休日の朝、ゆっくり風呂に入りながら、何とはなしに顔の皮膚を撫でて、二撫で半もすればすべて撫でられるなんて、自分の顔が小さく狭いことに驚いた。頭皮も同様。
複雑なつくり(構造)を持っていて、文字通り「顔」として日々前面に晒して歩いているが、なんか小さく頼りないなあと思った。
思っているより、いろんなものがカッチリしてなくて、頼りない。
確かなんだと言われていても。
例えば、ほとんど解決不可能と思っていた苦しみが、ころりと転がっていったように。
ぬかよろこび、になるのが恐くて、手放しではなかなか喜べないけど、今はあの苦しさがない。問題はそのままだけど、苦しさはなく、歩く意思だけがある。歩く歓びがある。
つい数週間前まで、苦しかったし、解決は「崩壊」以外にないような気すらしていたのに。
雨の日も晴れの日も雷も雪もあるように、精神的な苦しさや回復も、自分たちではコントロールできない、天災のようなものなのか?
ある意味そうだろうけど、雨の日の過ごし方、雪の日の過ごし方、それを知らず、裸で雪山へ出かけたり、雷の日に原っぱで鉄の棒を持って立ってるくらいのことはしてそうだと思う。
もっとよく、自然の仕組みがわかったのなら。
私は最近、私の”ほんとうの”理性にお願いする。
どうか理性の光で、私の道を照らしてください。
■■■ 問題まとめ(現状)
・仕事<人間関係>の問題 → 奇跡的な改善。だがまだまだ踏み込める、今後期待。
・仕事<純粋に仕事>の問題 → 問題はそのままだが、深刻さ激変(解決策、解決のきざし有)。意欲急上昇。
・家庭の問題 → 問題はそのままだが、深刻さ減少(精神的に安定)。
・ミッシング・リンク(失われたつながり) → 降って湧いてきたミッション。どう転ぶか謎。勝算はある…と思う。特別働きかけなくても勝手に展開していく…。これが解決したらほんとに奇跡的。