主よ人の望みの喜びよ | A TALE


昨日は1がたくさんそろう日で、

おまけに私が内面を見直すきっかけとなった日からちょうど一カ月目で、

最近はとても物事が動いていて、

それはとても調子が良くて、



何かが起こる、と期待していた。

クリアになるような何か。





悲しいニュースを受け取った。





私自身に生じたことではない。

私は私自身の感情しか感じない。

人のことで身を切られるような思いはない。

かなりの年齢まで他人に自分と同じように「こころ」「感情」があることが理解できなかった。

共感はあくまで「あたま」でしている。

だから時々私の共感はわざとらしく、大げさで、積極的だ。





それでも昨日はずっしりと手に落ちてきた何か。

当人でないから、腹や胸にまで喰い込む質ではないけど、

いつものわざとらしい感傷さえ許さないこの重さが、

自分の成長や往く道を感じさせもするこの重さが、

多分ギフトであり、私の背中を押す。





もっといろんなことがわかったなら。

受け入れる覚悟はできている。

だけどわけがわからないままは、いやだ。

それは多分、私が「わけがわかる」はずだからなのだ。




神よ願わくばわたしに変えることのできない物事を受け入れる落ち着きと、変えることのできる物事を変える勇気と、その違いを常に見分ける知恵とをさずけたまえ


カート・ヴォネガット著『スローターハウス5』から




■■■ お祈り




まるで違う世界を生きる一月前と今と、昨日の朝と夜と今と、哀しみや歓びなどの意味を付与せずありのままの存在として、現世で長く肉体を持つことのなかったあなたに。