A TALE -4ページ目



ふと子供のころ呼ばれていた呼び方を呟いてみたら、そわそわするような、響くような、ぞっとするような、不思議な感じがした。

何度呼んでも、同じ感じがする。

他の子供の頃のあだなや呼ばれ方を試しても、反応が起るのは、その一つだけ。



呼びながら浮かぶのは、母の顔。

母に呼ばれているようにしか思えない。

一瞬、それで嬉しくなるのかな?と思ったが…



早く起きなさいとか、○○しなさいとか、

お咎めとか小言が続くニュアンスしか浮かばない…

確かにそういう意味ではうるさい母だったが、

いわゆるトラウマになるような厳しさには程遠いのに。

それでもこうして残っているのだから、

ほんとにほんとに、人はいとも簡単に暗いものを抱くんだなあと再び思う。



書き換えようと、何回も呼んで、「大丈夫だよ」とか誉めたり安心させるようなことを繋げてみたが、解消されたかは微妙。





■■■ 要洗濯





・手をつけなければ“ならない”、でも一向に始められない、進まない件がある。あきらかに“要洗濯”である。

・ねばねば言うより、“洗濯”が効く、というのが現在の私の説なので、実行してみる。








えーーー!!!!!




という結末(おち)。

正式にはまだ12月あたりまで予断は許さない、もっと言えばいつまででも予断は許されぬのですが。

それこそぬかよろこびにならぬよう気をつけてしまうけど、でも。



どんでん返しの兆し、有。





■■■ 占




・↑の件について、むずむずして占ってみた。

・どうなるかわからないので、文字にはしないでおく・・・。




■■■ 本日の夢(寝て見る方)




・久々に覚えている。Z君と謎の長ーい斜面の自転車遊び、謎の長ーい電車で遅れ気味になりつつ、職場へいってまたヘンテコな展開。






昨日は1がたくさんそろう日で、

おまけに私が内面を見直すきっかけとなった日からちょうど一カ月目で、

最近はとても物事が動いていて、

それはとても調子が良くて、



何かが起こる、と期待していた。

クリアになるような何か。





悲しいニュースを受け取った。





私自身に生じたことではない。

私は私自身の感情しか感じない。

人のことで身を切られるような思いはない。

かなりの年齢まで他人に自分と同じように「こころ」「感情」があることが理解できなかった。

共感はあくまで「あたま」でしている。

だから時々私の共感はわざとらしく、大げさで、積極的だ。





それでも昨日はずっしりと手に落ちてきた何か。

当人でないから、腹や胸にまで喰い込む質ではないけど、

いつものわざとらしい感傷さえ許さないこの重さが、

自分の成長や往く道を感じさせもするこの重さが、

多分ギフトであり、私の背中を押す。





もっといろんなことがわかったなら。

受け入れる覚悟はできている。

だけどわけがわからないままは、いやだ。

それは多分、私が「わけがわかる」はずだからなのだ。




神よ願わくばわたしに変えることのできない物事を受け入れる落ち着きと、変えることのできる物事を変える勇気と、その違いを常に見分ける知恵とをさずけたまえ


カート・ヴォネガット著『スローターハウス5』から




■■■ お祈り




まるで違う世界を生きる一月前と今と、昨日の朝と夜と今と、哀しみや歓びなどの意味を付与せずありのままの存在として、現世で長く肉体を持つことのなかったあなたに。






休日の朝、ゆっくり風呂に入りながら、何とはなしに顔の皮膚を撫でて、二撫で半もすればすべて撫でられるなんて、自分の顔が小さく狭いことに驚いた。頭皮も同様。

複雑なつくり(構造)を持っていて、文字通り「顔」として日々前面に晒して歩いているが、なんか小さく頼りないなあと思った。



思っているより、いろんなものがカッチリしてなくて、頼りない。

確かなんだと言われていても。



例えば、ほとんど解決不可能と思っていた苦しみが、ころりと転がっていったように。


ぬかよろこび、になるのが恐くて、手放しではなかなか喜べないけど、今はあの苦しさがない。問題はそのままだけど、苦しさはなく、歩く意思だけがある。歩く歓びがある。

つい数週間前まで、苦しかったし、解決は「崩壊」以外にないような気すらしていたのに。



雨の日も晴れの日も雷も雪もあるように、精神的な苦しさや回復も、自分たちではコントロールできない、天災のようなものなのか?

ある意味そうだろうけど、雨の日の過ごし方、雪の日の過ごし方、それを知らず、裸で雪山へ出かけたり、雷の日に原っぱで鉄の棒を持って立ってるくらいのことはしてそうだと思う。



もっとよく、自然の仕組みがわかったのなら。



私は最近、私の”ほんとうの”理性にお願いする。

どうか理性の光で、私の道を照らしてください。




■■■ 問題まとめ(現状)



・仕事<人間関係>の問題 → 奇跡的な改善。だがまだまだ踏み込める、今後期待。

・仕事<純粋に仕事>の問題 → 問題はそのままだが、深刻さ激変(解決策、解決のきざし有)。意欲急上昇。

・家庭の問題 → 問題はそのままだが、深刻さ減少(精神的に安定)。

・ミッシング・リンク(失われたつながり) → 降って湧いてきたミッション。どう転ぶか謎。勝算はある…と思う。特別働きかけなくても勝手に展開していく…。これが解決したらほんとに奇跡的。






人間は大きな幸せを前にすると
急に臆病になる
幸せを勝ち取ることは
不幸に耐えることより勇気がいるの


映画『下妻物語』から





昨日も今日も、朝起きるとザワザワした。雑音が鳴る。

原因はなんとなくわかっている。


物事がうまくいきはじめると、怖くなる。

よくあることだけど、どうしてかなあ。





うまくいってるときほど、用心だよ、油断大敵。

調子に乗ってると、痛い目みるよ。

妬み、嫉み、幸せな奴、デキル奴は恨まれる。


私の中のご丁寧な忠告。誰がしてくれたのかな?





善とか悪とか関係なく、私の中の塊を灯りの前に晒そう。そして洗おう。

物事が動き出したのも、この効果が絶大だったせいだと思う。

三週間と少し前に、洗うことに気づいてから、確実に変化が起こっている。


この尻込みの元も、洗ってしまえ。



■■■ 本日の私信




・それでも私は理由がある、と思うのです。その理由を呈示できる日がくるので、少しお待ちください。