11/24 AM5:00の為の仕事
ふと思った事
NHKとかで流れる朝5時くらいのニュース、あれにもちゃんと原稿は存在していて、という事はそれを書く職業の人も要るんだよな、と。
朝5時の為と言う事は、朝か深夜か良く分かんないAM3:00とかの、雰囲気も人気も日の光も薄暗い時間に机に向って、カタカタとキーボードを打ってるんだろうな。寂しくないのかな。
こんな仕事を毎日毎日続けていると、この時間帯に生活リズムを持って行っている自分が世間から置いてけぼりにされている、って悲しくなんないのかな。
朝の5時にニュースなんて中々見る人なんて居ないんだから、適当にやっちまえ、とか、こんなに少人数に向けた仕事の裏方やってる自分が切ない、とか、ヤッキになる瞬間が度々来るんじゃないかな。
なんて、要らぬ心配をしてしまって、その仕事を勝手に寂しい仕事の様に捉えてしまっている自分がいる。
でも、僕らの寝ているその時間にも、(多分)事実を丁寧な文章にちゃんとまとめている原稿が出来上がって、それをきちんとアナウンサーが読み上げてくれている。
先日、ある著名人が、ニュースはNHKの朝5時のラジオが一番だ、と言っている事を知った。
要点をきちんとまとめた文章を確かな技術で読み上げるから、理解し易いし、ラジオ独特の想像をかき立てる効果も相まって、吸収が良い、みたいな事を言っていた。
なんだ、すげえ人はすげえ事をちゃんと見てんじゃん。
俺がずっとこんな仕事やってたら、悲しくなって、寂しくなって、人を妬んで、羨んで、自分を見下ろしてetc.とにかく落ち込むよ、絶対。
この仕事をやってる人ってやっぱり凄いよ!
とか、勝手に安心した自分がいる。
きっと、知らない所では、今日も、この時間も、すごい人が働いている。
NHKとかで流れる朝5時くらいのニュース、あれにもちゃんと原稿は存在していて、という事はそれを書く職業の人も要るんだよな、と。
朝5時の為と言う事は、朝か深夜か良く分かんないAM3:00とかの、雰囲気も人気も日の光も薄暗い時間に机に向って、カタカタとキーボードを打ってるんだろうな。寂しくないのかな。
こんな仕事を毎日毎日続けていると、この時間帯に生活リズムを持って行っている自分が世間から置いてけぼりにされている、って悲しくなんないのかな。
朝の5時にニュースなんて中々見る人なんて居ないんだから、適当にやっちまえ、とか、こんなに少人数に向けた仕事の裏方やってる自分が切ない、とか、ヤッキになる瞬間が度々来るんじゃないかな。
なんて、要らぬ心配をしてしまって、その仕事を勝手に寂しい仕事の様に捉えてしまっている自分がいる。
でも、僕らの寝ているその時間にも、(多分)事実を丁寧な文章にちゃんとまとめている原稿が出来上がって、それをきちんとアナウンサーが読み上げてくれている。
先日、ある著名人が、ニュースはNHKの朝5時のラジオが一番だ、と言っている事を知った。
要点をきちんとまとめた文章を確かな技術で読み上げるから、理解し易いし、ラジオ独特の想像をかき立てる効果も相まって、吸収が良い、みたいな事を言っていた。
なんだ、すげえ人はすげえ事をちゃんと見てんじゃん。
俺がずっとこんな仕事やってたら、悲しくなって、寂しくなって、人を妬んで、羨んで、自分を見下ろしてetc.とにかく落ち込むよ、絶対。
この仕事をやってる人ってやっぱり凄いよ!
とか、勝手に安心した自分がいる。
きっと、知らない所では、今日も、この時間も、すごい人が働いている。
4/5~4/6 ホームワーク


ここ一週間くらい自宅で仕事中。会社で「こうしたら良いと思う」と言ったら「じゃあそれをまとめて出せ」となって、家でせっせと資料を作っている。ちっこい会社ならでは。
ちょうど会社も変革期を迎えているから、必要な事と言えば必要。一番新鮮に会社を見られて、バックグラウンドにも恵まれているからと言うのが任された理由なんだそうな。
自宅で作っているのは、会社を客観視しないと上手く作れないから。とは言え、ノータッチで居る訳ではなくて、たまに出向いて社内の水を汲み取ったりはしている。
家でやっていると、どこまでが仕事でどこまでがプライベートなのか分からなくなる。真っ昼間にぼぉっとしたり、夜中までずるずる引きずって作業続けてたり。ずっと働いている様な、ずっと休んでいる様な。
たまには、結構働いてるんだから、と開き直ってこんな時間に日記を書いて思考の整理をしてみたり。
案外、こうやっている方が心地良い。
適度に放ったらかされて、黙々と作業して、さらさらとした人付き合いをして、でもつながってて。
贅沢なヤツ。でも、贅沢に思う=魅力的=好きなのか(?)
なんか、大学の時を思い出す。あの時と似た環境な気がした。
課題とバイトばっかりしてて、出没地は学校の設計室か研究室、自宅、バイト先、世界堂、本屋、CD屋。
黙々と作業したり、友達とだべったり、学校に住み着いたり、町中ふらついたり。
真っ昼間に研究室に集まってた時の、ふわっとしてちょっと湿気があってどこかで小さくジジジと音が鳴っている感覚。静かな夜中に音楽をボリューム絞ったまんま流しっぱにしてる感覚。そんなのがリアルにぶり返す。
もしかしたら、オフィスの、乾いた空気と他人のクリック音の共鳴と視線が落ち着かない風景に、知らない内に圧迫されてたのかもしれない。
視覚、聴覚、触覚が少し無理してた。
あの時の感覚で働けたら良いなぁなんて思ったり。
「快適な職場環境の実現」として書いておこうか。止めよう。
4/2~4/4 思考の整理



この日記(ブログってはなんか言いたくない)を書いてる理由。
一日一回は頭の中を整理する場を持つ、なんだろうな。初めて数ヶ月でやっと分かり出す。
とは言え、凄く内面的だから公開しない方が良い気もする。読み返すと結構恥ずかしかくなったりして自己嫌悪になる。それでも、書いていると宣言する効果の方が大切。それが無いと続かない。実際、日記をつけるのはめんどくさくて続け辛い。
効果がどう出るかはまだ分からないんだけど。
思考の整理の話で言うと、週末読んだ本の中の一冊に引っかかる事が書かれていた。
過去の偉人にメモ魔が多かった事、ヤングのユーレカの順番は「情報収集→咀嚼→放置→アイディアの降臨→実現」だという事。
この日記の後ろ盾にピッタリだ。
あと、メモについて。年末くらいからちゃんとメモ帳を持つ様になった。
色んな人の話を聞いたり本を読んで、思考の整理と一旦忘れる事が重要だと思ったから。
おかげで、考えを上手くまとめる練習をして、きちんとストックして、見返す機会を持てた。忘れる事がすぱっと次の考えに移る手助けをしてくれる。
それに、何も考えていない時にメモを見返していると、色んな考えがつながって、一つ一つをメモしていた時よりも考えが進展する事もある。
良い事尽くめ。
これもまた、結構手間がかかるけど。だから、早くメモするのがこれからの課題。その訓練も兼ねて続けている。メールとか伝言の上達にもつながりそうだし。
考えの整理は、昔の出来事に対する行動だ。だから、これが肥やしになって、良いものを産み出さなければ意味がない。その成果に期待を抱いている限り、この習慣は続けようと思う。
3/29~4/1 冬の総括




2009年度が終わって、今年の四分の一が終わって、引っ越して二ヶ月が経って。
振り返ってみると、やっぱり今年は上昇がテーマなんだなと再確認する。それもどん底からの。元旦なんて最悪な日だったし。
それから三ヶ月、何かとつまずいてばかり。で、じっくりとだけど上向きに登ってはいるかなと思っている。
とか言いいつつ、産まれてから今までを振り返ってみると、何しても底辺からじわじわ登った事しかない。今と全く同じ。
正直、何かが最初から上手く出来た記憶がこれまで殆ど無い。周りみんなと一緒にスタートしても出遅れてばかり。
それで、もしも自分に合ってたら時間をかけて成果を出す。
結局そんな歩み方をする様に作られているんだろう。
別に、自分は大器晩成だ、大物だ、とか言いたいんじゃない。それとはちょっとちがう。同じなのは時間が掛かる事だけ。
この、じっとしている期間がいつも辛い。辛いけど、その先に向うには絶対に必要だとすら感じる。
春になって花が咲き始めた。この美しい花々は冬の寒さが無いと見られない。
11月産まれだからか、何でも秋や冬から始まる。こっちの春はもうちょっと先かもしれない。
3/26~28 mission



金曜からずっと会社についての思案(仕事で)が続く。
必要な事は見えている。やるべき事も分かっている。それでも何かが残る。取り残されている。
筆はいくらでも進むのに...
シュートバンバン打っててゴールしない状態。
そうこうやってたら、週末の最後の最後に立て続けに刺激がわぁって来た。
まず、いきなり友人から我が家を撮りたいとか言わて撮影会が始まる。
嘘偽りなくやりたい事を楽しんでいる人の気は良い。
楽しんで生業を営んでいるのがいかに幸せか。理屈を抜きにして肌で感じた。
これから自分の筆には新しい色が付くだろう。
情熱大陸に坂茂さんが出ていた。
同じ建築をやっていても、あの人はちがう、と見ていた。
なのに、気がつけば自分と重ね合わせていた。心がふるふるとした。
やる仕事は違う。でも、自分もああいう姿勢で働きたいと思う。
今、これからしばらくの自分がどう働くかに大きく影響するものに取り掛かっている。
いい刺激を頂けた。
踏ん張ろう。
3/25 群青と水色
前に体験した事と同じなんだけど、なんか違うなあと感じる事があった。
両方とも青だけど、群青と水色。みたいに。
同じ麺類なんだけど、うどんとパスタ。とは違う。
全く初めてではないはずなのに、その感覚は初めて触れるものに近かった。
世の中全く同じものな事は無いから、極論言えば全てが同じものであるはずはない。それは分かってる。
でも、それがあまりに初めてに感じられる感覚で少しビックリする。
新鮮で喜ばしいと言うよりかは、それを初めてと感じる自分に湧く違和感。
自分が前に体験した頃に戻ったと言うか、体のどこかがその時に置かれ続けていたのに気付いたと言うか。
進歩が無いのとも違う。
とにかく、変な感覚。
青は見た事あるのに、この色は見た事ない。ってやつ。
サッカー良く観るけど、こんなプレイヤーは初めてみた。て言うのとは違う。
3/23~24 不釣り合い


雨でどんよりした天気が続く。気持ちも微睡む。
当たり前なんだけれども、それをモロに感じてしまう二日間だった。
行動力が下がるとか、家の中で過ごす時間が充実するとか、そういう空気になる。
良いも悪いも引っ括めて、雨の日らしい日を過ごす。
雨も晴れも善し悪しを持っていて、どちらも必要なのは分かっている。
同じ様に、好きも嫌いも必要だし、楽しいも辛いも必要だ。
案外何でもプラスマイナスや陰陽で釣り合っているのかもしれない。
買い物をするとありがとうとか言われるのがなんとなく気持ち悪い。
こっちはお金を出す代わりに商品を手に入れされてもらっている。50:50の関係。
むしろ、自分の手元に届くまでに、その商品には何人もの労力が注がれていて、何度ものプロセスを経ているのだから、売り手の方がとてもありがたい事をしている様に見える。
だから、こっちからもありがとうと言っても良いのかもしれない。
なのに、お客様。なんだか、買い手と売り手の関係に大きな差があるみたいだ。
バランスがとても悪く感じる。
もっと、お互い様、ってくらいの関係になれないのだろうか。
コンビニじゃあ一生ムリなんだろうけど。
3/21~22 手当て、看病


お見舞いして、実家に一泊。
たったの30分しかお見舞いに行けなかったのに、エラく心労した気がする。
夕食食べてからすぐに寝てしまった。
ただ手を重ねるだけなのにグッと力が相手に伝わる、と言うか吸い取られる。手当て、とは良く言ったものだ。
看病、って言う通りに、看取るだけでも病を治す手助けが出来るとも思う。顔を併せているとみるみる表情が活き活きして行くのが分かる。とても嬉しかった。
でも、事実それだけが、凄い疲労になった。
だから、バックバック食べて、朝っぱらから落ち着ける場所行って。自然とそうしたくなった。
会う度に思う。健康が一番だと。
元気でいられて、笑っていられて。それがどれだけ素晴らしい事か、どれだけ掛け替えのない事か。
そういう事に気付く。逆説的に感じられているのは残念だけれども、それでもありがたい。
明日も元気で、笑っていられる様に。
3/18 靨
チクリと刺さるものが多かった一日。お前そこは空気読んどけよ、とか突っ込める場面が立て続けに起こる。
自力で避けられる事もあるんだろうとか、嫌な事が起こっても受け流せば良いとか、心構えとして持っているものはある。そうしていてもちょっとだけキツい日もある。
心を操るのって大変だ。
自分で自分の心をすら上手く出来ていない。ましてや他人にそれが出来るなんて、今はなかなか思えない。
だから、心を動かす人や事の凄さをふと思う。
笑い話がとても上手かったり、人を笑顔にする仕事をしていたり、心を落ち着かせてくれたり、そんな人は素晴らしい。
楽しかったり、嬉しかったり、温かい涙を流せたり、そんな出来事はとてもかけがえない。
きっと一番悲しいのは凪な一日なんだろう。無風状態や、心が何も動かなかった日は、きっと虚無感で一杯になる。
何だって良い。素敵な人と一緒に居たり、嬉しい事が起こるのはもちろん素晴らしい。だけど、そんな事ばかりでなくても、いくら小さな事でも、何か一つあれば充分だ。くすっと笑える出来事が起こった、良い曲を聞いた、良い言葉を読んだ、美味しいものを食べた、何でも良い。嫌な出来事でもありがたい。
心をふるっと揺らしてくれる出来事が起こる事が何よりも大切だ。ただ何も動かない水は腐ってダメになって行く。
嫌な一日にも感謝。これだけ大切な事に気付く事が出来た。




