 

神様はちゃんと幸せになれる道を

創ってくれているし、そうなるように

様々なヒントや気づきを人間に与え続けています。

 

それに気づかないと

人間はこの世界のルールに淘汰される。

 

自然の法則に反した行いは、周囲も巻き込んで

不幸になって行くからです。

 

だから、そうなる前に淘汰され

世界はバランスと取る。

 

 

ですが、それは神様の本意ではないです。

 

みんなを幸せにする運命の法則に

淘汰されるのではなく

 

運命の法則をよく学び、実践して

みんなで幸せになりましょう!

 


今日も、陰陽の知恵を学んでいただき
ありがとうございます。

また、次回、お会いしましょう。

 

鑑定ネコ くぅー
 

今日も一つ賢くなったな!  

またにゃ!!

 

「1分」で読める弘記のプロフィールはこちら

 

 

【 運命学(占い)のしがらみに悩んでいる方 は こちら 】

「占い依存させたくない。」

「お客様が自立・成長できる鑑定をしたい・・・」

「でも、稼ぎたい・・・」
「占い依存させて稼いだはいいけど、忙しい」

「お金はあるのに時間がない・・」


そんな悩みを持つ方は、ぜひ、一度、覗いてみてください。

 


新時代の占いの在り方「運命学」と「鑑定師」については こちら


新時代の占いの在り方が見える「占いの使い方」はこちら